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再読 半藤一利 永井荷風の昭和 ④(2012文春文庫) [日記 (2022)]

永井荷風の昭和 (文春文庫)
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 提灯行列
@ お断り ⇒いたずらに長く、引用多いです。

軍歌と万歳と旗の波と
《夕飯を喫し玉の井を歩む。此里よりも戦地に赴くものありと見え、広小路の大通挑灯を提げて人を送るもの長き列をなしたり》(昭和12年8/4)

これは、『濹東綺譚』でお雪が出征する抱え主の息子を身体で慰めるシーンに取り入れられています。息子は「二十億の資財と二十万の生霊」によって獲得した「日本の生命線」満州を護るため、万歳の声に送られ出征するのです。出征がこれですから、勝利しようものなら万歳+「提灯行列」、「軍歌と万歳と旗の波と」というサブタイトルはこれを言います。

《余この頃東京住民の生活を見るに、・・・戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり
・・・軍歌と万歳と旗の波と提灯行列のうちに日中戦争が進展していったことは、はっきりと覚えている。それはもう軍部や政府の情報操作による巧みな宣伝があった、それにうまうまと乗せられたというより、むしろ国民のなかにもそれを受けいれる素地はありすぎるほどあった。
 全集や文庫の『日乗』では一行抹消で活字になっていないこんな記述があるそうです。「暴支膺懲」と騒ぐ日本を、

《曾て文久年間水戸の浪士が横浜開交場を襲撃せむとし、又長藩の兵が馬関通過の英蘭商船を砲撃せし時の事情と毫も異る処なし。英仏連合艦隊の長州攻撃するや特に膺懲というが如き無意味なる主張をなさざりき。・・・戦争の公平なる裁判は後の世の史家の任務るのみ》(昭和12年9/3)

『日乗』は出版を前提に書かれていますから、荷風さんも逮捕、発禁が怖かったんでしょう。昭和12年にこれを公にすれば荷風さんは国賊、即発禁です。「暴支膺懲」とは、横暴な中国を懲らしめるという日中戦争を正当化するために陸軍が広めたスローガンです。昭和は、いい意味でも悪い意味でも、国家と国民がひとつであった時代です。斜めに構えた荷風さんは、『日乗』のいたるところに顔出します。2・26事件の1週間前にも、

≪日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行も、之を要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於てもこれは到底望むべからざる事なるべし≫(昭和11年2/14)

国民は騙されていた、と今になって言うのは簡単ですが、昭和11~12年当時これを自覚している荷風さんはエライ!。ただし、ひとり覚めているのは辛いでしょうね、皆と一緒に騒いでいる方が気が楽です、後でキッチリ責任を取らされますが。

バスに乗り遅れるな(日独伊三国同盟)
 荷風さんはフランスが好きです。20歳頃にフランス語を習い、1907年~1908年横浜正金銀行に勤めながらのフランスに10ヶ月滞在しています。1910年~1916年には慶応義塾で教授となり仏語仏文学を講義しています。昭和15年5/11、大嫌いなヒトラーが大好きなフランスを侵攻します。
《...号外売 欧洲戦争独軍大捷を報ず。仏都巴里陥落の日近しと云う。余自ら慰めむとするも慰むること能わざるものあり。晩餐も之がために全く味なし。燈刻 悄然として家にかえる》(昭和15年5/18)
 ナチス・ドイツの電撃作戦は破竹の進撃を続けます。5/14オランダ降伏、5/17にはベルギーの首都ブリュッセルが陥ち、マジノ線を突破したドイツ軍は5/24英仏軍をドーバー海峡に追いつめダンケルクからの撤退となります。6/14ついにパリが陥落します。
 このドイツの快進撃を見て、日本では「バスに乗り遅れるな」という論議が起こります。ドイツ軍は、アジアに植民地を持つフランス、オランダ、ポルトガルを席捲しています。ドイツ勝利の暁に、これら植民地がドイツの手に落ちてはたまらない、日本もアジアで第二次世界大戦参加し植民地を確保しようという論議です。戦争が終われば、世界はドイツ、イギリス+アメリカ、ソ連の3勢力に分断される、その一角に日本も食い込もうと云うわけです。

《余は斯くの如き傲慢無礼なる民族が武力を以て鄰国に寇することを痛歎して惜かざるなり。米国よ。速に起てこの狂暴なる民族に改俊の機会を与えしめよ≫ (昭和16年6/20)

日本の南進は、倭寇と変わらないと荷風さんは言います。怖いのはアメリカを持ち出したこと。日本は、この10日後の7/2の御前会議で「大東亜共栄圏の建設」 「南方進出」の国策を決定し、「目的達成のため対米英戦を辞さず」と明文化した『帝国国策要綱』を採択します。

米国との戦争はもう決定的と荷風は観じていたようである。 希望的観測いっさい抜きの、この認識をどこから得ていたのであろうか。なぜかといえば、たとえば海軍中央にいた軍事の専門家ですら、幻影幻想に流され、まだまだアメリカとの戦争にはなるまいと判断しているときであったからである。

米国よ速に起て」と『日乗』に書いた半年後に日米戦争が起きるのですから、荷風さんの慧眼恐る可し。
《くもりて蒸暑し。 ・・此夜或人のはなしをきくに日本軍は既に仏領印度と蘭領印度の二個所に侵入せり。この度の動員は蓋しこれが為なりと 。此の風説果して事実なりとすれば、日軍の為す所は欧州の戦乱に乗じたる火事場泥棒に異らず。人の弱味につけ込んで私欲を逞しくするものにして仁愛の心全く無きものなり》(昭和16年7/25)

7/23南部仏印進駐の決定、7/26にアメリカは日本の在外資産凍結を発表。 7/28の南部仏印上陸、8/1アメリカは石油の対日輸出を全面禁止します。日米開戦まで後5ヶ月。
昭和16年12月8日
褥中 小説浮沈 第一回起草。哺下(夕刻)土州橋に至る。日米開戦の号外出ず。 帰途 銀座食堂にて食事中 燈火管制となる。街頭商店の灯は追々に消え行きしが電車自動 車は灯は消さず、省線は如何にや。余が乗りたる電車乗客雑沓せるが中に黄いろい声を張上げて演舌をなすものあり》(12/8)

《くもりて午後より雨。開戦の号外出でてより近鄰物静になり来訪者もなければ半日心やすく午睡することを得たり。夜小説執筆。雨声瀟々たり》(12/9)

12/8に布団の中で書いていた小説『浮沈』とは、さだ子という女性が、女給から人妻へ、さらに未亡人、ふたたび女給、人妻、待合の女というように、変転する運命を描いた「女給もの」だそうです。12/12には玉の井に出かけています。半藤さんは、
 対英米開戦の興奮も熱狂もおよそ影ひとつ落としていない。
この項おしまい。『断腸亭日乗』は面白そうなので読んでみます。

タグ:読書 昭和史
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