山崎正和 鴎外 闘う家長(4) (1980新潮文庫) [日記 (2024)]
「エリス事件」その後の鴎外です。年譜から拾うと、
明治21年9月8日 | 鴎外帰国 |
9月12日 | エリス来日 |
10月17日 | エリス離日 |
明治22年3月 | 赤松登志子と結婚 |
明治23年1月 | 『舞姫』発表 |
9月 | 於菟誕生、登志子と離婚 |
10月 | 転居 |
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明治32年2月 | 小倉に赴任 |
明治35年1月 | しげ子と再婚 |
鴎外は、エリスが帰国した明治21年 10月からせっせと『舞姫』を執筆し、翌年3月に登志子と結婚、明治23年1月に発表しています。エリスとの恋の顛末を描いた『舞姫』は鴎外の青春の鎮魂or懺悔かも知れません。エリスを葬って登志子と結婚します。
登志子
鴎外は明治22年3月、海軍中将で男爵・赤松則良の長女登志子と結婚し、翌年には長男が誕生したにも拘らず離婚します。著者は、この離婚は「エリス事件」とは無関係であり、「別の心理問題」があったとします。
この結婚と、先に述べた篤次郎の縁談との驚くべき条件の類似性なのである 。すなわち、その第一は森家と登志子の実家・赤松家との格差であり、もうひとつは、この結婚がまたしても西周の強い周旋によって実現したという事情である。(p228)
おまけに新居は赤松家の持ち家であり、赤松家から老女と女中が派遣され、鴎外の弟2人(篤次郎と潤三郎)、登志子の妹2人が同居します。森家の嫡男が赤松家の娘を娶ったものの、圧倒的な赤松家の支配下に置かれたことになります。「森家の家長」の危機です。
面白い挿話が披露されます。ある日の鴎外の食卓には「鯛の焼き物」が付き、弟たちにはこれが付いていなかったと言うのです(森潤三郎「鴎外森林太郎」)。当然、「平等にしろ」と命じるわけですが、この「鯛の焼き物」は、鴎外が養子問題を壊さなければ養子先の川田家で篤次郎が享受したものです。赤松家でヌクヌクと暮らす自分と冷や飯喰らいの篤次郎から、家長として弟の養子問題を壊したという罪の意識が頭をもたげます。「家長の危機」と「家長として犯した罪の意識」、この二つが登志子との「幸せな」生活に影を投げかけたと推理します。
鷗外はふたりの弟を伴って花園町の家をみずから出た。またしても彼は森家の「父」としての立場を貫いたのであるが、しかし同時に、「父」としての新しい罪をも重ねることになった。彼には於菟という文字通りの息子が生まれており、この離婚 によって彼は母のない子と、それを抱く不幸な老母をつくり出してしまったからである。(p232)
18歳で家長という役目を背負ってしまった鴎外の悲劇です。
しげ子
明治35年、41歳の鴎外は23歳のしげ子と再婚します。鷗外の任地である小倉で暮らし始め異動のため東京に戻り、祖母、母峰子、弟潤三郎、長男於菟と同居を始めます。嫁と姑の対立から別居、鴎外は実家からしげ子の元に通う「妻問い婚」となったといいます。
しげ子と鴎外の結婚のテーマは、『舞姫』で論じられた愛の二重性。著者は、豊太郎の愛は父性的なものでエリスから愛されることを拒んでいた一方通行の愛のためエリスを棄てたわけです。18歳も歳の離れたしげ子との関係もこの一方通行の「父性」愛だとします。
鴎外は戦場からしげ子に宛てた手紙には「遠妻殿へ、でれ助より」と書いていたそうです。
おそらくこの過剰な優しさのなかには、いわば二重に屈折した複雑なうしろめたさが隠れてい
たように思われる。 一方に、新家庭の幸福を於菟と峰子にたいしてうしろめたく思う感情があり、他方には、そういう動き方をする自分の心をしげ子にたいしてうしろめたく思う感情が働いた。このふたつの感情のあいだを揺れ動いているうちに、彼はますます強く自分を鞭打
むちうつようになり、あげく、その自責の念を家族にたいする自虐的な献身として表現して行ったと考えられるのである。(p234)
涙ぐましい努力です。著者は、鴎外としげ子の愛情が鴎外の一方通行の愛情であったという小堀杏奴の回想を引き、
「愛」という言葉ほどパラドクシカルな言葉はない。愛によって相手を所有するとは、相手に自分を必要と感じさせることであり、いいかえれば少しでも多く相手にあたえることを意味している。だが、みずからを深く罰して、一生そのために一方的にあたえつづけようとしている男にたいして、どんな心の豊かな女も自分の方から何をあたえることができるだ ろう。しかも、その贖罪の原因となった「罪」については、もともとしげ子の側には許す権利も慰める資格も存在してはいないのである。(p236)
鴎外はしげ子を棄てはしませんでしたが、しげ子の精神を癒すために小説執筆をさせる生活はやはり異様です (しげ子は20篇ほどの小説を発表しています)。鴎外の第二の結婚も大変だったようです。
鴎外を巡る3人の女性、エリス、登志子、しげ子との関係を、「家長」「父性」で一刀両断する著者の視点は少々強引ですが、「鴎外論」としては斬新なんでしょう。鴎外を読んで再挑戦します。(この項終わり)
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