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浅田次郎 帰郷(2016集英社) [日記(2019)]

帰郷  太平洋戦争に関わる短編を6編集めています。 主題は、敗戦後日本に帰って兵士たち復員兵です。  
 故郷に帰れない事情を抱えた復員兵と街娼との行きずりの恋を描いた『帰郷』。八八式高射砲を修理するためニューギニアの前線陣地を訪れた工兵の「太平洋戦争」の『鉄の沈黙』。三歳で死別した父親像を探し求める後楽園のアルバイト学生の『夜の遊園地』。自衛隊士長と旧陸軍上等兵が夜の富士演習場の宿舎で出会う『不寝番』。ブーゲンビル島でカニバリズムの末生き残った二人の兵士の戦後を描く『金鵄のもとに』。「回天」に乗り組んだ海軍予備学生の白日夢の『無言歌』。

 一見反戦小説のようですが、浅田次郎が今更反戦小説を書くわけはないです。いずれも戦争という非常の時に生きた男達を主人公に、描かれるのは戦争ではなく、逆境を跳ね返す力を秘めた男達です。

 戦死公報が出たため妻は弟と結婚し帰るべき故郷を失った『帰郷』の復員兵は、娼婦と新たな生に踏み出します。
 『鉄の沈黙』の工兵は、新たな高射砲を作るため自分が大阪の造兵厰で作った高射砲の弱点をノートに記し、夜の遊園地』のアルバイト学生は、三歳で死別した強い父親のイメージをはっきりと掴み取ります。
 『金鵄のもとに』は、同胞を食べて生き残りブーゲンビル島から日本に帰ったふたりの復員兵の物語です。死を前にした兵士は戦友に食べられることで日本に帰ること望み、兵士を食べて日本に帰った復員兵は、食べた兵士のために一千万人が餓死すると噂される昭和21年東京の復員兵を生き延びさせます。復員兵の手足を切断して傷痍軍人を作り物乞いをさせて彼らの生きる道を確保する男、ブービル島で死んだ兵士の「明日」のために腕を切断して自ら傷痍軍人となって生きようとする男の物語です。
 『不寝番』では、自衛隊の士長が射撃コンテストで富士演習場を訪れ、旧軍時代からある古い兵舎で不寝番に立ちます。この兵舎で不寝番に立つ上等兵の30年前の時間が交差する怪奇譚です。士長は自販機の缶コーヒーを薦め、上等兵はこんな機械と美味しいコーヒーのある日本の未来に希望を見出だします。
 『無言歌』は、人間魚雷・回天に乗り組み深海で遭難したふたりの海軍予備学生の話です。今わの際で見る白日夢、ひとりは女学生との恋を夢み、もうひとりは娼婦との結婚を夢みます。短編集の最後に鎮魂歌を持ってきたのでしょう。

 敬礼した復員兵本の装丁がいいです。表紙をめくれば、復員兵にお辞儀をする少女がふたり。この本で何を書きたかったのか、著者の意図をよく表していそうです。

タグ:読書
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備忘録 バジル [日記(2019)]

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 6/9                 6/28
 バジルの苗を貰ったので育てています。検索してみると、

・タネは20℃以上の気温で発芽するので、4月中旬以降に撒く。発芽するのに光が必要なので土をかぶせない。
・摘芯した枝挿し木でも増やすことができる。水挿しで発根させてから挿し木をする。
・日当たりの良い場所、有機質に富んだ土に植える。
・バジルは水を好み乾燥には弱い。乾いたらたっぷりと水をやる。
・肥料は、月に1回油かすを与えるか、液体肥料を1週間に1回与える。
・草丈が20cm程度まで生長したら摘心して側芽の生長を促す(7月~8月にかけて花が咲く)。します。地面から数えて2~3節目の少し上を切る。摘芯を繰り返すと茎が2本3本に増え収穫量も増える。
・7月上旬ごろ葉っぱを1/3~1/2切り戻す。

