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UDフォント教科書体 [日記(2019)]

UDフォント.jpg UDフォント2.jpg
 先日TVを見ていると、「UDフォント教科書体」について放送していました。奈良県が読みやすいフォントとして教育現場で使っているとのことです。読み書き障害にも効果があるらしい。フォントは大昔からゴシック一本やりで、あまり気にかけたことはありません。最近は、evernoteのデフォルトがメイリオなのでblogはメイリオです。
 漢字の部首「しんにょう、しんにゅう」を見るとよく分かりますが、明朝体はハネ、留めが毛筆に忠実で、書き順にも配慮されています。ゴシック体はこれが簡略化されています。UDフォント教科書体は、ちょうどこの中間のようです。
 そんなに読み易いなら使ってみようかと、パソコンのフォントを見ると何んと入っています。
メイリオ(10pt)
壱岐・対馬の歴史的存在は、古代における輸入鉄の海上輸送の経路に浮かんでいるということで、神話や伝承の上での不可思議な相貌を帯びているのである。  
UDデジタル教科書体 NK-R(10pt)
壱岐・対馬の歴史的存在は、古代における輸入鉄の海上輸送の経路に浮かんでいるということで、神話や伝承の上での不可思議な相貌を帯びているのである。 
 同11pt
 壱岐・対馬の歴史的存在は、古代における輸入鉄の海上輸送の経路に浮かんでいるということで、神話や伝承の上での不可思議な相貌を帯びているのである。  

 読み易いかどうかは「慣れ」の問題でしょうが。

追記
教えていただいた游ゴシック(10pt)です。
 壱岐・対馬の歴史的存在は、古代における輸入鉄の海上輸送の経路に浮かんでいるということで、神話や伝承の上での不可思議な相貌を帯びているのである。

タグ:パソコン
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井上章一 大阪的 「おもろいおばはん」はこうしてつくられた [日記(2019)]

大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)

 タイトルのキャプションは「『おもろいおばはん』はこうしてつくられた」ですが、中身は「おもろいおばはん」のバックグラウンドと知られざる大阪で、やや看板に偽りありです。井上章一には『京都ぎらい』という京都礼賛の本がありますが、本書は、「アンチ東京」という形の大阪礼賛です。

 弥生時代→古墳時代→飛鳥時代の名称の話です。弥生は土器の発見された東京の地名、飛鳥も地名ですが、古墳が最も多く作られた河内の地名を採って何故「河内時代」と呼ばないのか?、と著者は文句を付けます。安土・桃山時代も同様で、秀吉が伏見城を築いた地が「桃山」と呼ばれるのは後世のこと。秀吉が拠点としたのは大阪(大坂)城ですから、「安土・大阪時代」と呼ぶべきだ。これらは東京を中心とする史学会の陰謀ではなかろうかと。中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を殺したクーデターも、「大化の改新」の号令を出したのは「難波の宮」であり「難波の改新」と言ってもおかしくはない。何故か「大坂」という言葉が不当に差別されている。ごもっともですが、言いがかり的なところもありそうです。(第八章 歴史のなかの大阪像)

 「ホルモン焼き」という言葉が辞書に収録されたのは、『広辞苑』では第3版(1983)から、『日本語大辞典』では1995年で、「ホルモン焼き」はそれまで日本語とは認められなかったそうです(笑。

 例えば「第一章 大阪人は面白い?」の小見出しを列挙すると、
 あんたも大阪のおんなやろ
 太鼓持ちとちゃうぞ俺は
 慎み深い上方の女たち
 おばはんたちの その昔
 大阪人
にもユーモアはある、
 大阪のおばちゃん」は ここからはじまった
 「プロポーズ大作戦」の舞台裏には
 予算の少ない準キー局
 テレビの力 
だいたい分かりますね。

