映画 落下の解剖学 ②(2023仏)ネタバレ篇 [日記 (2024)]
続きです。
ジュスティーヌ・トリエ(監督)は、『落下の解剖学』で何を描いたのか?。ダニエルの保護を担当した裁判所職員マージはダニエルにこう言います。
- 何かを判断するのに材料が足りないと、判断のしようがない。だから決めるしかない。たとえ疑いがあっても一方に決めるのよ。判断しかねる選択肢が2つある場合、1つを選ばなければならない。(マージ)
- 無理にでもってこと?(ダニエル)
- そうよ、ある意味では(マージ)
- はっきりと確信できなくても、確信したフリを?(ダニエル)
- 違う、心を決めるの。フリじゃない。(マージ)
ダニエルは選択し証言し、サンドラは無罪となったわけです。事故か自殺か他殺かは問題ではありません。『落下の解剖学』は、人は判断がつかない場面で、決めるしかない、選択するしかないという《岐路》を描いたことになります。タイトルの『落下の解剖学』は「人生の解剖学」でもあります。
以下勝手な解釈です。
ダニエルの証言が陪審員に訴えかけサンドラを無実に導いたと思われます。問題は、ダニエルの証言の信憑性です。検察官の要請ではなくダニエルは自ら証言台に立ちます。
- ダニエルは自ら望んで裁判を傍聴しています。裁判長の制止も振り切り夫婦喧嘩の録音も聴いています。
- 父親の自殺を裏付けるために、犬のスヌープにアスピリンを飲ませたことは事実です。裁判所から派遣されたマージという目撃者がいます。
- 父親はアスピリンを吐き出して助かっていますから、ダニエルは犬を実験に使っても死ぬことはないと考えていた。事実、すぐにマージを呼び彼女は必要な処置を施し犬は助かります。これは母親をたすけるためのダニエルの自作自演です。
- 犬が病気になった時の父親の発言は、ダニエル意外誰も聞いていません。彼の捏造かもしれません。
ダニエルのフランス語の微妙なニュアンスが聴き分けられたかどうか?。有り体に言えば、外国語で嘘をついても良心の呵責をあまり感じなくて済む。父親は亡くなっていますから、母親が殺人罪で服役すれば、ダニエルは両親を失うことになります。彼にとって母親の無罪をどうしても勝ち取る必要があったわけです。11歳(裁判の時は12歳)の年齢ならそれくらいは考えられます。
となると、マージの言葉が重みを持って来ます。
判断しかねる選択肢が2つある場合、1つを選ばなければならない。
ダニエルは母親の無罪を選んだのです。この映画は父親サミュエルの事故死、自殺、他殺を問うていません。ダニエルの《選択》を問う映画です。「解剖」して見えてくるのはダニエルです。ちなみに。この映画に音楽はありません。サミュエルがかける大音響のCDの音と、ダニエルの弾くピアノの音だけです。ピアノの音は、彼の心の音に他なりません。
11歳の子供に究極の選択をさせたわけです。確信を得るため愛犬スヌープにアスピリンを飲ませる脚本は良くできています。152分の長尺で(一見)ドラマ性に乏しい映画ですが、個人的にはオススメ。ダニエルに1票、コリー犬スヌープ(パルム・ドック賞受賞wiki)にもう1票です。批評家の間では、支持率97% 、平均点は8.5/10と評判がいいようです。
監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール
タグ:映画
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