SSブログ

東京発 ラムゼイ ② バルバロッサ作戦 スパイ・ゾルゲの昭和 (5) [日記 (2022)]

国際スパイ ゾルゲの真実  ネタ元はNHK取材班『国際スパイ ゾルゲの真実』(1992角川)。
 ゾルゲは、1940年から何度もドイツの「バルバロッサ作戦」を警告し、1941年3月には、ソ連侵攻は6/20(実際は6/22)と日付まで報告しています。ところがスターリンはこれ取り上げず、ドイツ軍の侵攻を許してしまいます。

 ゾルゲがバルバロッサ作戦の情報をどの様にキャッチし、報告し、報告がどう取り扱われたかは、ゾルゲの電報がリアルに物語っています。(長いですが全文引用)

【電文】
六日後には赤軍参謀本部諜報部第九部第四課に返却すること
暗号解読電報 116433、16435 極秘 コピー禁止
発信 東京より1940年12月29日11:37
受信第九部 1940年12月29日15:20

翻訳
赤軍参謀本部諜報部長宛
東京 1940年12月28日
ドイツから来日した軍人はみな、ソビエトの政策に影響を与える目的で、ドイツはルーマニアを含めた東部国境に約八○個師団を配備していると話している。もしソビエトが、ドイツの利益に反する行動に積極的に出れば、ドイツはすでにバルト諸国で行われたように、ハリコフ、モスクワ、レニングラードの線にそって領土を占領することができよう。
ドイツはこれを望むわけでないが、もしソビエトの行動によりそうせざるをえないときには、この手段に訴えるであろう。ドイツは、ソビエトがこのような危険を冒しえないことをよく知っている。というのは、ソビエトの指導者たちは、とくにフィンランド戦争後、赤軍がドイツのような近代軍になるには最低二〇年かかることをよく知っているからである。多の人々の話から、モスクワのコザリン将軍も同じ意見だし、何回もソビエトに来たことのあるドイツの新しい東京の駐在武官の意見でもあるということだ。東京の新任駐在武官は、私に八〇個師団という数字は、いくらか誇張されているようだと述べた。

no.138,139 ラムゼイ
暗号解読、マリンコフ 1940年12月29日17:30
翻訳、ソーニン少佐 12月30日14:00

六部印刷 12月30日15:20
1宛先人、2パンフィーロフ 、3ドゥビーニン、4スターリン、5モロトフ (『国際スパイ ゾルゲの真実』1992角川 所収)

 NHK取材班がロシアで発見したゾルゲの電文です。1940年12月28日にラムゼイ(ゾルゲのコードネーム)から赤軍参謀本部諜報部長宛に発信された電報は、翌29日に翻訳され、スターリンやモロトフにも回覧されています。 情報源が「ドイツから来日した軍人」であるところから、ドイツ大使館から得た情報あり、「東部国境に約八○個師団を配備」され、事あればハリコフ、モスクワ、レニングラードまで侵攻されると警告しています。

【電文】
東京 1941年5月2日
私は、ドイツ大使オットおよび海軍武官と独ソ間の相互関係について話し合った。オットは、ヒトラーがソビエトを粉砕し、ドイツが全ヨーロッパを掌握するため、ソビエトのヨーロッパ部を穀物、原料基地として、自分の手におく決意に満ちていると述べた。
第一の日付は、ソビエトにおける播種の終了時である。 播種終了後に対ソビエト戦争をいつでも始めることができるので、ドイツのすべきことは、収穫するだけである。
・・・いつでも戦争が勃発する可能性はきわめて高い。なぜならヒトラーと彼の将軍たちは、対ソ戦は、対イギリス交戦をいささかも妨げないと確信しているからである。ドイツの将軍たちは、赤軍の戦闘能力を、赤軍を数週間で壊滅できると考えるほど、低く評価している。  ラムゼイ

【電文】
東京 1941年5月30日
ベルリンは、オット大使に、ドイツの対ソビエト攻撃は六月後半に開始されると伝えてきた。オットは、九五パーセントの確率で戦争は開始されると確信している。この件について現在私が見ている間接的な証拠は、下記のとおりである。私の都市にあるドイツ空軍の技術部は、至急帰国せよとの指令を受けた。云々  ラムゼイ

【電文】
東京 1941年6月1日
独ソ戦の開始がおよそ六月一五日という予想は、五月六日ベルリンからバンコックに出発したショル中佐がベルリンから携えてきた情報にもっぱら基づいている。   ラムゼイ

 『国際スパイ ゾルゲの真実』によると、この電報には「疑わしい、挑発のための電報のリストに入れるよう」とのソビエト側の書き込みがあり、クラウゼンが受信したモスクワの返信は、「貴下の情報の信頼性を疑う」だったそです。

 ゾルゲの警告は何故無視されたのか?。一つは、スターリンがスパイの報告には誇張があると考えていたことです。ゾルゲは赤軍情報部のスパイであるとは云え、元は国際共産主義組織コミンテルンに所属するドイツ人であり(1924年にソビエト国籍を得ていますが)、モスクワ指導部に不信感をもたれていたことも理由のひとつです。ゾルゲの情報の的確さが、逆にドイツの二重スパイであるという疑惑も持たれていたようです。
 もうひとつが、チャーチルがドイツが戦争をしかけるという情報をスターリンに伝えていたこと。ドイツがソビエトと戦うことはイギリスにとって好都合なため、スターリンはこうしたイギリスからの報告をドイツとソビエトを離反させる謀略と考え、ドイツの攻撃はないという判断をしていたのです。
 アイノ・クーシネンによると、バルバロッサ作戦の情報に接したスターリンは、ゾルゲを「日本のちっぽけな工場や女郎屋で情報を仕入れているクソッタレ野郎」と、こき下ろしたということです(モルガン・スポルテス『ゾルゲ 破滅のフーガ』)。

 次は、ゾルゲが「三国同盟」「バルバロッサ作戦」の情報を送った無線機の話です。

スパイ・ゾルゲの昭和 (1) ゾルゲ諜報団 
スパイ・ゾルゲの昭和 (2) 魔都・上海のゾルゲ 
スパイ・ゾルゲの昭和 (3)諜報団 東京ニ集結ス! 
スパイ・ゾルゲの昭和 (4)東京発 ラムゼイ① 三国同盟
スパイ・ゾルゲの昭和 (5) 東京発 ラムゼイ② バルバロッサ作戦・・・このページ

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。