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森万佑子 韓国併合  (8) 日韓併合、歴史認識 (2022中公新書) [日記 (2023)]

韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで (中公新書 2712)
1280px-Japanese_General_Government_Building_at_Waeseongdae.jpeg 統監府

1907:
5/22李完用内閣、6/26ハーグ密使事件、7/20高宗譲位、7/24第3次日韓協約、軍隊解体、義兵運動、8/27純宗即位
1908:東洋拓殖会社、
1909:1月純宗巡幸、5/25伊藤統監を辞任、7/6韓国併合を閣議決定、10/26伊藤博文暗殺、韓国銀行、南韓大討伐作戦、12/4一進会の日韓合邦声明
1910:5/30寺内正毅が統監に、8/22日韓併合、8/29朝鮮の冊封

一進会、義兵
 高宗の譲位の声が朝鮮国内から出てきた様に、日韓協約を支持し日韓併合(合邦)を望む声も朝鮮側から出てきます、一進会です。

旧独立協会系の人々が、日露戦争が迫るなか大韓帝国政府の無能を感じ、日本の援助のもと国家を立て直そうと考えたことによる。翌一九〇四年になると宋秉畯を中心に会が組織されていった。(p203)

 漢城の一部知識人たちの政治結社だった一進会に甲午農民戦争を起こした東学教徒が合流し、全国的な組織となります。日露戦争では、兵員輸送、物資運搬、敵情偵察、兵糧供給などで日本軍に協力し、第二次日韓協約締結され大韓帝国が保護国となると、日韓協約に賛同する宣言書を出します。会員数は約10万とも言われ、元官吏、儒学者、地方士族、農民、商人など幅広い階層で構成された大規模な組織です。

一進会会員には、大韓帝国の政府・支配層への不信感があった。彼ら朝鮮人の不満は「開国」以降、壬午軍乱、甲申政変、東学農民運動、甲午改革、義兵運動、そして独立協会などに表れたが、政府はこうした一連の動きを押さえつけてきた。とりわけ独立協会解散後、大韓帝国は皇帝専制となり、知識人や民衆を圧迫していた。一進会は、民権を伸長し、国力を維持する政府が必要と考え、そのための日本の援助を期待していた。(p205)

 当然に保護国化に反対する勢力もあり、1907年、第三次日韓協約締結され軍隊解散の詔勅が出されると、数千名の兵士が「義兵」となって日本軍と戦闘を始めます。1908年には漢城に侵攻し日本軍に撃退されます。義兵運動は、兵士だけではなく、農民や商工業者など一般庶民を巻き込んだ反政府、抗日運動だったようです。

収束しない各地の義兵運動や、民衆の抗日行動から、併合やむなしとの考えに変わったと見られる。そうした保護国統治の頓挫から伊藤は韓国併合案を容認し、それを受けて日本政府は韓国併合の方針を決定、本格的な手続きに動き出していく。(p225)

1909年7/6に「韓国併合に関する件」が閣議決定され、その3ヶ月10/26に伊藤博文はハルビンで安重根に暗殺されます。

日韓併合
 日本政府は一進会を使って「日韓合邦声明」を出させ併合の世論を醸成します。1909年12/4、一進会は会長李容九の名で「上疏文」を純宗と内閣、統監府に出し、1910年8/22、総理大臣・李完用と統監・寺内正毅統監よって韓国併合条約が調印されます。

第一条 韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を、完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す。

8/29、「前韓国皇帝を 冊 して王と為すの詔書」によって純宗は「李王」として天皇により「冊封」されます。

歴史上、長く朝鮮国王は中国皇帝に冊封されてきた。しかし、原則としてその内政外交に干渉されることはなく、「自主」が保たれた。・・・純宗皇帝は、ついに大日本帝国の天皇に冊封されて「李王」となり、統治権を譲与する。 中華世界とは異なり、「自主」すらも与えられない帝国主義世界で、日本による植民地統治が 創まるのである。

歴史認識
 本書は、「日韓併合について、歴史の基礎的な事実を提供する」と「まえがき」にあるように、山川出版の『朝鮮史』、呉 善花『韓国併合への道』等に比べてイデオロギー色の無い本です。従って日韓併合について罪悪感は嫌韓はありません。

 著者は、「終章 韓国併合をめぐる論争ーー歴史学と国際法」で、日韓議定書~韓国併合条約が国際法に照らして合法・違法論議を細かく論じています。

韓国の場合は「歴史(認識) とはこうあるべき」という道徳的価値観から史実を見ていると言える。韓国史は「われわれの歴史」と呼ばれる韓国人の歴史なのである。 一方、日本は歴史には複数の見方があるとの前提で、自国史も客観的に、淡々と史実を教えようとする。両国の歴史教育には明らかに距離がある。(p244)

歴史がイデオロギーによって解釈されるため、韓国においては「日韓併合」は違法だとなります。つまり、韓国において歴史とは史実ではないとということです。日韓で歴史を論じることは「不毛」ということの様です。で著者の結論は、

そうしたなかでも大韓帝国の史料から抽出される史実がある。それは多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず、歓迎しなかったことである。一方、細部まで逐次叙述される日本の史料から抽出される史実がある。それは、日本が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことである。 これこそが韓国併合ではないだろうか。
ということになります。

 自国をマットウに統治できない朝鮮(大韓帝国)が日本に飲み込まれた、それが個人的な感想です。当時は帝国主義の時代、イギリスもアメリカもフランスも世界各地で植民地を作っています。朝鮮は、植民地にするほどの資源も、日本の製品を消費するマーケットもなく、植民地としての価値は無かったようです。あるのは、ロシアの南下を阻む地政学上の価値。その朝鮮の皇帝が露館播遷をし、ハーグ事件を起こしてロシアに接近しますから、日本は安全保障上朝鮮を保護国とし併合としたわけです。繰り返しますが、19世紀~20世紀始めは帝国主義の時代です。この項お終い。

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