 「大阪のオバチャン」で思い出すのが、映画『阪急電車 片道15分の奇跡』に登場するオバチャン。見ている方が恥ずかしいくらいのオバチャンが登場します。もっとも、 宮本信子演じる慎み深い上方の女たちも登場しますが。このオバチャン像は、(阪神タイガースの人気同様に)テレビが作ったというのが第一章のオチです。大阪のイメージである「金儲けとド根性」は、花登筺の脚本世界であり、大阪人の特徴とされる「がめつい」という言葉は、菊田一夫の創作で関西弁には存在しないそうです。花登筺は滋賀県、菊田一夫は横浜出身、生粋の大阪人ではありません。

 ちょっと気になるのが、阪神間の山手、六甲、芦屋の兵庫県にあるもうひとつの大阪。著者によると、船場など大阪の中心から逃げ出した富裕層がこの地で築いたのが、谷崎潤一郎が『細雪』で描いた大阪。逃げ出せず大阪に留まった庶民と、周辺地域から流入した人が混然一体となったのが(吉本新喜劇が描くような)大阪。後者を悪く言う訳ではないのですが、京言葉の流れを汲む船場言葉と、河内弁、泉州弁では勝負になりません。谷崎潤一郎vs.吉本新喜劇みたいなものです(笑。

 この関連で面白いのが第四章「美しい人は阪急神戸線の沿線に」。ファッション雑誌の表紙を飾る読者モデル(女子大生)は、1位青学、2位立教、早稲田、慶応と続いて5位に神戸松蔭女学院、8位、9位に神戸女学院、甲南女子が続くらしいです(2007年ランキング)。甲南女子は前年まで首位で、大学のお達しでモデルになることを禁じられそれでも9位。著者によると、同校に美人が集うことは、関西でも伝説化されていた。「南女」の愛称とともに、しばしば噂の的となったものである。私も学生時代から、あこがれをいだいてきた、のだそうです(笑。

 第六章 「食いだおれ と言われても」は、ホルモン焼き、たこ焼き、お好み焼きは登場しますが、ツッコミが足りませんね。大坂の食は「粉もん」か!。ここは織田作之助を登場させ、『夫婦善哉』の高津の湯豆腐屋、出雲屋の「まむし」、どじょう汁と皮鯨汁(ころじる)や自由軒のカレーラースを登場させ、正統派「くいだおれ」を書いてほしかったところです。織田作については『わが町』が少しだけ出てきますが、『夫婦善哉』の蝶子、柳吉は「おもろいオバハン」とオッサンの格好のネタだったはずで、残念。

 本書は、2016~2018年、産経新聞に連載された「井上章一の大坂まみれ」を加筆修正したもだそうですが、京都人の井上センセイですから「まみれ」かたが少し足りなかったようです。

タグ:読書
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映画 ゴーン・ガール(2014米) [日記(2019)]

ゴーン・ガール [AmazonDVDコレクション]  原題”gone girl”、失踪女性にからむミステリです。結婚5周年の記念日、 ニック(ベン・アフレック)の妻エイミー(ロザムンド・パイク)が失踪します。部屋が荒らされていることで誘拐の可能性があり、ニックは警察に通報します。エイミーは、(たぶん)母親の本によって「完璧なエイミー」として全米に知られ著名人。警察は記者会見を開き情報の提供を呼び掛けます。

 映画は、失踪事件の起こった現在と、エイミーの日記による過去の二元構造がとられます。この日記が失踪と重要な関わりを持っています。完璧なエイミーの結婚生活は、どうやら「完璧」とはほど遠いものであることが明らかとなります。
 キッチンから大量のルミノール反応が検出され、警察はニックの妻殺害を疑い、著名人エイミーの失踪は大々的にマスコミ取り上げられ、ニックは疑惑の人物としてワイドショウに取り上げられる始末。ニックには高額のカード負債があり、最近エイミーの生命保険を増額した事実が明らかになり、疑惑はますます深まります。死体と凶器が発見されないものの、状況証拠はニックの犯行を示唆するものです。はたして、ニックはエイミーを殺害したのか?。そんなわけは無いです。ここからエイミー失踪の謎が明かされますが、ネタバレ無しで観た方が面白いですから、これから観ようという方は以下は読まない方がいいでしょう。

