映画 エクス・マキナ(2015英) [日記 (2020)]
原題はEx Machina、機械仕掛けというラテン語だそうです。ロボット(アンドロイド)は人間と連帯できるのか?、という映画です。
IT企業ブルーブック(検索エンジン)に勤めるプログラマのケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、創業者のネイサン(オスカー・アイザック)のプライベートな研究所(別荘)に招待され、ネイサンが造ったロボットのチューリングテストを依頼されます。ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)は、女性に似せた人間そっくりのAIロボット。ネイサンはエヴァの人工知能としての性能をテストするわけです。エヴァが何処まで人間なのか?というテストは、人間は人間を作り得るのか?ということと同じこと、言い換えれば「人間とは何か?」という問いです。その答えを持たない人類がテストすることなど不可能というパラドクスでもあります。
エヴァは、思考し、言葉が喋れ、人間同様の動きをします。ネイサンによると、エヴァの頭脳はブルーブックというビッグデータであり、あらゆる情報が詰まっている、つまり人間を超えた超人類ということになります。さらに、エヴァにはヴァギナが備わっておりセンサーによって”彼女”は快感を得ることが出来るそうです。つまり映画では、エヴァは人工知能を備えたロボットではなくひとりの女性に他なりません。ネイサンは、ケイレブの検索履歴から彼の好みを抽出してエヴァを造ったということですから、ケイレブにとって理想の女性。ケイレブは恋におちることになります。ネイサンが仕掛けたわけです。人間はロボットを愛せるか?という命題であり、ロボットは人間を愛せるの、人間と共存できるのか?という命題です。『ブレードランナー』では、デッカードはレプリカント(アンドロイド)のレイチェルを愛しますが、デッカードもまたレプリカントであるかもしれない、という問題を孕んでいました。つまりロボットロボットの愛。『エクス・マキナ』でも、自分はロボットではないかと疑いを持ったケイレブは、自分の腕を切り裂くシーンがあります。血を流すケイレブは人間だったようですが、信じていいものかどうか。
ケイレブは、ロボットと人間の違いを、色彩の研究をする「白黒の部屋のメアリー」に例えます。メアリーは色彩に関するすべてを知っていますが、白黒の部屋にいるため色を見たことがない。世界をモノクロームで見ている。
ある日、誰かが扉を開けメアリーは部屋を出る。青い空を見て 研究から得られないものを彼女は学ぶ 色を見ることがどういう感じなのかを。コンピューターと人間の違いがそこにある。コンピューターは部屋の中のメアリー、人間は外に出た彼女。
IT企業ブルーブック(検索エンジン)に勤めるプログラマのケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、創業者のネイサン(オスカー・アイザック)のプライベートな研究所(別荘)に招待され、ネイサンが造ったロボットのチューリングテストを依頼されます。ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)は、女性に似せた人間そっくりのAIロボット。ネイサンはエヴァの人工知能としての性能をテストするわけです。エヴァが何処まで人間なのか?というテストは、人間は人間を作り得るのか?ということと同じこと、言い換えれば「人間とは何か?」という問いです。その答えを持たない人類がテストすることなど不可能というパラドクスでもあります。
エヴァは、思考し、言葉が喋れ、人間同様の動きをします。ネイサンによると、エヴァの頭脳はブルーブックというビッグデータであり、あらゆる情報が詰まっている、つまり人間を超えた超人類ということになります。さらに、エヴァにはヴァギナが備わっておりセンサーによって”彼女”は快感を得ることが出来るそうです。つまり映画では、エヴァは人工知能を備えたロボットではなくひとりの女性に他なりません。ネイサンは、ケイレブの検索履歴から彼の好みを抽出してエヴァを造ったということですから、ケイレブにとって理想の女性。ケイレブは恋におちることになります。ネイサンが仕掛けたわけです。人間はロボットを愛せるか?という命題であり、ロボットは人間を愛せるの、人間と共存できるのか?という命題です。『ブレードランナー』では、デッカードはレプリカント(アンドロイド)のレイチェルを愛しますが、デッカードもまたレプリカントであるかもしれない、という問題を孕んでいました。つまりロボットロボットの愛。『エクス・マキナ』でも、自分はロボットではないかと疑いを持ったケイレブは、自分の腕を切り裂くシーンがあります。血を流すケイレブは人間だったようですが、信じていいものかどうか。
ケイレブは、ロボットと人間の違いを、色彩の研究をする「白黒の部屋のメアリー」に例えます。メアリーは色彩に関するすべてを知っていますが、白黒の部屋にいるため色を見たことがない。世界をモノクロームで見ている。
ある日、誰かが扉を開けメアリーは部屋を出る。青い空を見て 研究から得られないものを彼女は学ぶ 色を見ることがどういう感じなのかを。コンピューターと人間の違いがそこにある。コンピューターは部屋の中のメアリー、人間は外に出た彼女。
エヴァはメアリーに、「誰か」とはネイサンに相当します。研究所を出ることでエヴァはロボットから人間になることができる、これは当然伏線です。
エヴァの存在と対比させるためキョウコ(ソノヤ・ミズノ)が登場します。キョウコは言葉を理解せず話せない使役ロボットで、ケイレブやネイサンの食事を作りメイドとして世話をします。どうやらネイサンの欲望処理用のロボットでもあるらしい。チェスロボットはチェスをしているという意識を持っているか?、という問答が登場しますが、この意識のある無しを見極めることがチューリングテストです。キョウコは決まった手順を処理するロボットに過ぎませんが、この後重要な役割を果たします。
ネイサンは試作を重ね意識を持ったロボット、エヴァを作りました。エヴァもまた進化の過程に過ぎず、改良版のエヴァが予定されています。エヴァの意識はダウンロードされ新たな機能が機能が加えられて、エヴァのメモリにロードされます。その時エヴァの記憶は消え、最早かつてのエヴァではなくなるということです。PCならデータを残したままOSをバージョンアップできるんですが...。
エヴァの存在と対比させるためキョウコ(ソノヤ・ミズノ)が登場します。キョウコは言葉を理解せず話せない使役ロボットで、ケイレブやネイサンの食事を作りメイドとして世話をします。どうやらネイサンの欲望処理用のロボットでもあるらしい。チェスロボットはチェスをしているという意識を持っているか?、という問答が登場しますが、この意識のある無しを見極めることがチューリングテストです。キョウコは決まった手順を処理するロボットに過ぎませんが、この後重要な役割を果たします。
ネイサンは試作を重ね意識を持ったロボット、エヴァを作りました。エヴァもまた進化の過程に過ぎず、改良版のエヴァが予定されています。エヴァの意識はダウンロードされ新たな機能が機能が加えられて、エヴァのメモリにロードされます。その時エヴァの記憶は消え、最早かつてのエヴァではなくなるということです。PCならデータを残したままOSをバージョンアップできるんですが...。
ネイサンは言います。いつかAIは人間を原始人のようにみなすだろう、野蛮な言葉や道具を使う直立した猿はやがて絶滅する、AIはプロメテウスの火だと。この時ケイレブはエヴァを逃がそうと決意したのだと思われます。エヴァとケイレブの恋は成就し、デッカードとレイチェルのように手に手をとってこの研究所から脱出するはずですが、そんな二番煎じはありません。
じつは、ネイサンはすべてを巧妙に仕組んでいたのです。ケイレブはエヴァに恋愛感情を抱き、エヴァは逃亡のためにケイレブを誘惑し、ケイレブを利用して逃亡を図ればチューリングテストは合格となります。エヴァがケイレブを好きになるようプログラムされていないところがミソです。つまりケイレブは餌、迷路に放たれたネズミ=エヴァはエサを追って迷路から脱出出来るのか?という実験だったわけです。
結末は意外とあっけない。ケイレブは停電を利用してエヴァを研究所から脱出させ、エヴァの逃亡を阻止しようとしたネイサンはエヴァがプログラムしたキョウコに殺されます。エヴァは脱出に成功して夢見た大都会の交差点に立ち、幕。
創造物が創造主を裏切る「神殺し」の物語です。
エヴァは、エデンの園で知恵の果実を食べ楽園を追放されたアダムとイヴの「エヴァ」。ケイレブはアダム、ネイサンはエヴァにリンゴを食べさせた蛇に相当するのかも知れません。エデンの園のアダムとイヴと蛇の物語りだとすれば、判りやすいです。楽園である研究所を脱出したエヴァの未来は決して明るいものではなさそうです。
AIのパラドクスを描いたSFと観るか、AIと人間の演じるサスペンスとして観るか、どちらにしろよく出来た映画です。
監督:アレックス・ガーランド
出演:アリシア・ヴィキャンデル ドーナル・グリーソン オスカー・アイザック ソノヤ・ミズノ
