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スタンダール 赤と黒(上) 2007光文新訳古典文庫 [日記(2019)]

赤と黒(上) (光文社古典新訳文庫) 赤と黒(上) (光文社古典新訳文庫)
 1827年フランス、農民(製材業者)の息子ジュリアン・ソレルが、美貌と知性で貴族社会で「成り上がり」、最後は断頭台の露と消える物語です。ナポレオンの第1帝制(1804)からルイ18世による王政復古(1814)を経て七月革命(1830)に至る時代です。貴族、聖職者が富と権力を握る王政復古の時代に、七月革命を予感させるように、農民ジュリアンが美貌と才知を武器に身分制度の一角を切り崩します。

ジュリアン・ソレル
 20歳の農民身分の司祭見習いジュリアンは、聖書をまるごと一冊ラテン語で暗記している才知によってヴェリエールの町長ルナール家の家庭教師に招かれます。ジュリアンが「成り上がる」物語ですが、権力志向や金銭の欲望が強いわけではなさそう。ジュリアンはナポレオン・ボナパルトの崇拝者で、コルシカの地主(貴族)の息子が、軍事技術によってフランスの支配者となったナポレオンに自己投影し、製材業者の息子も社会階層を上昇できるという野望を持って登場します。

 父親によって教会の司祭見習いに追いやられ、性に合っていたのかラテン語に習熟します。神学校ではキケロやホラティウスについての豊富な知識を披露して生徒や教師の反感を買いますが、学校長や司祭からは認められます。この才能によって、町長の息子の家庭教師家となりラ・モール侯爵の秘書となって、上流階級への切符を手に入れるわけです。デルヴィル夫人は、ルナール夫人に「あなたの家庭教師君、どうも信用ならない。いつでも何かを考えていて、やることはすべて計算ずくという感じよね」と見抜かれています。

 ルナール夫人を誘惑する場面です。ジュリアンはルナール氏のいる席で、闇に紛れて夫人の手を握り腕にキスします。これが夫人に恋い焦がれた結果の行為かというそうではなく、<何から何まで恵まれた御仁の女房の手を、まさにご本人の前で握ってやるとしたら、まんまと鼻をあかしてやることができるんじゃないか。よし、やってやるぞ、散々馬鹿にしてくれたお礼にな>。ジュリアンがレナール婦人に近づくのは、金持ち階級に対する反発からです。おまけに、恋の相手はルナール夫人でもデルヴィル夫人でもどちらでもよかった!。ルナール家の小間使エリザから結婚の申し出を受けていますが、安売りはできないとこれを拒絶しているあたりも、ジュリアンの野心が伺えます(このエリザが後にストーリーを動かします)。
 恋の経験も無く純真なルナール夫人は、姦通の罪に怯えながら、「奥様今夜二時にお部屋にまいります」というジュリアンの囁きに自室のドアを開けるわけです。

 ジュリアンは頭が良いものの、集団の中で空気が読めない、友人が作れないなど、発達障害気味の若者で、出自がら貴族に反発を抱きながら上昇志向が強い人物と言えます。

ルナール夫人
 ルナール夫人は、自身も富裕な貴族の娘で三人の息子の母親。娘時代は修道院で過ごした敬虔なクリスチャンで、世間の風に当たることなくルナール氏と結婚したため恋愛経験はありません。のルナール氏は町長で貴族。町長とはいえ王党派に属しているために掴んだ地位であり、金の計算は得意な俗物。その夫と比べ、ラテン語を操り美貌で20歳のジュリアンが現れ寄られたのですから、夫人はたちまち恋に堕ちます。
 有名な『恋愛論』を書いたスタンダールですから、この恋愛事件はなかなか面白い。ジュリアンは、貴族階級に対する反発から夫人を誘惑しますが、たちまちルナール夫人に溺れ、夫人は罪の意識怯えながら20歳の若者との恋に夢中になります。このふたりの揺れる心理の描写が面白いです。

