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カズオ・イシグロ 忘れられた巨人 ① (2017ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)  『日の名残り』『わたしを離さないで』に続き、カズオ・イシグロです。

 姿は霧で見えなくても、異形の者の荒々しい息遣いはいたるところから聞こえてきたはずだから。ただ、と出くわした人々がそのたびに腰を抜かしていたかと言えば、そうではない。鬼は、日常に存在した危険の一つにすぎず、心配すべきことはほかにもいくらでもあった。


 『わたしを離さなで』の背景はSFでしたが、今度は「異形の者」や「鬼」が登場しますからファンタジーです(後にはドラゴンまで登場)。アーサー王の甥ガウェン(円卓の騎士)が登場しますから、舞台は5世紀後半から6世紀初めのブリテン島ということになります。ローマ帝国撤退の後、ブリテン島の支配をめぐってブリテン人(ケルト人)とサクソン人が争っていた時代の物語です。と言っても歴史小説ではなく、その時代を舞台とした寓意小説?です。

この国は健忘の霧に呪われている
 『忘れられた巨人』は、ブリトン人のアクセルとベアトリスの老夫婦が息子を訪ねる話です。

息子はなぜここに、わたしらと一緒にいないのかな。
おまえの言うとおり、息子の村まではほんの二、三日かもしれない。だが、どうやって見つければいい

不思議なことに、老夫婦は、何故息子は父母の元を離れたのか、息子を訪ねると言いながら何処に住んでいるのかさえ知らず、息子の顔も声も思い出せないことです。これは老夫婦の話だけではなく、村全体が罹った「物忘れ」「記憶の喪失」の病のようなもので、

村人にとって、過去とはしだいに薄れていき、沼地を覆う濃い霧のようになっていくもの。たとえ最近のことであっても、過去についてあれこれ考えるなど思いもよらないことだった。

例えば、アクセルは赤毛の祈祷師が居なくなったことに気づき、村人に訪ねますがそんな女が居たことさえ誰も忘れている。幼い少女マルタが夜になっても帰ってこないので村中大騒ぎとなります。ところが”ヌエワシ”の噂を誰かが話し出した途端、マルタの話しは忘れられます。過去は忘れ去られ直近の記憶も霧の彼方へ消え去る、そんな世界の物語です。

この国は健忘のに呪われている
わたしらの記憶は消え去ったわけじゃない。このいまいましい霧のせいで、どこかに隠されているだけだ。

『わたしを離さないで』においても、次々に謎が提出されその謎解きで物語が進行しました。『忘れられた巨人』は、国を覆う「霧」と「記憶の喪失」という謎からスタートします。

分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?
 アクセルとベアトリスの息子を訪ねる旅が始まり、ふたりは、雨宿りをした廃屋で諍う老婆と船頭に出会います。老婆は夫と共に「島」に渡ろうとしますが、船頭は夫だけを島に渡し老婆を拒否、夫婦は離れ離れとなりこれが諍いの原因だというのです。この「島」というのも謎。島に渡るということは何を意味するのか?。

まれに、二人一緒に島に渡れることもあるんです。めったにないことで、認められるには、二人がきわめて強い愛情で結ばれていることが必要です。この方とご主人の絆は弱すぎたんです。

夫婦揃って島に行くためには、ふたりの強い愛情が必要で、この老婆夫婦にはそれが無かったというのです。夫婦の絆を確かめるために、船頭はふたりに「一番大切に思っている記憶」を質問し、ふたりの記憶が一致すれば夫婦は強い絆で結ばれていることになると言います。老婆夫婦の一番大切な記憶は異なっていたため、船頭はこの夫婦の愛情を疑ったわけです。人と人の絆は共通の「記憶」によって成り立っている、というのです。

分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?アクセル、わたしたち、そのころを思い出すことさえできずにいるじゃありませんか。そのころも、その後も。派手な喧嘩の思い出も、楽しかった瞬間の思い出もない。息子の顔も、いなくなった理由も思い出せない。(ベアトリス)

