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スタンダール 赤と黒(下) マチルド① 2007光文新訳古典文庫 [日記(2019)]

赤と黒(下) (光文社古典新訳文庫)
 続きです。ジュリアンは、夫人との不倫騒動でルナール家を追い出され、舞台はパリのラ・モール侯爵邸に移ります。

マチルド
 ルナール夫人に続いてジュリアンの前に現れるのが、ラ・モール侯爵の娘マチルド。マチルド・マルグリットは、200年前、政治事件で死刑となった愛人(ラ・モール家の祖先)の生首を執行人から取り戻した王妃マルグリットの名を受け継ぐ、誇り高い女性。この生首のエピソードは、マチルドという女性の(物語上の)位置づけとともに後の展開と関わってきます。スタンダールは、優しさに満ちた30歳のルナール夫人とは正反対の、勝ち気で才気活発な19歳の美女を登場させます。

 ラ・モール侯爵邸のサロンには若い貴族が集い、誰もが美しいマチルドを狙うわけです。ところがマチルドの眼には、この流行りの服をまとった貴族のお坊っちゃん達は退屈な俗物としか映らず、ラ・モール家の召使いに過ぎないジュリアンに如何にも気があるかのような素振りで近づきます。ジュリアンの何が彼女を惹きつけたのか。美貌と知性、気の利いた会話など貴族のお坊っちゃんに無いものを持っていますが、マチルドにとって重要だったのは、ジュリアンが平民出身の召使いだったことです。マチルドは、貴族の若者とのありふれた恋ではなく、常識を覆す情熱的な恋を夢見ていたことなります。

〈とにかく彼女はきれいだ!〉ジュリアンは虎のような目つきで考えつづけた。〈あの娘をものにして、それから出ていくことにしよう!〉

 貴族の令嬢という獲物が向こうから飛び込んで来た!、だから「虎」です。ルナール夫人を誘惑したモチベーションと似たようなもの。ジュリアンにとっては、支配階級の女性ということが重要なポイント。マチルドの兄よってジュリアンはこうも評されます、

あの青年には注意したほうがいい、エネルギーあふれる男だ。また革命が起こったら、あいつはぼくらをみんな、ギロチン送りにするだろう。

王政復古当時、貴族階級はエネルギーを失っていたわけです。

 「虎」になったものの、ジュリアンはマチルドの本心が分からず、悶々とします。これは罠ではないか悪質なイタズラではないかと疑心暗鬼。平民、使用人の身分から来る僻みです。マチルドはマチルドでジュリアンの気持を推し量りかね、これも悶々。ジュリアンがラ・モール侯爵の領地を見回る長期出張前日、焦ったマチルドは、

今晩お手紙を差し上げますわ。

 身分制度のやかましいこの時代、貴族の娘が平民のしかも使用人の男に手紙を書くなどもっての外。おまけに手紙は恋の告白!。ジュリアンは、マチルド心を射止めたことより、彼女を取り巻く貴族たちに勝ったことに喜びを見出し、

(平民の)ぼくが、せっかくお楽しみが舞いこんだのに拒むことがあるか!凡々たる人生の焼けつく砂漠を、苦労して横断する身としては、渇きをいやしてくれる清冽な泉に出会ったようなものだ! ぼくだって、それほどばかじゃない。人生というエゴイズムの砂漠では、だれだって自分が大事なんだ。

ああいう言葉も、悪気のない策略かもしれん。・・・
甘い言葉を信用するわけにはいかない、
憧れのあの人が少しは愛のしるしを示し、
言葉の真実を保証してくれるものでない限りは
      モリエールの戯曲『タルチェフ』第4幕第5場
これから始まる戦いでは、家柄に対する誇りが、小高い丘のように立ちふさがって、彼女とぼくのあいだの戦略上の要地となるだろう。

戦いに例えるあたりはナポレオン信奉者のジュリアンらしいです。ジュリアンはマチルドを諌め、行きもしない長期出張する旨の手紙を書き、これにマチルドが反応します。

深夜一時の鐘が鳴ったら・・・井戸のそばに、庭師の大梯子がありますから・・・私の窓に立てかけて、上がってきてください。

 ジュリアンはルナール夫人を誘惑し梯子使っての部屋に忍び込みました。マチルドとの恋はこの裏返し。マチルドが ジュリアンを誘惑し、梯子で忍び込めと誘うわけですから、ふたつの恋は真逆。ジュリアンは未だ罠の疑惑を捨てきれず、ポケットに拳銃を忍ばせて忍び込みます、<まるで決闘に出かけるようだな>
 ジュリアンを部屋に招き入れても、マチルドの心境は複雑。ジュリアンの「せっかくのお楽しみ」を嗅ぎつけ、誇り高いマチルドは、彼を「主人」とすることに抵抗をおぼえます。とても「ロメオとジュリエット」とはいきません。で、ふたりの恋愛は行きつ戻りつ。

 マチルドは彼の話を聞きながら、その勝ち誇ったような調子に気分を害した。<いまではこの人が私の主人なのだわ!>と彼女は思った。早くも後悔に苛まれていた。とんでもない気違い沙汰ををしでかしたものだと、彼女の理性はふるえあがった。

 でマチルドは絶交を宣言します。絶交だと言われてジュリアンは彼女を愛し始めます。この辺りの機微は、生涯独身を通し幾多の愛人を作って『恋愛論』を書いたスタンダールですから、手慣れたものです。
 ふたりはラ・モール邸の図書館で再会します、

それではもう、ぼくを愛していないのですね?
だれでもいい、という気持ちになってつい身をゆだねてしまったことが、我慢ならないのです。
だれでもいいだって!(これは強がり)

ジュリアンは壁に掛かった古い剣をとります。

<私、ひょっとして、愛人に殺されるところだったんだわ!>と彼女は思った。そう思うと、シャルル九世やアンリ三世の素晴らしい世紀に運ばれるような心地がした。

 処刑された愛人の生首にキスした王妃マルグリットの名を受け継ぐマチルドですから、16世紀、宗教戦争のフランス血なまぐさい英雄たちの時代に憧れていたのです。


 赤と黒(上) 、(下)  

タグ:読書
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