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映画 レッド・リーコン 1942 ナチス侵攻阻止作戦 (2015露) [日記(2019)]

レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦 [DVD]  amazonのPrimVideoで観たロシア映画、邦題通り「大祖国戦争」でナチスと戦うソ連軍の話です。
 ヴァスコフ曹長が率いる高射砲2門の小さい兵営の話です。敵も現れないので、兵士は村の娘と懇ろになり酒を飲んで喧嘩ばかり。業を煮やしたヴァスコフは、酒を飲まない兵士を送れと司令部に要求し、やってきたのは何と女性兵士の一団。女性兵士といえどソ連の兵士は勇敢。ドイツの爆撃機が飛来するや、高射砲で撃ち落とします。指揮を取るのがオシャニーナ伍長。

 前半、女性兵士たちの来歴が語られます。リザヴェータ・ブルチキナは富農(クラーク)の娘で、ロシア革命で一家はシベリアに追放され軍に投じます。オシャニーナの夫はドイツ軍の侵攻で夫は戦死、1歳半の息子を母親に預け赤軍伍長となります。コメルコワは将軍の娘で、既婚者の中佐と道ならぬ恋の末兵士となり、ジェーニャは家族をナチスに虐殺され、ユダヤ人のグルヴィイッチは一家は強制収容所に送られ恋人を「大祖国戦争」で失い、チェトヴェルタクは孤児。いずれも歴史に翻弄された女性たちが兵士となって祖国のために戦うという設定。女性が社会進出する共産国ならではの戦争ものです。
 彼女たちを率いるヴァスコフは職業軍人。看護師と結婚し息子を得ますが、負傷し病院に入っている間に妻は駆け落ちして離婚、母親に預けた一人息子は病で亡くなるという過去を抱えています。

 オシャニーナが森で2人のドイツ軍斥候を発見し、後方撹乱を目的とするゲリラと考えたヴァスコフは、彼女たち5人を率いてドイツ兵を追います。『レッド・リーコン』は、曹長に率いられた女性兵士たちの物語です。
 ドイツ兵は2人ではなく機関銃で武装した16人。16人にヴァスコフに率いられた5人の女性兵士が戦いを挑みます。人数と武器で劣勢のヴァスコフ隊は、ドイツ兵を倒し機関銃を奪って戦います。武器不足ため弾だけ渡され、死んだ味方の兵士の銃で戦う『スターリングラード』を思い起こします。女性兵士はけなげに戦いますが、ひとりまたひとりと倒され、彼女達の死に、前半で描かれた過去がダブり戦争の悲劇を盛り上げます。死者1500万人ともいわれる独ソ戦のほんの小さな戦いですが、どの戦場でも兵士ひとりひとりが背負ったものの重さは変わらない。戦争映画の佳作、おすすめです。
The Dawns Here Are Quiet(1972)』のリメイクだそうです。

監督:レナト・ダヴレトヤロフ
出演: ピョートル・フョードロフ, アナスタシア・ミクルチナ

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申維翰と元駐日韓国大使 [日記(2019)]

 韓国を代表する知日派(らしい)の申珏秀(シンガクス)・元駐日韓国大使のインタビュー「こじれた日韓 韓国の論理」元駐日韓国大使が語る(8/28毎日)」という記事です。趣旨は、

「慰安婦合意」に関する解釈の違い、元徴用工への損害賠償の支払いを日本企業に命じた昨年10月末の韓国大法院判決に対する両国の反応は、両国の認識の違いを端的に表すものだ。

とした上で、

関係悪化の原因として、韓国と日本の間で「法と正義」の観念が違うことが挙げられる。日本は法に対してはまずは守るべきだという認識が強いのに対して、韓国では正義に反する法は守っていなくてもいいという考え方があり、そこにカルチャーギャップがある。(見出しは「『法の日本」』と『正義の韓国』」)

と分析し、

日韓関係をこれ以上悪化させないためにも、両国は現在の懸案を「凍結」させることが必要だ。日本側は韓国を輸出手続きで優遇する「ホワイト国」から外さないことが求められる(取材時点では韓国はホワイト国)。
 一方、韓国側は、徴用工判決で差し押さえた韓国国内の日本企業の資産を現金化する手続きの進行を止めるべきだ。

と結論づけます。「正義」という概念は、時代と民族によって異なり、正義が成文化されたものが法ですから、法は正義の従属物に過ぎませんが、「韓国では正義に反する法は守っていなくてもいいという考え方」があるとは恐れ入ります。韓国は法治国家ではないと言っていることになります。法が正義に合わないのであれば、民意によって選ばれた立法府が法を変えることが民主主義の基本です。このインタビューは毎日新聞の要請によって行われたと思いますが、元駐日韓国大使は、現在の「半日」という正義の前では本音を言えなかったわけです。「正義」に抵触しないよう「カルチャーギャップ」と表現し、ホワイト国外しと日本企業の資産の現金化に反対し、日本企業と請求権資金で成立した韓国企業と韓国政府で徴用工支援基金を作ること(韓国政府の主張)を提案します。ラストで、慰安婦財団の解散を踏まえ、そうは言っても上手く行かないだろうと嘆息が見え隠れします。法律の上に「国民情緒法」が乗っているわけです。

 『海游録』の著者、朝鮮通信使・申維翰と彼らを受け入れた雨森芳洲の関係(司馬遼太郎 壱岐・対馬の道)を思い出しました。『海游録』にはふたりの友情が記されているとしたうえで、要所要所では、抽象的ながら、雨森が悪党でもあるかのように書いている、と司馬遼太郎は書きます。これは、

申維翰は保身のためにこのように書いたとも考えられる。倭奴(ウェノム、日本人の蔑称)の一小吏と仲良くしたという印象を読み手に与えないように、ことさらに『海游録』の末尾に、それまでの雨森の印象を、墨で消すようにして、このように唐突に評したのではないか。後で政敵から攻撃されるかもしれない理由と危惧をこんなかたちで消しておいたかと思われる。

というのが司馬遼さんの理解で

朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい。そのことがすでに十八世紀初頭から存在していたのである。

と嘆息しています。元駐日韓国大使・申珏秀氏のこれが精一杯の友情の表現だったのでしょう。

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