 当然ルナール氏にバレぬはずはなく、ジュリアンに振られた小間使いエルザの仕掛けた匿名の手紙でバレます。コキュ(寝取られ夫)として世間の笑い者になるのもプライドが許せない、夫人を追い出してもいいが、夫人が受け継ぐはずの叔母の巨額の遺産も惜しい、とルナール氏は往左往。一方のルナール夫人は、匿名の手紙には匿名の手紙で対抗します。同じ便箋を使い活字を切り貼りし、文言を指定してジュリアンに手紙を作らせます。20歳の若者との恋に盲目となったか弱い女性ではありません。
 この事件で、ジュリアンはルナール家を出てパリで神学校に入ることになります。明日パリに立つ夜、ジュリアンは梯子を使ってルナール夫人の寝室に忍び込むという冒険に出ます。イヤダイヤだと言いながら夫人はジュリアンを受け入れるわけですが、この夜の夫人は、恋する女の強さを遺憾なく発揮します。ジュリアンが捕まることを恐れた夫人は、か弱い腕で梯子を運び出し隠します。空腹のジュリアンの元にポケットいっぱいにパンを詰めて運ぶ姿もいじらしい。この辺りの描写は、主人公ジュリアンもかたなしです。

 200年前の小説が今日これほどリアリティ持って読めるということは、人間は200前と少しも変わっていないということなのでしょう。次はパリ、物語は佳境に入ります。
続く

赤と黒(上) 、(下)  

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横山秀夫 ノースライト(2019新潮社) [日記(2019)]

ノースライト 「ノースライト」とは北からの光。普通、南からの採光を考えて家を建てますが、本書の主人公・建築家の青瀬は、「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と頼まれ「北向き」の住宅を設計します。住宅引き渡しの後連絡がないことに不審に思った青瀬は、軽井沢信濃追分に吉野を訪ね、吉野がこの家に一度も住むことなく一家が忽然と姿を消したことを知ります。殺人も誘拐も起きない横山秀夫のミステリー?です。

 青瀬の住みたい家は、南向きの家ではなく何故北向きの家だったのか?。北向きの住宅と彼の過去の繋がりが明かされます。青瀬の父親はダム建設に関わる職人、一家は建設現場から建設現場へ 、飯場から飯場へ、小・中学校の9年間に7回転校する生活を送ります。青瀬が住んだ飯場にはどれも北側に窓があり、そこから差し込む「ノースライト」に包まれて少年時代を過ごし、ノースライトの思い出が北向きの住宅へと繋がったことになります。もうひとつ青瀬のキャラクターを決定付けるのが、1980年代後半のバブル景気とその崩壊。 バブル崩壊によって高給と贅沢な生活は暗転、失職。気がつけばお決まりのバツイチ、今では13歳の娘と月に一度会うことが唯一の慰めとなったクタビレた中年。その青瀬は、「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と頼まれ、バブル期の鉄とガラスとコンクリートとは異なる北向きの木造住宅を建てることで、次第に自分を取り戻します。部屋の中央には、丸い「ちゃぶ台」が据えられ、北向きの窓から差し込む柔らかいノースライトに中で家族と過ごした幸せな幼少期の記憶が再現されます。家族を失った青瀬、何らかの理由で一家蒸発を余儀なくされた吉野、これは「家族」の物語です。

 吉野一家の蒸発にこだわり吉野を探し続ける青瀬の行動を軸に、信濃追分の住宅で発見された"ブルーノ・タウトの椅子"の謎、失職と離婚で挫折した青瀬を救った友人が挑む美術館建設のサブストーリが展開されます。ブルーノ・タウトは、ナチスの迫害から逃れて来日し、桂離宮などの再評価『日本美の再発見』で有名な建築家、工芸家です。そのタウトの意匠と思われる椅子が、何故一家が蒸発した住宅に残されていたのか?。美術館建設は、パリで死んだ女性画家の800点の遺作を展示する美術館建設のコンペに青瀬の建築事務所が挑む話です。