取り戻せるさ、お姫様。全部、取り戻せる。それに、おまえへの思いは、わたしの心の中にちゃんとある。何を思い出そうと、何を忘れようと、それだけはいつもちゃんとある。
記憶がなくなったら、わたしたちの愛も干上がって消えていくんじゃない。
わたしらの記憶は消え去ったわけじゃない。このいまいましい霧のせいで、どこかに隠されているだけだ。(アクセル)

物語全体も「霧」に覆われていようで曖昧模糊。記憶を失ったアクセルは「信頼できない語り手」ということになります。

サクソン人
 この時代、ブリテン島にはブリテン人とサクソン人が混在しています。アクセルとベアトリスはサクソン人の村に一夜の宿を求めます。村は、「悪鬼」が村人を殺し少年をさらっていったという混乱の最中。遠い国の沼沢地から来たという戦士ウィスタンが現れ、鬼退治と少年の救出に向かいます。アクセルは戦士を見て、

その男は人だかりの真ん中に歩み入ると、当然のように手を剣の柄に置いた。その動作がもたらす安心と興奮と恐怖の入り混じった感情が、まるでわがことのようにアクセルにもわかった。この不思議な感覚はなんだろうと思った。

戦士は、アクセルに会ったことがあるような口ぶりで西の国から来たのではないかと聞き、アクセルは昔兵士だったのか?、ブリトン人の農夫ではないのか?アクセルは何者なのか?。

 ベアトリスは、村の薬師の助言で持病を診てもらうために修道院に向かいます。村の長老は、修道院は雌竜クエリグ(ドラゴン)の国にあること、アーサー王の時代からの生き残りで、昔、アーサー王からクエリグ退治を命じられた騎士がいること、騎士に遭うだろうことを伝え、いよいよドラゴンと「円卓の騎士」の登場となります。アクセルの村の住居は穴だったし、鬼やドラゴンが登場しますから”ホビット”の世界です。そう言えば『七王国の玉座』にもドラゴンが登場します。

 戦士は鬼退を退治し少年の救け出します。少年は、鬼によって噛み傷を負っており、村人は悪鬼に噛まれた者はいずれ悪鬼に変わると信じているため迫害される恐れがあります。長老は、アクセルに少年を村から連れ出しの息子の村に連れてゆくことを依頼し、戦士が同行することとなります。

 4人はアーサー王の甥で老騎士ガウェイン卿に出会い、物語は新たな展開を迎えます。
 ブリトン人のガウェイン卿はアーサー王にドラゴン退治を命じられている。この地を治めるブリトン人のブレヌス卿は、ドラゴンを捉えて武器として使いブリテン島支配の野望を持っている。サクソン人の戦士ウィスタンは、それを阻止するためサクソンの王にドラゴン退治を命じられている。ブリトンの人アクセルは、ウィスタンとブレヌス卿の兵士の闘いを見て、自分がかつて戦士であった記憶を取り戻す。などなど、ブリトン人とサクソン人にドラゴンとアーサー王伝説が絡み、カズオ・イシグロ版『ゲーム・オブ・スローンズ』が進行します。

続きます。

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絵日記 サーターアンダギー [日記 (2020)]

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 「サーターアンダギーミックス」という粉で作りました。沖縄のお菓子らしいですが、ボールの揚げドーナツけっこう美味しい。
琉球銘菓 サーターアンダギー 3袋セット

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映画 イリュージョニスト(2010仏) [日記 (2020)]

イリュージョニスト [DVD]  『ぼくを探しに(2013仏)』のシルヴァン・ショメのアニメです。この監督は元々アニメ作家で、『ぼくを探しに』が最初?の実写映画だったようです(但し完成度は高い)。『ぼくを探しに』同様、この映画の面白さも文章にし難いです。会話の少ない全編パントマイムのようなアニメで、ですから映像そのものを楽しむことができます。適度にデフォルメの効いた手書き風の絵は、ノスタルジックで癒やされます。