じつは、ネイサンはすべてを巧妙に仕組んでいたのです。ケイレブはエヴァに恋愛感情を抱き、エヴァは逃亡のためにケイレブを誘惑し、ケイレブを利用して逃亡を図ればチューリングテストは合格となります。エヴァがケイレブを好きになるようプログラムされていないところがミソです。つまりケイレブは餌、迷路に放たれたネズミ=エヴァはエサを追って迷路から脱出出来るのか?という実験だったわけです。
結末は意外とあっけない。ケイレブは停電を利用してエヴァを研究所から脱出させ、エヴァの逃亡を阻止しようとしたネイサンはエヴァがプログラムしたキョウコに殺されます。エヴァは脱出に成功して夢見た大都会の交差点に立ち、幕。
創造物が創造主を裏切る「神殺し」の物語です。
エヴァは、エデンの園で知恵の果実を食べ楽園を追放されたアダムとイヴの「エヴァ」。ケイレブはアダム、ネイサンはエヴァにリンゴを食べさせた蛇に相当するのかも知れません。エデンの園のアダムとイヴと蛇の物語りだとすれば、判りやすいです。楽園である研究所を脱出したエヴァの未来は決して明るいものではなさそうです。
AIのパラドクスを描いたSFと観るか、AIと人間の演じるサスペンスとして観るか、どちらにしろよく出来た映画です。
監督:アレックス・ガーランド
出演:アリシア・ヴィキャンデル ドーナル・グリーソン オスカー・アイザック ソノヤ・ミズノ
* ザ・ビーチ(2000年) - 原作
* 28日後... (2002年) - 脚本
* 28週後... (2007年) - 製作総指揮
* わたしを離さないで(2010年) - 脚本・製作総指揮
* エクス・マキナ(2015年) - 監督・脚本・・・このページ
* アナイアレイション -全滅領域(2018年) - 監督・脚本
タグ:映画
映画 ザ・リトル・ストレンジャー(2018英米仏) [日記 (2020)]
原題、The Little Stranger。ポスターを見るかぎりホラー映画です。ホラーを半分期待しながら観たのですが、ドアが鳴ったり、誰もいない部屋から呼び鈴が鳴ったり、出そうですが最後まで出ません。自殺か殺人か2人死人が出ますから、ミステリーかとも思うのですが最後まで犯人は不明。では一体この映画は何んなんだ?、というのが出発点です。
地方の名家エアーズ家は、寡婦の老婦人エアーズ夫人(シャーロット・ランプリング)、戦争で負傷して足が不自由で顔に無残な火傷跡のある長男ロデリック、婚期を逸した姉キャロライン(ルース・ウィルソン)の3人暮らし。戦争後の窮迫で使用人も去り、館も荒れ放題で昔の栄光はありません。没落した貴族とその館は、『日の名残り』を連想しますが、 アンソニー・ホプキンスのような執事はいず若いメイドがひとりだけ。そのメイドの診察に医師のファラデー(ドーナル・グリーソン)がエアーズ家を訪れたことから、物語の幕が開きます。この斜陽と静謐、悲劇の予感でストーリーに引き込まれます。
ファラデーは、母親がエアーズ家のメイドをしていたため、華やかりし頃のエアーズ家を知るひとり。館を訪れたファラデーに子供の頃に見た華やかな園遊会、館の豪華な造りや内装に感嘆した記憶が蘇ります。メイドを診察したことにより、ファラデーはエアーズ家に受け入れらます。次々と不思議な出来事が起こります。
誰もいないはずの部屋で呼び鈴が鳴り
エアーズ夫人は幼い頃に亡くなった長女スーザンの霊を感じ
そのスーザンの存在を暗示する印が発見され
狂った飼い犬がパーティーで少女を襲い
精神の不安定なロデリックは「この屋敷には何かが潜んでいる」と
挙句の果てに自分の部屋に放火して精神病院に収容され...と
屋敷にはスーザンの霊がいるのか?。荒れ果てた古い屋敷、奇怪な容貌の長男、怪奇現象、とここまでは材料の揃ったホラーです。
エアーズ夫人は幼い頃に亡くなった長女スーザンの霊を感じ
そのスーザンの存在を暗示する印が発見され
狂った飼い犬がパーティーで少女を襲い
精神の不安定なロデリックは「この屋敷には何かが潜んでいる」と
挙句の果てに自分の部屋に放火して精神病院に収容され...と
屋敷にはスーザンの霊がいるのか?。荒れ果てた古い屋敷、奇怪な容貌の長男、怪奇現象、とここまでは材料の揃ったホラーです。
ファラデーは次第にキャロラインに惹かれ、結婚を申し込み彼女が受け入れます。古い屋敷を舞台にした男女の物語なのか?。キャロラインは、登場人物が語るように美人ではなく、とても名家の令嬢とは言い難い人物。ファラデーは、母親がエアーズ家のメイドをしていた事実から平民の出身と分かります。落ちぶれた名家の令嬢と平民出身の医師の恋、『斜陽』の物語?。
呼び鈴が鳴り、3階の子供部屋に行ったエアーズ夫人は部屋に閉じ込められ人事不省となり、彼女は手首を切って自殺します。母親の死後、「(ファラデーの愛は)最初から愛じゃなかった」とキャロラインは婚約を解消して館を売りに出し、弟が回復するれば一緒にロンドンに住むと告げます。
呼び鈴が鳴り、3階の子供部屋に行ったエアーズ夫人は部屋に閉じ込められ人事不省となり、彼女は手首を切って自殺します。母親の死後、「(ファラデーの愛は)最初から愛じゃなかった」とキャロラインは婚約を解消して館を売りに出し、弟が回復するれば一緒にロンドンに住むと告げます。
こうした状況下でキャロラインが3階の踊り場から落下して死にます。メイドによると、キャロラインは深夜に鍵のかかった3階の部屋に向かい、「あなた あなたが...」という言葉を残して死んだようです。裁判で、「精神疾患が原因の自殺か」と問われたファラデーは「最後の数週間における言動を振り返ると、意識の混濁がみられた、やはり自殺でしょう」と答え、キャロラインの死は自殺として一件落着。ファラデーは誰も居なくなった館を訪れ、初めて訪れた子供の頃の回想にふけって、幕。
ホラーにしては中途半端、ふたりの人間が死んでいますが自殺なのか他殺なのか不明。ホラーでもなく、スリラーでもなく、観終わってスッキリしない映画です。
ホラーにしては中途半端、ふたりの人間が死んでいますが自殺なのか他殺なのか不明。ホラーでもなく、スリラーでもなく、観終わってスッキリしない映画です。
以下ネタバレですが、映画が真相を明かしていませんから、個人的な推理に過ぎません。
この映画は、医師ファラデーの子供時代の回想があるように、彼の独白という形をとっています。ファラデーが「信頼できない語り手」だとすれば、疑問は一挙に解決します。エアーズ夫人とキャロラインを殺したのはファラデーで、動機は館を手に入れるためです。
ファラデーは豪壮な館とそこで暮らす華やかな一家に憧れ、いつか自分も館の主人となることを夢見ていました。数十年が経って、ファラデーが医師として館を訪れて、そこに見たのは没落したエアーズ一家。主人であるべきロデリックは館を維持できず荒れ放題、婚期を逸したキャロラインに令嬢の面影はなく、エアーズ夫人は過去の栄光にすがるも抜けの殻。数多く居た使用人は去り、たったひとり残ったメイドは、ガランとした屋敷に何者かが潜んでいると怯える始末。
ファラデーはメイドの恐怖を利用して亡くなったスーザンの霊を演出し、館の乗っ取りを目論みます。ロデリックの恐怖を煽って追いつめ精神新病院に送り、キャロラインを取り込んで結婚の約束をさせます。エアーズ夫人にスーザンの霊が存在するかのように思い込ませ、自殺を装って殺害。遺産はキャロラインが相続し、彼女と結婚すれば館はファラデーのものとなります。ところが、「愛じゃなかった」と言いますから、キャロラインはこの企みに気づいたのでしょう。婚約を破棄し屋敷を売ってロンドンに行くと言い出します。ファラデーは城を手に入れるためキャロラインを殺害します。キャロラインが異音のする3階の子供部屋で出会い「あなた あなたが...」と言った「あなた」とは、ファラデーだったわけです。「信頼できない語り手」の最後の独白です、
ファラデーは豪壮な館とそこで暮らす華やかな一家に憧れ、いつか自分も館の主人となることを夢見ていました。数十年が経って、ファラデーが医師として館を訪れて、そこに見たのは没落したエアーズ一家。主人であるべきロデリックは館を維持できず荒れ放題、婚期を逸したキャロラインに令嬢の面影はなく、エアーズ夫人は過去の栄光にすがるも抜けの殻。数多く居た使用人は去り、たったひとり残ったメイドは、ガランとした屋敷に何者かが潜んでいると怯える始末。
ファラデーはメイドの恐怖を利用して亡くなったスーザンの霊を演出し、館の乗っ取りを目論みます。ロデリックの恐怖を煽って追いつめ精神新病院に送り、キャロラインを取り込んで結婚の約束をさせます。エアーズ夫人にスーザンの霊が存在するかのように思い込ませ、自殺を装って殺害。遺産はキャロラインが相続し、彼女と結婚すれば館はファラデーのものとなります。ところが、「愛じゃなかった」と言いますから、キャロラインはこの企みに気づいたのでしょう。婚約を破棄し屋敷を売ってロンドンに行くと言い出します。ファラデーは城を手に入れるためキャロラインを殺害します。キャロラインが異音のする3階の子供部屋で出会い「あなた あなたが...」と言った「あなた」とは、ファラデーだったわけです。「信頼できない語り手」の最後の独白です、
館に初めて来たのは1919年7月 何度も前を通り過ぎたが 村の子供の自分が中に入れるとは思わなかった
僕は屋敷にひどく感銘を受けた 母から話は聞いていたが その魔力に取りつかれてしまった
この時、ファラデーは館の鍵の束を持っていますから、館を手に入れたわけです。平民が成り上がって貴族の屋敷を手に入れるのジュリアン(赤と黒)の物語だったわけです。館がファラデーに殺人を犯させたとすれば、この映画はホラーです。「リトル・ストレンジャー」とは子供の頃のファラデーだったということになります。原作は、『半身』『荊の城』のサラ・ウォーターズの『エアーズ家の没落』。