 上手いといえば上手い、手堅いといえば手堅い。飯場の「ノースライト」が信濃追分の家に発展し美術館に結実する、ベストセラー作家の手慣れた小説です。が、何処か物足りません。
 小説のテーマは「家族」と家族が暮らす「家」です。家を設計する建築家を主人公に、家族を失った建築家が家族を取り戻すためにノースライトの差し込む「家」を作ります、ここまでは納得。一家蒸発とブルーノ・タウトの椅子の謎は、読者を引っ張ってゆくミステリーの常套手法。ところが、吉野一家蒸発は実は「蒸発」ではなく、ブルーノ・タウトも、青瀬と吉野を繋ぐ小道具としては面白いですが(亡命者であり家族を喪失していいますが)テーマとの繋がりは希薄。美術館建設、これも独立した物語としては面白く、青瀬再生のプロットしては頷けますが、テーマとの関係は?。いずれも作者の作為が感じられます。ラストで、一家蒸発、ブルーノ・タウト、美術館建設、ジグソーパズルの3つピースがピタリと当て嵌り、カタルシスとなります。

 面白いのは、青瀬を支える岡嶋の一人息子が実子ではなく(妻の不倫の子)、「血の繋がりではなく、共に暮らした時間」だと告白するプロット(映画『万引き家族』と同じ)。家族が、共に過ごす時間の共有から成り立っているなら、その容器である「家」をテーマに選んだことは作家の慧眼と云えます。山田洋次が『東京物語』のリメイクを作るなど、家族の絆が再び必要とされる時代なのでしょう。それだけ個人が分断された時代だといえます。

 となんだかんだ言っても、426ページを一気に読んだのですから「面白かった!」ということになるのでしょう。

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映画 ロスト・ボディ (2012西) [日記(2019)]

ロスト・ボディ [DVD]  DVDのパッケージは扇情的ですが、「ロスト・ボディ」のボディは死体のこと。モルグ(死体安置所)から死体が消えるホラー・サスペンスです。消えたのは、心臓麻痺で死んだ製薬会社の女性オーナー・マイカ(ベレン・ルエダ)の死体。彼女は、夫で社長のアレックス(ウーゴ・シルバ)により心臓麻痺を装って毒殺されたのです。犯人が明かされていますから、謎解きは、誰が何のために死体を盗んだのかということになります。それともマイカは生き返ってモルグから立ち去ったのか?。

 事件を担当する警部ハイメ(ホセ・コロナド)は、アレックスが殺人の証拠を消すためにマイカの死体を盗み出したと考え、アレックスをモルグに呼び出し取り調べます。映画は、モルグでのハイメとアレックスが対決する現在と、アレックスとマイカの生活(過去)が交互に進行します。企業家で年上の妻に翻弄されるアレックスが女子学生(アウラ・ガリード)との恋にのめり込み、邪魔な妻を殺して遺産も頂こうという色と欲の絡んだ痴情殺人、というのが事件の真相。

 雨の夜のモルグでは奇怪な出来事が次々と起こります。窓辺にはアレックスが毒薬を仕込んだワイングラスが忽然と現れ、晩餐会の招待状が舞い込み、モルグのドアの暗証番号はアレックスと恋人の女学生が出会った日付。マイカは生き返ったのか?、はたまたマイカの幽霊の仕業か?。アレックスは、死んだマイカが復讐のため甦ったのだと恐怖に震えることになります。スペイン版『四谷怪談』か?。『ジェーンドゥの解剖』の"鈴の音"もそうですが、幽霊も甦った死体も登場せず、観客の想像力に恐怖を植え付ける手法はホラーの王道です。

