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門井慶喜 銀河鉄道の父(2017講談社) [日記(2019)]

銀河鉄道の父 第158回直木賞受賞 銀河鉄道の父
 宮澤賢治ではなく、その父・宮澤政次郎の物語です。宮澤賢治は、『雨ニモマケズ』の詩で有名な誰でも知っている詩人、童話作家です。「羅須地人協会」を設立して農業指導を行った篤志家としても知られている人物です。「宮澤賢治」の父親であることは如何なる存在だったのか、父親の眼で見れば文学史に記される詩人・「宮澤賢治」は如何なる存在だったのか。父親・宮澤政次郎を主人公に宮澤賢治を描いたところがこの小説のミソです。

なぜ父親なのか
 政次郎は、質屋兼古着屋を営む花巻でも有数の資産家。明治28年、賢治は宮澤家の長男として生まれます。政次郎は、“女は花をあたためるように、男は霜を踏む”ように育てられ、成績優秀にもかわらず“質屋には、学問は必要ねぇ”、と小学校卒業と同時に家業の質屋を継がされます。

 政次郎は、“家長たるもものは、常に威厳を保ち笑顔を見せず、嫌われものたるを引き受けねばならない。商家が潰れずに生き残るためには、家そのもを組織としなければならない。生活とはするものではなく、作るものだ。”という人物として描かれます。ところが、賢治が赤痢にかかると、感染も恐れず隔離病棟に泊まり込んで看病するという愛情を注ぎます。これからの質屋も学問が要ると、“質屋には、学問は必要ねぇ”と云う祖父の反対を押し切って、賢治を盛岡中学に進学させます。「銀河鉄道の父」は封建的かつ合理的で、強おもての子煩悩な父親ということになります。

 一方の賢治は、質屋という家業を嫌い中学を卒業しても家でブラブラ。帳場に立っても読書ばかりで満足な商売ができず、鎌一丁に3円も貸す有様。質屋に加え古着の商いを始めて店を大きくした政次郎に比べ、賢治は商売センスはゼロ。けっきょく政次郎は賢治に盛岡高等農林学校の進学を認めます。
 高等農林学校に入っても、同人誌を発行し、洋書を買うの何だのと政次郎から金を引き出す、ある意味の放蕩息子。政次郎の懐を当てにして製飴事業、後にはイリジウム採掘、人造宝石の製造販売事業などを夢見る俗気はあったようです。堅実で常識人の政次郎はこれを一蹴。よく言えば、簡単に諦めるあたりは、賢治は進むべき道に迷い自分を持て余していたことになります。反対されると、賢治は日蓮宗の宗教団体・国柱会入信し、浄土真宗の熱心な門徒であるで政次郎と衝突し東京に遂電します。
 政次郎は、質屋を切り盛りし古着を売り、次女三女を嫁がせ、次男・清六を立派に後継者に仕立て上げ、 長女・トシを手厚い看護の末看取ります。家長の責務を立派に果たしたと言えます。『銀河鉄道』の著者よりも、「銀河鉄道の父」こそが、明治大正の日本国を支えた国民だったわけです。

なぜ童話なのか
 賢治26歳、東京で筆耕の仕事をしながら憑かれたように童話の創作に打ち込みます。小説ではなく何故童話なのか?。 
 賢治は、質屋の帳場で客と満足に対応できず商人を失格し、盛岡高等農林学校に逃避、事業を起こそうとして政次郎に反対されて宗教に逃避。政次郎に甘やかされ大人に成長できなかった子供の賢治は、大人が登場し大人を相手とする小説ではなく、子供が登場し子供に話しかける童話を選択します。東京で逼塞する賢治26歳のころ、政次郎は既に二児の父親。賢治は結婚さえできず子供はのぞむべくありません。政次郎を超えることはできなくとも、せめて子供の代わりリに童話を生むことで政次郎に近づきたい。それが童話を書く動機だったと作者は考えます、そう言われれば...。

永訣の朝
 トシが結核で倒れたため賢治は花巻に帰り、トシは亡くなります。有名な『永訣の朝』が生まれるわけです。この永訣の朝に政次郎は家長としての役目を果たします。政次郎は家族の反対を押しきってトシの口から遺言を聞き取ります。

私は家長だ。死後のことを考える義務がある。トシの肉が灰になり、骨が墓におさまってなお家族がトシの存在を意識するには、位牌では足りない。着物などの形見でも足りない。遺言という依代がぜひ必要なのだ。
それは唯一、トシの内部から出たものである。家族をときに厳しく律するだろう、ときに優しくいたわるだろう。・・・子が孫を生み、孫が曾孫を産んでも受け継がれる。
肉や骨はほろびるが、ことばは滅亡しないのである。

「うまれてくるたて、こんどは…」

 宮澤賢治ではなく、その父・宮澤政次郎の物語です。

タグ:読書
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