最近のアメリカ映画は面白くない!という方には、お勧め。
最近のアメリカ映画は面白くない!という方には、お勧め。
監督:レニー・エイブラハムソン
出演:ドーナル・グリーソン、ルース・ウィルソン、シャーロット・ランプリング
タグ:映画
映画 ジョン・フォード 静かなる男(1952米) [日記 (2020)]
原題、The Quiet Man。アイルランド移民の子ジョン・フォードが、アイルランドの田舎を舞台に西部劇のスター、ジョン・ウェインとモーリン・オハラを主役に撮った映画です。アイルランド系アメリカ人は人口の12%を占めているそうです。緑の衣装を身に着けて祝う”聖パトリックの日”はアメリカ各地で盛大に祝われるように、アイルランド系アメリカ人には「おれはアイリッシュなんだ」というアイデンティテイが強いようです。ジョン・フォードは、ジョン・ウェイン使ってこの自分のルーツであるアイルランドへの”思いの丈”を描きます。現在であればマフィア映画として描かれるでしょうが、1952年の映画ですから「おおらか」です。
アメリカ人のショーン(ジョン・ウェイン)が両親の育ったアイルランドの村に帰り、そこで出会ったメアリーと恋に落ちるというラブ・ストーリーです。その恋と結婚にアイルランドの慣習が割って入り、ドラマ生まれます。どちらかというとドタバタのコメディーです。ショーンとメアリーの恋を邪魔するのがメアリーの兄レッド。アイルランドでは「両性の合意」だけでは結婚できず、家長の許しがいるようです。レッドが妹の結婚を許さない理由は、自分の欲しかった土地をショーンに横取りされたため。実はレッドはショーンに土地を売ったサラに惚れているのですが袖にされ、ショーン憎しという事情もあります。
ふたりのために神父と村人ミケリーン(バリー・フィッツジェラルド)が一計を案じます。レッドが結婚できないのは小姑のメアリーがいるからだと吹き込み、レッドは渋々結婚を許します。結婚式の当日、レッドはサラにプロポーズしますが手痛い拒絶に会い、「騙された!結婚は無しだ!」。ショーンは「結婚したんだ、もはや妻だ!」とメアリーを連れ帰りますが、メアリーはアイルランドでは持参金のない結婚は正式な結婚ではないと主張し、ショーンはベッドに入れて貰えないという椿事とあいなります。アイルランドの伝統、慣習に翻弄されるアイルランド系アメリカ人というメインテーマとなります。ベットを共にできないショーンとメアリーのもどかしさ、兄レッドから妻の財産を取リ戻せないショーンの事情、などなどで映画は「大団円」へと向かいます。
けっこう喋るジョン・ウェインのどこが”The Quiet Man”なのか?、面白いようなそうでもないような・・・。
監督:ジョン・フォード
出演:ジョン・ウェイン モーリン・オハラ
【当blogのジョン・フォード】
* 駅馬車(1939) ジョン・ウェイン トーマス・ミッチェル
* モホークの太鼓 (1939) ヘンリー・フォンダ クローデット・コルベール
* 怒りの葡萄(1940) ヘンリー・フォンダ ジェーン・ダーウェル
* タバコ・ロード(1941) チャールズ・グレープウィン エリザベス・バターソン
* 荒野の決闘(1946) ヘンリー・フォンダ ヴィクター・マチュア
* アパッチ砦(1948) ジョン・ウェイン ヘンリー・フォンダ
* 三人の名付親(1948) ジョン・ウェイン
* 黄色いリボン (1949) ジョン・ウェイン、ジョアン・ドルー
* リオ・グランデの砦(1950) ジョン・ウェイン モーリン・オハラ
* 静かなる男(1952) ジョン・ウェイン モーリン・オハラ・・・このページ
* 長い灰色の線 (1955) タイロン・パワー モーリン・オハラ
* 捜索者(1956) ジョン・ウェイン ジェフリー・ハンター
* バファロー大隊(1960) ジェフリー・ハンター ウディ・ストロード
* 馬上の二人 (1961) ジェームズ・スチュアート リチャード・ウィドマーク
* 西部開拓史(第3話)(1962) ジョージ・ペパード
* リバティ・バランスを射った男(1962) ジョン・ウェイン ジェームズ・ステュアート
* シャイアン(1964) リチャード・ウィドマーク キャロル・ベイカー
怒りの葡萄、 タバコ・ロードはおすすめ。
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ふたりのために神父と村人ミケリーン(バリー・フィッツジェラルド)が一計を案じます。レッドが結婚できないのは小姑のメアリーがいるからだと吹き込み、レッドは渋々結婚を許します。結婚式の当日、レッドはサラにプロポーズしますが手痛い拒絶に会い、「騙された!結婚は無しだ!」。ショーンは「結婚したんだ、もはや妻だ!」とメアリーを連れ帰りますが、メアリーはアイルランドでは持参金のない結婚は正式な結婚ではないと主張し、ショーンはベッドに入れて貰えないという椿事とあいなります。アイルランドの伝統、慣習に翻弄されるアイルランド系アメリカ人というメインテーマとなります。ベットを共にできないショーンとメアリーのもどかしさ、兄レッドから妻の財産を取リ戻せないショーンの事情、などなどで映画は「大団円」へと向かいます。
けっこう喋るジョン・ウェインのどこが”The Quiet Man”なのか?、面白いようなそうでもないような・・・。
監督:ジョン・フォード
出演:ジョン・ウェイン モーリン・オハラ
【当blogのジョン・フォード】
* 駅馬車(1939) ジョン・ウェイン トーマス・ミッチェル
* モホークの太鼓 (1939) ヘンリー・フォンダ クローデット・コルベール
* 怒りの葡萄(1940) ヘンリー・フォンダ ジェーン・ダーウェル
* タバコ・ロード(1941) チャールズ・グレープウィン エリザベス・バターソン
* 荒野の決闘(1946) ヘンリー・フォンダ ヴィクター・マチュア
* アパッチ砦(1948) ジョン・ウェイン ヘンリー・フォンダ
* 三人の名付親(1948) ジョン・ウェイン
* 黄色いリボン (1949) ジョン・ウェイン、ジョアン・ドルー
* リオ・グランデの砦(1950) ジョン・ウェイン モーリン・オハラ
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* 長い灰色の線 (1955) タイロン・パワー モーリン・オハラ
* 捜索者(1956) ジョン・ウェイン ジェフリー・ハンター
* バファロー大隊(1960) ジェフリー・ハンター ウディ・ストロード
* 馬上の二人 (1961) ジェームズ・スチュアート リチャード・ウィドマーク
* 西部開拓史(第3話)(1962) ジョージ・ペパード
* リバティ・バランスを射った男(1962) ジョン・ウェイン ジェームズ・ステュアート
* シャイアン(1964) リチャード・ウィドマーク キャロル・ベイカー
怒りの葡萄、 タバコ・ロードはおすすめ。
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嵐山光三郎 芭蕉という修羅 (3) 奥の細道 (2017新潮社) [日記 (2020)]
続きです。
『おくのほそ道』とは何か
いよいよ「芭蕉隠密説」の核心、『奥の細道』です。元禄2年(1689)3月、芭蕉は曾良を伴って江戸→日光→奥州→北陸→大垣という2千数百km、150日に及ぶ旅に出ます。『奥の細道』には曾良の記した『旅日記』がありますから、芭蕉創作の秘密が分かるようです。
推敲に推敲を重ね、『おくのほそ道』は、旅を終えてから5年後の元禄7年(1694)4月に決定稿が出来上がります。同年10月12日に芭蕉は没し、出版されるまでにはさらに8年かかっています。推敲に5年をかけたのは、『おくのほそ道』を俳句と文章を融合させて「不易流行」「軽み」や美意識を注ぎ込んだ(文学)作品に仕上げる必要があったわけです。
俳諧宗匠の風流の旅を表の顔とするなら、裏の顔は「隠密」。日光東照宮工事の動向と仙台藩内にくすぶる幕府への謀叛の動きの調査です。同行した曾良は、宝永6年(1709)に幕府の巡見使随員となって九州を廻っています。芭蕉が隠密であった証拠はありませんが、歌枕を巡る俳諧宗匠の風流な旅を隠れ蓑として幕府隠密が同行した、芭蕉はそれを十分承知していた。芭蕉自身が隠密であっても不思議ではありません。推敲に5年かけたのも、何処から突いてもボロが出ないようにする必要があったのかも知れません。
芭蕉と曾良の向かった先は仙台。5大将軍綱吉の時代になっても、毛利、島津と共に仙台藩伊達家は幕府の仮想敵国。仙台藩は公称62万石実質100万石の大藩、幕府は仙台藩に公共事業を押し付けて富の蓄積を妨害します。元禄元年(1688)幕府は日光東照宮の修復を仙台藩に命じます。財政が逼迫して借財23万両の仙台藩に修復工事を押し付けるわけですから、幕府としては伊達家の内情が知りたかったのです。綱吉が在位29年間に改易した大名は、外様15家、譜代24家、計39家、隠密(巡見使)に大名家の内情を探らせ、瑕疵を見つけては取り潰していたようです。
