Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』③ (青空文庫) [日記 (2024)]
長州征伐
長州征伐が起こり、尾張藩は木曽地方にも献金を要請します。木曽谷全体では、22ヵ村で314両、11宿で300両、都合614両のを献金します。
長防再征の触れ書が馬籠の中央にある高札場に掲げられるようになったのも、それから間もなくであった。江戸から西の沿道諸駅へはすでに一貫目ずつの 秣(まぐさ)と、百石ずつの糠と、十二石ずつの大豆を備えよとの布告が出た。普請役、および 小人目付 は長防征討のために人馬の伝令休泊等の任務を命ぜられた。
長州征伐の状況によって馬籠宿を通過する人と物が大きく影響を受けるため、半蔵は情報収集に名古屋に行きます。宿駅の長としての勤めです。名古屋から帰った半蔵と父吉左衛門の会話です、
それがです。各藩共に、みんな初めから戦う気なぞはなくて出かけて行ったようです。長州を相手に決戦の覚悟で行ったような藩は、まあないと言ってもいいようです。ただ幕府への御義理で兵を出したというのが実際のところじゃありますまいか。
「早い話が、江戸幕府のために身命をなげうとうというものがなくなって来たんですね。各藩共に、一人でも兵を損じまいというやり方で、徳川政府というよりも自分らの藩のことを考えるようになって来たんですね。」 「そう言われて見ると、 助郷村々の百姓だっても、徳川様の御威光というだけではもう動かなくなって来てるからな。」
長州征伐は失敗します。
大政奉還
木曽谷を台風が襲います。不作で飢饉が迫ります。半蔵は宿駅の維持と馬籠住民救済のために、尾張藩に「お救い」を嘆願します。半蔵の管理する本陣の収支は、7カ年を平均すると、入金236両三分、銭6貫381文に対して支払いは411両3分、銭9貫633文。差し引き、金175両銭3貫212文の赤字です。
1)安政5年異国交易御免以来の諸物価の騰貴 2)同年の11月、万延元年10月の村の火災 3)文久元年の和宮降嫁の下向、同三年の尾州藩主上洛 4)参勤交代の制度改革による諸藩の家族方が帰国、尾張藩家中の入国 5)家茂の京都より還御の折の諸役人らの通行、尾張大納言が参府と帰国・・・等々の理由をあげ
――この上は、前条のおもむき深く 御憐察 下し置かれ、御時節柄恐れ多きお願いには候えども、御金二千両拝借仰せ付けられたく、御返上の儀も当 寅年 より向こう二十か年賦済みにお救い拝借仰せ付けられ候わば、一同ありがたき仕合わせに存じ奉り候。
嘆願は奏功、尾張藩は馬籠など三宿に六百両づつ、その年の正月には木曽谷へは五千両が貸しつけられ、馬籠の村民が嘆願した年貢の半減も容赦されます。半蔵の努力が実ったわけです。半蔵は飢える村民のために馬籠宿として「施し米」(炊き出し)を始めます。平田派国学の同門、中津川の恵蔵、香蔵が国事のために京都に行ったのに比べ「われわれはどこまでも下から行こう。庄屋には庄屋の道があろう」と馬籠に留まり宿駅を守った半蔵の矜持です。家茂を喪った江戸からは社会不安が伝えられ、諸藩の忠誠は失くなり将軍を頂点とした幕藩体制は崩壊の崩壊しつつあります。
幕府は無力を暴露し、諸藩が勢力の割拠はさながら戦国を見るような時代を顕出した。この際微力な庄屋としてなしうることは、建白に、進言に、最も手近なところにある藩論の勤王化に尽力するよりほかになかった。
革命という文言が登場しますが、半蔵が建白や進言をした様子は無く、「藩論の勤王化に尽力」出来るはずもありません。
慶応2年(1866)7月20日に14代将軍家茂が、12月には孝明天皇が亡くなります。15代将軍に慶喜が就き数々の改革がなされます。この方針は馬籠宿にまで及びます。
旧い伝馬制度の改革もしきりに企てられ、諸街道の人民を苦しめた諸公役らの無賃伝馬も許されなくなり、諸大名の道中に使用する人馬の数も減ぜられ、 助郷 の苦痛とする 刎銭 の割合も少なくなって、街道宿泊の方法までも簡易に改められた。
慶応3年(1867年)11月10日、大政奉還が起きます。大政奉還のうわさが知れ渡るとともに、 様々な流言が伝わって来ます、その中で不思議なお札が諸方に降り始めたとの評判が立ち「ええじゃないか」が始まります。
ええじゃないか、ええじゃないか
挽いておくれよ一番挽きを
二番挽きにはわしが挽く
ええじゃないか、ええじゃないか
・・・馬籠 の宿場では、毎日のように謡の囃子に調子を合わせて、おもしろおかしく往来を踊り歩く村の人たちの声が起こった。
馬籠の造酒屋伏見屋、脇本陣桝田屋は、祝い餅をついて村中の者に餅ばらまきます。投げた。投げた。八斗の餅は空を飛んで、伏見屋の表に群がり集まる村民らの 袂へはいれば懐へもはいった。「ええじゃないか」のリアルな様子を初めて読みました。
国学の徒・半蔵は、多くの国学者が夢みる古代復帰の夢が実現される日の近づいたと考えます。
多くのものが期待する復古は建武中興の時代とは違って、 草叢 の中から起こって来た。そう説いてある。草叢の中が発起なのだ。それが浪士から藩士、藩士から大夫、大夫から君侯というふうに、だんだん盛大になって、自然とこんな復古の機運をよび起こしたのであるから、万一にも上の思し召しが変わることがあっても、万民の心が変わりさえしなければ、また武家の世の中に帰って行くようなことはない。
タイトル『夜明け前』から言うと、夜が明けたわけです。
第一部 感想
明治維新の原動力のひとつに、尊皇攘夷思想に影響を与えた国学があります。その国学は、半蔵(モデルは藤村の父・島崎正樹)たち地方の読書階級が支えたと言います。その視点で『夜明け前』を読んで来ました。
半蔵が熱心な国学の徒であり、国学が尊王の復古思想であること、中津川や伊奈の国学者たちが京都で国事に奔走する様が描かれています。小説を読むと、半蔵と明治維新との関わりよりも、実直な馬籠本陣の主人であることの方が印象深いです。維新は、何も英雄たちだけが成し遂げた変革ではなく、その底流には広汎な(庶民とは言わないまでも)人々がいたことが分かります。第一部読了。
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