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スマイルゼミ タブレット その後 [日記 (2020)]

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 続きです。返却するまでいろいろ遊んでみました。

アプリ:GooglePlayがあるので、インストール可能。メモリが小さいのであれこれ入れるのは控えた方がいいでしょう。インストールしたのは、Google日本語入力、YouTube(持ち主の要望)のみ。

インターネット:検索するぶんには十分。GPSはありませんが、地図検索もできます。

動画:wifi環境によるでしょうが、youtubeは十分。プライムヴィデオはシーンによってはもたつきます。SDカードに入れたアニメは、快適に再生できます。スピーカーが1つしかないので、ヘッドフォンは必須。ヘッドフォンはステレオで、音質は映画を観るには十分です。

バッテリー:個体にもよるでしょうが、私の場合120分のアニメ1本で、100→30%まで減ります。専用充電器が無くとも、USBで充電可能です

カメラ:〈3〉がin200 out500らしいですから、似たようなもの?。in、outの切替とホワイトバランスはカメラ画面長押しで設定できます。動画も撮れます。

録音:音声レコーダーのアイコンがあるので、試してみました。背面のスピーカーがマイクとなっているようです。カメラとマイクがあればzoomが利用ができそうです、zoomはandroid4.xまでokだと言っています。

USB:USBストレージをONにすれば、ファイルのやり取りができます。

タッチパネル:付属のペン無しでもokです。

 持ち主はyoutube専用端末とするそうです。用途をひとつかふたつに絞った専用タブレットであれば、十分使えそうです。9.7インチの画面を生かした、動画あるいはbook readerあたりがおすすめです。android4.4ですが、大抵のアプリは使えると思います。使わなくなったスマイルゼミ タブレットがあれば試してみる価値はあります。
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 最近の子供は、ピアノで曲を覚えるのもYoutube!。

タグ:タブレット
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宮崎駿 コミック 風の谷のナウシカ ② (徳間書店1997) [日記 (2020)]

風の谷のナウシカ 4 (アニメージュコミックスワイド判) 風の谷のナウシカ 5 (アニメージュコミックスワイド判) 風の谷のナウシカ 6 (アニメージュコミックスワイド判) 風の谷のナウシカ 7









続きです。
土鬼
 面白いのは宗教国家「土鬼」。トルメキアは王権国家で、王と3人の皇子の権力闘争に第四皇女クシャナの反乱と、まぁよくある話。土鬼は、僧を氏族の頂点に戴く部族国家の連合体で、これを率いるのが神聖皇帝。現在皇帝は空位で、権力は不老不死の超能力を持つ皇弟が握り、兄が帝位を狙っているという設定です。トルメキアも土鬼も政治的不安定な帝国。君主制国家をドラマで描けば必然的にこうなります。

 土鬼の首都には旧文明の墓所があり、土鬼の国家基盤は墓所に保存された旧文明の技術によって成り立っています。墓所は、火の7日間で文明が滅びるに際し、旧人類が、将来の文明再建のために旧文明の科学技術を収めたアーカイブ。ナント、墓所には墓を守る集団と墓の「主」が住んでいます。旧文明の遺物として宇宙船が登場しますから、墓の主は、『2001年宇宙の旅』の人工知能HALの様なものかも知れません。ちなみに、ナウシカは最後にこの墓の主と対決します。

神殺し
 ナウシカが迷い込んだ「庭」。庭は、墓所が科学技術を収めたアーカイブなら、旧文明の音楽と文学など芸術のアーカイブで、旧世界の動植物を集めたノアの方舟。庭の主によってこの世界の秘密が明かされます。
 自ら造った巨神兵によって世界を滅亡の危機に追いやった旧人類は、汚染された大地を浄化するために腐海を作り、人類復活のために生き残った人々を(環境に適合するように)改造したのです。そして新たな文明復活のために、科学と芸術のアーカイブを用意したのです。この世界を作った「神」がいたというわけです。その神ともいうべき存在が墓所に住む「主」。人類滅亡から千年、人間は主によって業苦を背負って生かされてきたわけです。

