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東京宛 ラムゼイへ 日本の対ソ戦略を探れ スパイ・ゾルゲの昭和(8) [日記 (2022)]

ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 (新潮文庫)
日本の対ソ戦略を探れ
 ドイツ軍の侵攻で苦境に陥いったソ連は、ドイツと三国同盟を結ぶ日本の動向に神経を尖らせています。日本に背後を突かれればひとたまりもありません。モスクワから2通の電報がゾルゲ宛に発信されます。

東京宛
1941年6月23日
東京駐在武官グシェンコ ラムゼイ
ドイツの対ソビエト戦争に関わる日本政府の立場についての情報を報告せよ。
部長 (director)

東京宛 インソン(ラムゼイ) 同志へ
1941年6月26日
英語の翻訳:ソビエトとドイツとの戦争に関して、我々の国について日本政府がどんな決定をとったか報告せよ。 わが国境への軍隊の移動について報告せよ。
翻訳
第四部第一課課長
A・ロゴフ
(NHK取材班 国際スパイ ゾルゲの真実 巻末資料)

南か北か? 「情勢ノ推移伴ウ帝国国策要綱」
 泥沼の日中戦争に陥った当時、日本国内では進むべき道として三つが論議されています。

1)北進:日ソ中立条約より三国同盟を優先させ、この機に乗じてソビエトを叩いて極東ソ連を占領するという考え方。
2)南進:独ソ戦でソ連の脅威が減少した機会に軍を南に進め、南部仏印(フランス領インドシナ)、マレー半島、オランダ領インドシナに進出して、石油など資源を確保しようという考え方。すでに日本軍は、援蔣(介石)ルート遮断を理由に北部仏印にまで進駐している。
3)南北一体作戦:当面は戦争に介入せず事態を静観し、北に対しても南に対しても備えるという考え方。具体的には、満州での兵力増強と南部仏印進駐という南北両面作戦を想定。

 6/19日に陸軍は「情勢ノ推移ニ伴ウ国防国策要綱」の陸軍原案をまとめます。その内容は、①南北両面で戦略準備態勢を取り、②情勢の推移により好機が訪れた場合には対ソ参戦するというものです。海軍も、南方進出の準備はするが、独ソ戦には介入しせず、ソビエトに対する兵力増強にも反対するというもの。この両者の調整がつかないまま、22日に独ソ戦が開始されます。

 6/23日には陸海軍の軍務局長と作戦部長の会議が開かれ、南進の態勢を崩さないことを条件に海軍側が妥協し、南北両面に「準備陣」を張り、好機が到来した場合のみ独ソ戦に参戦するという内容の陸軍案に意見の一致をみます。翌24日、「情勢ノ推移伴ウ帝国国策要綱」の陸海軍原案が成立し、「大本栄政府連絡会議」を経て7/2の御前会議に諮られます。

 軍事は、陸海軍の統帥部で原案が成立すると、統帥部と政府との間で会議が開かれます。これが大本営政府連絡会議で、軍事と内政・外交の意見調整・統一が図られます。重要な国策決定となると、さらに、天皇臨席の御前会議に諮られます。大本営政府連絡会議で意見の一致をみているので、御前会議は権威付けの形式的なもので、天皇は討議を聞くだけで、いっさい発言はありません(沈黙する天皇)。「情勢ノ推移伴ウ帝国国策要綱」の陸海軍原案は、六月二五日から七月一日まで6/25~7/1まで大本営政府連絡会議で討議され、7/2の御前会議で最終決定されます。

 ドイツは、日本の国論を対ソ参戦に持ってゆくため、駐日大使オットを通じて外相・松岡洋右に圧力をかけます。松岡が対ソ戦を主張したため大本栄政府連絡会議はモメますが、結局、《南北一体作戦》の準備と、好機を捕捉した場合のみの対ソ参戦を内容とする原案(3)が可決されます。

この一週間こそ、太平洋戦争に直接つながる最初の重大決定がなされた運命の一週間であり、ゾルゲたち諜報員もこの一週間のなりゆきに最大細心の注意をはらっていたのである。(『国際スパイ』p176)

 モスクワの指令でゾルゲ諜報団が動きだします。ゾルゲはどのように、この「1週間」を探り出したのか?。

ここまでの「スパイ・ゾルゲの昭和」

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