 摘芯まですすみました。
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8/18追記
 4回ほど収穫。調理をした娘によると、バジルソースは最高らしいです。立秋過ぎて、収穫はバッタと競争(笑。花が付いてきたので、次は種取りでしょうか。

タグ:園芸
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川上和人 鳥類学者 無謀にも 恐竜を語る(2013技術評論社) [日記(2019)]

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (新潮文庫)  この手の本はめったに読みませんが、面白いと評判になっていたので読んでみました。
 今日では、鳥は恐竜から進化したというのが通説ですから、鳥類学者が恐竜を語ることもまたあり得るというわけです。恐竜は6600万年前に絶滅し、化石でしかその姿を見ることのできない幻の生物。鳥の生態から恐竜を想像する「生物ミステリ」です。

第1章:恐竜はやがてとりになった
第2章:鳥は大空の覇者となった
第3章:無謀にも鳥から恐竜を考える
第4章:恐竜は無邪気に生態系を構築する

 面白いのは第3章。例えば「sectin3白色恐竜への道」。鳥にはカモメ、アホウドリ、ハクチョウなど白い鳥がけっこういます。だったら鳥の祖先である恐竜にも白い恐竜がいたのではないか?というわけです。ジュラシック・パーク シリーズなどでは、恐竜はたいてい暗緑色です。白い恐竜などいるわけがないというのは図鑑や映画の刷り込みで、骨の化石しか残っていず誰も見たことはないわけですから、いても可笑しくはない。言われれば無下に否定は出来ません。恐竜の面白いところは、こうしたとんでもない想像ができるところかもしれません。生物が白いということは、捕食者に発見され易い反面仲間を見つけやすく、群れになると捕食者に襲われる確率が低いというメリットがあります。白熊や白フクロウがいますから、捕食者の恐竜にも白いものがいた?、ちょっと苦しい。
 という妄想は続き、足跡から渡り恐竜を想像する「獣脚類は渡り鳥の夢を見るか」、営巣の化石から「家族の肖像」、キウイなど夜行性の鳥の存在から「肉食恐竜は夜に恋をする」などなどの妄想が生まれます。本当?と思いますが、誰も見たことはないわけですからついつい著者に乗せられてしまいます。

 6tのTレックスや40tにもなる竜脚類が闊歩していたのですから、地球の環境は恐竜によって大きく変化したという「第4章 恐竜は無邪気に生態系を構築する」も面白い。恐竜から食べられないように松は針で武装し、蘇鉄は毒を持った、ナルホド。
 恐竜が巨大隕石の衝突によって絶滅したことは、ほぼ定説です。地球の環境を変えるほどの恐竜が絶滅したのち生態系はどう変わったのか?。生き残った小さな脊椎動物や鳥が我が世の春を謳歌し、新生代には3mもの飛べない鳥、肉食の恐鳥が出現したそうです。

 面白いです、緑陰図書にぴったり。

タグ:読書
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映画 幸せなひとりぼっち(2015スエーデン) [日記(2019)]

幸せなひとりぼっち (ハヤカワ文庫NV) 幸せなひとりぼっち [Blu-ray] 原題”A Man Called Ove”。スエーデンの映画といえば、イングマール・ベルイマン、ラッセ・ハルストレムの伝統です。『幸せなひとりぼっち』は、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を越える人気で(私も賛成)、国民の5人に1人が観たそうです。ストーリーは至ってシンプル。59歳の初老の男の孤独と、老人と交わる周囲の人々との交流、団塊の世代が高齢になってこの手の映画は多いです。

 冒頭、2束70クローナの花束を1束レジに持って行き、35クローナで買おうとする老人が登場します。1束なら50クローナだと言う店員に「責任者を出せ!」。結局2束買って向かった先は妻の墓。家に帰ると町内を見回って分別されていないゴミに舌打ちし、不法駐車のNo.を手帳に控え、犬を散歩させる女性に「小便させるな!、今度したら電気柵を設けるぞ!」。犬はマーキングが習性ですからこれは無理(笑。この嫌味な初老の男オーヴェが主人公です。