ネタバレ
 実は、失踪はエイミー自身によって仕組まれた、ニックへの復讐だったのです。ハーバード卒の「完璧なエイミー」は、5年間の結婚生活の間に堕落し若い女と浮気をするニックを憎むようになり、ニックに妻殺害の罪を着せ復讐を果たそうとしたわけです。ニックに妻殺害の罪を着せ死刑にする計画です。エイミーは300日分の日記を捏造してニックの変心や家庭内暴力の傍証とし、次いでニックのカードで高額の買い物を繰り返し多額の負債を抱えさせ、自分の生命保険を増額し、経済的に行き詰まり保険金目当てに妻を殺害した夫を作り出します。さらに、妊娠を偽装し、妊娠した妻の殺害という世間の非難をニックに向けさせます。
 最後に、自分の血を抜いてキッチンにバラマキ、状況証拠を整え家を出ます。後は自殺して(自殺まで計画に入っています)死体が発見されれば、ニックの死刑判決は確実。「完全なエイミー」による完全犯罪の計画です。計画表を作り、自殺を書き入れるあたりは精神異常者です。
 エイミーは高校生の時に言い寄る同級生をストーカーとして訴え、後には性暴力で訴訟を起こしています。いずれも彼女によって巧妙に仕組まれた犯罪で、美しく聡明な「完全なエイミー」とは、実は「不完全なエイミー」だったことが明かされます。

 家出したエイミーはモーテルに身を隠しますが、有り金を強奪され計画が狂います。ここで彼女が取った行動がド肝を抜きます。ストーカーで訴えたかつての同級生に近づき、誘惑し、ベッドで殺害します。ワインボトルを使って性暴力をふるわれたという状況を作り出すあたりは、凄いの一言。ニックの妻殺害を、元ストーカーによる拉致に切り替えたわけです。
 エイミーは、血まみれでニックの前に姿を現します。つまり、エイミーはストーカーの友人に拉致され、からくも逃げ出して来たという筋書きです。マスコミは、彼女を悲劇のヒロインとして持ち上げ、エイミーの正体を知るニックも「完全なニック」を演じるはめとなります。エイミーの計画はさらに手が込んでいます。不妊治療でスットクされていた精子を使って妊娠し、真相を知るニックを共犯者として絡め取ります。
 誰も、復讐のために夫を殺人犯に仕立てたり、生き残るために昔の恋人を殺したりしませんが、寓意として見れば、この映画は「結婚」の真相をみごとに描いたものだと思われます。可哀想なニックは世のすべての夫族に当あたりそうです。さすがデヴィッド・フィンチャー、お薦めです。

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ベン・アフレック ロザムンド・パイク

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司馬遼太郎 耽羅紀行(街道をゆく28) [日記(2019)]

街道をゆく〈28〉耽羅紀行 (朝日文庫)  耽羅国とは、朝鮮半島の南に浮かぶ済州島のことです。『韓のくに紀行』の十数年後、作者は済州島を訪れます。

耽羅国といえば、常世の国といったふうの夢の異国のようにも思えるし、また一方『魏志』倭人伝の末盧国に似た風俗があったようにも思え、また大きく海上に円を描けば古代の倭国と仲間の文化圏を構成していたのではないかという想像も、ひろびろと広がってくるのである。

朱子学
 『韓のくに紀行』では、古代の文化的近親性から朝鮮をノスタルジックに描きました。『耽羅紀行』では、李氏朝鮮の儒教政策(朱子学)とそれが朝鮮史に及ぼした影響を手厳しく批判します。500年続いた李朝は、中国同様「科挙」によって官僚を採用します。

その試験は朱子学をもって唯一の学派とし・・・このことは、朝鮮史に凄惨な災禍をもたらした。朱子学は、考証や訓詁といった実証性よりも、大義と名分を重んじ、それについての異同を飽くなくたたかわせる学派なのである。・・・中国人や朝鮮人ほどに、精神の活力に富んだ民族が、世界が近代に入ってゆくもっとも大切な五世紀を、この屁理屈のような学問のために消耗したというのは、くやまれてならない。