 ナウシカと巨神兵の「母と子」は主と対決します。主は、文明の再建に手を貸せ、とナウシカに言います。

やがて腐海の尽きる日が来るであろう 青き清浄の地がよみがえるのだ
浄化のための大いなる苦しみを罪への償いとして、やがて再建へのかがやかしい朝が来よう

それは違う、とナウシカは言います。人類を滅亡の淵に立たせた「主」の科学と芸術は、復興した人類を再び滅亡へと追いやる。お前の知識で作られた土鬼の兵器で多くの人が死んでいるではないか。お前の言う「かがやかしい朝」が来ても、その先に待っているのはまたも破壊と死だ。お前の指図などは受けない!、と。

私達の身体が人工で作り変えられていても
私達の生命は私達のものだ、生命は生命のカで生きている
その朝が来るなら私達はその朝にむかって生きよう、私達はお前を必要としない!

 ナウシカと巨神兵は墓所を破壊し主を殺します。人間による「神殺し」でナウシカの物語は幕を閉じます。

 『風の谷のナウシカ』で描かれたのは何だったのか?。最後にナウシカは墓所とその主、主に使える教団を否定します。したがって、ナウシカたち新人類は、旧人類の軛(くびき)を絶って腐海とともに生きてゆくという宣言の物語です。それはそののまま我々の世界に対するナウシカの「否(ノン)」でもあるわけです。

 マンガで神と人間の対話を読まされるとは思ってもみませんでした。壮大で難解、面白いといえば面白いです。

タグ:読書
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スマイルゼミ タブレットのAndroid化 [日記 (2020)]

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 スマイルゼミを退会した →普通のタブレットにならないか、と持ち込まれました。スマイルゼミってjustsystemなんですね。タブレットはR2という小学生用。これが<3>なら手間をかけずにandroidタブレットになるようですが、R2を検索してみるとファームウェアを入れ替えしないといけないらしい。rom焼きはXperiaでやって以来久々。こちらココを全面参照 →ありがとうございます。

*書き込みツール(RockChip_Batch_Tool_v1.8.zip)
*USBドライバー(Win7用:rk3188-32bit-win7.rar)
*イメージファイル(yk976-rk3188-rk616-act8931-MCP-HB-8312-9.7_1024x768_gsl3680-f2035b2035-8188-4.4-20141128.rar)

手順としては、
1)一旦電源を落とし、タブレットをアップデートモードで起動(電源と音量+を同時に押す)
2)USBドライバーでPCにタブレットを認識させる
3)書き込みツールを使って、イメージファイルをrom焼きする

 つまずいたのは2)、PC(win10、64bit)がまったく認識しません。数十回?試してやっと認識。コツは、デバイスマネージャーを立ち上げておいて、電源と音量+を同時に押し続け、デバマネにデバイスが現れた時点で手を離すと認識します。?マークが出るので、ドライバーをインストール。後は書き込みツールでイメージファイルを焼くだけです。androidのバージョンは4.4.2です。メモリ1Gですから遅いですが、まぁなんとか使えます。要望のyoutubeは十分、試していませんが、android4.4.2でカメラもあるので、Zoomも使えそうです。
 zoomは使えませんでした。4.4.2に対応するapkもありインストールもできますが、Updateがポップアップして、yesでもnoでもミーティングに参加が出来ません(最新版の5.0は4.Xには対応していません)。試している間に分かったのですが、このオリジナルromはrootです!。
書き込みツール.jpg Screenshot_2020-07-29-08-17-44.jpg
 書き込みツールです。最下段左端で英語になります。PCがタブレットを認識しているとボタン1が緑になります(画像は書き込み済のものを使ったのでピンクです)。イメージファイルを指定して、読み込んだ後、upgradeボタンをクリックすれば勝手に書き込んでくれます。自動で再起動されandroidが立ち上がります。至って簡単です。

 rom焼きしたのでスマイルゼミはキレイに消えて、スッキリしたものです。デフォルトでAdobeAir、ApkInstaller、Explorerがあります。新たに入れたのは、Google日本語入力、YouTube(持ち主の要望)のみ。PCにつなぐとAD971JTとして認識します。難は、スピーカーが1個で音が悪い、GPSが無いことですが、これで一応のことはできますから、立派なタブレットになったわけです。小学生のタブレットしては十分!。