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 ストーリーはシンプル、老手品師タチシェフと少女アリスの出会いと別れに過ぎません。1959年パリ、ミュージックホールで幕間に手品を演じるタチシェフは、売れない芸人。帽子からウサギを出す手品がウリのようです。手品師と旅するこのウサギは、シチューの具にされかかったりと映画にアクセントを添えています。タチシェフの手品を見たスコットランド人が「オレの故郷に来ないか」と誘い、手品師とウサギはパリからロンドン、スコットランドへと旅に出てストーリーが動き出します。都会では売れなかったタチシェフの手品も、田舎(離島?)のパブでは拍手喝采。タチシェフは、このパブ兼宿屋のウェイトレス兼女中のアリスと出会います。アリスは、「田舎のパブで燻ぶっていても仕方がない」と思ったのかどうか、島を去るタチシェフに付いてゆき、手品師と少女の旅が始まります。

 「旅芸人」は、『道』『ロスト・チルドレン』『魔術師』『旅芸人の記録』などなど映画の伝統なんでしょうか、漂泊と哀愁の象徴です。「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」と、句会を開きながら旅をした芭蕉もまた旅芸人?。タチシェフはエジンバラ?のミュージックホールに出演し、アリスはタチシェフと暮らし始めます。アリスはタチシェフのために食事を作り、ふたりで街を散歩してフィッシュ アンド チップスを食べたり、まるで父と娘のような生活です。タチシェフはアリスを喜ばすために、服や靴を買って与えます。そのためアルバイトを始めます。タチシェフは時折写真に見入りますから、故郷に残した娘がいるのか、幼い娘を亡くしたのか。タチシェフは、その娘を想ってアリスを慈しむのでしょう。
 少女から娘に脱皮したアリスに恋人が出来ます。ふたりのデートに遭遇したタチシェフの慌てぶりは、父親そのもの。娘の成長を見届けた老手品師は引退を決意し、ウサギを野に放し、「魔法使いは、いない」と置き手紙を残して去ります。「魔法使いは、いない」とは、アリスへの別れの言葉であり”はなむけ”の言葉なのでしょう。
 老手品師が少女と出会って分かれるそれだけですが、ほのぼのと心にしみるアニメです。オススメ。

監督:シルヴァン・ショメ
脚本:シルヴァン・ショメ
原作、オリジナル脚本:ジャック・タチ


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地獄の釜の蓋(キンランソウ) [日記 (2020)]

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地獄の釜の蓋(キランソウ)        在来種タンポポ
 俗名「地獄の釜の蓋」とは穏やかでない名前ですが、立派な?雑草です。キランソウ(金襴草)という優雅な名前も持っています。雑草で雑草を防ぐという発想があるらしいので、カバープランツとして庭にも移植しています。薬効もあるらしい。

 近辺のタンポポを調べてみると、全部在来種。外来種が幅を利かすタンポポ界で、在来種がまだまだ頑張っているのは嬉しいです。新型コロナウィルスで喧しい人間界をよそに、春になったら地獄の釜の蓋やタンポポが咲いて桜や桃が花をつけます、当たり前ですがこれも嬉しい。

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備忘録 映画と原作 (4) 邦画編 [日記 (2020)]

ぼく東綺譚 (新潮文庫)墨東綺譚 [DVD]

 洋画編を考えたので、邦画どうなんだろうとblogから拾ってみました。
 洋画と同様、原作の方がはるかに面白いですが、原作を超えた(と勝手に思っている)のが『時代屋の女房』。原作をここまで膨らませた脚本に脱帽です。面白いのは、宮尾登美子の「土佐もの」を、五社英雄が任侠映画に改変していること。『 岩伍覚え書』一本をネタモトに、『』『寒椿』『陽暉楼』『鬼龍院花子の生涯』と4本モノにする辺りはご立派。こういう解釈もアリかなと思います。
 原作を読んでいると楽しめるのが『それから』。重要なキーワードの「銀杏返し」と「百合の花」を映像で見せられと「なるほど」と思います『断腸亭日乗』を下敷きにした『濹東綺譚』のエロスは新藤兼人ならではの一作。磯田道史の歴史書から『武士の家計簿』が生まれるのも驚きです。浅丘ルリ子、草笛光子など往年の美女を揃えて老婆の反乱を描いた『デンデラ』も面白いです。

