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高橋和巳 散花 (全集 第三巻 1977河出書房新社) [日記(2019)]

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 全集第三巻は7編の短編と脚本、ラジオドラマ各1編を集めたものです。そこから「散花」(初出「文芸」昭和38年8月号)。
 「散花」は、敗戦が風化しつつある1963年、元特攻隊員と彼等を戦場に送り込んだ元右翼(国家主義者)の老人が対決します。作者は、この元特攻隊員にこう語らせます、

なぜ天皇の詔勅ひとつで、全戦闘員が一斉に闘いを停止したのか・・・なぜ最後まで抵抗しないのか?・・・いままでの犠牲はすべて無意味だったというつもりかあの時に、おれたちが一斉に嫌だと叫んでおれば、天皇の権威はたちまち崩壊していたはずだった。・・・三日間でもいい、抵抗をつづけ、戦争をはじめた勢力とは別の組織が、戦争の責任をとり戦後処理を担当すべきだったのだ。

 敗戦の年14歳の少年であった作者の偽らざる思いでしょう。同年の小松左京は、終戦の詔勅にNonを唱えクーデターを起こす15歳の少年にこの思いを託し、あり得たかも知れない「もう一つの歴史」を『地には平和を』で描きます。悠久の大義と聖戦を信じた少年の蹉跌が、如何ほどのものであったのか…。

 電力会社の社員・大家は、本州と四国の間に高圧線を張り巡らすため瀬戸内海の小島を訪れ、たったひとりの住人・中津清人と出会います。大家は用地買収と補償のため中津を島から立ち退かせるため、中津の過去を調べます。中津は、『散花』という著作を持つ元国家社会主義者であり、敗戦後、社会との一切の関係を絶ち小島に隠棲したことが明らかになります。大家が「あなたを社会に呼び戻しにきた」と切り出したことで、中津は自分の思想に共鳴する人物が現れたと考え自らを語りだします。

米騒動や農民一揆が頻発し、兵士の父母兄弟が飢えるのをみて、私は日本の国体の変革を考えた。・・・マルクスの著作も読んでみた。日本のプロレタリアートにはまだ力はなかった。真に組織されているのは、軍隊と官僚だけだった。わたしはその軍隊に期待をかけた。いかなる変革も正規軍の援助なしにはなしえないからだ。

 国内の疲弊解消をファシズム求めた中津の論理は、プロレタリアートが冨者の特権を奪還する権利は、国際関係に適用可能である。ファシズムは、近代化に立ち遅れ抑圧される資本主義国は、先進資本主義国の圧迫をはね返すために取らざるを得ない体制であり、国内体制を全体化し、その尖兵である軍隊を背景に、植民地の分割に介入し、再分割のを要求するのも、ひとつの権利である、と。
 一方の大家は、学徒志願兵として潜水艇「回天」の特攻隊員として敗戦を迎えた元海軍少尉。大家は、ひとつの民族が興亡の際に立っている時、その民族の明日のために個人の命を生贄にせよ、という論理で己を納得させ志願兵となって「回天」に乗り込んだ過去を持っています。敗戦後大学に戻り社会に出て、電源開発の土地買収に奔走する日本近代化の尖兵となります。

 敗戦後、政治家、職業軍人の多くは主義主張を変え時代に即応し、青年達に「散花」を説き彼等を死に追いやった中津は、思想家としての責任ゆえ、国家の下で生きることを拒否し社会と接触を絶って小島に隠棲します。中津を糾弾し得る立場の大家は、国家に裏切られたことに於て中津もまた同類であり、大家は中津に共感を覚えます。大家は自分正体を明かし目的を告げ、中津は愚弄された怒りで日本刀を抜きます。大家は、

人にあざむかれたなどと怒れる柄かよ。糞ったれめが
人間の信義などと口はばったいことを言える柄か・・・人生は二十年と決めつけられて、じっと魚雷の中にうずくまって、出撃を待っていたんだ。死刑台に立たされた人間が、不意に死刑がとりやめになったからと首にまかれた縄をはずされたら、どんな気持ちがするか知ってるか? おれたちは国家に生命を左右する権利まで供託した覚えはない。・・・聞いてるのか

 元特攻隊員vs.元ファシストの思想ドラマは、前者の戦線離脱、後者の自殺という不可解な結末で終わり、結論はありません。高橋和巳の『悲の器』『堕落』『憂鬱なる党派』などから類推すると、理想を抱いた知識人の「罪と罰」の物語とも読めます。元ファシストを糾弾すべき元特攻隊員がファシストに共鳴するという日本の思想風土の物語とも読めます。大家の出現によって、中津は遅すぎた自決を実行したのでしょう。

 終戦内閣の陸軍大臣であった阿南惟幾は8月15日に自決、神風特攻隊の発案者と言われる大西瀧治郎も8月16日に自決し、終戦を拒否して決起を呼びかけクーデター未遂事件(宮城事件)を起こした椎崎二郎、畑中健二、古賀秀正は8月15日に自決します。A級戦犯として起訴された思想家・大川周明は、精神障害のため裁判から外され昭和32年に病死。満洲映画協会理事長・甘粕正彦は敗戦に殉じ、関東軍の下で阿片王と呼ばれた里見甫は昭和40年まで生き延び、岸信介、緒方竹虎、児玉誉士夫は戦後見事に返り咲きます。
 当然、人の生死に優劣はありません。

タグ:読書
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