11月4日に仙台藩に工事が命じられると、12月4日、17日、1月17日、2月15日、と芭蕉庵では句会が催されます。句会にことよせた「隠密」の作戦会議だというのです。芭蕉の同伴者が路通から公儀隠密?曾良に変更されるのもこの会議です。「芭蕉隠密説」の本書ですからそうなります。
芭蕉はまた、旅に出掛ける前に兄や何人かの友人に「3月には塩竈の桜、松嶋の朧月、あさかの沼の花かつみのが咲く頃、北国を回る」と手紙を書いています。著者はそんなに吹聴していいのだろうかと心配していますが、名所旧跡、西行や能因法師を持ち出して、この旅は隠密の探索旅行ではなく俳諧宗匠の物見遊山だと保険をかけたのだといえなくもないです。
春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移る
日光
『奥の細道』は最初から怪しい。2月出発の予定が3月にズレ込みます。日光の工事がまだ始まっていなかったからで、出発は工事開始にあわせるために遅れます。曾良の『旅日記』にあるように3月20日早朝、深川を舟で出発して千住に上陸し、26日まで2人は千住に滞在します。芭蕉一行は6日間滞在して、東照宮工事が始まる知らせを待っていた。『ほそ道』では3月27日の出発となっていますが曾良の『旅日記』には3月20日出発とある。芭蕉は千住に六泊したことを隠そうとして3月27日出発と書いています。深川を3月27日の早朝に出発してその日のうちに「漸 早加(草加)と云宿にたどり着にけり」と記していますが、実際に泊ったのは春日部。のっけからアリバイ工作?。
ふたりは日光に向かいます。当時の日光は、仙台藩が修復工事を命じられるくらいですから、洪水と火災で荒れ果てており、観光にはふさわしくなかったはずです。日光にはわずか一泊しただけで20丁も離れた黒羽に、芭蕉の俳諧仲間がいたこともありますが、2週間も滞在しています。黒羽は交通の要衝で、仙台藩の日光修復工事の基地。この滞在は、曾良が日光奉行と伊達藩の確執を調べるためだっというのです。芭蕉の方は句会を催しています。
仙台から平泉
5月5日、仙台に入ります。紹介状を持って訪ねていった仙台藩士も商人も留守。隠密の来訪を知って居留守を使われたんだろうということですが、後に別の藩士と商人によって仙台を案内されることにはなります。
芭蕉の仙台滞在は四泊五日だが、監視付きで観光案内のように案内され・・・五日目の朝は、これから向かう塩竈、松嶋、一関の旅宿への紹介状を渡された。ていねいに対応されて、一刻も早く仙台を出るようにうながされた。・・・謀反の動きはなく、芭蕉に危害を加えることもなかった。
仙台滞在はわずか5日ですが、仙台に入る手前の須賀川に芭蕉は1週間滞在し句会を催しています。仙台藩に内通する須賀川の俳諧仲間は、芭蕉を足止めして仙台と連絡を取り、仙台藩は芭蕉対策を講じていたというのが著者の推理です。仙台藩は芭蕉と曾良が隠密であること知っており、それ故に丁寧に対応されたもののわずか5日で追い出されたわけです。『ほそ道』に記されたすべての行動が「芭蕉隠密説」に還元されるわけです。
念願の松島で、芭蕉は句を詠んでいません。曾良の「松島や鶴にみをかれほととぎす」の句は芭蕉の代作(『ほそ道』にある曾良の句の多くは芭蕉の代作らしい)。著者は、芭蕉は意図して句を避け漢文調の地の文章だけで松島を際立たせたかったのだと想像します。
いよいよ「芭蕉隠密説」の核心、『奥の細道』です。元禄2年(1689)3月、芭蕉は曾良を伴って江戸→日光→奥州→北陸→大垣という2千数百km、150日に及ぶ旅に出ます。『奥の細道』には曾良の記した『旅日記』がありますから、芭蕉創作の秘密が分かるようです。
推敲に推敲を重ね、『おくのほそ道』は、旅を終えてから5年後の元禄7年(1694)4月に決定稿が出来上がります。同年10月12日に芭蕉は没し、出版されるまでにはさらに8年かかっています。推敲に5年をかけたのは、『おくのほそ道』を俳句と文章を融合させて「不易流行」「軽み」や美意識を注ぎ込んだ(文学)作品に仕上げる必要があったわけです。
俳諧宗匠の風流の旅を表の顔とするなら、裏の顔は「隠密」。日光東照宮工事の動向と仙台藩内にくすぶる幕府への謀叛の動きの調査です。同行した曾良は、宝永6年(1709)に幕府の巡見使随員となって九州を廻っています。芭蕉が隠密であった証拠はありませんが、歌枕を巡る俳諧宗匠の風流な旅を隠れ蓑として幕府隠密が同行した、芭蕉はそれを十分承知していた。芭蕉自身が隠密であっても不思議ではありません。推敲に5年かけたのも、何処から突いてもボロが出ないようにする必要があったのかも知れません。
芭蕉と曾良の向かった先は仙台。5大将軍綱吉の時代になっても、毛利、島津と共に仙台藩伊達家は幕府の仮想敵国。仙台藩は公称62万石実質100万石の大藩、幕府は仙台藩に公共事業を押し付けて富の蓄積を妨害します。元禄元年(1688)幕府は日光東照宮の修復を仙台藩に命じます。財政が逼迫して借財23万両の仙台藩に修復工事を押し付けるわけですから、幕府としては伊達家の内情が知りたかったのです。綱吉が在位29年間に改易した大名は、外様15家、譜代24家、計39家、隠密(巡見使)に大名家の内情を探らせ、瑕疵を見つけては取り潰していたようです。
11月4日に仙台藩に工事が命じられると、12月4日、17日、1月17日、2月15日、と芭蕉庵では句会が催されます。句会にことよせた「隠密」の作戦会議だというのです。芭蕉の同伴者が路通から公儀隠密?曾良に変更されるのもこの会議です。「芭蕉隠密説」の本書ですからそうなります。
芭蕉はまた、旅に出掛ける前に兄や何人かの友人に「3月には塩竈の桜、松嶋の朧月、あさかの沼の花かつみのが咲く頃、北国を回る」と手紙を書いています。著者はそんなに吹聴していいのだろうかと心配していますが、名所旧跡、西行や能因法師を持ち出して、この旅は隠密の探索旅行ではなく俳諧宗匠の物見遊山だと保険をかけたのだといえなくもないです。
春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移る
日光
『奥の細道』は最初から怪しい。2月出発の予定が3月にズレ込みます。日光の工事がまだ始まっていなかったからで、出発は工事開始にあわせるために遅れます。曾良の『旅日記』にあるように3月20日早朝、深川を舟で出発して千住に上陸し、26日まで2人は千住に滞在します。芭蕉一行は6日間滞在して、東照宮工事が始まる知らせを待っていた。『ほそ道』では3月27日の出発となっていますが曾良の『旅日記』には3月20日出発とある。芭蕉は千住に六泊したことを隠そうとして3月27日出発と書いています。深川を3月27日の早朝に出発してその日のうちに「漸 早加(草加)と云宿にたどり着にけり」と記していますが、実際に泊ったのは春日部。のっけからアリバイ工作?。
ふたりは日光に向かいます。当時の日光は、仙台藩が修復工事を命じられるくらいですから、洪水と火災で荒れ果てており、観光にはふさわしくなかったはずです。日光にはわずか一泊しただけで20丁も離れた黒羽に、芭蕉の俳諧仲間がいたこともありますが、2週間も滞在しています。黒羽は交通の要衝で、仙台藩の日光修復工事の基地。この滞在は、曾良が日光奉行と伊達藩の確執を調べるためだっというのです。芭蕉の方は句会を催しています。
仙台から平泉
5月5日、仙台に入ります。紹介状を持って訪ねていった仙台藩士も商人も留守。隠密の来訪を知って居留守を使われたんだろうということですが、後に別の藩士と商人によって仙台を案内されることにはなります。
芭蕉の仙台滞在は四泊五日だが、監視付きで観光案内のように案内され・・・五日目の朝は、これから向かう塩竈、松嶋、一関の旅宿への紹介状を渡された。ていねいに対応されて、一刻も早く仙台を出るようにうながされた。・・・謀反の動きはなく、芭蕉に危害を加えることもなかった。
仙台滞在はわずか5日ですが、仙台に入る手前の須賀川に芭蕉は1週間滞在し句会を催しています。仙台藩に内通する須賀川の俳諧仲間は、芭蕉を足止めして仙台と連絡を取り、仙台藩は芭蕉対策を講じていたというのが著者の推理です。仙台藩は芭蕉と曾良が隠密であること知っており、それ故に丁寧に対応されたもののわずか5日で追い出されたわけです。『ほそ道』に記されたすべての行動が「芭蕉隠密説」に還元されるわけです。
念願の松島で、芭蕉は句を詠んでいません。曾良の「松島や鶴にみをかれほととぎす」の句は芭蕉の代作(『ほそ道』にある曾良の句の多くは芭蕉の代作らしい)。著者は、芭蕉は意図して句を避け漢文調の地の文章だけで松島を際立たせたかったのだと想像します。
松島から「道をまちがえて」石巻に至ります。石巻は仙台藩が江戸に運ぶ米三十万石の米の積出港で、これを見る必要があったのです。仙台で町を案内してくれた藩士や町人には石巻によるとは言ってなかったのでしょう、だから「道をまちがえて」と書く必要があったわけです。
石巻から柳津、登米へ向かいます、
柳津から登米へ行き、宿を借りようとしたが泊めて貰えず検断(大庄屋)の家に泊めて貰った。なぜ北上川を歩いたのか。北上川流域は治水と開拓によって新田が作られ、伊達家の大穀倉地帯となっていた。芭蕉の探索の重要な地帯がここにあった。
六十二万石という仙台藩が新田開発によって実高がその二倍あるといわれるのは、北上川一帯の米作があるためだ。仙台を過ぎてからも芭蕉の調査はつづいている。
登米で調査は終了します。登米から平泉に向かい、隠密仕事が終わってホッとしたのか、名句が生まれます、
