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木内 昇 地虫鳴く 新選組 裏表録(2010集英社) [日記(2019)]

新選組裏表録 地虫鳴く (集英社文庫)
新選組 幕末の青嵐』の視点を変えた続編に当たります。
 「新選組」は、池田屋事件(1864)の前と後で大きく変わります。長州の京都焼き討ちを未然に阻止した功によって、幕府、会津藩から感状と200両の報奨金を得、隊士を拡充して屯所を西本願寺に移し、名実とも京都の治安を握ります。新選組内部では、近藤の独断専行と人斬り集団化に異を唱える永倉、斉藤、原田など試衛館以来の古参隊員よる造反(非行五箇条を会津藩に提出)、伊東甲子太郎の入隊、翌年には山南敬助の切腹などがあり、組織拡大に伴う求心力低下に見舞われます。
 『地虫鳴く』は、この後期新選組を背景に土方vs.伊東の権力闘争が描かれます。新選組創設から池田屋事件に至る経緯は勃興期、成熟期は書き尽くされた感があります。池田屋事件以降は、新選組の分裂、伊東甲子太郎暗殺、鳥羽伏見の戦いに至る崩壊期みあたります。この崩壊期を、御陵衛士を創り組織を割った新選組参謀・伊東甲子太郎、副長助勤で会津まで転戦する尾形俊太郎、天性の諜者の監察・山崎丞、御陵衛士に入り墨染で近藤を射撃する阿部十郎、伊東派の重鎮篠原泰之進など脇役の眼から描きます。『地虫鳴く』の「地虫」とは土中に住む昆虫の幼虫のことで、「秋の夜、土中、何とも知れぬ虫が鳴いている」(広辞苑)という秋の季語だそうです。新選組の無名隊士(でもないですが)を地虫に例えたものです。よって『新選組・裏表録』です。

 伊東甲子太郎は、水戸学を学び勤王思想の洗礼を受けていますから、尊王攘夷で公武合体論の新選組とは路線が異なります。後ろ楯の無い伊東は、新選組を乗っ取って勤王に切り替え世に出ようとします。思想好きの近藤ひとりなら可能だったはずですが、主義思想などどうでよく、新選組=近藤を世に出すことだけを考える土方に阻まれます。新選組乗っ取りが無理だと考えた伊東は、孝明天皇の崩御を利用し、孝明天皇の陵墓を護る「御陵衛士」という組織を幕府に認めさせ、この組織を背景に薩長と結んで勤王運動を展開します。
 この新選組分裂を、尾形俊太郎山崎烝、篠原泰之進、阿部十郎等に語らせます。

 山崎烝の書きっぷりは面白いです。司馬遼太郎の小説などでは、山崎は古高俊太郎の存在を嗅ぎつけて池田屋事件の端緒を作り、事件当日は薬屋に変装して潜入し、志士達の刀を始末したということになっています。
 第二次幕長戦争の諜報から山崎が帰り、近藤、土方、尾形の三人は山崎の報告を聞きます。近藤は、

「俺はこの新選組を残さねばならねぇんだ。ここには百人を超える隊士がいる。そいつらを確実に生きさせる方策を知りてぇんだ」
山崎はペロッと人差し指を舐め、それで眉間を圧した。思案の仕草らしい。
「まぁ、そうですな。一番確実なのは薩長につくこですわ」

近藤は烈火の如く怒ります。

「これからの世はな、体面保とうとしたら勝てまへんて。義侠心も不要です。筋を通すのもあきまへん・・・そやからまあ、今までと同じようにやったらええんちゃいますか
せやし、利を見て動くなぞ、そないな器用なこと、ここにおる人たちにはでけへんでしょう。万全を尽くしたらあとは勝ち負け考えず、どーんと己のやり方を貫くゆうのもええもんでっせ」

 不逞浪士として勤王の志士を斬ってきた新選組が、薩長と手を結べる筈はありません。この不可能を可能にしてみせたのが伊東です。伊東は暗殺されて結果的に野望は潰えますが、生き残っていれば新政府でそれなりの位置を占めたでしょう(大正7年に従五位贈位)。新選組が「薩長につく」という奇策は、動乱期ならではのことです。
 伊東は、御陵衛士を薩長の動向を探るための新選組の別働諜報組織と偽り、土方は伊東の裏切りを承知のうえで脱退を認め、薩長情報を得るため斎藤一をスパイとして潜り込ませます。斉藤から御陵衛士の近藤暗殺計画がもたらされ、気勢を先して土方は伊東を暗殺します。のこの辺りは、池田屋事件に匹敵する、諜報という意味では池田屋以上の「新選組」の見せ場でしょう。

 近藤も伊東も町道場の道場主で、西郷、大久保、木戸等が藩という後ろ盾の元で活動したのに比べ、二人には何の後ろ楯もありません。近藤は浪士隊に参加し、芹沢鴨を粛清してこれを乗っ取り、新選組をバックに今日の地位を築き上げます。伊東は、新選組に入隊し、新選組を乗っ取って勤王の志を遂げようとして失敗し、御陵衛士を組織してこれを後ろ盾に世に出ようと図ります。身分制度が崩れ、農民や浪人が武士となって打って出るには、当時の流行思想、尊皇攘夷、勤王の組織を作り、その組織を幕府なり雄藩に認めてもらうしか方法が無かったわけです。篠原が中岡慎太郎と出会う場面で、篠原は第三の道があったことを知ります、

都落ちした五卿を守りながら、京と筑前を行き来し、また薩摩の西郷や長州の桂と談じ、二藩を結びつけた。徒党を組まずにほとんど個人で、それをしたのである。・・・
陸援隊は、土佐藩からの許しを得て結成したものだという。思うところに従ってなんの後ろ楯もなく、誰に従うわけでもなく、ひとりで奔走し続け、その実績を持って脱藩の咎まで鮮やかに払拭した。藩主に頼りとされ、一軍を率いるまでになった。ひとりで立つというのはきっと、こういうことだ。

 伊東への違和感が中岡に会うことで明確に自覚されたことになります。

 伊東は新選組によって油小路で暗殺され御陵衛士は潰れ、新選組は鳥羽伏見の戦いで破れ崩壊の道を辿ります。作者は、伊東甲子太郎という視点を導入することで、新しい新選組の物語を作ったことになります。

タグ:読書
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