改造したタブレットのスペック、いずれも”たぶん”ですw
OS:Android4.4.2
メモリ:1G
フラッシュメモリ:10G(SDカードスロット有り)
ディスプレイ:9.7インチTFT
タッチパネル:静電
WiFi:IEEE802.11 b/g/n
USB端子:マイクロUSB(充電可能)
カメラ:フロント&バック
ヘッドフォン:ステレオ端子あり
マイクはありません(USBでつかえるかも未確認)、スピーカーの辺りにマイクがあるようです。GPS、ブルートゥースはありあせん。 →使ってみました

スマホ、タブレットで遊んでいます →こちら

タグ:タブレット
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宮崎駿 コミック 風の谷のナウシカ(徳間書店1997) [日記 (2020)]

風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)風の谷のナウシカ 2 (アニメージュコミックスワイド判)風の谷のナウシカ 3 (アニメージュコミックスワイド判) 今更ながら『風の谷のナウシカ』。アニメは地上波で放映され何度か観ていますが、アニメと原作は別物と聞いたので、漫画(コミック)を読んでみました。1984年にアニメ化されていますが、宮崎駿は1994年まで書き継いでいったことになります。宮崎駿のアニメはたくさんありますが、漫画は本作と『風立ちぬ』2作だけ、宮崎の思い入れが窺われます。
 マンガを読むのは『カムイ伝』以来数十年ぶりで、活字慣れした身にはマンガを読むのは一苦労。

ナウシカの世界
 アニメの方は、核戦争を思わせる「火の7日間」で文明は崩壊し、生き残った人類は、巨大化した昆虫と「瘴気」を撒きちらす菌類のはびこる世界で生き残り、ナウシカが「腐海」の謎を解き、破壊さらた自然との共生を模索するエコロジー。アニメは、コミックの第1~2巻をダイジェストしたものです。コミックはアニメの終わったところから始まります。
 文明を再興した人類は、北のトルメキア帝国と南の土鬼諸侯国(ドルク、これはアニメには登場しません)が覇権を争って戦い、それに巻き込まれた辺境国の「風の谷」のナウシカが、世界に平和を取り戻そうとする話です。腐海、王蟲と巨神兵も登場しクシャナ、ユパも健在ですが、アニメとコミックは全くの別物。

 ナウシカの乗るメーヴェ(動力付きグライダー)や戦闘機ガンシップも「火の7日間」の後に興ったエフタル文明の遺物で、補修はできても航空機のエンジンを作るだけの科学文明は持っていません。政治形態は封建制、経済は農業中心でマニュファクチャーが生まれていた中世末期のヨーロッパのごときもの。工房都市ペジテが、世界を7日間で滅ぼしたという最終兵器・巨神兵を掘り出し、トルメキア帝国が巨神兵を奪おうとしたことで戦争が勃発します。ナウシカは、このトルメキア戦争に巻き込まれる形で登場しますから、中世ヨーロッパとジャンヌ・ダルクを下敷きにした騎士物語ともいえます。銃弾が飛び交いガンシップのドッグファイトがあるかとおもえば、腐海の剣士ユパがセラミックの剣を振るいます。

腐海と巨神兵
 宮崎駿の最大の妄想が「腐海」です。トルメキアも土鬼も想像の範囲ですが、腐海という発想はちょっと思い付きません。腐海は、核戦争の後に誕生した菌類の生態系で、腐海の出す毒(瘴気)を吸うと人間は5分と生きられないという、文明が生み出した負の遺産です。ところが、腐海は、核戦争で汚された大地を浄化するという役目も担っています。腐海に生息するのが王蟲などの「蟲」というのも秀逸。王蟲が大暴走(大海嘯)し、その亡骸を苗床に菌類が繁殖して腐海が広がり、人類を追い詰めてゆきますが、これは同時に人類を救うわけですから両義牲を持っています。腐海と王蟲は『ナウシカ』の重要なメタファーです。

