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ゾルゲの給与、押収物件 スパイ・ゾルゲの昭和 (10) [日記 (2022)]

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 諜報活動の舞台帝劇          押収物

 政治の話だけでは面白くないので、スパイの経済事情の話です。

資金(『現代史資料 1』p78)
 ゾルゲ諜報団の資金関係です。内務省警保局の算定では、活動費は月3,000円程度です。1940年4月~12月迄の9ヶ月で1ヶ月間資金支出概算によると、

 ・ゾルゲ:給料150円~2000円
 ・クラウゼン:給料600円~800円家、賃175円、特別手当80円~290円
 ・ヴーケリッチ:給料60円~200円、特別手当100円~430円
 ・エディット(ヴーケリッチの元妻):給料40~450円、特別手当0~430円
 ・分団員医療費:250~815円
 ・写真竝無電機械附属代:0~218円 合計5,733円~1,4605円

 ソ連大使館から活動費を受け取った時に必要に応じて渡していた為か、給与に巾があります。上限でみるとゾルゲ2,000円、クラウゼン800円、ヴーケリッチ200円、エディット450円。ゾルゲは尾崎に活動費として月100~150円程度払っていたようです(2-p118)。尾崎の収入は、内閣参与、満鉄嘱託等で月千円程度。

 ゾルゲはフランクフルター・ツァイシングの特派員、ヴーケリッチはハバス通信特派員、クラウゼンは蛍光複写版製造のM・クラウゼン商会の経営者として、偽装を兼ねて職業を持っています。M・クラウゼン商会はけっこう盛況で陸軍の仕事も請け負っていたようで、諜報団の資金源ともなっていたようです。当時の大卒の初任給を月80円、総理大臣の月給与が800円、勤労者の平均年収が750円程度とするなら、彼らは相当高額の給与を得ていたことになります。ちなみに、永井荷風が昭和11年に買ったドイツ製ローライコードⅠというカメラは104円、蕎麦が13銭という時代です。ゾルゲが石井花子を口説くために足繁くドイツクラブ・ラインゴールドに通うには、十分な給与でしょうw(後には生活の面倒もみている)。

余談
 永井荷風の『断腸亭日乗』(昭和11年の項)には玉ノ井の話として「一時間五円を出せば女は客と共に入浴すると云う。但しこれは最も高価の女にて、並は一時間三円、一寸(ちょん)の間は壱円より弐円までなり」(『永井荷風の昭和』p115)。荷風さんの新聞連載小説の原稿料は、1回70円です。余談ですw。

 活動費の送達方法は、当初はモスクワより米国の銀行経由で香港、上海等の在京諸銀行(三井、三菱、 正金)の個人口座に振り込まれてたやようです。日本の外国為替管理の強化に伴ひ昭和15年頃からは、クラウゼンが無電によって連絡を取り、帝劇等の劇場で報告書のマイクロフィルムと交換にソ連大使館員から現金でドルや円を直接受け取っています。例えば昭和15年4/15には、宝塚劇場で米ドルで2,000ドル、日本円で2,500円を受け取っています(1-33)。逮捕時押収物件に、ゾルゲは1,000円、1782ドル(当時の為替レートで約8,000円)、クラウゼンは1782ドル(約7600円)の現金があります。

月額参千円程度にては、本諜報団の如き有力広汎なる組織としては少額に過ぎるが如く認めらるるも、彼等一味の活動は何れも共産主義に基く蘇聯邦防衛の信念に出づるものにして、各団員が月々支給せらる資金は諜報活動の報酬に非ずして生活保証を立前となし居りたるものなり。

と調書にはあります。宮城の給与は不明ですが、宮城は多くの日本人協力者を抱え彼らの調査費も必要、上海や香港に「出張」もあり、料亭やレストランで会合を持ちますから相応の活動費は必要だったはずです。
 ゾルゲ諜報団の会計担当はクラウゼンで、半年~1年毎に計算書を作成してゾルゲに提出し、マイクロフィルムに撮ってモスクワに報告しています。
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 ライカ                 ロボット
重要押収物件
(1) ゾルゲ自宅
写真器三台(ライカ1台、ロボット2台) 、
・接写機、接写具各一組、レンズ(望遠レンズを含む) 三個、現象用具、焦点器、距離計、露出計、 フイルム、乾板三脚等写真用具一揃(以上は諜報資料を縮写し蘇聯邦(ソ連)本部に報告の為め携帯に便ならしむるに使用す)
・タイプライター一台 (諜報報告の為め使用す)
・ラヂオ兼蓄音器(国際放送聴取)、英文情報並びに英文図解七枚(宮城、尾崎より提供したるもの
・手帳十六冊(同志との連絡並資金関係等を記載したるもの)
・邦貨紙幣壱千円
・黒革札入在中米弗紙幣 壱千七百八十二弗 (諜報団の資金)
・ナチス党員手帳、身分証明書等(自己の偽装用に使用す)
・発信暗号の原稿(英文) タイプせるもの二枚クラウゼンをして打電せんとしたるもの
・独逸統計年鑑(一九三五年版、1935年版)二冊(暗号作成の為の乱数表として当時一九三五年版を使用中なりしもの)

(2) クラウゼン宅
・短波無電発信器一台
・短波無電受信機一台 
・黒皮バンド付靴内にありたる短波無電発受信機附属品、予備品一揃
・発信受信暗号記載便箋二冊 
・発信暗号の原稿(英文)(計100-100枚)
・米国紙幣800弗(諜報活動資金) (以上は厳重施錠したる衣類入大型トランクの底より発見す)
・独逸統計年鑑(1934年版、1935年版1936年版)三冊 
・日記帳10冊(同志との連絡竝資金計算等記入)
・マックス・クラウゼン商会会計簿等七冊(偽装の為め資金を諜報団より支出し経営す)
・タイプライター一台

(3) ヴーケリッチ宅
・写真機二台
・接写機一台
・レンズ(高速度望遠レンズを含む) 四個
・フィルム、乾板等写真用具一式 (以上は諜報資料急速蒐集竝携帯を便ならしむる為の縮写に使用す
・独逸統計年鑑(1935年版)
・日記帳五冊(同志との連絡竝諜報蒐集先を記載す)
・電気蓄音器ボックス1個(ベルンハルトが短波無電器を其の中に備へ付け使用したるものなるが無電器は後に取り外しクラウゼンと共に山中湖に赴き投棄したるものなり

 諜報団の無線担当クラウゼン宅から短波無機械電、写真担当のヴーケリッチ宅から写真機材が出てくるのは当然ですが、ゾルゲの押収物にも、カメラ(ライカ1台、ロボット2台) 、接写機、レンズ、現象用具、焦点器、距離計、露出計と写真機材が充実しています。写真はヴーケリッチ担当ですが、ゾルゲも現像していたようです。ゾルゲはダットサン17型とツエンダップのオートバイも所有していますが、これはリストには載っていません。

 ゾルゲ、クラウゼン、ヴーケリッチとも、諜報活動を記した手帳が押収されていますが、これは不用意。ゾルゲ宅で尾崎、宮城の3人が集まって資料の分析などをしています。外国紙特派員の家に、内閣嘱託と画家が集まるのですから、特高から目を付けられて当然。ゾルゲは捕まるとは考えていなかったのでしょうね。

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