デンデラ:佐藤友哉 デンデラ(2009新潮社)
寒椿:宮尾登美子 寒椿
:宮尾登美子 
陽暉楼:宮尾登美子 陽暉楼岩伍覚え書
北のカナリアたち:湊かなえ 往復書簡 
それから:夏目漱石 それから
永遠の0:百田尚樹 永遠の0
八日目の蟬:角田光代 八日目の蟬
わが町:織田作之助 わが町
蝉しぐれ:藤沢周平 蝉しぐれ
羅生門 デジタル完全版:芥川龍之介 藪の中 
スパイ・ゾルゲ:ロバート・ワイマント ゾルゲ 引裂かれたスパイ・・・などなど。

 映画と小説では元々表現手法が異なるから、同列に論じる事自体が無意味だと思います。Wikipediaの原作と映画
例えば、『砂の器』やジャン・ルノワール監督の『ピクニック』など原作とは異なる内容、古典文学を原作としない、短編小説を原作とした映画の方が「名作」とされることが多い。

つまり、原作に触発されて映画独自の世界を創造したということでしょう。

沼野充義は「単純にスローガン的に、文学を原作にした映画の効用」として3つあげている。
・原作と違うといって文句を言えること
・文学では見てはいけないものを映画にすると見ることができる」ということ、ワレーリイ・フォーキン監督 『変身』など。
・三番目は「読み切れない作品を二時間程度で読んだ気になれる」ということ。例えば『戦争と平和』など。

なるほど。カフカの『変身』は観てみたいです。

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新型コロナウィルスの影響 (2) 電子図書館 [日記 (2020)]

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 新型コロナウィルスも、晴耕雨読の生活には申し訳ないですが”どこ吹く風”。奥さんなどは、電車に乗って実家の墓参りに行きました。自分だけは感染しないと思っているようです。トイレットペーパーの品切れも1週間で回復し、もマスク以外は買い物も問題なし。株価が17,000円割れですが、大して持っていないので気に病むこともありません。

 唯一の被害が図書館。20日に休館が解けると思っていたところ、館臨時休館延長で、「当面の間」と目処が経っていない様。宙に浮いた本は電子本購入となり思わぬ出費です。

 市の電子図書館もあったんだ、と見てみました。「期間限定【特別公開】」というのが催され

新型コロナウイルス感染拡大防止のための臨時休校を受け、電子図書館では出版各社の協力によって、期間限定で4月5日までご利用いただける電子書籍を用意しました。
・「角川つばさ文庫」(KADOKAWA)
・「ふりがなキッズプログラミングシリーズ」(インプレス)
・「Hir@gana Times」(ヤック企画)
・ 保健指導のための「子どもの感染症と予防接種の手引き」第4版(母子保健事業団)
・英語学習関連書籍(Jリサーチ出版)

で、一般向きはどうなんだと検索すると、約8000タイトルで小説は1699タイトル、青空文庫、グーテンベルグ21などなど。好みにもよりますが、これはという本は見つかりません。ミステリが多く、音声読み上げの本もあります。東洋文庫が100冊ほどあり、イザベラ・バード『日本奥地紀行』やルイス・フロイスの『日本史』があります。amazon、青空文庫に加え選択肢が一つ増えました。

 手始めに、windows版ブラム・ストーカーの『ドラキュラ (平井 呈一訳 )』を借りてみました。音声で読み上げてくれます、これは初体験。寝っ転がって読む(聴く)のにいいですが、眠ってしまいそう。但し、朗読は若い女性の可愛い声で、ちょっと...。これがpaperwhitweに入れば言うことないのですが、ダウンロードは出来ません。
1.jpg朗読部分が黄色となる

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映画 エル ELLE(2016仏独ベルギー) [日記 (2020)]

