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先崎彰容 吉本隆明 共同幻想論 (2)-1 (2020NHK出版) [日記 (2022)]

吉本隆明『共同幻想論』 2020年7月 (NHK100分de名著) 改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)  続きです。いよいよ「共同幻想論」の核心に入ります。

家族・私有財産・国家の起源
 エンゲルスは、男性の全集団と女性の全集団が互いを全員 で「所有」し合う原始的な家族集団「集団婚」 →同性の兄弟どうしで互いの配偶者たちを共有する集団婚(プナルア婚) →夫が結婚の紐帯による義務を認めない「対偶婚」を経て「一夫一婦制」に移行したと考えます。
 集団婚において男は自分の子供を特定できないが女は特定できる(子供の側からも母親が特定できる)、つまり系統が成り立つから母権制が生まれたというのです。余談 →「夜這い」が一般的であった時代、父親の指名権は女性にあり、男性は拒否出来なかったらしいです。源氏物語を読むと当時の結婚は「妻問婚」で生まれた子は母親の実家で育てられます。その辺りも母権制の名残なんでしょう。

 エンゲルスには「原始共産制」という理想があり、それが富(私有財産)と貨幣(家畜)の発生によって男性が富を囲い込み直系の男子に引き継がせる父権制(家父長制)が生まれ、男性が女性を従わせる一夫一婦制家族が誕生したと言うのです。
 この富をめぐる対立と抗争が国家を生み出します。

これらの対立物が、すなわち抗争しあう経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争のうちに自分自身と社会とを消尽させないためには、外見上社会の上に立ってこの抗争を和らげ、これを「秩序」の枠内に保つべき権力が必要となった。そして、社会から出てきながらも、社会の上に立ち、社会から益々疎外してゆくこの権力が、国家なのである。(家族・私有財産・国家の起源、引用著者)

エンゲルスは共産主義と階級闘争という前提があって、演繹的に「家族・私有財産・国家の起源」を考察したわけです。

対幻想(エロス的対幻想)
 吉本は、エンゲルスの母権制(母系制)を生んだ「集団婚」を否定し、『古事記』のアマテラス(姉)とスサノオ(弟)の関係に着目し、「対幻想」という視点を導入します。アマテラスは、海の神スサノオが自分の支配地(高天原)を狙っていると考え、スサノオは異心のないことを証明するため、ふたりでウケヒ(誓約)=占いをして三女神五男神を生みます。このウケヒは姉弟の擬似的な性行為であり、ウケヒは祭儀を意味しますから、姉弟の対幻想が神々を生むことで共同幻想へと転化(吉本の用語では同致)したと言うのです。アクロバティックな話のような気がしますが、卑弥呼が祭司(巫女)となり弟が政治を行ったという邪馬台国を考えると、姉弟の対幻想が国家という共同幻想の基礎にあるのでしょう。もっともイザナミイザナギの「国産み」神話の方が納得しますが。

原始的〈母系〉制社会の本質が集団婚にあるのではなく、兄弟と姉妹のあいだの〈対なる幻想〉が種族の〈共同幻想〉に同致するところにあり、この同致を媒介するものは共同的な規範を意味する祭儀行為だということが大切なのだ。そして〈母系〉制の社会はこういった共同的な規範を意味した祭儀行為を、種族の現実的な規範として、いいかえれば〈法〉としてみとめたたとき〈母権〉制の社会に転化するということができる。(母制論、引用著者)

アマテラスとスサノオのウケヒは、同時に母権制の誕生を意味していると言います。エンゲルスの説の方が分かりやすいです。

 この対幻想という概念は分かり辛いです。『共同幻想』から拾ってみると、

対幻想、つまりペアになっている幻想ですね、そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女の関係の問題である。(序)

家族の〈対なる幻想〉が部落の〈共同幻想〉に同致するためには〈対なる幻想〉の意識が〈空間〉的に拡大しなければならない〈空間〉的な拡大にたえるのは、けっして〈夫婦〉ではないだろう。夫婦としての一対の男・女はかならず〈空間〉的には縮小する志向性をもっている。(母制論)

家族の〈対なる幻想〉のうち〈空間〉的な拡大に耐えられるのは兄弟と姉妹との関係だけである。兄と妹、姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれほど隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質を保つことができる。それは〈兄弟〉と〈姉妹〉が自然的な〈性〉行為をともなわずに、男性または女性としての人間でありうるからである。いいかえれば〈性〉としての人間の関係が、そのまま人間としての人間の関係でありうるからである。(母制論)

1) 幻想は「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」に分けられ、個人幻想→対幻想→共同幻想の順に拡大してゆく。
2) 対幻想は男女の関係である。
3) 対幻想が共同幻想となるためには意識が空間的に拡大しなければならない。
4) 夫婦も対幻想の範疇に入るが、夫婦の関係は空間的に縮小する。
5) 兄妹、姉弟の関係だけは空間的に隔たっていても対幻想としての本質を保つことができる

ということになるんでしょう。エンゲルスは下部構造が上部構造を決定するという考えたわけですが、吉本は上部構造は上部構造の中で展開すると考えたわけです。

タグ:読書
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