半藤一利 真珠湾の日 ① (2003文春文庫) [日記 (2024)]
戦うなら今だ!
日米開戦に反対する山本五十六は、もし日米開戦となれば従来の大艦巨砲主義を退け航空機による奇襲攻撃を提唱します。この時点(昭和15)の陸軍兵力は212万、東南アジアの米兵力に対抗できる兵力。海軍兵力は395隻、備蓄重油450万キロリットル、陸海軍航空機は5700機、航空揮発油の備蓄は90万キロリットルで、この戦力はアメリカの70%に当たり、対米戦争が可能なレベル。アメリカは生産能力が高いため、昭和18年末になると対米兵力は50%以下、19年末には30%以下になると予想されます。石油備蓄は、昭和14年に1000万kℓあったものが、16年8月の米の全面禁輸で940万kℓにまで減り、17年になると戦争遂行など覚束なくなります。
戦うなら今しかないと言うわけです。如何にアメリカの石油禁輸が効いていたかです。真珠湾奇襲は戦力、石油、気候という条件の下1941年(昭16)12/8未明に行われます。
日米交渉
一方で戦争回避のために、大使・野村吉三郎、特派大使・来栖三郎による日米交渉が進行しています。11月5日の御前会議で「帝国国策遂行要領」が天皇によって裁可され、アメリカに対する要求案が決定されます(交渉の暫定案=甲案、最終案=乙案)。不成立の場合には、武力発動の時機を十二月初頭と決定されます。
アメリカは日中戦争を戦う蒋介石とナチスの侵略に曝されるイギリスを支援しています。1)傀儡国家・満洲国を作り2)汪兆銘に肩入れし、3)資源を求めて南方作戦を展開、4)三国同盟でドイツと同盟関係にある日本は仮想敵国。石油禁輸などの経済制裁を課します。これに対し日本は、
1)仏印以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力的進出を行なわない。
2)米は蘭領インドシナにおいて物資獲得が保障されるよう協力する。
3)通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させる、つまり石油の輸出を再開せよ。
4)米は蒋介石を支援しない。
という要求を出し、この4点が成立すれば南部仏印に駐屯する日本軍は北部仏印に引き揚げる、というもの。現状を追認して石油の輸出を再開して欲しいというムシのいい提案です。
1940年(S15)10月にアメリカは日本の外交暗号の解読に成功していますから、日本は手の内をさらして外交していたことになります。諜報戦ですが、日本はアメリカの暗号を解読していたのかどうか。
暫定協定案
この案に沿って国務長官ハルとの交渉が開始され、アメリカは軍備充実のため3ヶ月猶予が必要という軍部の要請で「」が策定されます。
1)日本は南部仏印から兵を引き上げ。かつ北部仏印の駐兵を二万五千以下とする。
2)そうした上で日米両国の通商関係は資産凍結令(7月25日) 以前の状態に戻す。
3)協定は三カ月間有効(つまり3ヶ月の休戦とする)。
という穏当なもの。暫定協定案が日の目を見、昭和17年まで日米交渉が延長されれば、あるいは日米開戦は回避出来たかも知れません。「暫定協定案」を英豪蘭は了解しますが、中国(重慶政府)は猛反対、蒋介石はチャーチルを動かします。国土を日本軍によって蹂躙されている中国の必死の反撃です。日米交渉は、米英豪蘭中との5ヶ国との交渉だったわけです。
ところが11/27にこの「暫定協定案」が破棄されます。何故か?
ところが11/27にこの「暫定協定案」が破棄されます。何故か?
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