 59歳になってオーヴェは43年間勤めた鉄道会社を馘になります(早期退職勧告)。オーヴェは家に帰ると髭を剃りネクタイを絞めて身なりを整え、先立たれた妻の元に行くため自殺を図ります。ロープを頚に巻き椅子を蹴ろうとしたその時、車通行禁止の道路に入る車を見つけ、注意するため自殺は中断。この車に乗って近所に引っ越してきた家族と関わりができ、迷い混んだ猫を飼うはめとなり、首吊りのロープが切れ...と自殺は遠退きます。当然、オーヴェはロープを買ったホームセンターに苦情を持ち込みます。オーヴェが妻の墓の前で、明日はお前の側に行くからと呟く姿は、高齢化社会と福祉国家スエーデンが(日本も同じく)抱える問題の根深さです。突き詰めればけっこう深刻な話なんですが、深刻にならずコメディタッチに仕上げるのがこの映画のいいところ。

  このオーヴェの自殺をめぐる話と共に描かれるのが、妻ソーニャとの出会いと結婚。オーヴェは、ソーニャに励まされて上級学校卒業資格をとり、事故で車椅子の生活となったソーニャを助け、初めての子供を亡くすという不幸にも見舞われますが、幸せな生活をおくって来たようです。車椅子ソーニャのために家を自力で改装し、ソーニャは教師の資格を得ますが車椅子のため就職先はありません。オーヴェは学校にスロープを作って教師への道を拓きます。
 退職してすることも無くなり天涯孤独のオーヴェが思い出すのはソーニャとともに過ごした日々。なかなかロマンティック。アンタの人生はそんなに捨てたもんではない、と言いたくなります。

 オーヴェの自殺願望は強いようで、線路に飛び込んだ青年を助けたついでに自殺を図り、車の排気ガス、猟銃と次々に試しますがその都度邪魔が入って失敗。心臓発作を起こしますが、隣人に発見され救急車で運ばれなかなか死ねません。
 死神に見放されたオーヴェは「無事」自殺できるのか?。ご近所があれこれ気遣い、オーヴェも嫌々ながらそれに答えますから、結末はだいたい想像がつきます。スエーデン国民(たぶん高齢者)の多くがオーヴェに自己投影し”オーヴェは私だ!”、と映画はヒットしたのでしょう。人間の深淵を描いたイングマール・ベルイマンよりも、ラッセ・ハルストレムに近い作風の映画です。60代以降にオススメ。本もあるらしいです。

監督:ハンネス・ホルム
出演:ロルフ・ラッスゴード バハール・パルス イーダ・エングヴォ

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絵日記 堺市 槇塚台のトトロ [日記(2019)]


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 歯医者さんです。

タグ:絵日記
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ユヴァル・ノア・ハラリ サピエンス全史(下)  宗教 [日記(2019)]

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福続きです。
宗教
 社会秩序とヒエラルキーで分断されていたホモ・サピエンスが、全世界と全人類を視野に入れ統一へと動き出します。統一というより周辺を飲み込むといった方がいいでしょう。その原動力が、貨幣帝国そして宗教だといいます。排他的で不寛容な宗教が世界のグローバル化を如何に推し進めたのか、です。
 著者は宗教を、

 超人間的な秩序(神)の信奉に基づく、 人間の規範(戒律あるいは律法)と価値観の制度


と定義します。まぁ何となく分かります。一言で言えば、宗教もまた共同の幻想、擬制であり、幻想と擬制を維持するために規範、戒律を持つということでしょうか。
 原始的な宗教は、狩猟採集社会で生まれた動植物など自然に対する信仰、アニミズムです。狩猟採集社会が農耕社会に移り、信仰の対象は動物や自然を越え抽象化された概念、共同幻想=宗教へと変わります。これは、農耕、牧畜によって自然の一部、小麦、羊などを支配下に治めたからだといいます。所有物は信仰の対象とはならないわけです。