 朝鮮史の凄惨な災禍とは「戊午士禍」などの「士禍」を指し、その党派闘争によって破れた官僚や知識人の流罪先が耽羅国=済州島だったようです。さらに、

(朱子学は)極度にイデオロギー学だった。正義体系であり、別の言葉で言えば正邪分別論の体系でもあった。朱子学がお得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅が狭く鋭くなり、ついには針の先端の面積ほども無くなってしまう。その面積以外は、邪なのである。

 と手厳しいです。相対性の欠如、唯我独尊に対する批判です。また、

ーー韓国と日本の文化の違いは、韓国には知識人がいるだけで、日本のように知的な奇人がいなかったということだ。ということを、十年ばかり前、韓国人の文章の中で読んだことがある。
 ・・・私はこの人は李朝と江戸期を比較しているのだと思った。江戸期には太田蜀山人や平賀源内だけでなく、秋田の殿様で精妙な昆虫分類学者もいたし、大阪の傘職人で蘭学の研究をした人もいたし、伊予宇和島の仏壇修繕屋だったハンパな職人が銅板張りの蒸気機関を作ったりもした。
 それらは、商品経済が活性化した社会が生み出す人間の精神の一分化で、人種論的なものではない。

 大阪の傘屋は橋本宗吉、伊予宇和島の仏壇修繕屋は前原巧山、秋田の殿様はちょっと分かりません。としたうえで、「車」(大八車)の有用性を主張した李氏朝鮮時代の実学の徒・朴趾源に話が及びます。

そのころ朝鮮には肩引きや動物に引かせる車さえ無かったというのは、文明史的な驚異である。朝鮮人ほど思弁的能力の高い民族が、形而下的な面になると車も持たなかったというのは、要するに朱子学的な政治のせいではあるまいか。

朴趾源の18世紀に、朝鮮には物資を流通させるための車が無かった?!。500年の朱子学偏重の李朝支配は、商品経済の停滞をまねき、商品経済が活性化した社会が生み出す人間の精神の活性、多様性に乏しかった、という話です。「偏狭」に対する憤りが繰り返し語られます。これは、著者の朝鮮、ひいてはツングースへの強い想いの裏返しなのでしょう。

海女
ナショナリズムは、どの民族、郷党にもあって、わるいものではない。

ただ浅はかなナショナリズムというのは、老人の場合、一種の呆(ボ)けである。壮年の場合は自己についての自信のなさの一表現かもしれぬ。若者の場合は、単に無知のあらわれでしかない。
日本にもこの種の浅はかさはいつの時代にも存在するが、韓国にもある。
「潜水漁法は、済州島の海女が、日本の海女に教えたのだ」

 著者は、潜水漁法が南アジア一帯で行われていた漁法であることを述べ、話は済州島の海女に及びます。20世紀初頭から済州島の海女は、対馬、日本、朝鮮南岸から遠くはウラジオストック、中国青島まで出稼ぎに行ったらしい。20世紀に限ったことではなく、平安時代中期に編纂された『延喜式』に「耽羅鰒(あわび)六片」という記述があり、済州島の海女たちが日本に出稼ぎに来て採ったアワビが「調」として差し出されたのではないかと言います。これも、古代の日本と朝鮮半島の一情景、古代の倭国と仲間の文化圏という著者の好む風景です。

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デジカメ 連写 [日記(2019)]

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 OLYMPUSのE-PL1の連写です。連写は、3コマ/秒ですからイマイチ。
P2176130.jpg
 こういう瞬間を撮りたかったのですが...。
 こうなると新しいカメラが欲しくなります。PL1は、マクロコンバーターを付け、オールドレンズをマウントしたり、けっこう遊びました(そう言えば最近使ってないなぁ)。スマホが手軽なので、デジカメは望遠が必要な時くらいでほとんど出番がありません。レンズを活かすとなるとOLYMPUSとなりPL8あたりかなと、E-PL1、PL8を比較してみました。ビューファインダーが活かせないPL9はパスです。
デジカメ比較2.jpg
→変更 →異同