 突っ込み所はイッパイあるものの、張り巡らした伏線を回収して、最後に意外な犯罪が暴かれるストーリーは秀逸です。ホラー、サスペンス、ミステリを一度に楽しめます。8時間後に心臓麻痺を起こし痕跡の残らない毒物、あるのなら欲しいです(笑。
 ネタバレ無しで映画の魅力を語るのは、なかなか難しい。一見の価値ありです。

監督:オリオル・パウロ
出演:ホセ・コロナド ウーゴ・シルバ ベレン・ルエダ

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HUAWEI P20 Lite カメラ機能編 [日記(2019)]

view画面.jpg 設定.jpg その他.jpg プロ.jpg
view画面     1)設定     2)その他      3)プロ
 評判のいいカメラです。多機能なので、備忘録として書いておきます。

設定
 ・カメラグリッド:「三分割法」の#の線が出ます、デジカメみたい
 ・オブジェクト トラッキング:動いている被写体を追跡するらしい、駄犬撮影用?
 ・ウルトラスナップショット:ロック画面で音量key2度押しで撮影できる、1秒ほどかかりますが
 ・音声シャッター:声でシャッターが切れる
その他(シーン撮影+機能)
 ・ライトペインティング:光の軌跡が撮影できるらしい。滝の水やテールライトなど
 ・コマ抜き:早送りのようなビデオ撮影ができる、面白動画としては受けそう
 ・スロー:音声もスローとなり結構楽しい
 @スロー、夜景、パノラマ、ARレンズ、HDR、アニメーション写真、ステッカー、文書、ナイスフード、などがあり、おいおい試してみます。
アパーチャ
 →1600万画素+200万画素のWレンズで、一眼のボケが出る。逆に言うと、接写したとき被写体より背景をフォーカスすることが防げるわけです。XoeriaZではこれで苦労しました。ソフト処理なので、時々アラが出ます。
プロ
 その他→プロで、マニュアル撮影ができ(水準器、測光、ISO、シャッタースピード、露出補正、マニュアル,AF切り替え、ホワイトバランス)、立派にデジカメです。プロ画面→設定→解像度でRAW保存もできます(使わないけど)。
 AF切り替えは、AF-S、AF-CとMFが選べます。AF-Sは 動きの無いものの撮影、AF-Cはシャッターボタンを押している間は(自動的に)ピントを合わせ続け、子供など動きの あるものの撮影の撮影。オブジェクト トラッキングと同じ?
連写
 写真モードでシャッターボタンを長押し続けると連写になり、ベストショットを選択可能。複数枚選択できないので、所謂”分解写真”の連写は出来ないようです。 複数選択も可能です。
連写.jpg Screenshot_20190825_211735_com.android.gallery3d.jpg
フォーカスとEV
 写真モードの画面で画面をタッチすると、”フォーカスマーク”と”太陽(EV)マーク”が現れます。どちらも移動可能で好きな被写体を選択できます。EVマークを暗い(又は明るい)被写体に移動させると(下画像の赤→)、露出補正ができます。これ、至って便利です。
Screenshot_20190804_104744_com.huawei.camera.jpg Screenshot_20190804_104738_com.huawei.camera.jpg
 露出ー                露出+
IMG_20190713_113632.jpg IMG_20190706_182655_BURST001_COVER.jpg
戸外はなんと言うこともありません    薄暗い室内
IMG_20190803_195731.jpg IMG_20190803_194249.jpg
 花火、それなりに写っています。夏祭りで買ったヘンなメガネがご愛嬌。
アパーチャ.jpg IMG_20190704_111531.jpg
 花にフォーカスしてますが輪郭が?   MFで接写ー>アリが写っている
 まぁ、これだけ撮れればお散歩カメラとしては十分で、けっこう遊べるスマホです。
買い替え編
保護フィルム&ストラップ編
SIMカット編
カメラ撮影編

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映画 燃えよ剣 (1966日) [日記(2019)]