 もうひとつのメタファーが、核の象徴の巨神兵。7日間で世界を焼き尽くした巨神兵の「火」は、アニメではトルメキア軍が王蟲攻撃に使います。コミックでは、巨神兵は単なる兵器ではなく、意識(自我)を持った存在として描かれ、自分を解放してくれたナウシカを母親と見なすようになります。宮崎駿はナウシカを何処へ誘うのか。続きます

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田川建三 イエスという男 ① 逆説的反抗者の生と死(1980三一書房) [日記 (2020)]

イエスという男 第二版 増補改訂 イエスという男―逆説的反抗者の生と死   本書には2004年の第二版 増補改訂版があるようです。読んだのは1980年の第一版。

第一章 逆説的反抗者の生と死
第二章 イエスの歴史的場
第三章 イエスの批判─ローマ帝国と政治支配者
第四章 イエスの批判─ユダヤ教支配体制に向けて
第五章 イエスの批判─社会的経済的構造に対して
第六章 宗教的熱狂と宗教批判との相克

ナザレのイエス
 イエスは、キリスト教のイエスと歴史から見たイエスの二人がいます。興味があるのは、宗教のフィルターのかかったイエスではなく、BC5年頃にガラリア湖の畔で生まれ、AD30年頃35~6歳で殺されたナザレのイエスです。現代の感覚で言えば、こんな辺境で生まれた「イエスという男」がなぜ世界的宗教のキリスト教となったのか不思議です。
 イエスの言動は4つの福音書に書かれています。イエスの死後一世紀頃に書かれたこれらの福音書は、イエスをキリスト(救世主)にする経典ですから、潤色、脚色が数多くあるそうです。そのヴェールを一枚一枚剥がしながら史的イエスの実像に迫ろうというのが本書。ミステリーを読むノリで読んでみました。

福音書

 福音書には、イエスによって語られる多くのたとえ話が収録され、その譬話に福音書の記者による解説が付きます。有名な

人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。マタイ5-39 この後に

下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。5-40 →普通は上着がさきです
もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。5-41
汝の隣人を愛し、汝の仇を憎むべし。5-44 と続き

これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。マタイ5-45
汝らの父の慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ。ルカ6-36

と注釈が付きます。「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」とイエスは言ったんでしょうね(マルコ福音書には無い)。この文言に「慈悲」を結び付けたのはマタイとルカの福音書記者だといいます。イエスが何を言いたかったのか不明な言葉に、聖書記者は独自の解釈を施します。聖書学では、譬話は、ほぼイエスの言葉を伝えているが、解説や隠喩は福音書記者の創作だそうです。著者は福音書からイエスの言葉だけを取り出し、当時のユダヤの歴史から、これに独自の光を当て「イエスという男」の実像に迫ります。

 福音書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあり、いずれもイエスの死後の1世紀頃4人の記者によって書かれということです。信者と教団のために、イエスの言葉を散逸するまえに書物にしておこうとしたんでしょう。マルコ福音書はぺトロの弟子マルコ、マタイ福音書はマタイの属していた教会の誰か、ルカ福音書はパウロの弟子で医者のルカ?、ヨハネ福音書は不明。『マルコ福音書』→『マタイ福音書』→『ルカ福音書』→『ヨハネ福音書』の順番に書かれたらしいです。面白いのは、マルコ福音書に先行する?イエスの言葉を集めた仮説資料の『Q資料』。マタイ福音書はマルコ+Q資料+独自資料、ルカ福音書もマルコ+Q資料+独自資料によってまとめられたらしい。ヨハネ福音書は、先行の3福音書(共観福音書)を基にヨハネを名乗るグループによって自分達の教義に基づいて再構築した新たな福音書、ということらしい。この4つの福音書以外(外典)にも「マグダラのマリアの福音書」、「ユダの福音書」まであるそうです。