多神教と一神教
 最初の宗教は、作物の豊穣を祈る神、自然災害から逃れる神、病を治す神と様々な神の存在する多神教だったと考えられます。主流である多神教と並列して、少数ながら唯一の絶対神を持つ一神教(「局地的一神教」と著者は呼びます)もあったと思われます。その主流の多神教を押し退けて、どのようにキリスト教、イスラム教の一神教が勢力を拡大していったのか?。

やがて多神教の信者の一部は、自分の守護神をおおいに気に入ったので、多神教の基本的な考え方からしだいに離れていった。彼らは自分の神が唯一の神で、その神こそがじつは宇宙の至高の神的存在であると信じ始めた。
とはいえ同時に、彼らはその神は関心を持ち、えこひいきをすると考え続け、その神とは取引ができると信じていた。こうして一神教が生まれ、その信者たちは、病気から快復したり、くじで当たったり、戦争で勝ったりできるよう、宇宙の至高の神的存在に嘆願した。

 「取引」とは「契約」のことだと思われます。”アンタひとりを崇める代わりに願いを叶えてね”ということでしょうか。あまり説得力のある答えとは思えませんが。ケースケースで崇める神を変えるより、万能の神を崇めるほうが便利は便利です。

人間の崇拝

 現代の宗教を論じた12章の「人間の崇拝」は、多神教→一神教がハギレが悪かったのに比べ明快です。神が死んだ?現在、宗教の最大のものは自由主義社会主義だと言います。つまり、神が形を変えイデオロギーという衣をまとって新たな宗教として登場したわけです。
 自由主義、社会主義の根底には、人間(ホモ・サピエンス)至上主義があるといいます。人間こそ唯一絶対のものでるという、神を人間にすり替えた新たな宗教の誕生です。

 例えば社会主義は、マルクスやエンゲルス、レーニンによって唱えられ(イエスやモハメッド)、『資本論』のような聖典や預言の書があり(聖書やコーラン)、5月1日(メーデー)や10月革命の記念日のような祝祭日があります。超人間的な秩序の信奉に基づく、 人間の規範と価値観の制度という宗教の定義にぴったり当てはまります。あらゆる人間は平等であるという考え方は、あらゆる魂は神の前に平等であるという一神教の信念の焼き直しにすぎない、と著者はいいます。
 自由主義はどうか。社会主義ほど明らかな創始者や経典はありませんが、自由主義的な信念は、これも各個人には自由で永遠の魂があるとするキリスト教の伝統的な信念の直接の遺産だといいます。自由主義的な人間至上主義の主要な戒律は、一まとめに「人権」と言われるものです。
 自由主義も社会主義も、キリスト教やイスラム教のように積極的に「宣教」を行います。自由が制限される地域に「お節介にも」出掛け、武力をもってイデオロギーを押し付けます。

 社会主義、自由主義とともにもうひとつの人間至上主義の宗派があります。「進化論」的な人間至上主義で、その代表がナチスズムだといいます。人類は不変で永遠のものではなく、進化も退化もしうる変わりやすい種だとしたうえで、人類は超人に進化することもできれば、人間以下の存在に退化することもありうるというのです。人類の最も進んだ形態はアーリア人種であると考え、アーリア人種の純血を護るために、ユダヤ人やロマ、同性愛者、精神障害者のような退化したホモ・サピエンスは隔離され、さらには皆殺しにさえしなければならないとナチスは主張し実行したのです。ナチス党大会の映像を見ると(文化大革命も同じ)、ナチズムは宗教と変わりの無いことは一目瞭然です。アーリア人種至上主義は人間至上主義のヴァリエーションのひとつに過ぎません。
 イデオロギーと宗教の本質を見抜いたわけですから、人間は何故宗教やイデオロギーを必要とするのか?何故ドイツ人がナチズムに走ったか?まで突っ込んで欲しかったのですが、それはありません。

 

 著者は、現在の世界を動かす自由主義と社会主義を、一括りに人間が産み出した幻想、擬制として片付けますが、問題は幻想が行き着くその先です。第12はこう締め括られます。