あの頃映画 「燃えよ剣」 [DVD]
 司馬遼太郎原作の(東映ではなく)松竹時代劇です。個人的に、栗塚旭主演の1970年TV版に思い入れがあります。『燃えよ剣』は、1965年のTV番組『新選組血風録』→1966年劇場版『燃えよ剣』→1970年TV番組『燃えよ剣』という流れのようで、『血風録』で土方歳三=栗塚旭が当たって劇場版が作られ、TV版『燃えよ剣』となったようです。
 ストーリーは、司馬遼太郎の原作を下敷きに、土方歳三(栗塚旭)の武州多摩時代の恋人佐絵(小林哲子)と、江戸試衛館時代のライバル七里研之助(平内田良)を狂言回しにした独自のものです。
 清河八郎の呼びかけに応じ、近藤勇(和崎俊哉)等試衛館の面々が京都に上り、清川と袂を分かった近藤が芹沢鴨(戸上城太郎)とともに新選組を立ち上げ、芹沢を粛清して京都守護職預かり新選組を築くあたりは史実で通り。佐絵が九條家(勤王)に奉公に上がり、七里研之助が攘夷志士として京都にいるのも、原作通り。この辺りは、新選組ファンにはお馴染みです。

 違ってくるのは、池田屋事件。古高俊太郎が捕まり、土方の拷問で「祇園祭の前夜、御所に放火し孝明天皇を長州へ連れ去る」という計画が明らかになり、長州浪士が集まる日時と場所池田屋を自白します。映画でこの自白をしたのは、七里研之助の陰謀によって新選組に捕まった佐絵!。近藤は池田屋に、土方は丹寅(四国屋)に向かうわけですが、丹寅で土方を待っていたのは七里研之助。近藤が池田屋に向かったこと知った七里は長州浪士救援のために、土方は近藤応援のために池田屋に向かいます。つまり、何がなんでも池田屋で土方vs.七里を対決をさせたかったわけです。土方は、近藤の討ち入りに花を持たせるため池田屋の玄関に陣取り会津・桑名藩兵の侵入を防いだというのが史実のようです。

 司馬遼太郎の原作は箱館戦争まで続きますが、映画の方は新選組の絶頂期「池田屋事件」まで。佐絵は池田屋事件を自白したために自害。恋人を死に追いやってでも剣に生きる...という土方歳三の決意で幕。脚色し過ぎですが、恋あり剣戟ありで新選組ファンとしては大満足。音楽が渡辺岳、ナレーターは芥川隆行と当時の定番で、時代の雰囲気も決まっています。
燃えよ剣.jpg 燃えよ剣2.jpg
監督:市村泰一
脚本:加藤泰、森崎東
出演:栗塚旭 和崎俊哉 小林哲子 平内田良

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山際淳司 みんな山が大好きだった(1995 中公文庫) [日記(2019)]

みんな山が大好きだった  1983年刊の『山男たちの死に方:雪煙の彼方に何があるか:遭難ドキュメント』の改題、再版。
 加藤保男(1982エベレストで遭難死)、森田勝(1980ヨーロッパ・アルプスで転落死)、長谷川恒男(1991カラコルムで遭難死)、ヘルマン・ブール(1957チョゴリザで遭難死)等の登山家の生き様、死に様を描いたノンフィクションです。英国の登山家ジョージ・マロリーの、何故山に登るのかと問われ「そこに山があるからだ」と答えた逸話は有名です。本書は、山で死んだ登山家ひとりひとりの「何故山に登るのか」の答えを探すノンフィクションです。

 登山というスポーツの面白いところは、(本書が書かれた1980年代は)ほぼ「プロ」が成立しないことです。プロ野球選手、プロゴルファーは存在しましたが、エベレスト登山などには短期的にスポンサーが付いても、プロ登山家はいません。言い換えれば登山家は全員がアマチュア。金銭的見返り無しに、サラリーマンや学生の傍ら、場合によっては死と隣り合わせた登山に出かけるわけです。何が彼らを山に駆り立てるのか?。