 著者は、イエスの言葉から福音書・記者のレトリックを剥ぎ取り、その言葉はイエスがおかれている「歴史の場」では如何なる意味を持つのか、という作業からイエスが言ったであろう言葉の真の意味を浮かび上がらせます。そこから見えてくるのは、イエスは「逆説的反抗者」だと言います。

逆説的反抗者の生と死
 例えば誰でも知っている有名なイエスの言葉、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」。これはふつう「寛容」の精神を説いたものと理解されていますが、著者によると、寛容は後の教会のこじつけだといいます。

 古代社会において、肉体的に実際にしばしばなぐられていた者は奴隷であり、下層階級の者である。彼らにとっては、だまってなぐられることはすぐれた道徳でも何でもありはしない。その方が安全だというにすぎない。おとなしくもう一つ余計になぐられておいた方が、反抗してもっとひどい目にあったり、殺されたりするよりはましなのである。

左の頬を差し出すのは自己防衛であり、「さぁもう一発殴ってみろ」という殴られる側のふてぶてしさだといいます。

「上着を欲しいという人がいれば、下着もあげるようにしなさいよ」イエスのこの言葉が、搾取され、抑圧される者の憤りを表現していることは、しかも、その憤りを爆発させることができず、屈折した屈従の心理に身をしずめる者のうめきとして表現している

 イエスは愛だの寛容などを説いたわけではないといいます。「右の頬」も「上着と下着」も、文言の前と後ろにはイエスの注釈があったはずです。でなかったら、「殴られっ放しか」「泥棒に追い銭か」と聴衆から文句が出たはずです。イエスの説教の聴衆は、殴られても反抗できない人々であり、ローマ帝国やユダヤ教に税金を取られる貧しい人々だったはずです。その人々が「左の頬も出せ」「下着もやれ」という説法を聴くということは(後世まで伝えられるということは)、彼らはイエスの言葉に逆説の毒を読んだということなのでしょう。福音書の著者はその毒を抜き去り、教会は愛と寛容にすり替えたのです。

 また、イエスは彼らに貧しきものは幸いだと説きます。福音書の著者が削ったイエスの言葉を著者が甦らせます。

金持ちがが幸福で、貧しい者が不幸だなどということが当然のこととして認められてよいはずはない。もしも此の世で誰かが「幸いである」と祝福されるとするならば、貧困にあえぐ者を除いて誰が祝福されてよいものか。もしも「神の国にはいる」なんぞと言えるとしたら、俺たち貧しさをかかえてすったもんだやっている者達をおいて、どうして言えるのか。いや、「神の国にはいる」なんぞとは言うまい。神の国は貧乏人のものなのだ。きっとそうしてやる

「きっとそうしてやる」と言ったかどうか。

 もうひとつ面白い例があります。イエスが取税人の家で飯を食べた噂を聞いた律法学者は、普段は偉そうなことを言っているイエスが下賎な取税人と酒食を共にするとは何事だと非難します。当時取税人は賎しいとされていたようです。ちなみに、イエスは人の家に上がり込んで飲んだり食ったりするのが好きだったとか?。

私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ マルコ 2-17

福音書では、イエスは「罪人を招いて悔い改めさせるため」に取税人の家出飯を食ったのだ、という解釈になっていますが、別の章で、

取税人や遊女の方があなた方よりも先に神の国にはいる マタイ21-31

あなた方が誰を指すか分かりませんが、取税人や遊女を蔑む人でしょう。その人たちに、取税人や遊女だから救われるのだと言ったわけです。歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」です。時代と国は違えど、宗教家は同じ発想をするんですね。

 著者は「99匹と1匹の羊」のたとえ話しをネタにこう結びます、

大切なのは九十九ではなくて一だ。こう主張する時、もはや人は深く全体を見通す平衡のとれた理性を失っている。暴論ですらある。だがそのように叫び出さねばならない状況はしばしばあるものだ。・・・逆説的反抗なのである。此の世で実際にこのようなことを、ある程度以上主張すれば、叩きつぶされざるをえない。実際には九十九の力に一が勝つはずがないからだ。逆説的反抗に立ち上れば、人は悲劇に突入する。しかし歴史を動かしてきたのはさまざまな悲劇だった。イエスという人がさまざまな場面で語り、主張してきた逆説的反抗を「真理」の教訓に仕立て変えてはならない。イエスは「真理」を伝えるために世界に来た使者ではない。そのように反抗せざるを得ないところに生きていたからそのように反抗した、ということなのだ。そして、もう一度言うが、だから殺されたのだ。

