田川建三 イエスという男 禍いあれ、律法学者どもよ (1980三一書房) [日記 (2024)]
禍いあれ、律法学者どもよ。お前らは昔の預言者の墓を建立しているけれども、それはお前らの先祖が殺した預言者ではないか。先祖たちが殺した預言者の墓をお前らが建てる、というそのことによってまさに、お前らは先祖の預言者殺しに同意しているのだ。(ルカ11.47、マタイ23.29)
イエスの舌鋒は、ユダヤ教の律法を奉じ庶民の生活に介入する律法学者はに向けられます。「預言者の墓をたてる」とはユダヤ教の伝統を引き継いでいるという意味です。「先祖たちが殺した」とは、律法学者が実際に預言者を殺したのではなく、「預言者の墓を建てることによって」預言者殺しに加担しているという意味であり当時の常套句だと言います。この句に続いて、
蛇よ蝮のすえよ。どうして汝らが地獄の審きをまぬがれよう。汝らのもとに我は、我が預言者、知者、律法学者を派遣するが、汝らは彼らを殺したり十字架にかけたり、汝らの会堂で鞭打ったり、町から町へと迫害していくのだ。(マタイ23.33)
これも、イエスを除いて殺された人間はいないと言います。ユダヤ教 Vs. イエス一派の争いはせいぜい勢力争いに過ぎなかった様です。イエスも旧約から出発した「預言者」ですから、「禍いあいれ律法学者どもよ」「蛇よ蝮のすえよ」とは近親憎悪です。イエスの言葉というよりマタイの凄まじい近親憎悪でしょう。で著者は言います、
旧約の預言者のことが気になるのなら、あんたら自分も預言者と同じように生きればいいんだよ。何も預言者の墓を飾りたてることはない。
そうやって過去の預言者を絶対的権威に仕立て上げ、実はあんたらは自分自身にその絶対的権威の後光をかぶせたいんだろ。よしなよ。かつて預言者を迫害したのはあんたらみ たいな連中だったんだぜ。(p158)
著者は「律法学者」イエスについてこう想像します。イエスも安息日にシナゴーグ(会堂)で説教をしていたようです(マルコ21)。最初のうちは、律法をよく知っている青年として時々説教し、内容の面白さで人気が出たんでしょう。
イエスがだんだんと自らの言葉を自らの主張をもって語るようになると、会堂の管理者の側もそれを好もしく思わないようになり、イエスの方でも会堂での説教という枠から積極的に外に出て行ったのではないだろうか。イエス登場の前史として、ほぼこの程度のことは想像できる。
神殿税、中でも収穫物の1割の献納は莫大な収入をもたらしたと想像されます。その経済活動、搾取を憤るイエスはエルサレム神殿で暴れます。
ある時イエスは神殿の境内にはいると、そこで売り買いしている者を追い出しはじめ、両替人の机や鳩を売る者の座席をひっくり返したりした。(マルコ11.15)p199
サンヘドリン当局(祭司長、律法学者)はこれを聞いてイエスを殺そうとはかった(マルコ11.18)
ガリラヤでユダヤ教の悪口を言っている分には、無視しておけばいいのですが、エルサレムまでやって来て神殿で乱暴狼藉を働いたのですから、ユダヤ教当局(最高法院)も黙っているわけにはいきません。
マルコの記述が必ずしも史実の一コマ一コマを正確にとらえているとは言えないが、大筋から言えば、こういったイエスの態度は、イエスが意識しようとすまいと、当時のパレスチナの神殿を頂点とする宗教的社会支配そのものに対する否定であったし、従ってまた、この事件が直接のきっかけであったか、あるいは遠因の一つであったかは別として、神殿当局がイエスをとらえて殺そうとはかったのも当然と言える。
イエスは、ユダヤ教当局から睨まれていることは十分承知いた筈。イエスの活動はガリラヤ周辺です。それがわざわざ敵地エルサレムまで出張して神殿で一悶着起こすわけです。わざわざ捕まりに行ったようなものです。エルサレムは圧倒的にパリサイ派の牙城でイエスの支持者は少数派です。捕まればユダヤ教の最高法院で裁かれ死刑もあり得るわけです。
「受難物語」まで後一歩。
「受難物語」まで後一歩。
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