 山際淳司には『スローカーブを、もう一球』というスポーツを題材にしたノンフィクションの名著があります。本書に、変速フォームから繰り出す山なりのスローカーブが甲子園を沸かせ、日本シリーズで江夏が投げた21球などの「ドラマ」はありません。山で死んだ登山家の「何故山に登るのか?」の答えが語られるだけです。曰く、冒険心、闘争心、日常(倦怠)からの脱出、命を賭けた遊び、ロマン、ダンディズム、と著者はいろいろ想像しますが、答えは、(そうは書いていませんが)心にポッカリ空いた穴?。彼らはその穴を埋めるように黙々と山に向かいます。穴の大きさ深さが、例えば単独行、冬季登山、8000m級の山での無酸素登山と、より困難な登山へと向かわせるのかも知れません。答えは登山家それぞれの「人生」と背中合わせであるぶん、それは深淵の底です。
 死者は語りませんから、彼らの著書、日記、何より行動を手がかりに、筆者が語ることになります。それは、山際淳司が何故ノンフィクションを、小説を書くのか?という答えの相似形でもあるような気がします。スローカーブを、もう一球』のドラマを期待したのですが、期待はずれ。

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コニー・ウィリス 航路(2003ソニー・マガジンズ) [日記(2019)]

航路(上) (ハヤカワ文庫SF) 航路(下) (ハヤカワ文庫SF)  臨死体験(NDE Near Death Experience)の謎を追う物語です。臨死体験(以下NDE)は、死に際に身体から意識だけが抜け出す体外離脱、トンネルを抜け光溢れる世界に至り、人生が走馬灯のように甦り、 亡くなった血縁者や天使と出会い、地上に帰るよう言われ蘇生するというお決まりの体験です。
 このNDEを、あの世の存在、魂の不滅などの証拠と考えるか、脳に現れる生理的な現象に過ぎないと考えるという二つの見方があります。NDEは心肺停止から蘇った人の体験であり、死んだ人がNDEを体験したのかどうかは不明。死の臨む全ての人間に起こる現象なのか、一部の人にのみ起こる現象なのか、真実は謎。

 『航路』では、来世の存在を主張するマンドレイクとNDEは側頭葉刺激と考える医師のリチャードがその二派の代表です。マンドレイクは誘導尋問によって来世存在の証言を引き出し、自説に合うNDE事例を集めベストセラーをものにし、リチャードは、臨死体験は側頭葉刺激によるサバイバル・メカニズムではないかと考え、薬物を使って被験者をNDEに導き側頭葉を刺激し脳をスキャンしてその謎に迫ろうとします。
 認知心理学者ジョアンナは、NDEには心肺停止の人間を蘇生させるカギがあると考えリチャードの実験に加わります。
 リチャードの被験者が足りなくなり、ジョアンナは自ら被験者となってNDEを体験します。このあたりから物語が動き出し、面白くなります。ジョアンナは、疑似NDEの実験で暗い通路通って光にあふれる世界に出ます。何とそこは天国ならぬ、1912年4月15日にニューヨークに向かうタイタニック号!。これ"タイム・トンネル"?。タイタニックの遭難では乗員乗客1500人が死んでいますから、タイタニックはまさに死を運ぶ船、NDEの舞台としては最適。ところが、病院で死亡した人物と存命の認知症を患った高校時代の英語教師とタイタニックで出会ったことで、様子が違ってきます。ジョアンナの乗るタイタニックと歴史上のタイタニックは細部において違いがあり、"タイタニック"は、ジョアンナが英語教師の授業で刷り込まれた記憶から構築された死と再生のメタファー(イメージ)だったことが明らかになります。何故タイタニックなのか?、ジョアンナにとって、数多くの生と死のドラマが生まれた20世紀最大の海難事故がNDEの舞台に相応しかったのでしょう。

