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映画 クルーシブル(1996米) [日記(2019)]

クルーシブル [DVD]  原題、”The Crucible”坩堝(るつぼ)。『ジェーン・ドウの解剖(2016米)』、『サイレントヒル(2006仏加)』は「セイラム魔女裁判」が背景にあるホラーで、裁判で魔女の烙印を押され処刑された女性の怨念が現代によみがえるというものです。「セイラム魔女裁判」とは何?、その魔女裁判を描いた映画があるというの見てみました、アーサー・ミラーの戯曲『坩堝』が原作だそうです。ホラーではありませんが、ある意味ホラーより怖い映画です。

 舞台は1692年、マサチューセッツ州セイラムで200名近い住人が裁判にかけられ、19名が魔女として処刑されます。「魔女狩り」は中世ヨーロッパだと思っていたのですが、17世紀のアメリカで魔女狩りが行われていたのです。アーサー・ミラーは「マッカーシズム」批判として『坩堝』を書いたということですから、魔女狩りは20世紀にもあったわけです。

 10代の少女たちが男性と想いが遂げられるという儀式を行い、この儀式を村の牧師に見つかります。儀式に参加していたふたりの少女が眠りから覚めなくなり、悪魔に憑りつかれたという噂が村中に広まり、悪魔祓いの牧師が呼ばれます。儀式に参加していた少女たちと儀式を悪魔との契約と見なす村人、という構図、悪魔の手先=魔女と清教徒という構図が出来上がります。この構図と少女のひとりアビゲイル・ウィリアムズ(ウィノナ・ライダー)とジョン・プロクター(ダニエル・デイ=ルイス)の関係が交わります。ふたりとも「セイラム魔女裁判」に登場する実在人物。映画は(すなわちアーサー・ミラーは)このふたりを不倫関係にすることで、集団の狂気と個人の尊厳を描こうとします。

 異端審問が開かれ、少女たちは自白を強要されます。悪魔との契約を自白しなければ魔女として処刑、自白し悔い改めれば許されるというもの。植民地はピューリタニズムによって成り立っていいます。イエス以外の神を崇める人間の出現は共同体の崩壊に繋がり厳しい制裁が待っています。異端者の処刑は共同体を守る自衛策です。
 アビゲイルをリーダーとする少女たちは悪魔との契約を認め、次々と村人を魔女として告発します。共同体を浄化するアビゲイルは次第に”聖女”となり、

 私は神の指

 彼女たちが「指さした」人は魔女の疑いを受け法廷に立たされ、村人たち間でも告発が始まります。植民地で物乞いをする弱者がまず犠牲となり、牡山羊を追っ払った女性が告発され、焚火が燃え上がったことで近くにいた老人が告発されます。告発が正義となり、告発された人間は免罪を得るため他人を告発し、負の連鎖で200人もの人間が異端審問にかけられ悪魔との契約を否定した19人が処刑されます。契約を告白して悔い改めれば許されるわけです。つまり悪魔の存在を認めないことは、神の存在を否定するとみなされたわけです。悪魔が存在するから神は存在する!という逆説。ジョン・プロクターも告発され、悪魔の存在を否定したために処刑されます。

クルーシブル1.jpg クルシーブル2.jpg
                    神の指

 映画はこのふたりで成り立っています。
アビゲイル:ジョン・プロクターとの不倫関係を復活させるために悪魔崇拝儀式を行い、告発されると悪魔との契約を認め他人を告発することで生き残る
ジョン・プロクター:アビゲイルとの姦淫の罪(姦通=十戒のひとつ)を告白するが悪魔との契約は認めなかったことで処刑
 人間の二相です。神は悪魔に支えられ神は悪魔を生み出す、どちらが先かは分かりませんが『坩堝』というタイトルは言い得て妙です。

監督:ニコラス・ハイトナー
出演:ダニエル・デイ=ルイス ウィノナ・ライダー ジョアン・アレン

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