画素数:1230万画素→1605万画素
モニター:2.7 型約23万ドット →3.0 型104万ドット可動式、タッチパネル
シャッター:1/2000 ~ 60秒 →1/4000 ~ 60秒
オートフォーカス:イメージャコントラスト検出方式 測距点 11点 → ハイスピードイメージャ AF 測距点 81点
測光範囲:EV0 ~ 18 →EV -2 ~ 20(M.ZUIKO DIGITAL 17mm f2.8、ISO100相当)
ISO感度: 100 ~ 6400 →LOW、200 ~ 25600
露出補正:±3EV →±5EV
記録媒体:SD、SDHC →SD、SDHC、SDXC、EYE-FI
動画:AVI Motion JPEG →MPEG-4 AVC/H.264 / Motion JPEG
フラッシュ:内蔵 →外部
無線LAN:無し →IEEE 802.11b / g / n
 だいたいこんなところ。モニターが可動式でタッチパネル、シャッタースピードが1/4000、測距点 81点、ISO感度が25600まで向上、無線LANが付いたことです。フラッシュが無くなっています。レンズキットを買うと薄いM.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZが付属。M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 Ⅱに比べるとコンパクトです。ブラックのレンズキットが52,000円、ボディーだけなら38,000円。
 もう一台のデジカメXZ-1で連写を調べると、高速連写1約 7 コマ / 秒、高速連写2約 15 コマ / 秒(画像サイズは、[2560 × 1920] 以下、ISO 感度は [ISOオート] に固定)。これ使えそうです、F1.8でレンズが明るいし。試してみます。

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佐藤 優 十五の夏(下) [日記(2019)]

十五の夏 下  続きです。図書館で借りたため時間が開いてしまいました。著者、十五歳の佐藤優氏はキエフからモスクワに入り「ラジオ・モスクワ」日本語課を訪問します。この奇妙な訪問に至った経緯が語られます。

 中学3年生の頃、筆者は「ラジオ・モスクワ」の熱心なリスナーだったようです。1970年~80年にかけて、所謂SWL(BCL)ブームが起こり、彼もまた短波ラジオで海外放送を聞くことを趣味を趣味としています。当時は日本語放送が多くあり、放送局に受信レポートを送ると、ベリ・カードや番組表を送ってくれました。特にモスクワ放送のリスナー・サービスは手厚く、筆者はロシアへの傾斜を強め、モスクワ放送の東京支局を訪問し、日ソ交流の団体と接触します。
 その団体で知り合った日本人からロシアに関する情報を吸収します。この辺りになると、15歳の中学生・優くんが、元外務省主任分析官でロシアの専門家・佐藤 優氏に変貌します。筆者(佐藤 優氏)は、元日本陸軍の情報将校、シベリア抑留の経験者、露文学科の大学生などを登場させ、北方領土問題など戦後の日ソ外交を展望します。歯舞、色丹二島返還論です。択捉、国後はサンフランシスコ条約で放棄され、歯舞、色丹は日ソ善隣友好条約を結べば返還される。まず二島返還論を実現しソ連関係を改善すべきだ、と云うわけです。これは佐藤 優氏の持論のようで、安部・プーチン会談が行われた昨年にはさかんに発言しています。
 ロシア外交の専門家ですから分からなくはないのですが...。

 著者はモスクワからウズベキスタンのバハラを訪れて中央アジアを体験し、ハバロフスクを経由して日本に帰り着きます。この後優くんは、同志社大学・神学部から外務省を経て作家となります。この旅行が彼の人生に何をもたらしたのかは推測する他はありませんが、優くんは訪れた国で観光はせず、バスに乗り市場を訪れ人々と触れ合うことでその国を体験します。15歳の少年が東欧、ソ連を旅行して学んだのは、異文化、民族と文化の多様性ということではないかと思います。

 1975年当時、15歳の高校生が東欧・ソ連をひとりで旅行することは珍しい「事件」ではありますが、40数年経ってそれを本にする意味がいまひと分かりません。

タグ:読書
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ジャンクPC NEC VW970WG [日記(2019)]