エル ELLE [DVD]  原題もELLE、フランス語で”彼女”という意味だそうです。このELLEことミシェル(イザベル・ユペール)が覆面の男に自宅でレイプされるシーンから始まります。彼女は荒された室内を掃除し、ゆっくり風呂をつかい、宅配寿司を注文する余裕。警察は信用ならないと被害届けも出さず、レイプ犯撃退用に辛子スプレーと斧を買いますから、今度来たら”殺す!”ということなのでしょう。

elle(ミッシェル)
 ミシェルの人物像が次第に明らかになります。彼女はゲーム会社の社長でバツイチ。元麻薬の売人という出来の悪い息子にはもうすぐ子どもが生まれるようですから、彼女はいい歳のオバサン。母親は整形を重ね若い男と結婚を目論み、父親はミシェルが10歳のころ無差別殺人を犯し無期懲役で刑務所。こうした過去が彼女を強くしたことが想像できます。
 会社ではやり手の社長として社員からは嫌われ、ミシェルがモンスターに襲われるという動画が社内にバラ撒かれる嫌がらせまで起きます。おまけに共同経営者アンナ(アンヌ・コンシニ)の夫とオフィスラブという無軌道振り。またも覆面男が現れて彼女をレイプしますが、灰皿でこれでもかと相手を殴りつけ...→これはミシェルの妄想で、その後ニヤリ。まるで襲われるのを待っているかの様。フェミニズムもジェンダーも吹っ飛び、後になって”mee too”などとは決して言わないタイプです。

 レイプ犯からメールが届くようになります。ベージュの服が似合っているなどと、犯人はミシェルを見張っている、あるいは身近の人間ということになります。犯人は社内にいる? →コイツか?と思う男性社員を社長室に呼んで、「ズボンを脱げ」。この社員は割礼していなかったのでシロ、いくら社長とはいえ、です。誰がレイプ犯なのかという一応ミステリ仕立てですが、真犯人などどうでもよくなり、ミシェルの悪女振り?に見とれてしまいます。二度目に襲われた時、レイプ犯の覆面を剥ぎ取り掌にハサミを突き立てます。なんとレイプ犯は向かいに住む銀行員のパトリック。その後何食わぬ顔で近所付き合いをし、”目覚めた”ミシェルは、パトリックを誘惑します。ミシェルの悪女振りはとどまるところがありません。

elles(女たち)
*アンナ
 ミシェルの親友でゲーム会社の共同経営者。夫がミシェルと浮気していることを知ると夫を叩き出し、その後ミシェルと同棲 →ふたりとも「男など要らない!」ということでしょう。
*ミシェルの母親
 夫が服役中に女手ひとつでミシェルを育て、ひ孫ができるという歳で整形して若い男を漁る。
*ジョジー
 ミシェルの息子ヴァンサンの同棲相手。ヴァンサンを完全に支配。生まれた子供は肌の色が黒く、父親は彼ではなさそう。
*エレーヌ
 ミッシェルの元夫リシャールの恋人、ヨガのインストラクター。売れない作家リシャールを見限る。
*レベッカ
 ミシェルの家の向かいに住む銀行員の妻。レイプ事件終了後、「変態の夫と付き合ってくれてありがとう」とミシェルに言う度胸がある。

 つまり、登場する女性は誰もが精神的に自立し”したたか”。

ils(男たち)
*リシャール
 ミシェルの元夫で売れない作家。レイプ犯に間違われ、撃退スプレーをかけられる間抜けぶりを発揮。恋人のエレーヌに捨てられる。
*ロベール
 アンナの夫でミシェルの不倫相手。ミシェルはセックスだけの関係と割り切っている。「嘘をつくのが嫌になった」とミシェルがアンナに浮気を告白したため家を追い出される。
*ヴァンサン
 元麻薬の密売人で現在はファーストフード店の店員。恋人ジョジーの生んだ肌の色が違う子供を我が子と疑わないお人好し。母親を襲ったレイプ犯を撲殺するはめに。
*パトリック
 向かいに住む銀行員、レベッカの夫。レイプでなければ性的に満足できない変態 →つまりミシェルを襲ったレイプ犯。懲りずにミシェルを襲撃し、ヴァンサンに殺される。
*ミシェルの父親
 無差別殺人で服役中、動機などは不明。ミシェルは母親のたっての願いで面会に行くが、彼女が面会に来ると聞いた途端自殺してしまう。スマホの画面と死体でのみ登場。

