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オーディオブック [日記 (2024)]

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 読書は印刷された(電子本も同じ)活字を「読む」わけですが、朗読を「聴く」というのもアリかと思いやってみました。これだと散歩中にも読書が出来ますw。藤村『夜明け前』を聴いてみました。
 序章、第一章を聴きましたが、だいたい理解できますが所々意味不明の言葉があり言葉としてイメージ出来ません。

 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。(青空文庫『夜明け前』)

 冒頭で言えば、「岨(そば)づたい」「山の尾」です。「話し言葉」と「書き言葉」の違いです。活字を読むと漢字の字面(じずら)からイメージが膨らみますが、音だけでは理解できない単語が多くあります。
 意識して聴いてみると、ニュースは音で聴いて理解できる単語だけで構成されています。朗読に適した文章とそうではない文章があるということでしょう。青空文庫で文章を見ながら朗読を聞くと、これは快適です。円朝の落語を文字で読むとどうなるか?、今度試してみます。

 文芸である小説は読まれることを前提に書かれ、朗読は想定されていません。逆に、話芸である落語は耳から聴いて分かる言葉で構成されています。イメージを補足するために声色や抑揚が付加されますから、理解は容易です。

 朗読に適した小説は思い当たりませんが、適さない小説なら心当たりが。中島敦『李陵』です。

 漢の武帝の天漢(てんかん)二年秋九月、騎都尉(きとい)・李陵(りりょう)は歩卒五千を率い、辺塞遮虜(へんさいしゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰山脈(アルタイ)の東南端が戈壁(ゴビ)沙漠に没せんとする辺の磽(石+角、こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風(さくふう)は戎衣(じゅうい)を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。(青空文庫『李陵』)

ところが『李陵』の朗読があるのです! →聴いてみました。中島敦、独特の漢文の心地よいリズムが伝わってきますが、これも漢字がイメージ出来ません。何度か読んだことがあるのでそれなりに楽しめましたが、『李陵』はやはり「読む」小説です。

 藤村に申し訳ないので、『夜明け前は』文字で読むことにしますw。朗読もメリットはあります。睡眠誘導剤としては最適ですw。

タグ:読書
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