DSC_6358.JPG 1549969802003.jpg
 部品取りにでもと、壊れたパソコンを貰いました。NECのPC-VW970WG。i5-650 3.2G、メモリ4G、ディスプレイ一体型で、TV、録画機能を持つAVパソコンです。 電源を入れると画面は真っ黒、NECのロゴも出ない、従ってBIOS画面も出ないという完全ジャンク。ビデオ系が死んでいるようです。裏蓋を開けると、基板がギッシリ。コネクタの接触不良を疑って、抜き差したのですが治りません。普通のデスクトップなら、マザーボード、ビデオカードを入れ替えれば何とかなるのですが、多機能でオリジナルの基板を積んだPCはお手上げ。

 HDDレーコーダとHDMIを繋ぐとTVが映り、音声が出ますから、ディスプレイそのものは生きています。パソコンかレコーダのディスプレイとしてなら利用出来そうです。パーツ活用は、メモリ(2GX2)、ブルーレイ光ドライブ、CPUは利用できそうですが、現用デスクトップのマザーがAMDなのでCPUはX、光ドライブもスリムタイプなのでアタッチメントが必要。PCかレコーダーのディスプレくらいしか利用できません。けっこう面白そうなパソコンなのですが、今回はむなしく敗退です。

タグ:パソコン
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司馬遼太郎 韓のくに紀行 [日記(2019)]

街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)  『街道をゆく』の(2)です。どういう目的で韓国に行くのかと問われて、

まあ古いころ、それも飛びきり古い昔々にですね、たとえば日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古いころに、朝鮮地域の人間も日本地域の人間も互いに一つだったとその頃は思っていたでしょうね。言葉も方言の違い程度の違いあるにしても、大声で喋りあうと通じたでしょう。そういう大昔の気分を

味わってみたいというのが、作者の目的です。この気分は、

「おまえ、どこからきた」
と、見知らぬ男にきく。
「カラからきたよ」
と、その男は答える。こういう問答が、九州あたりのいたるところ行われたであろう。カラとは具体的には駕洛国をさし...

朝鮮半島南部、対馬、壱岐、九州北部が一体の生活圏、文化圏にあったというイメージです。

 高校の頃(それこそン十年前)、5~6世紀の頃、釜山の近く任那に大和政権の朝鮮統治のための出先機関「任那日本府」があったと習いました。皇国史観と言われそうですが、面白いのは、考古学に政治が持ち込まれること。日本の勢力が朝鮮南部に及んでいたという説と、いや朝鮮の勢力だ、”安羅”が倭人官僚を迎え入れた実質的には安羅の外務官署であり、「安羅倭臣館」と呼ぶべきだ、という説などがあります。

 そもそも国家が成立していない時代の出来事を、21世紀に国家を背負って云々すると、「日本府」だ「倭臣館」だと綱引きするきとになります。それに比べると、司馬遼さんのイメージは詩的で説得力があります。
 「好太王碑」で明らかですが、大和政権は朝鮮北部で高句麗軍と戦っていますから、南の任那に出張所があってもおかしくはないわけです。この好太王碑の碑文も、明治期に日本軍が書き換えたという「学説」まであるそうです。秀吉の朝鮮侵攻、日韓併合の恨みは深いです。

 中国、朝鮮にあって古くは、日本人は「倭」と呼ばれます。魏志倭人伝の倭です。小さい奴という意味でどちらかというと蔑称でしょう。作者は韓国に行ってこの倭を考えます。

 高句麗、新羅、百済の朝鮮は、中国(宋)同様に儒教を規範とする国です。半島という立地上、中国から侵略を恐れ儒教で国を染めます。同じ文明を持てば、同族とは言わないまでも侵略から逃れる可能性が増すと考えたのでしょう。朝鮮は、中国から「東方礼儀ノ国」と呼ばれるまでになります。

儒教国家というものは自然のままの人間というもの認めない。人間は秩序原理(儒教、礼)でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。

