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蓮池薫 半島へ、ふたたび [日記(2019)]

半島へ、ふたたび (新潮文庫)  著者は、24年間北朝鮮に拉致され2002年に帰国を果たした蓮池薫氏。本書は、2008年にソウルを訪れた訪問記「僕がいた大地へ」と、帰国後、翻訳家として生きる決意をする「あの国の言葉を武器に、生きていく」の二部構成です。

 訪問記は、ソウルでの見聞に常に24年間暮らした北朝鮮の生活がダブり、ソウルを語りながら北朝鮮を語っているのが特徴です。拉致生活が赤裸々に語られると思ったのですが、拉致家族への配慮、政府の進める拉致者帰国政策への配慮もあって、その辺りは抑制が効いています。著者自身も拉致生活を書きたかったでしょうが、書けば第一級のノンフィクションになったでしょう。

 例えば、望郷の念は、北で聴いた歌「イムジン河」(日本では1968年にフォーク・クルセイダーズ)に託されます。「イムジン河」は、南北の分断と祖国統一を歌った歌ですが、著者にとって、鳥になって日本に飛んでゆきたいとう望郷の歌だったわけです。米の出来に一喜一憂するなど北の食糧事情を彷彿とさせます。
 南北の体制比較も慎重です。7世紀、新羅が半島を統一しますが、これも北と南では評価が分かれます。南は半島南東部に位置した新羅が朝鮮半島を統一したとし、北は高句麗は新羅に滅ぼされたのではなく、高句麗が発展解消して渤海になったと主張しているそうです。いずれも、自国領土にあった古代国家に肩入れするわけです。著者は、韓国と北朝鮮は、古朝鮮、三国時代から継承されてきた同じ伝統文化の根を持つ一つの民族、と冷静です。

 北に住んでみないと分からない記述もあります。

僕が拉致された、70年代から80年代までは、北朝鮮は社会主義的生活様式の確率を全面に出しながら、民族の伝統的な生活文化を「復古主義」という理由のもと、一部を排斥もしくは抑制していた。ところが、東欧社会主義が崩壊した90年以降になると、民族主義路線を色濃く打ち出し民族伝統を積極的に奨励するようになった。そこにはすでに東欧で大きな挫折を経験した社会主義思想より、民族主義のほうが国民も心をつかみやすいという読みがあったと推測される。

と。

 第二部「あの国の言葉を武器に、生きていく」は、帰国した著者が、市役所の職員から韓国語の翻訳者として自立する姿を描いたものです。ものを書くことに執念を見せる著者のことですから、拉致の経験は、密かに書き継がれていたと想像されます。既に完成し、公表に時期を待っているのかも知れません。第二部の韓国語の翻訳家宣言は、拉致被害告発の密かな宣言だとも取れます。

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