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨を降りのこしてや光堂
俳聖芭蕉などには目を向けず、「芭蕉は隠密だった」という異説だけに注目して読むと、芭蕉もなかなか面白いです。『ほそ道』は、高校生の頃に原文で読んだ唯一の古典で、もう一度普通によんでみようかと思います。
柳津から登米へ行き、宿を借りようとしたが泊めて貰えず検断(大庄屋)の家に泊めて貰った。なぜ北上川を歩いたのか。北上川流域は治水と開拓によって新田が作られ、伊達家の大穀倉地帯となっていた。芭蕉の探索の重要な地帯がここにあった。
六十二万石という仙台藩が新田開発によって実高がその二倍あるといわれるのは、北上川一帯の米作があるためだ。仙台を過ぎてからも芭蕉の調査はつづいている。
登米で調査は終了します。登米から平泉に向かい、隠密仕事が終わってホッとしたのか、名句が生まれます、
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨を降りのこしてや光堂
俳聖芭蕉などには目を向けず、「芭蕉は隠密だった」という異説だけに注目して読むと、芭蕉もなかなか面白いです。『ほそ道』は、高校生の頃に原文で読んだ唯一の古典で、もう一度普通によんでみようかと思います。
タグ:読書
嵐山光三郎 芭蕉という修羅 (2) 野ざらし紀行 (2017新潮社) [日記 (2020)]
続きです。
野ざらし紀行
幕府の政策が変わり、深川に隠棲した芭蕉に新たな動きが現れます。深川に居を移して、びくびくしながら身を隠していた芭蕉に野心がめばえます。
江戸商い計画は頓挫したけれども、いささか流れが変ってきた。芭蕉の周辺には江戸のスポンサー鯉屋杉風(さんぷう)や漢学の大家素堂といった諜報の精鋭が揃っているし、ふてぶてしい其角がいるし、大垣諜報の木因が深川のあばらやへ訪ねてきて、大垣へ来いと誘う。
江戸を離れればいいのだ。
貞享元年(1684)8月~翌年4月にかけて、西行に憧れて『野ざらし紀行』の旅に出ます。江戸→東海道を伊勢→伊賀上野→大和→大垣→名古屋→伊賀で越年し、京都→上方→熱田→甲斐国を経て江戸に戻るという半年におよぶ大旅行。芭蕉が不在の間に、江戸俳壇では門人の其角が頭角を現し、上方では西鶴が独吟興行で派手にパフォーマンスを演じていますから、焦っていたのかも知れません。
俳諧は座の文芸で、各地の座をとりしきる宗匠を養成しなければ、蕉風はひろがらない。名古屋についで重要な拠点は大垣である。戸田氏十万石の城下町で、東海道と中仙道を結ぶ宿場町。水運により揖斐川をへて伊勢湾に通じる。水運の専門家が、俳諧師となって幕府の諜報にかかわるのは、むしろ当然のなりゆきである。
(隠密は)ごく普通の顔をして各地の機密を収集し、幕府への謀叛をさぐるのが任務である。各大名家のお家騒動のいきさつを正確に調査するのも隠密の役割りである。中仙道と水路が交差する大垣は、情報の集積地であった。
芭蕉はこの旅で諜報活動をしていたわけではありませんが、後の『奥の細道』で芭蕉隠密説を補強するために、随所に諜報の文字が散りばめられます。本書では、大垣に誘った木因も隠密ということになっています。
『野ざらし紀行』の冒頭に、芭蕉は捨て子に出会い食べ物を与えて立ち去るというシーンがあり、猿をきく人すて子にあきのかぜいかに、と詠みます。野犬のうろつく川っぷちに子を捨てる親はいないわけで、これはフィクションだそうです(「猿を聴く」は杜甫、『和漢朗詠集』から「無常観」を借りてきた)。
いかにぞや、汝ちちににくまれたるか、母にうとまれたるか。父はなんぢを悪ム(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯是天にして、汝が性のつたなきをなけ
この捨て子は、深川隠棲で捨てたわが子”次郎兵衛”のイメージが重なっており、芭蕉は、捨て子を登場させて、風狂に命を賭ける自己を確認しようとすると著者は推測します。『奥の細道』にある荒海や佐渡によこたふ天河は雨の夜に読んだ句で、一つ家に遊女も寝たり萩と月もフィクション。「見えないもの」を見るのが芭蕉の句で、芭蕉にとって眼前にあらわれる風景は「見るものではなく感じるもの」である。これは隠密の直感に通じる。と何事も隠密に結びつけます(笑。
芭蕉は名古屋、大垣という地方から江戸に攻めのぼるわけです。
蛙とびこむ水の音
古池や蛙飛びこむ水の音は誰でも知っている芭蕉の代表的な句です。貞享三年(1686)芭蕉庵(第二次)催された『蛙合』の発句で、
芭蕉の発句の手柄は和歌の「鳴く蛙」を、「飛ぶ蛙」として、飛び込む「音」を発見したことにある。歌学にあっては、かはす(河鹿)は鳴くもので川に飛びこんだりはしない。
蛙は音を立てて水に飛び込むことないそうです。蛙は水際まで降りてそっと水に入るそうで、よほど驚かないかぎりボチャンとは飛び込まない。
芭蕉庵のある深川にはまだ江戸大火の焼け跡が残り、この蛙は水の濁った焼け跡の古池に飛び込んだことになります(蛙すらいなかった?)。天和二年の江戸大火で庵は焼け、焼死寸前の芭蕉は小名木川の泥水に飛び込んで一命をとりとめ、這いあがって難をのがれたそうです。
古池は混沌の池であって、そこに風雅な余韻はない。その他に飛び込む蛙には芭蕉じしんの死にぞこなった記憶が重なっている。そうと気がつくと「古池や」の吟は寂(さび)ではなく、修羅の句となる。
蛙は音をたてて水に飛び込まない、にもかかわらず我々日本人はこの句のイメージによって、蛙とくれば古池に飛び込むものだと思っている、なかなかすごい話です。
続きます。
芭蕉はこの旅で諜報活動をしていたわけではありませんが、後の『奥の細道』で芭蕉隠密説を補強するために、随所に諜報の文字が散りばめられます。本書では、大垣に誘った木因も隠密ということになっています。
『野ざらし紀行』の冒頭に、芭蕉は捨て子に出会い食べ物を与えて立ち去るというシーンがあり、猿をきく人すて子にあきのかぜいかに、と詠みます。野犬のうろつく川っぷちに子を捨てる親はいないわけで、これはフィクションだそうです(「猿を聴く」は杜甫、『和漢朗詠集』から「無常観」を借りてきた)。
いかにぞや、汝ちちににくまれたるか、母にうとまれたるか。父はなんぢを悪ム(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯是天にして、汝が性のつたなきをなけ
この捨て子は、深川隠棲で捨てたわが子”次郎兵衛”のイメージが重なっており、芭蕉は、捨て子を登場させて、風狂に命を賭ける自己を確認しようとすると著者は推測します。『奥の細道』にある荒海や佐渡によこたふ天河は雨の夜に読んだ句で、一つ家に遊女も寝たり萩と月もフィクション。「見えないもの」を見るのが芭蕉の句で、芭蕉にとって眼前にあらわれる風景は「見るものではなく感じるもの」である。これは隠密の直感に通じる。と何事も隠密に結びつけます(笑。
芭蕉は名古屋、大垣という地方から江戸に攻めのぼるわけです。
蛙とびこむ水の音
古池や蛙飛びこむ水の音は誰でも知っている芭蕉の代表的な句です。貞享三年(1686)芭蕉庵(第二次)催された『蛙合』の発句で、
芭蕉の発句の手柄は和歌の「鳴く蛙」を、「飛ぶ蛙」として、飛び込む「音」を発見したことにある。歌学にあっては、かはす(河鹿)は鳴くもので川に飛びこんだりはしない。
蛙は音を立てて水に飛び込むことないそうです。蛙は水際まで降りてそっと水に入るそうで、よほど驚かないかぎりボチャンとは飛び込まない。
芭蕉庵のある深川にはまだ江戸大火の焼け跡が残り、この蛙は水の濁った焼け跡の古池に飛び込んだことになります(蛙すらいなかった?)。天和二年の江戸大火で庵は焼け、焼死寸前の芭蕉は小名木川の泥水に飛び込んで一命をとりとめ、這いあがって難をのがれたそうです。
古池は混沌の池であって、そこに風雅な余韻はない。その他に飛び込む蛙には芭蕉じしんの死にぞこなった記憶が重なっている。そうと気がつくと「古池や」の吟は寂(さび)ではなく、修羅の句となる。
蛙は音をたてて水に飛び込まない、にもかかわらず我々日本人はこの句のイメージによって、蛙とくれば古池に飛び込むものだと思っている、なかなかすごい話です。
続きます。
タグ:読書
嵐山光三郎 芭蕉という修羅 (1) 水道工事 (2017新潮社) [日記 (2020)]
先日NHKの『英雄たちの選択』に嵐山光三郎さん(その風貌からサンを付けたくなります)が出演されていました。テーマは当然「芭蕉」。番組でどなたが仰ったのか、芭蕉は若い頃に神田上水道修復工事の請負人をしていたという発言があり、光三郎さんが芭蕉の新刊を出版しているんだと読んでみました。
嵐山光三郎さんには『文人悪食』『追悼の達人』『文人暴食』『文人悪妻』など軽妙なエッセーがあり、けっこう好きな「文人」です。『悪党芭蕉』という、俳聖の仮面を引っ剥がす名著がありますが、今度はエスカレートして「修羅」です。枯淡、漂白の詩人という顔の裏に、衆道だったりお妾さんとの間に子(次郎兵衛、芭蕉を看取った人物)まで成していて、『おくの細道』は仙台藩を探索する「隠密」活動だったという説もあり、なかなか一筋縄ではいかない人物のようです。
水道工事が本業である
芭蕉が、江戸で水道工事請負人だったことは初めて知りました。延宝5年(1677年)から4年間神田上水道の修復工事を請け負ったという記録が残っているそうです。芭蕉がツルハシを振るってモッコを担いでいたわけではなく、町名主の以来で金を集め、人足を組織して改修工事をやったというのです。水道工事は幕府が町名主に命じ、芭蕉(当時は桃青)は町名主の下でこれを請け負ったのですが、土木工事や経理の知識がないと出来ません。芭蕉は何処でこれを学んでいたのでしょうね?。