 これに当てはまらない日本人は礼を知らない野蛮人=倭ということになります。司馬さんは、倭という人種は、背が矮さい、ハダカでいる、フンドシ一本で太刀を背負って肩肘を張っている、というイメージではあるまいか、と想像しますが、これ「倭寇」です。このイメージを、もろ肌脱いでドスを片手に討ち入るヤクザ映画ヒーロー(健さん)と重ね合わせます(笑。

 作者は、金海、慶州佛國寺、慕夏堂、扶余と、伽耶、新羅、百済の地を訪れ、歌垣に出会い「怒れるツングース」(これ面白い!)を経験し、お得意の「余談」に次ぐ余談が続くわけです。
 日韓関係がきな臭い昨今、読んで間違いのない一冊だと思います。

タグ:朝鮮・韓国
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映画 愛と哀しみのボレロ(1981仏) [日記(2019)]

愛と哀しみのボレロ [DVD]  原題”Les Uns et les Autres”。映画は、ラヴェルの「ボレロ」を踊るダンサーから始まり、4つの物語が描かれます。

1936年モスクワ
 タチアナ(リタ・ポールブールド)は、ボリショイバレーのプリマ選考会で落ち、選考委員のボリスと出会い結婚します。
1937年パリ
 フォリー・ベルジェール(クラブ)のバイオリン奏者アンヌ(ニコール・ガルシア)は、ピアニスト・シモン(ロベール・オッセン)と出会い結婚します。この時踊っていた黒人ダンサーはあのジョセフィン・ベイカー?。
1938年ベルリン
 ピアニストのカール(ダニエル・オルブリフスキ)は、ナチス主催の音楽会でヒトラーに認められ独軍の音楽隊将校となって占領下のパリに向かいます。カールは、パリでクラブ歌手エブリーヌと恋に墜ちます。
1939年ニューヨーク
 作曲家でバンドマスターのジャック(ジェームズ・カーン)は、コンサートの最中に子供が生まれたことを知らされ、またナチスがポーランドに侵攻した臨時ニュースが流れます。
 モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨークの4組の家族の物語です。
borero2.jpg ボレロ.jpg
 タチアナは「大祖国戦争」でボリスを失い、バレー教師となって息子をバレリーナに育てます。アンヌとシモンはユダヤ人強制収容所に送られ、シモンは息子を生き延びさせるため列車から捨てます。シモンはガス室で死にアンヌは生き延びパリに戻ります。カールは敗戦でパリで捕虜となり、廃墟となったベルリンに戻り、エブリーヌ(エブリーヌ・ブイックス)はカールの子供を宿し郷里に身を寄せます。フランス解放を祝う米軍と村人の宴には、演奏するジャックと、エブリーヌ、アンヌが捨てた(逃がした)息子、息子を育てる神父の姿があります。

 映画は次の世代の物語となります。タチアナの息子セルゲイ(ジョルジュ・ドン)はバレリーナ、アンヌの息子ロベールは弁護士、カールの娘エディットはキャスター、ジャックの娘サラ(ジェラルディン・チャップリン)は歌手となって、奇しくもコンサートに集います。ラヴェルの「ボレロ」が演奏され、指揮をとるのはカール、サラとロベールの息子が歌い、踊るのはセルゲイ。
 音楽を媒介として、4つの家族の戦争と戦後を描いた壮大な歴史ドラマです。前半は音楽とドラマが調和していて見応えがありますが、後半はちょっとダレます、3時間は長い!。

 『男と女』のクロード・ルルーシュ、フランシス・レイのコンビ。ドラマにはあまりカラミませんが、ジャック・ヴィレルが出ていて個人的には嬉しいかな。

監督:クロード・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ ミシェル・ルグラン
出演:ロベール・オッセン ニコール・ガルシア ジェラルディン・チャップリン ジェームズ・カーン ジョルジュ・ドン リタ・ポールブールド

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(8) [日記(2019)]