 自由主義の人間至上主義の信条と、生命科学の最新の成果との間には、巨大な溝が口を開けつつあり、私たちはもはやそれを無視し続けるのは難しい。
 私たちの自由主義的な政治制度と司法制度は、誰もが不可分で変えることのできない神聖な内なる性質を持っているという信念に基づいており、その性質が世界に意味を与え、あらゆる倫理的権威や政治的権威の源泉になっている。これは、各個人の中に自由で永遠の魂が宿っているという伝統的なキリスト教の信念の生まれ変わりだ。だが過去二〇〇年間に、生命科学はこの信念を徹底的に切り崩した。人体内部の働きを研究する科学者たちは、そこに魂は発見できなかった。

 彼らはしだいに、人間の行動は自由意思ではなくホルモンや遺伝子、シナプスで決まると主張するようになっている──チンパンジーやオオカミ、アリの行動を決めるのと同じ力で決まる、と。私たちの司法制度と政治制度は、そのような不都合な発見は、たいてい隠しておこうとする。だが率直に言って、生物学科と法学科や政治学科とを隔てる壁を、私たちはあとどれほど維持することができるだろう?

 

と第四部「科学革命」が始まります。


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映画 シェイプ・オブ・ウォーター(2017米) [日記(2019)]

シェイプ・オブ・ウォーター オリジナル無修正版 [AmazonDVDコレクション]  原題” The Shape of Water”、「水の形」。監督は『ヘルボーイ』『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロ。「異形のもの」を仕立て上げれば随一の監督です。今回は「半魚人」、半魚人は『ヘルボーイ』にも登場しましたからお馴染みのキャラクターなんでしょう。
 「航空宇宙研究センター」にアマゾンで神と崇められていた異形の生物「半魚人」が搬入されます。研究センターの清掃係イライザ(サリー・ホーキンス)が半魚人(ダグ・ジョーンズ)と出会う物語です。キューバ危機のセリフがありますから舞台は1962年。白黒のブラウン管TVや車のスタイルからもそれがうかがえます。映画でこの時代のアメリカ市民を代表するのが、仕事一筋の警備主任ストリックランド(マイケル・シャノン)とイライザの同僚ゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)。ストリックランドの家庭はTVのホームドラマさながらで、ゼルダはくたびれた夫を尻に敷き口を開けば愚痴ばかり。この平均的市民と対象的な存在が、イライザと隣の部屋に住む挿絵画家のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)。イライザ耳は聴こえるものの声は出せない障害を持ち、ジャイルズは写真印刷に押されて仕事が減った独居老人でかつ同性愛者。時代は東西冷戦の真っ只中で、米ソは宇宙開発でもしのぎを削っています。そうした時代を背景に半魚人のファンタジーが展開します。ウォーター.jpg ウォーター2.jpg
 半魚人が知性を持っていると見たイライザは、好物の「ゆで卵」とポータブル・プレイヤーを持って半魚人に近づき、「手話」によりコミュニケーションが成立します。障害を持った女性と怪物という奇妙なコンビがの物語が始まります。一方で冷戦は半魚人にも及びます。アメリカは(最初は宇宙船に乗せようという話もありましたが)半魚人を生体解剖しようともくろみ、ソ連は半魚人の情報がアメリカに独占されることを恐れ暗殺を企てます。この対立は冷戦と宇宙開発競争のカリカチュアです。半魚人の解剖を知ったイライザは救出に動き、映画は第二段階へ。

 イライザは救出した半魚人をアパートの風呂にかくまいます。半魚類ですから水が必要というわけです。驚くことに、ここからイライザと半魚人のラブストーリーが始まります。『シェイ・プオ・ブウォーター』は、障害を持った人間が異形の生物と意思疏通を図り、愛を育むというファンタジーだったわけです。人は(半魚人ですが)「種」を越えて連帯できる!という、「分断」のアメリカに一石を投じる映画です。
 サリー・ホーキンスのセリフの無い演技はなかなか新鮮です。