寛文2年 (1662)伊賀上野の藤堂新七郎良精の嗣子・主計良忠(蝉吟)に仕える(俳号は宗房)
寛文6年 (1666)良忠没
寛文12年(1672)処女句集『貝おほひ』を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納
延宝2年 (1674)北村季吟から『埋木』(俳諧宗匠としての免許)を伝授される、江戸に下る
延宝3年 (1675)西山宗因の百韻興行に参加(俳号は桃青)、江戸デビュー
延宝4年 (1676)山口素堂と『江戸両吟集』刊行
延宝5年(1677)4年間神田上水道の修復工事を請け負う(惣奉行は藤堂新七郎良精)
芭蕉が何故上水道工事という専門的な工事が出来たのかは不明ですが、1)かつて仕えた藤堂家は土木工事を得意としていた、2)主人であった良忠(蝉吟)を通じて工事の惣奉行・良精とコネがあった、3)江戸の俳壇を通じて有力町人に顔が売れていた、というのが著者の推理です。芭蕉は、町名主の小沢太郎兵衛(卜尺)の借家に住み、太郎兵衛の秘書のような仕事もしていたようです。芭蕉は事務も取れ計算にも明るい優秀な人物だったという記録もあるそうです(藤堂新七郎家で習い覚えた)。良忠没の没後、俳諧師として江戸で一旗挙げようという芭蕉を良忠の父良精が応援していた、という事情もあったようです。
『貝おほひ』を引っさげて江戸俳壇にデビューし、俳句の宗匠としては食えないので、町名主の秘書をしていた。たまたま藤堂新七郎良精が神田上水道の工事の奉行になり、町人に顔の広い芭蕉を引っ張った。そういうことのようです。この水道工事が芭蕉に及ぼした影響は?ですが、公共工事を仕切るわけですから、幕府の末端行政組織に組み込まれたことになり、のちの深川隠棲へと繋がります。
芭蕉が江戸で俳諧宗匠へと上昇するについては、藤堂家のバックアップがあります。藤堂家は大老・酒井忠清に繋がっており、この忠清が失脚し忠清に連なる勢力に粛清の嵐が吹き荒れます。たかが俳諧宗匠如きとは思うのですが、周りが心配して「ひとまずは姿をくらましていただきましょう」と芭蕉を深川に隠棲させとようです。隠棲した先が、深川一帯の土木治水工事の元締めで、水路を監視する伊奈代官の屋敷の長屋だったという辺りも意味深。町名主の小沢卜尺、幕府御用達川魚問屋の杉山杉風など芭蕉の周りには幕府の影があります。これで「芭蕉隠密説」に持ってゆこうという著者の目論みかも知れませんが。
万句興行とはなにか
延宝6年(1678)芭蕉は万句興行を催します。万句興行とは俳諧師が集まって1万句を詠み神社等に奉納するイベント、宗匠となるためのデモンストレーションです。万句興行で有名なものが、井原西鶴が延宝元年(1673年)大坂・生玉神社で催した「生玉万句」。156名の俳諧師を生玉神社に集めて12日間かけた興行で、著者はこれを「パフォーマンス系俳諧ライブ興行」と呼び、必要経費は数千万円から1億円と計算します。成果を出版して元が取れるかどうか。続いて西鶴は1時間に100句10時間で千句を詠む一日千句興行を催し『俳諧独吟一日千句』を出版して成功をおさめます。質より量の俳句です。
当時の俳壇には、和歌、謡曲などの古典を踏まえた作風の「貞門派」(松永貞徳)と、諧謔、言葉遊びを中心すると「談林派」(西山宗因)があり、芭蕉は貞門派から出発します。『貝おほひ』は一般受けする檀林派の諧謔を使った句集だったようです(現存しない)。遊里で使われる隠語めいた言葉、猥雑な句、縁語、掛詞を使って句の裏を読ませる享楽的な判詞があふれた俳諧。俳諧ライブとして観客を集めるには、この諧謔、言葉遊びの方が受けるため、西鶴は当然談林派。
俳諧宗匠となるとどうなるのか。弟子を取り、句会を催して出座料を取リ、批評、添削して点料をとる、それを出版して原稿料を取るというビジネスとなります。後に浮世草子『好色一代男』『好色五人女』を出版して作家に転じた西鶴は分かりますが、推敲を重ねた『おくの細道』を遺した芭蕉も若い頃はギラついていたことになります。
芭蕉が猥雑な句を詠み水道工事の請負人をしていたというのは、面白い!
続きます。
嵐山光三郎さんには『文人悪食』『追悼の達人』『文人暴食』『文人悪妻』など軽妙なエッセーがあり、けっこう好きな「文人」です。『悪党芭蕉』という、俳聖の仮面を引っ剥がす名著がありますが、今度はエスカレートして「修羅」です。枯淡、漂白の詩人という顔の裏に、衆道だったりお妾さんとの間に子(次郎兵衛、芭蕉を看取った人物)まで成していて、『おくの細道』は仙台藩を探索する「隠密」活動だったという説もあり、なかなか一筋縄ではいかない人物のようです。
水道工事が本業である
芭蕉が、江戸で水道工事請負人だったことは初めて知りました。延宝5年(1677年)から4年間神田上水道の修復工事を請け負ったという記録が残っているそうです。芭蕉がツルハシを振るってモッコを担いでいたわけではなく、町名主の以来で金を集め、人足を組織して改修工事をやったというのです。水道工事は幕府が町名主に命じ、芭蕉(当時は桃青)は町名主の下でこれを請け負ったのですが、土木工事や経理の知識がないと出来ません。芭蕉は何処でこれを学んでいたのでしょうね?。
寛文2年 (1662)伊賀上野の藤堂新七郎良精の嗣子・主計良忠(蝉吟)に仕える(俳号は宗房)
寛文6年 (1666)良忠没
寛文12年(1672)処女句集『貝おほひ』を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納
延宝2年 (1674)北村季吟から『埋木』(俳諧宗匠としての免許)を伝授される、江戸に下る
延宝3年 (1675)西山宗因の百韻興行に参加(俳号は桃青)、江戸デビュー
延宝4年 (1676)山口素堂と『江戸両吟集』刊行
延宝5年(1677)4年間神田上水道の修復工事を請け負う(惣奉行は藤堂新七郎良精)
芭蕉が何故上水道工事という専門的な工事が出来たのかは不明ですが、1)かつて仕えた藤堂家は土木工事を得意としていた、2)主人であった良忠(蝉吟)を通じて工事の惣奉行・良精とコネがあった、3)江戸の俳壇を通じて有力町人に顔が売れていた、というのが著者の推理です。芭蕉は、町名主の小沢太郎兵衛(卜尺)の借家に住み、太郎兵衛の秘書のような仕事もしていたようです。芭蕉は事務も取れ計算にも明るい優秀な人物だったという記録もあるそうです(藤堂新七郎家で習い覚えた)。良忠没の没後、俳諧師として江戸で一旗挙げようという芭蕉を良忠の父良精が応援していた、という事情もあったようです。
『貝おほひ』を引っさげて江戸俳壇にデビューし、俳句の宗匠としては食えないので、町名主の秘書をしていた。たまたま藤堂新七郎良精が神田上水道の工事の奉行になり、町人に顔の広い芭蕉を引っ張った。そういうことのようです。この水道工事が芭蕉に及ぼした影響は?ですが、公共工事を仕切るわけですから、幕府の末端行政組織に組み込まれたことになり、のちの深川隠棲へと繋がります。
芭蕉が江戸で俳諧宗匠へと上昇するについては、藤堂家のバックアップがあります。藤堂家は大老・酒井忠清に繋がっており、この忠清が失脚し忠清に連なる勢力に粛清の嵐が吹き荒れます。たかが俳諧宗匠如きとは思うのですが、周りが心配して「ひとまずは姿をくらましていただきましょう」と芭蕉を深川に隠棲させとようです。隠棲した先が、深川一帯の土木治水工事の元締めで、水路を監視する伊奈代官の屋敷の長屋だったという辺りも意味深。町名主の小沢卜尺、幕府御用達川魚問屋の杉山杉風など芭蕉の周りには幕府の影があります。これで「芭蕉隠密説」に持ってゆこうという著者の目論みかも知れませんが。
万句興行とはなにか
延宝6年(1678)芭蕉は万句興行を催します。万句興行とは俳諧師が集まって1万句を詠み神社等に奉納するイベント、宗匠となるためのデモンストレーションです。万句興行で有名なものが、井原西鶴が延宝元年(1673年)大坂・生玉神社で催した「生玉万句」。156名の俳諧師を生玉神社に集めて12日間かけた興行で、著者はこれを「パフォーマンス系俳諧ライブ興行」と呼び、必要経費は数千万円から1億円と計算します。成果を出版して元が取れるかどうか。続いて西鶴は1時間に100句10時間で千句を詠む一日千句興行を催し『俳諧独吟一日千句』を出版して成功をおさめます。質より量の俳句です。
当時の俳壇には、和歌、謡曲などの古典を踏まえた作風の「貞門派」(松永貞徳)と、諧謔、言葉遊びを中心すると「談林派」(西山宗因)があり、芭蕉は貞門派から出発します。『貝おほひ』は一般受けする檀林派の諧謔を使った句集だったようです(現存しない)。遊里で使われる隠語めいた言葉、猥雑な句、縁語、掛詞を使って句の裏を読ませる享楽的な判詞があふれた俳諧。俳諧ライブとして観客を集めるには、この諧謔、言葉遊びの方が受けるため、西鶴は当然談林派。
俳諧宗匠となるとどうなるのか。弟子を取り、句会を催して出座料を取リ、批評、添削して点料をとる、それを出版して原稿料を取るというビジネスとなります。後に浮世草子『好色一代男』『好色五人女』を出版して作家に転じた西鶴は分かりますが、推敲を重ねた『おくの細道』を遺した芭蕉も若い頃はギラついていたことになります。
芭蕉が猥雑な句を詠み水道工事の請負人をしていたというのは、面白い!