新装版 翔ぶが如く (9) (文春文庫)翔ぶが如く(十) (文春文庫)薩軍敗走.jpg
                   南日本新聞からお借りしました
 田原坂、吉次越、山鹿で破れた薩軍は、木留、植木に後退して抵抗を続けます。政府軍(衝背軍)が八代南の日奈久に上陸して南北から挟み撃ち。4月27日薩軍は人吉に逃れ、9月2日に鹿児島に入るまでの130日余り宮崎、延岡、九州南部の山岳を彷徨います。事ここに至って、薩軍は吸い寄せられるように故郷に向かいます。


 鹿児島に入った薩軍はわずか370人。城山に拠り防塁を築き洞穴を掘って籠もり、政府軍七万が囲んだそうです。西郷の死は国家の損失だと考えた薩軍は、助命嘆願のため辺見十郎太と河野主一郎が川村純義(薩摩)を政府軍の陣営に訪れています。川村は、西郷自らが和平交渉に来ることを促しますが、これは自決を促したということでしょう。この時辺見は、政府軍の総帥・山県有朋(長州)が西郷に宛てた私信を預かります。、

・・・其事ノ非ナルヲ知リツツモ遂ニ壮士ニ奉戴セラレタルニ 非 ズヤ。然ラバ則チ今日ノ事タル、君ハ初メヨリ一死ヲ以テ壮士ニ与ヘント期セシニ外ナラズヤ・・・事既ニ今日ニ至ル、之ヲ言フモ益ナシ、君何ゾ早ク自ラ図ラザルヤ、君、幸ニ少シク有朋ガ情懐ノ苦ヲ察セヨ、涙ヲ揮フテ之ヲ草ス、書、意ヲ 尽 サ

 山県は、西郷が私学校の暴発に反対しながらも、情によって彼らに生死を預けたのだろうと推測し、君何ゾ早ク自ラ図ラザルヤと、自害を勧めます。山県は、西郷に汚職事件(山城屋事件)で助けられ恩義があり、長州人の中では(木戸とは違って)西郷に親近感を持っていますから、有朋ガ情懐ノ苦ヲ察セヨ、涙ヲ揮フテ之ヲ草スという表現になります。

 300余名の薩軍のなかから、しかも将校のなかから野村忍介ら5名の投降者が出ます。全員が打ち死にすれば今回の義挙の本意が埋もれてしまう、法廷に立って名分を明らかにし後世に残そうということです。作者は桐野のやったこの愚劣な戦さでおめおめ死ねるか」という感情のほうが、むろんつよいと想像していますが、あるいはそうかも知れません。野村忍介は蜂起に先立つ会議でも桐野の強硬論に異を唱え、延岡でも豊後への侵攻を目指してゲリラ戦を戦い活路を開こうとしています。西郷を戴いた薩軍も決して一枚岩でなかったわけです。

 9月24日、歩兵による総攻撃が開始されます。西郷は、山縣に促されるまでもなく自決、それも切腹ではなく闘死を選択し、戦闘のなかで斃れます。西郷は別府晋介をかえりみて、

晋ドン、モウココデヨカ
そうじ(そうで)ごわんすかい 御免なって賜も

と西郷の首を落とします。桐野は、銃をもって塁上で孤軍奮闘し頭を射抜かれて討ち死にし、村田切腹し、別府と辺見は刺し違えて死に、薩軍は滅びます。戦闘が終わると天候が一変して滝のような夕立が降ったそうです。

 そのあたりに血と砂にまみれてころがっていた死体も、天がこれを清めてくれた...。

 西郷軍はその死まで詩です。

 坂本龍馬は「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と西郷を評し、西南戦争で薩軍に加担した中津藩の増田宗太郎は「1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある、だから西郷先生とは離れられない」と城山で西郷に殉じます。司馬遼太郎は、西郷隆盛とは何者だったのか?という主題で『翔ぶが如く』を書いたわけですが、

 要するに西郷という人は、後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇処があるのは、増田宋太郎のいうこういうあたりのことであろう。西郷は、西郷に会う以外にわかる 方法がなく、できれば数日接してみなければその重大な部分がわからない。

 と、書かざるを得なかったようです。従って、私如きが西郷を理解することは不可能のようです。

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