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス マイケル・シャノン リチャード・ジェンキンス ダグ・ジョーンズ

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深緑野分 ベルリンは晴れているか(2018筑摩書房) [日記(2019)]

ベルリンは晴れているか (単行本)
 アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの四カ国が分割統治する1945年の廃墟と化したベルリン、17歳の少女アウグステ・ニッケルが殺人事件を追うミステリです。タイトルはヒトラーの「パリは燃えているか」のアナロジー。

 チェロ奏者の音楽家が歯磨粉に仕込まれた青酸カリで殺されます。歯磨粉は、当時ベルリンでは貴重品だった米国製の”コルゲート”で、このコルゲートを闇市で売ったアウグステは参考人としてソ連のNKVD(内部人民委員部、後のKGB)に逮捕されます。アウグステは米軍の食堂で働いているため、”コルゲート”の入手は容易。この音楽家は、共産党員であった両親がナチスに殺され孤児となったアウグステの面倒を見たという経緯があります。
 ポツダム会談のためスターリンがベルリン入りする直前の時期であり、ナチス残党のテロを恐れるNKVDが乗り出し、アウグステはナチスのテロ組織”人狼”(ヴェアヴォルフ)の一員と疑われたわけです。アウグステの疑いは晴れますが、今度は音楽家の甥エーリヒに疑いがかかり、アウグステはNKVDにエーリヒ探索を命じられ事件に巻き込まれます。この導入部は、米軍の食堂に勤める少女、殺人事件、ナチスのテロ組織、NKVDと、一応つじつまは合ってますが、やや作為的?。

 アウグステは、これもNKVDに無理矢理協力を命じられた泥棒のユダヤ人・カフカとともに、エーリヒを探してベルリンの焼け跡を彷徨います。このプロットはけっこう面白いです。敗戦国の首都ベルリンは空襲と市街戦で瓦礫の山と化していますが、人々はたくましく生きています。映画などで進駐軍に占領された東京の風景をよく見ますが、そんなイメージです。焼け跡には闇市が立ち、食堂では動物園から逃げ出したワニがスープとなるなどありとあらゆるものが売られます。空き瓶で水を売る少女は、

無表情のまま右手の指を日本、左手の指を三本立て
「煙草二本、手で五分。アメリカ煙草なら一本でいいよ」と言う。

「その・・・・口では?」
「口はやらない。お望みなら他をあたって」
・・・闇市で売られるのは物だけではない

孤児となった子供たちはたくましく路上で生活し、窃盗団を組織する世相です。

 物語は、アウグステが殺人犯を追う1945年の本編と、彼女が生まれた1928年に始まる「幕間」の2本立てです。ラストでこの2本の時制は一本の「現在」となります。「幕間」で、アウグステの成長とヒトラー政権下のベルリン市民の生活が描かれます。
 1928年は、ナチスが国政選挙ではじめて議席を獲得した年であり、大恐慌の前年に当たります。第一次世界大戦の莫大な賠償と世界不況に乗じてヒトラー政権を握り、オーストリアを併合しフランスに侵攻しドイツを戦火に巻き込みます。ナチスはドイツ国民を思想統制し監視し、アーリア人種至上主義でユダヤ人、ロマ、障害者、同性愛者を抹殺します。
 アウグステの17年は、思想統制とアーリア人種至上主義の17年であり、「幕間」で描かれるのはこの二つと、悪化する戦局の中で疲弊するベルリンの市民生活です。アウグステと行動を共にするのは、断種されたロマの浮浪児、同性愛者、ユダヤ人そっくりのアーリア人、さらにはウクライナ飢饉で孤児となった赤軍兵士、といずれも政治に翻弄される人々。