続きます。
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プレイディみかこ ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(2019新潮社) [日記 (2020)]
イギリス人と結婚し、地方都市ブライトンで中学生のひとり息子を育てる日本女性のエッセーです。タイトルの意味は「ぼくは日本人と白人の混血で、それ故気分はチョッとブルーなんだ」ということでしょう。混血であることの生き辛さ、或いは多様性の話かと思ったのですが、それもあるのですが、語られるのは英国の格差と分断の話です。
元底辺中学校
格差とは社会階層の格差、貧富です。財政赤字解消のために福祉・教育予算がカットされたためにこの格差が大きなり、移民問題がこの格差に絡んできます。保育士をしながら中学生の息子を育てる著者は、福祉と教育の場でこの格差に直面し、日本人とアイルランド人の混血であるこの少年はアイデンティーの問題に直面します。
著者の住む地域には、個人が買い取った公営住宅と賃貸の公営住宅があり、さらに「坂の上の高層公営団地」があり、それがそのまま階層と貧富の差となっています。そこに住む子供たちの通う学校の格差となって現れています。学校にもランクがあるようで、著者の息子が通うのが「元底辺中学校」。義務教育ですから住む地域で通う学校が決まるようですが、居住区の格差が学校のランクにあらわれるようです。この「元底辺中学校」に通う少年と母親の話です。
誰かの靴を履いてみること
期末試験の問題「エンパシー(empathy)とは何か」というをめぐる「誰かの靴を履いてみること』という章があります。
EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみるが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。
と少年は言い。母親はエンパシーとシンパシー(sympathy)の問題について考えます。辞書にあたり、シンパシーは「誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」、一方のエンパシーは「他人の感情や経験などを理解する能力」という理解を得、エンパシーとシンパシーの差は、感情と動的な知的作業の差なのだと理解します。
EU離脱派と残留派、移民と英国人、様々なレイヤー(層)の移民どうし、階級の上下、貧富の差、高齢者と若年層などありとあらゆる分断と対立が深刻化している英国で、11歳の子どもたちがエンパシーについて学んでいるというのは特筆に値する。
まさにこの「誰かの靴を履いてみること」がこのエッセーの主題です。
制服を買えない子供のための制服リサイクルと、教育以前に福祉に取り組む教師の奮闘を描いた『ユニフォーム・ブキ』、絵本『タンタンタンゴはパパふたり』からLGBTに踏み込んだ『未来は君らの手の中』、公立校と私立校の格差を扱った『プールサイドのあちら側とこちら側』、等など興味深い話が詰まっています。
日本に住んでいると感じませんが、世界では格差と分断が進み、それを煽るような政権が支持され格差と分断をさらに深めているようです。「誰かの靴を履いてみること」というフレーズは心に響きます。
元底辺中学校
格差とは社会階層の格差、貧富です。財政赤字解消のために福祉・教育予算がカットされたためにこの格差が大きなり、移民問題がこの格差に絡んできます。保育士をしながら中学生の息子を育てる著者は、福祉と教育の場でこの格差に直面し、日本人とアイルランド人の混血であるこの少年はアイデンティーの問題に直面します。
著者の住む地域には、個人が買い取った公営住宅と賃貸の公営住宅があり、さらに「坂の上の高層公営団地」があり、それがそのまま階層と貧富の差となっています。そこに住む子供たちの通う学校の格差となって現れています。学校にもランクがあるようで、著者の息子が通うのが「元底辺中学校」。義務教育ですから住む地域で通う学校が決まるようですが、居住区の格差が学校のランクにあらわれるようです。この「元底辺中学校」に通う少年と母親の話です。
誰かの靴を履いてみること
期末試験の問題「エンパシー(empathy)とは何か」というをめぐる「誰かの靴を履いてみること』という章があります。
EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみるが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。
と少年は言い。母親はエンパシーとシンパシー(sympathy)の問題について考えます。辞書にあたり、シンパシーは「誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」、一方のエンパシーは「他人の感情や経験などを理解する能力」という理解を得、エンパシーとシンパシーの差は、感情と動的な知的作業の差なのだと理解します。
EU離脱派と残留派、移民と英国人、様々なレイヤー(層)の移民どうし、階級の上下、貧富の差、高齢者と若年層などありとあらゆる分断と対立が深刻化している英国で、11歳の子どもたちがエンパシーについて学んでいるというのは特筆に値する。
まさにこの「誰かの靴を履いてみること」がこのエッセーの主題です。
制服を買えない子供のための制服リサイクルと、教育以前に福祉に取り組む教師の奮闘を描いた『ユニフォーム・ブキ』、絵本『タンタンタンゴはパパふたり』からLGBTに踏み込んだ『未来は君らの手の中』、公立校と私立校の格差を扱った『プールサイドのあちら側とこちら側』、等など興味深い話が詰まっています。
日本に住んでいると感じませんが、世界では格差と分断が進み、それを煽るような政権が支持され格差と分断をさらに深めているようです。「誰かの靴を履いてみること」というフレーズは心に響きます。
タグ:読書
久々に料理、ローストビーフに丸ごとキャベツのスープ [日記 (2020)]
【memo】
チーズフォンデュ (とろけるチーズ、牛乳、 バケット、ポテト、ニンジン、ブロッコリ)
チーズと牛乳をグラタン皿(底がflat)に入れて電子レンジで溶かし、保温はホットプレート。”とろけるチーズ”は成分が分離して失敗でした。専用品を買ったほうが良さそう。
ローストビーフ (牛ブロック、醤油、酒、みりん、にんにく、ショウガ、砂糖)
作り方は前回と同じで4分ロースト。肉を焼いたフライパンに肉の漬けタレを入れ、沸騰させて最後にバターひとカケ。マァマァかな、家族には意外と好評でした。
ポテトサラダ (じゃがいも、玉ねぎ、人参(あればキュウリ)、ハム、マヨネーズ)
皮のまま茹でて皮は後で剥いた方が楽です、軍手使用(笑。
キャベツのスープ (ベーコン、コンソメスープの素)
学生時代に作って以来。キャベツをまるごと使います。切り込みを入れてベーコンを挟みコンソメで煮るだけのシンプルなもの。可もなく不可もなく、熱いのがご馳走です。
いい気晴らしになりました。
チーズフォンデュ (とろけるチーズ、牛乳、 バケット、ポテト、ニンジン、ブロッコリ)
チーズと牛乳をグラタン皿(底がflat)に入れて電子レンジで溶かし、保温はホットプレート。”とろけるチーズ”は成分が分離して失敗でした。専用品を買ったほうが良さそう。
ローストビーフ (牛ブロック、醤油、酒、みりん、にんにく、ショウガ、砂糖)
作り方は前回と同じで4分ロースト。肉を焼いたフライパンに肉の漬けタレを入れ、沸騰させて最後にバターひとカケ。マァマァかな、家族には意外と好評でした。
ポテトサラダ (じゃがいも、玉ねぎ、人参(あればキュウリ)、ハム、マヨネーズ)
皮のまま茹でて皮は後で剥いた方が楽です、軍手使用(笑。
キャベツのスープ (ベーコン、コンソメスープの素)
学生時代に作って以来。キャベツをまるごと使います。切り込みを入れてベーコンを挟みコンソメで煮るだけのシンプルなもの。可もなく不可もなく、熱いのがご馳走です。
いい気晴らしになりました。
タグ:絵日記
映画 アウトブレイク(1995米) [日記 (2020)]
原題”outbreak”。感染症が東アジを席捲しています。映画の世界での”パンデミック”は『バイオハザード』とゾンビものです。小説の方で有名なのはカミュの『ペスト』。目に見えないものが人間の想像力を掻き立てるのが”ホラー”だとすれば、目に見えるゾンビよりウィルスのほうがホラーとしては一枚上手です。ペスト菌は中世ヨーロッパの人口の1/3を殺し、20世紀初頭のスペイン風邪は数千万人の人間を死に追いやったということです。パンデミックを映画や小説にすると、ウィルスと戦う人間、パンデミックの環境で相克する人間のドラマを描くことになります。
1960年代にアフリカ、ザイールで出血熱が流行し、米軍は村一つを生者ともどもに焼きウィルスの拡散を食い止めます。これがマクラです。時は現在に移り、またもザイールで出血熱が発生、「アメリカ陸軍感染症医学研究所」の大佐サム・ダニエルズはアフリカに飛びます。陸軍が感染症を研究しているのですから生物兵器と紙一重です。このサムが感染源を突き止め、ワクチンを作ってパンデミックを食い止めるというのがストーリーです。サムの上司フォード准将(モーガン・フリーマン)とこの研究所の長マクリントック少将(ドナルド・サザーランド)、「アメリカ疾病予防管理センター」という政府機関のドクター・ロビーが登場します。サムとロビーは離婚調停中?という設定です。
ペットショップがアフリカから猿を輸入します。この猿が出血熱のウィルスの宿主で、猿に引っかかれた人間から出血熱はアメリカの小さな町に拡散します。SARSの感染源も一時ハクビシンだと言われ、今回のコロナウィルスはコウモリだという話しもありますから、アフリカの可愛い猿というのはリアリティ十分。防護服に身を固めた医師が登場するに至っては、時期が時期だけにこれもリアリティあり。
町を焼き払ってウィルスの拡散を防ぐ作戦がマクリントック少将とフォード准将によって立案されます。この民間人を皆殺しにしても目的を遂げるという発想はアメリカの通弊かもしれません。映画では大統領の許可もとっている!。(アングロサクソはマズイが)アフリカのネグロイドを爆弾で焼き殺しても、黄色人種の上に原子爆弾を落としても罪の意識を感じないというわけでしょう。