 男性は皆ひ弱で線が細い。何やってるんだ!と言いたくなります(笑。

 『エルELLE』は、カトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、アンナ・カリーナなど美女を据えて「男と女」を描いてきたフランス映画の最右翼のような映画です。
 “性悪女”の物語というと、映画『黙秘』があります。キャシー・ベイツの圧倒的な存在で、見ごたえがありました。『黙秘』のドロレスは「悪態が生きるよすが」とつぶやきますが、ミシェルなら「性悪こそ生きるよすが」と言いそうです。イザベル・ユペールの存在感も強烈で、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたそうです。amazonのカスターレヴューを見ていると好悪分かれるようですが、ミシェルの痛快無比な悪女振りには脱帽というほかはありません、さすがフランス映画。オススメです。

監督:ポール・バーホーベン
出演:イザベル・ユペール クリスチャン・ベルケル アンヌ・コンシニ クリスチャン・ベルケル

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花桃 [日記 (2020)]

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 桃の花が咲きました。ご近所から頂いた実生の花もも。昨年、桃栗三年で花をつけ実がなったので植え付けました。今年、芽が出るでしょう。

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備忘録 映画と原作 (3) 洋画編 [日記 (2020)]

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) ブレードランナー ファイナル・カット [DVD]  『わたしを離さないで』で、映画と原作の違いを考えてみました、けっこう面白い。原作は、人の成長と「喪失」の物語だと思うのですが、映画の方はラブストーリー。映画には時間的制約があり商業的成功が課せられていますから致し方ないことですが、「ちょっと違うなぁ」というのが実感。サスペンスやミステリと違って、文芸作品を映画化するのは難しいようです。

 小説と映画の両方を読んだ・観たというものがどれほどあるんだろうと、blogを検索してみました。けっこうあります。大抵は原作の方が面白いですが、 『 黙秘』のように、キャシー・ベイツの圧倒的存在感で原作を凌ぐ?映画もあります。『特捜部Qシリーズ』のように、サスペンスとしての面白さより、登場人物、はみ出し刑事カールとシリア移民のアサド、多重人格者のユアサのコンビネーションで”見せる”というものもあり、いろいろです。マーティン・スコセッシが長年あたためていたと言われる『 沈黙 -サイレンス-』も、アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソンと有名俳優を揃えているわりには、遠藤周作の原作ほどの思想性は無さそうです。
 原作と映画のバランスがとれているものには、『ことの終わり』(グレアム・グリーン情事の終わり)、『怒りの葡萄』(スタインベック怒りの葡萄)、『裏切りのサーカス』(ジョン・ル・カレティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ)などがあります、好みにもよりますが。
 『ラスト・エンペラー』(R・F・ジョンストン 紫禁城の黄昏)、『薔薇の名前』(ウンベル・トエーコ 薔薇の名前)は別物の考えていいでしょう。『ブレードランナー』はフィリップ・K・ディック アンドロイドは電気羊の夢を見るか?に触発されて映画として成功した典型です。小説を読んで映画を観るのは邪道ですが(たいてい裏切られる)、映画を観て原作を読むと2倍楽しめます(楽しめる場合もある)。『アナイアレイション -全滅領域-』の原作も面白そうなので読んでみようかと思います。

