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木内 昇 漂砂のうたう(2010集英社) [日記(2019)]

漂砂のうたう (集英社文庫)  第144回直木賞受賞作です。御一新から九年、新政府は地租改正、徴兵令などで近代国家の衣を纏おうとしますが、東京市民は未だ江戸時代を生きている頃の物語です。根津の遊郭・美仙楼を舞台に、立番(客引き)の定九郎を主人公に「廓」に生きる人々が描かれます。
 定九郎は上野の墓地で三味線の音を耳にします。音に近づくと、首から上の無い男が

ねェお願いだよォ。こん中のどこかにアタシの首ィ埋まってるはずなんだ。戦で吹っ飛ばされちまった首がさあ。どうか、一緒に、探しておくれよォ

 腰の抜けた定九郎に、カランコロン カランコロン と駒下駄の音が近づき、嫌だようォ、お兄さん。ちょいと起きてくださいくださいよォ。アタシですよ。ポン太ですよ。上野の山に近い根津ですから、「彰義隊」の亡霊が出ても不思議ではありません。

ほんの十年前まではさ、怪しいものを見るとね、おお怖い、なんだありゃ幽霊じゃないか、それとも狐かえ、天狗かえなんてことをォ言ったもんですよ。ところが昨今じゃ、ちょいと変なものを見たって言やァ・・・あァそいつは神経だ・・・幽霊なんざ、はなからこの世にいねえェんだから、おまえの頭がいかれっちまてるんだよ、ってさァ。

 近代化は人の心から幽霊を奪ったことになります。ポン太を見て腰を抜かした定九郎は、近代化とは無縁の人間ということになります。
 定九郎の情人、常磐津の師匠が川を流れるウサギの話を定九郎にします。明治六年に新政府は太陽暦を公布し、太陰暦が廃止されたため、月の兎を哀れんだ人々の間に兎を飼うことが流行ったそうです。兎一羽が百円二百円に高騰し、政府は兎一羽に1円の税金をかけたため兎は川に流されたというオチ。

これからはね 、古いもんにしがみついている奴は、切って捨てられるんだって

 新政府は明治6年に「内務省」をつくり国内の安寧と人民の保護を謳いますが、定九郎は、

誰も保護できず、自由も民に訪れはしない。米価はやみくもに上がり、農民たちが一揆を起こし、士族は職と家禄と矜持を奪われ暴動に走り(不平士族の乱)、貧民は貧民のままだ。

 身分制度は廃され、職業選択の自由が保証され、明治5年には芸娼妓解放令まで出ますが、厳然と遊郭は存在し、元御家人の次男で没落氏族の定九郎は郭の立番で遊客に声をかけます。定九郎には、「あやかし」を信じ、新時代の落ちこぼれという「江戸」のキャラクターが与えられ、『漂砂のうたう』が始まります。

 定九郎を中心に、三遊亭圓朝の弟子で前座の噺家・ポン太、妓夫・龍造、廓の下働きの嘉吉、賭場の管理人・山公、遊郭・美仙楼のお職・小野菊など多彩な人物が登場します。龍造は、ひと目で遊客の素性を見抜き、値踏みして相応しい相方まで見繕う立番。嘉吉は、『学問のすゝめ』を読んで廓からの脱出を夢見、長州人の山公は西南戦争の勃発を聞くや鹿児島を目指します。小野菊は、大身の商人の身請け話を断り、遊女の誇りを賭けて「花魁道中」を企てます。

 「あやあかし」が消え「自由と平等」が空回りする時代を背景に、彼等「漂砂」が「うたう」わけです。ハイライトは、小野菊の「花魁道中」。ポン太が筋書きを書き、定九郎が仕掛け、三遊亭圓朝の怪談『鏡ヶ池操松影』の「あやかし」に乗って小野菊は「自由」へ跳躍します。

 「漂砂」とは何か?。ポン太の解説によると

どんなにシンとしたとこでもね、動いているものは必ずあるんですよ。海だの川だのでもさ、水底に積もっている砂粒は一時たりとも休まないの・・・何万粒って砂がねェ・・・静かに静かーに動いていっているんだねェ・・・そうやって海岸や河岸を削っていくんだねェ。水面はさ、いっつもきれいだけどなんにも残さず移り変わっちまうでしょう。でも水底で砂粒はねェ、しっかり跡を刻んでるんだねェ。

 物語に登場する定九郎やポン太たちを指していることになります。そんなちっぽけな砂粒が川の流れを変え、砂州をつくるわけです。遊郭、圓朝の怪談噺など江戸情緒を背景に、明治維新に生きる東京庶民の姿が描かれます。

タグ:読書
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