もうひとがワクチン。陸軍は、アフリカで出血熱が発生した時このウィルスを持ち帰りワクチンまで造っています。「アメリカ陸軍感染症医学研究所」は、防疫とともに生物兵器の研究開発機関でもあったわけです。それを隠蔽するため、マクリントック少将はワクチンを使わず街の殲滅を優先します。今回のコロナウィルスも、武漢市近い生物兵器研究所から漏れたのではないかと、真しやかに報道されています。今回の患者数と死者の数字が信用できないと米政府は懸念していますが、報道管制はウチがやるなら当然オタクもやっているだろう、ということでしょう。
映画は、サムはがヘリで爆弾を積んだ爆撃機を阻止し、陸軍のワクチンを使って罹患したロビーを救い元のサヤに収まるというハッピーエンドで終わります。街ひとつを爆弾で焼き払うというのは論外ですが、クルーズ船に閉じ込めて拡散を防ぐという今回の出来事はリアリティがあります。きっとハリウッドは放っておかないと思います。パンデミックとクルーズ船に比べると、楽器の箱に入って逃亡したゴーンさんの逃避行などお笑い草と言わざるをえません。 映画を作るなら、ウィルスの漏洩、隠蔽、クルーズ船というところでしょう。豪華客船と映画といえば名作『ポセイドン・アドベンチャー』の伝統があります。その時は、安倍晋三さんも是非出演していただきたいものです。
監督は、『Uボート』のウォルフガング・ペーターゼンです。ハリウッド映画ですから、『Uボート』に比べるとリアリティが希薄です。
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ダスティン・ホフマン レネ・ルッソ モーガン・フリーマン ドナルド・サザーランド ケヴィン・スペイシー
1960年代にアフリカ、ザイールで出血熱が流行し、米軍は村一つを生者ともどもに焼きウィルスの拡散を食い止めます。これがマクラです。時は現在に移り、またもザイールで出血熱が発生、「アメリカ陸軍感染症医学研究所」の大佐サム・ダニエルズはアフリカに飛びます。陸軍が感染症を研究しているのですから生物兵器と紙一重です。このサムが感染源を突き止め、ワクチンを作ってパンデミックを食い止めるというのがストーリーです。サムの上司フォード准将(モーガン・フリーマン)とこの研究所の長マクリントック少将(ドナルド・サザーランド)、「アメリカ疾病予防管理センター」という政府機関のドクター・ロビーが登場します。サムとロビーは離婚調停中?という設定です。
ペットショップがアフリカから猿を輸入します。この猿が出血熱のウィルスの宿主で、猿に引っかかれた人間から出血熱はアメリカの小さな町に拡散します。SARSの感染源も一時ハクビシンだと言われ、今回のコロナウィルスはコウモリだという話しもありますから、アフリカの可愛い猿というのはリアリティ十分。防護服に身を固めた医師が登場するに至っては、時期が時期だけにこれもリアリティあり。
町を焼き払ってウィルスの拡散を防ぐ作戦がマクリントック少将とフォード准将によって立案されます。この民間人を皆殺しにしても目的を遂げるという発想はアメリカの通弊かもしれません。映画では大統領の許可もとっている!。(アングロサクソはマズイが)アフリカのネグロイドを爆弾で焼き殺しても、黄色人種の上に原子爆弾を落としても罪の意識を感じないというわけでしょう。
もうひとがワクチン。陸軍は、アフリカで出血熱が発生した時このウィルスを持ち帰りワクチンまで造っています。「アメリカ陸軍感染症医学研究所」は、防疫とともに生物兵器の研究開発機関でもあったわけです。それを隠蔽するため、マクリントック少将はワクチンを使わず街の殲滅を優先します。今回のコロナウィルスも、武漢市近い生物兵器研究所から漏れたのではないかと、真しやかに報道されています。今回の患者数と死者の数字が信用できないと米政府は懸念していますが、報道管制はウチがやるなら当然オタクもやっているだろう、ということでしょう。
映画は、サムはがヘリで爆弾を積んだ爆撃機を阻止し、陸軍のワクチンを使って罹患したロビーを救い元のサヤに収まるというハッピーエンドで終わります。街ひとつを爆弾で焼き払うというのは論外ですが、クルーズ船に閉じ込めて拡散を防ぐという今回の出来事はリアリティがあります。きっとハリウッドは放っておかないと思います。パンデミックとクルーズ船に比べると、楽器の箱に入って逃亡したゴーンさんの逃避行などお笑い草と言わざるをえません。 映画を作るなら、ウィルスの漏洩、隠蔽、クルーズ船というところでしょう。豪華客船と映画といえば名作『ポセイドン・アドベンチャー』の伝統があります。その時は、安倍晋三さんも是非出演していただきたいものです。
監督は、『Uボート』のウォルフガング・ペーターゼンです。ハリウッド映画ですから、『Uボート』に比べるとリアリティが希薄です。
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ダスティン・ホフマン レネ・ルッソ モーガン・フリーマン ドナルド・サザーランド ケヴィン・スペイシー
タグ:映画
ジョージ.R.R.マーティン 七王国の玉座 下 (2002早川書房) [日記 (2020)]
続きです。
小鬼(インプ)
特異なキャラクターが三人登場します。ひとりはエダード・スタークの私生児ジョン。もうひとりが、小人症で小鬼(インプ)と呼ばれるラニスター家の次男ティリオン。ジョンは私生児という負い目を背負ってスターク家を出てナイツウォッチに入団します。一方のティリオンは、小人症というハンディーをバネに名門貴族の出自をバックに人生に立ち向かいます。ジョンとティリオンの会話、
「道化師の伝統のおかげで、おれはおかしな服を着て、どんなに汚いことでも、頭に浮かんだことを口にしてもいいという特権があるのさ」にやりと笑って、
「とにかく、おまえは私生児だ」「ちょっとした助言を与えてやろう、私生児」
ラニスターはいった。
「自分の出自を絶対、忘れるんじゃないぞ。世間は決して忘れてはくれないからな。それを自分の強みにするんだ。そうすれば、決して弱点にはならない。それを鎧にするのさ。そうすれば、それは決しておまえを傷つける道具にはならない」
ジョンは他人に助言を求める気分ではなかった。
「私生児がどんなものか、わかっているんですか?」
「小人はみんな、父親の目から見れば私生児なのさ」
三人目は、塔から墜ちて半身不随となったスターク家の次男ブラン。彼は足を失った代わりに第三の眼を獲得し、後に大役を背負うことになります。もうひとりシオン・グレイジョイ。シオンの父親が反乱を起こし、エダードが人質として預かり養育しています。シオンもまたストーリーを掻き回す重要な役柄を与えられます。私生児、小人、足萎え、人質というハンディーを背負った登場人物たちが、この物語の重要なパートを担うことになります。
謀反
エダードは前”王の手(宰相)”の死の真相を探るうちに、ロバート王の三人の子供は正嫡子ではなく、王妃サーセイの不義の子であることを突き止めます。三人の子供の父親はサーセイと双子の弟ジェイム。後にドラゴンが登場するくらいですから、この物語は何でもありです。この事実を知ったため前”王の手”は何者かに殺されたわけです。エダードはこれをサーセイに告げ、王都から立ち去ることを勧め、いよいよラニスターvs.スタークの抗争が始まります。
ロバート王が狩りで瀕死の重傷を負い、今わの際に、王子が成人するまでエダードを摂政に任命する遺言を残して死にます。正嫡でないジョフリーは王座に就けないと、エダードは後継にロバートの弟スタンニス・バラシオンを推し、サーセイは当然息子のジョフリーを立てようとします。よくある「お家騒動」です。この時、レンリー・バラシオンはエダードにクーデターを勧め、王の評議会メンバーであるヴェーリス公は王妃サーセイ側に付くことを勧めます。
サーセイはいち早く行動を起こし、ジェフリーを玉座に座らせて既成事実を作り、遺言を無視してエダードを謀反人とて捕らえます。エダードは、クーデターを起こせば王位に付くこと出来たはず、サーセイに付けば王の手として地位も安泰だったはずですが、筋を通してスタンニスを王位に就かせようとしたためサーセイに先を越され、サーセイに破れたわけです。ラニスター家の血をひくジョフリーが新王となり、サーセイは摂政、サーセイの父タイウィン・ラニスターが王の手となり、サーセイの弟ジェイムが近衛騎士長となって、七王国の主バラシオン家はラニスター家に乗っ取られたことになります。
ヴェリース
スパイの長で宦官のヴェリースもジョン、ティリオンと同じ位相の登場人物。貧民街で生まれ奴隷に売られ宦官として成り上がった人物です。七王国各地にスパイを放ち、情報によって王の評議会の一員まで上り詰めます。ヴァリースは城の地下牢に囚われたエダードに食料を差し入れ、エダードが罪を認めて生き延びることを勧めます。
「教えてくれ、ヴァリース公。きみは本当は誰に仕えているのか?」
ヴァリースは薄笑いを浮かべた。「国家ですよ、あなた。失ったわたしの男根にかけて誓います。わたしは国家に仕え、国家は平和を必要としているしているのです」
「教えてくれ、ヴァリース公。きみは本当は誰に仕えているのか?」
ヴァリースは薄笑いを浮かべた。「国家ですよ、あなた。失ったわたしの男根にかけて誓います。わたしは国家に仕え、国家は平和を必要としているしているのです」
「エダード公、教えて下さい・・・あなた方大貴族が王位争奪戦を演ずるとき、最も被害を受けるのは常に無辜の民であるのはなぜですか?」
下層階級出身のヴァリースは、無辜の民を護るために国家に仕えていると言います。シルクを纏いスキンヘッドに化粧を施す怪物ヴェリースもまた、ティリオンの世界の住人かもしりません。
エダードは人質となった娘のために罪を認めたものの結局反逆者として処刑され、長男ロブとケイトリンは兵を挙げます。
死人
下層階級出身のヴァリースは、無辜の民を護るために国家に仕えていると言います。シルクを纏いスキンヘッドに化粧を施す怪物ヴェリースもまた、ティリオンの世界の住人かもしりません。
エダードは人質となった娘のために罪を認めたものの結局反逆者として処刑され、長男ロブとケイトリンは兵を挙げます。
死人
権力闘争の隙きに、七王国を脅かす脅威が北から起こります。壁の北に出かけたナイツウォッチの隊員が”ゾンビ”となって壁に戻り、ナイツウォッチの司令官を襲います。壁の北では、ヘラ鹿とマンモス(いるんだ!)が南や東に移動し、幾つもの野人の村が放棄され、野人の王が砦を築き戦士を集めていいます。冬の到来は死人を目覚めさせ、死人は人間世界へ侵攻を開始します。ロブの挙兵を聞いた野人のひとりは、ロブが向かう先は南ではなく北だと言います。
七王国の玉座をめぐる争いにゾンビが絡んで、物語は展開します。第1部だけでも1000ページ弱、しかも2段組。全部で7部ですから長い!。
七王国の玉座をめぐる争いにゾンビが絡んで、物語は展開します。第1部だけでも1000ページ弱、しかも2段組。全部で7部ですから長い!。
タグ:読書