わたしを離さないで(2010英):カズオ・イシグロ わたしを離さないで
ゲーム・オブ・スローンズ:ジョージ.R.R.マーティン 七王国の玉座
幸せなひとりぼっち:フレドリック・バックマン 幸せなひとりぼっち
特捜部Q―檻の中の女―:ユッシ・エーズラ・オールスン 特捜部Qシリーズ
沈黙 -サイレンス-:遠藤周作 沈黙
エニグマ:ロバート・ハリス 暗号機 エニグマへの挑戦
チャイルド44 森に消えた子供たち:トム・ロブ・スミス チャイルド44(2015米)
コン・ティキ:トール・ヘイエルダール コン・ティキ号探検記
悪童日記:アゴタ・クリストフ 悪童日記
レインメーカー:ジョン・グリシャム 原告側弁護人
リンカーン弁護士マイクル・コナリー リンカーン弁護士  
裏切りのサーカス:ジョン・ル・カレ ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ
黙秘:スティーヴン・キング ドロレス・クレイボーン
モールス、ぼくのエリ 200歳の少女:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト MORSE-モールス-
カラマーゾフの兄弟:ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
ことの終わり:グレアム・グリーン 情事の終わり
ヒマラヤ杉に降る雪:デイヴィッド・グターソン 殺人容疑
薬指の標本:小川洋子 薬指の標本
25時:デイヴィッド・ベニオフ 25時
怒りの葡萄:スタインベック 怒りの葡萄
パフューム ある人殺しの物語:パトリック・ジュースキント ある人殺しの物語
日の名残り(1993英)日の名残り
アイ・アム・レジェンド:リチャード・マシスン アイ・アム・レジェンド(地球最後の男)
ダヴィンチ・コード:ダンブラウン ダヴィン・チコード
愛を読むひと:ベルンハルト・シュリンク 朗読者
ブラッド・ワーク:マイクル・コナリー わが心臓の痛み
小説家を見つけたら:ジェームズ・W・エリソン 小説家を見つけたら
鷲は舞いおりた:ジャック・ヒギンズ 鷲は舞い降りた
ラスト・エンペラー:R・F・ジョンストン 紫禁城の黄昏
薔薇の名前:ウンベル・トエーコ 薔薇の名前
ブレードランナー:フィリップ・K・ディック アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
ブラック・ダリア:ジェイムズ・エルロイ ブラック・ダリア 
二十四時間の情事:マルグリット・デュラス ヒロシマ・モナムール ・・・などなど。

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映画 わたしを離さないで(2010英) [日記 (2020)]

わたしを離さないで [DVD] わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)  小説が面白かったので映画を観てみました。『エクス・マキナ』『アナイアレイション -全滅領域』のアレックス・ガーランド(脚本)がこの小説をどう料理するか興味あるところです。カズオ・イシグロの小説は、『日の名残り』が映画化されていますが、決して成功作とはいえず原作の方が圧倒的に面白いです。それに比べると、『わたしを離さないで』は、3人の若い男女が主人公であり背景がSFですから映画には向いています。
 ストーリーは他に譲り、アレックス・ガーランドが原作の何を切り捨て何を加えたか、を中心に見てゆきます。

ヘールシャム 1978年
 イングランド然としたヘールシャムのたたずまいを背景に、制服姿の小学生の学校生活が描かれます。このグラマースクールの様な寮生活の映像と、そこで暮らす生徒たちは、実は臓器提供のために育てられる”クローン”人間だったという落差は、原作以上にショッキングです。原作もそうですが、早い段階で彼らがクローンであることが明かされますから、クローンと臓器提供はストーリーの主題ではありません。主題はもっと別のところにあるはずです。
 ストーリーの中心が、キャシー、トミー、ルースの三角関係であることは原作通りです。キャシーが何くれとなくトミーに世話をやくシーン、講堂に集合したなかでルースがトミーの手をそっと握るシーンは、後の3人の複雑な関係を暗示しています。この辺りの映像化は素晴らしいです。
 キャシーが、『わたしを離さないで』の曲に合わせて枕を抱いて踊るシーンです。原作では、”マダム”がキャシーの姿を見て涙を流すこのシーンはハイライトのはずですが、映画では、キャシーを見つめるのは何故かルースで、マダムの涙はカットされています。従って、キャシーの『わたしを離さないで』への思い入れは十分に伝わりません。「ノーフォーク=遺失物保管所 説」もカット。

コテージ 1985年
 18歳となって、舞台はヘールシャムからコテージへ移り、キャシーをキャリー・マリガン、トミーをアンドリュー・ガーフィールド、ルースをキーラ・ナイトレイが演じます。このコテージ時代のエピソードは、後の展開に関わってきます。ノーフォークで”ポシブル(possible)”と呼ばれるクローンのオリジナル(親)探し、ポルノ雑誌、臓器提供の”執行猶予の噂”、執行猶予と絵と関連などはもれなく登場しますが、失くした『わたしを離さないで』のミュージックテープを、リサイクルショップで見つけるエピソードはありません。ヘールシャムで始まった三角関係は、ルースとトミーは”カップル”に発展しています。キャシーとトミーの関係が気になるルースは、「アンタは後釜に座れない」とキャシーに啖呵を切り、ヘールシャムの伏線が見事に回収され、次の展開に続きます。

