若竹千佐子 おらおらでひとりいぐも(2017河出書房) [日記 (2024)]
岩手県南部のとある町に暮らす、後期高齢に手の届いた桃子さんの話です。桃子さんの独白は東北弁で記され、「東北弁とは最古層のおらそのもの」だそうです。
桃子さんは、挙式3日前に1964年の東京オリンピック開会式のファンファーレと共に「どこかきらびやかなものがここでないどこかにあるはずだ」と故郷南部を出奔します。東京で宮沢賢治の童話の主人公に似た周造に出会い結婚し、二人の子供を育て夫を見送り子供は独立し今は独り暮らし。挙式3日前に出奔した以外は、何処にでもいる昭和の女性の半生です。この出奔事件でも分かるのですが、桃子さんは自立心、独立心が強い女性です。
あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ
いくぶん認知症気味の桃子さんの元にもう一人の「オラ」が現れます。桃子さんが右に行けば左に、左に行けば右に揺り戻す桃子さん「最古層」です。やがて周造の声が聴こえる様になり、亡くなった「ばっちゃ」と話し、現実と過去が入り混じり半分あの世に足を突っ込んでいるかの様です。老いるという事はこういうことなんだ、という話が続きます。
亭主が死んで初めて、目に見えない世界があってほしいという切実が生まれた。
何とかしてその世界に分け入りたいという欲望が生じた。
・・・おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらでひとりいぐも。
切実(な思い)は桃子さんを根底から変えた。亭主が今ある世界の扉が開いたのだ。
タイトルの「おらおらでひとりいぐも」は、宮沢賢治が妹トシ子を悼んだ詩『永訣の朝』の一節から取られています。たぶん「いぐ」は「逝ぐ」です。「おらおらでひとりいぐも」は、トシ子同様に桃子さん強い思いです。
桃子さんは白装束の女達が故郷の八角山に向かう白昼夢を見て、自分もまた八角山の麓で生きてきた女達の1人であることを自覚し、こんな幻覚を見ます、
歩いだんだべな、歩いだんだべ
寒がったべ。暑がったべ。腹も減っていだべな。てへんだったな
アフリカを出たのは他の人がたに追い立てられて行き場を失なったからなのが、
獣を追って知らず知らず元の地を離れてしまったが、それとも東に夢を見だのが
灼熱の砂漠を歩いだべ 遠くヒマラヤを横目に見だのが
凍てつくシベリアを歩いで来たのが
・・・津軽海峡は歩いで渡ったのが
それとも草の船を漕いで南からやってきたのが
桃子さんは、20万年前にアフリカを出て世界に散っていった「ミトコンドリア・イブ」の末裔であることを自覚します。そして「死」とはそうした人類の祖に連なることである、と。小説は、孫(女の子)「さやちゃん」の来訪で終わりますが、これもまた作者の企みでしょう。
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