 この辺りをどう読むかで本書の評価が分かれると思います。「このミステリがすごい」で2位らしいですが、『夜と霧』以下ナチスとホロコーストを散々読まされてきた世代には新鮮味はありません。本編は、最後の50ページで犯人が暴かれ、殺された音楽家の正体が暴露され、殺害の動機が明らかにされます。冗長な追跡劇が一気にたたみ掛ける謎解きで終わる展開はもうひとつ。ヒロイン・アウグステはけっこう魅力ある人物として描かれていますから惜しまれます。
 ちなみに、本書に日本人はひとりも登場せず、物語は徹頭徹尾1945年のドイツです。その点は感心させられます。

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ユッシ・エーズラ・オールスン 特捜部Q-自撮りする女たち- [日記(2019)]

特捜部Q―自撮りする女たち― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)  『特捜部Qシリーズ』第7弾。これがシリーズ最新作です。
 社会福祉事務所で知り合った3人の不良娘のどうでもいいお喋りと、彼女等に対応する女性ソーシャルワーカーの愚痴を読まされます。失業給付や生活保護の金を求めて福祉事務所を訪れ、一向に働く意欲の無い市民と、就業先や職業訓練を斡旋するソーシャルワーカーの不毛で果てしない戦いです。「世界で一番幸せな国」の皮肉な一面が、『自撮りする女たち』の背景です。

 特捜部Qは災難に見舞われます。ローセは前回の『吊された女』の際受けた精神療法で病が悪化し、報告書の手違いで検挙率15%(カールの試算では65%)とされ特捜部Qは閉鎖の危機にさらされます。
 そんな折、退職した殺人捜査長マークス・ヤコプスンが再登場、最近起きた「老婆撲殺事件」と17年前の「女教師殺人事件」の共通性を指摘し、未解決事件の捜査をカールに持ちかけます。マークの持ち込んだ2つの殺人事件の捜査と平行して、社会福祉事務所の女性ソーシャルワーカー・アネリの物語が進行します。アネリはガンを宣告され、福祉制度に寄生する女たちがノウノウと暮らし、真面目に働く自分が何故ガンなのか。アネリの怒りは、カウンセリングする怠惰な3人の女達に向かいます。アネリは、残された時間で福祉制度に寄生する女たちの「駆除」を思い立ちます。幸福度No.1のデンマークにも、このストーリーが成り立つ背景があるということでしょう。アネリは『吊された女』の轢き逃げ殺人をヒントに、盗んだ車で轢き殺す計画をたて、この計画と実行はアネリに新たな生き甲斐をもたらします。
 一方でローセの精神疾患は、特捜部の勤務が不可能となるほどに悪化、カールとアサドはローセの抱えるトラウマを解き放つため彼女の過去を探ります。アネリによる福祉制度の寄生者殺しを軸に、黒づくめのパンクファッションに身を包む多重人格者ローセの謎が明らかにされます。特捜部Qファンにとっては、この謎解明が一番面白いところです。

 何しろ多くの事件を抱え込んだため、少々粗っぽく、ご都合主義なところもあります。3人娘のひとりは殺された老婆の孫で、老婆の隣にローセが住み老婆宅に孫が現れ...とあれよあれという間に事件と事件が結びつき最後はたたみ掛けるように全部解決。そんなに都合よくはいかないだろう...とは思いつつ一気に読んでしまいます。

 第8作の情報はありませんが、ローセの謎が明らかにされたわけですから、次はきっとアサドの謎解きでしょう。予測すると...アサドはシリア軍の兵士としてイラク戦争に参加し、スパイとして捕まり拷問を経験したようです。刑務所で後のコペンハーゲン警察殺人課長のラース・ビィアンと知り合い、戦後デンマークに移住、ビィアンの引きで特捜部Qに入ります。アサドの高い身体能力、情報分析能力、武器に対する知識を考えると、情報将校、諜報員だったかも知れません。

 第一作『檻の中の女』を読み始めたのが5月上旬ですから、約1か月でシーリーズ7作読破。久々にミステリを堪能しました。


特捜部Qシリーズ
檻の中の女
キジ殺し
Pからのメッセージ
カルテ番号64
知りすぎたマルコ
吊された少女
・自撮りする女たち・・・このページ、シリーズ7冊読破。

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