終了 1994年
 介護人となったキャシーは、臓器提供の手術を受けたルースを介護します。死期を悟ったルースは、ヘールシャムでキャシーとトミーの関係に割って入った罪を告白します。ふたりが本来の関係を結ぶことを願い、マダムにふたりの愛を証明して、臓器提供の執行猶予を申請することを薦めます。ルースとトミーがマダムを訪ね、そこでエミリ先生と会い、”執行猶予”がないこと、ヘールシャムの成り立ちと閉鎖の訳を知ります。帰途にトミーが運命を呪うように絶叫し、4回目の提供の後”終了”することも原作通り。キャシーはノーフォークに出かけトミーの幻を見て映画は終わります。
 ラストシーンで、木の枝や有刺鉄線にゴミがからまっている様子が映し出されます。何でゴミなのか?は原作を読まないとイメージ出来ません。原作のこの部分は、

わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。
この場所(ノーフォーク)こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。
やがて地平線に小さな人姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました…。

海岸線に打ち上げられたゴミは、3人が見に行った廃船、難破船を指します。そしてキャシーはトミーの幻影を見て、THE ENDとなります。
 映画はで、1ヶ月後に提供の手術を受けることが決まったキャシーの独白で終わります。

ここには、過去に失ったものがすべて流れ着く気がする。ここで待てば地平線のかなたに人影が現れる。近づくその人影はトミーだ。彼は手を振り私を呼ぶ。・・・トミーを知っただけでも幸せだった。

私は自分に問う、私たちと私たちが(臓器提供で)救った人々の違いが?。皆”終了”する。”生”を理解すること無く--命は尽きるのだ。

映画と原作 
 映画は、臓器提供と「死」を運命づけられたクローン人間の悲恋。施設で育んだキャシーとトミーの愛がルースによって引き裂かれ20年後に結ばれるが、トミーの死によって終わるという愛の物語です。原作は、キャシーが愛を育んだヘールシャムとルース、トミーを失い、ノーフォーク=遺失物保管所という精神領域に楽園とトミーを定着させるという、「喪失」の物語だと思われます。原作では重要なこのノーフォークというkey wordが、映画ではスッポリ抜け落ちています。愛の物語、しかも死を運命づけられたクローンの愛の物語の方が、映画としては本道でしょうね。「喪失」の物語など誰も見に行きません。

 原作のある映画化するというのは難しいです。小説は文字から、映画は映像からイメージを得ます。さらに映画には1.5時間から2時間という時間的制約があり、投資のリターンが要求されます。原作の質がどれほど高くても観客が入らなければ映画として成り立ちません。従って、原作のイメージを壊さない範囲で、原作の改変、脚色が必要となります。大抵の映画が、観客が望むテーマを抽出して映像化しています。これは仕方がないことです。むしろ原作を離れて原作にspirareされて映像化した方が成功するようです。例えば『ブレードランナー』。

 脚本を書いたアレックス・ガーランドには、臓器提供のために人間に飼育されるクローンは何故人間に反乱を起こさないのか?、という想いがあったはずです。原作でも、人間より優れたクローンを生み出そうとする科学者の存在が触れられています。この疑問の帰結が、アンドロイドの反乱を描いた『エクス・マキナ』でしょう。

監督:マーク・ロマネク
脚本:アレックス・ガーランド
出演:キャリー・マリガン アンドリュー・ガーフィールド キーラ・ナイトレイ

ザ・ビーチ(2000年) - 原作
28日後... (2002年) - 脚本
28週後... (2007年) - 製作総指揮
* わたしを離さないで(2010年) - 脚本・製作総指揮・・・このページ
エクス・マキナ(2015年) - 監督・脚本
* アナイアレイション -全滅領域(2018年) - 監督・脚本

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