 NDEとタイタニックの謎に挑むジョアンナは、病院のER(救急救命室)でドラッグで錯乱した少年によって刺殺されます。第三部を残してヒロインが姿を消す!、ジョアンナは蘇生するのか?。ジョアンナはNDEの謎を解き、その答えをリチャードに伝えようとして事切れます。第三部は、このNDEの答えを求めてリチャードが奮闘するミステリーとなります。読者は第二部でこの答えが明かされています。答えはダイタニックの発した救難信号SOS ・・・ ーーー ・・・。
 死にゆく脳が、前頭皮質に向かって、扁桃体に向かって、海馬に向かって、だれかが救助に来てくれること願ってSOSを発信し、その救難信号は、死に臨んだ人間に、体外離脱、トンネルを抜け光溢れる世界、亡くなった血縁者や天使との出会いといったイメージ(夢)を引き起こすわけです。ジョアンナはこのSOSによってタイタニックの夢を見、災害マニアの重い心臓病を抱えた少女はサーカスで起こった火災事故の夢を見る、これがNDEの正体だったわけです
 上巻419ページ、下巻431ページの長編ですが、一気に読んでしまいます。夏の夜の怪談より面白いです。

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映画 アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場(2015英) [日記(2019)]

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場 スペシャル・プライス [DVD]  無人機(ドローン)による遠隔操作爆撃が戦争に登場するのはイラク戦争(2003)あたりからです。このゲームさながらの戦争に世界は驚いたはずです。ドローン戦争では、攻撃する側は 安全地帯に身を 置き、ほとんどゲーム感覚で戦うわけですが、敵の兵士は戦場で実際に殺されます。ドローン による戦争は、攻撃する側にとっては「世界一安全な戦場」というわけです。
 この"ヴァーチャル"な戦場にひとりの少女が"リアル"な肉体をもって現れたたらどうなるのか、というのが『アイ・イン・ザ・スカイ』のテーマです。
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 英軍の大佐(ヘレン・ミレン)は、衛星を使ってケニア・ナイロビの民家に潜むテロリストを監視しています。英国の参謀本部では、衛星による隠れ家の俯瞰と、現地のエージェントが操縦する昆虫のドローンを使ってった室内が映し出だされます。現代の科学は、敵を丸裸にしてしまいます。それにしても、昆虫のドローンって実在するんですかねぇ。一方で、フラフープで遊び、道端で母親の作ったパンを売る可愛いケニアの少女のカットが挟まれます。

 テロリストが爆弾を仕込んだベストを着込み、自爆テロを敢行する気配を察した大佐は、彼らの隠れ家を爆破する決断を下します。指揮を取るのは英国軍、ドローンのコントロールはネバダ州の米軍基地、英軍参謀本部とケニア軍が加わる国際プロジェクト。
 テロリスト殺害のためにドローンMQ-9が隠れ家に向かいます。その時、少女は隠れ家の側でパンを売リ始めます。ミサイルを打ち込めば少女は巻き添えになって死亡、テロリストを殺さなければ自爆テロによって多くの市民(80人と想定)が犠牲になります。英軍の大佐と参謀本部は、80人の命とひとりの少女の命を天秤にかけゴーサインを出します。
 少女の命は風前の灯火。トリガーを握るネバダ州の米軍基地の中尉がこのゴーサインを拒否します。いたいけない少女を犠牲にするに忍びなかったわけです。英国外相、米国国務長官まで登場して、果たして少女の運命や如何に、というサスペンスです。

 ケニヤの可愛い少女の前で、ヘ レン・ミレン、アラン・リックマン、イアン・グレンなどベテラン俳優も霞んでしまいます、この映画の主演は少女ですね。地味ですが 、想像力とは何かを問う映画で、面白いです。

監督:ギャヴィン・フッド
出演:ヘ レン・ミレン アーロン・ポール アラン・リックマン イアン・グレン

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