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諜報団 東京ニ集結ス! スパイ・ゾルゲの昭和 (3) [日記 (2022)]

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続きです。
 ネタ元は『現代史資料 ゾルゲ事件 1』ですが、捕まったスパイの「自供」ですから何処まで信用していいのかは?。こちらとしては面白ければそれでいいわけですが…。

 1933年、「ゾルゲ諜報団」が続々と日本に終結します。まず2月11日にフランスからヴーケリッチが来日、9月6日にはゾルゲがバンクーバー発のカナダ客船で横浜港に到着し、10月24日に宮城与徳がアメリカから帰国します。尾崎秀実は一足早く1932年2月に帰国し、朝日新聞大阪本社に在籍しています。
 ゾルゲは、(打ち合わせ通りに)新聞にアパートの広告を掲載し、そのアパートに入居したヴーケリッチと接触します。ヴーケリッチは、ゾルゲの指示で「浮世絵買いたし」という広告を新聞に掲載し、連絡してきた宮城と接触します。フランス、ソ連、アメリカから見知らぬ3人が東京に集結するわけですから、国際共産主義組織コミンテルンのネットワークが機能していたことになります。1934年5月、ゾルゲの指示で宮城が大阪朝日新聞尾崎を訪ね、尾崎とゾルゲは奈良公園の猿沢の池でⅡ年ぶりに再会します。尾崎は、この時初めてゾルゲの本名を知り、ゾルゲがコミンテルンのスパイであること知ります(上海で知っていた?)。もうひとり、マックス・クラウゼンが合流するのは翌年1935年です。
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尾崎秀実         宮城与徳

日本での任務
《モスクワから与えられた任務》
日本入国に当たりベルジンから指示された任務、及び1935年にモスクワに帰国した際に指示された任務は

 1) 満州事変以後における日本の対ソ政策の詳細、 ソ連攻撃を計画しているかどうか
 2)ソ連に対して向けられる可能性のある日本の陸軍および航空部隊の改編と増強
 3)日独関係
 4)日本の対中華政策
 5)日本の対イギリスおよび対アメリカ政策
 6)外交、内政に影響を及ぼす陸軍の動静、特に青年将校に注視
 7)重工業に関する情報を、特に戦時経済の拡張の問題

一言で言えば、日本はソ連と戦争をする気があるのか?です。それを政治、軍事、経済から探れという指示です。ドイツのソ連侵攻後は焦眉の問題となります。

《個人課題》
 1)二・二六事件の内政に及ぼした影響
 2)日独同盟(防共協定)
 3)日中戦争
 4)日本と英米両国との関係崩壊
 5)第二次世界大戦および 独ソ戦に対する日本の態度
 6)1941年夏の大動員(関東軍特種演習通称関特演」) (p171)

 上海時代もそうですが、ゾルゲは、赤軍情報部の指示とは別に「律儀」に個人課題を自らに課しています。日ソ関係を国際情勢の広い視野で探ろうと云うものです。二・二六事件については、ゾルゲは日本の方向を左右する事件だという認識で、グループの総力を挙げて取材しています。

任務の分担と資料の選択
クラウゼンは純粋に技術的な任務(報告書の暗号化と送信)で手いっぱいだったので、実際問題として情報や諜報の収集に携わることはできなかった尾崎は主に政治、経済関係の情報を収集した。 宮城は経済および軍事上の資料を集め、また日本語で書いた一切の資料の翻訳にあたった。ヴーケリッチは主に外国通信員とフランス人から情報を集め、また写真などの技術的な仕事にも従事した。私自身は外国人とくにドイツ人から情報を収集した(p171)

私はまた、私の手許に集った情報なり、私自身が入手した情報なりの中で、どの部分は無線でモスクワに報告すべきか、どの部分はもっと詳しい文書の形にして、後で伝書使に托して報告すべきかどの部分は全然報告の必要がないか、といったことを決定した。(p172)

 集めた情報をゾルゲが分析し、報告書を作成し、クラウゼンが暗号化して無線でウラジオストックに送信します。報告が長文にわたるものは、ヴーケリッチがマイクロフィルムに撮影し、アンナ・クラウゼンがクーリエ(伝書使)となって上海に運びモスクワに送っていたようです。クラウゼンはまた、コピー機製作所「クラウゼン商会」を経営し利益の一部は諜報団の活動費となっています。

何か特別な場合には、私は各人の分担にかかわりなく、全員挙って或る特殊の問題に当るようにさせた。そうした実例を今ここに幾つか挙げてみることにしよう。
一九三六年二・二六事件が起ると、私は全員に全力をあげてあらゆる情報を集めるように指示し、かくして得た情報を基にして私は自分の判断を下した。

ニ・ニ六事件の外、日中戦争、ノモンハン事件が起こると、グループ全員で情報収集に当たっています。

ドイツのソ連攻撃が始まると、全員はこの戦争に対する日本の政治的態度に関してあらゆる詳細な情報を集め、私は当時日本が始めていた大動員の範囲と方向(北か南か)を詳しく観察した。

日本とドイツは三国同盟を結んでいます。日ソは中立条約を結んでいますが、ドイツが独ソ不可侵条約を破って侵攻した様に、日本が中立条約を破って、東部戦線で戦っているソ連の背後を衝けばひとたまりもありません。「北か南か」とは、日本が資源を求めて仏領インドシナ等東南アジアに向かい《南進》するのか?、それとも《北進》してドイツを援護してソ連に攻撃を仕掛けるか?、です。モスクワは、日本がドイツを援護するかを探るよう指示をだします。この諜報活動が「ゾルゲ事件」の核心となります。

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