 
逆説を説くイエスがなぜ民衆の支持を得たのか、その辺りはよく分かりません。引き続き読んでみます。

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李志綏 毛沢東の私生活 下(文春文庫1996) [日記 (2020)]

毛沢東の私生活 下 (文春文庫) 続きです。
七千人大会(1962)
 廬山会議で彭徳懐を失脚させ、抵抗勢力を封じ込めたものの大飢饉は続き、劉少奇のリカバリーで経済はなんとか復調しつつあります。毛沢東としてはこれが面白くないないわけで、党中央の実権派、劉と鄧小平追い落としを画策します。次なる仕掛けが、現場を仕切る下級幹部層よる「七千人大会」。煽動しやすい下級幹部を大量に集めたのがこの会議のミソ。

 この会議で、劉少奇は、大飢饉は天災ではなく人災であり、大躍進の「左翼冒険主義」を批判。周恩来は、知識人擁護を演説し、林彪は毛沢東礼賛一辺倒。鄧小平は、有名な「白い猫だろうと黒い猫だろうとどちらでもかまわない。鼠をとるのがよい猫である」と言ったかどうかは書いてませんが、人民公社の解体と農地請負制度、戸別耕作制による農業の立て直します。
 毛はこの大会に出席せず、人民大会堂第118号室の特大ベッドの上でくつろぎ、毛の楽しみのために集まった若い女たちと「休憩」し、議事録に読みふけっていたらしい。

 当然「七千人大会」の論調は面白くないないわけですが、大飢饉の責任は自分にあるという風向きは否定できず、生涯唯一の自己批判をします。その自己批判も、自分が間違っていたとは言わず、

 
直接的、間接的に党中央に帰せられるすべての誤りに私は責任を負っている。なぜなら、私が党中央の主席だからである」「私はほかの者たちがみずからの責任を逃れようとしてもいいと言っているのではない。実際に、ほかの者も多くが責任の一端をになっているのだ。しかし、私がまず第一に誤りに責任を負うべき人間だろう

と連帯責任にすり替え、一転、劉少奇や鄧小平の「農地請負耕作制」を攻撃しはじめます。この制度は、個人の土地所有に等しく資本主義の復活だというわけです。中国は資本主義復活の危険に直面しているとし、階級闘争によってそれと闘わねばならないと宣言します。かくして、プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争の名のもとに、党内実権派(右派)から権力を取り戻す権力闘争、文化大革命が開始されます。

文化大革命
 発端は戯曲『海瑞罷官』。海瑞は時の皇帝の政治を批判して罷免となった明代政治家で、北京副市長・呉晗海瑞を賛美した戯曲を書き上演されます上海の評論家・姚文元は、海瑞罷官』は海瑞にことよせて

反革命分子などの名誉回復や集団化された農地の農民への再分配・人民公社解体を密かに訴えている

とこれを批判した論文を発表します。牽強付会、言いがかり、ゴマすりですが、7千人大会で大躍進が批判され、彭徳懐等の名誉回復が論議され、自己批判までさせられ退潮著しいた毛沢東はこの論文を梃子に巻き返しを図ります。毛は、妻の江青を利用し、「反『海瑞罷官』キャンペーン」を起こします。ことの発端となった上海に飛び、政治局常務委員会の拡大会議を招集し、学界、教育界はブルジョア知識人が何年にもわたって左派の意見と思想を弾圧してきたと主張し、文学、歴史、法律、済学における「文化革命」の発動を司令します。

毛沢東は二正面作戦をとっていた。政治局常務委員会に対し指導的なブルジョア知識人への批判を呼びかける一方、常務委員会と党指導層の外に出て自分のもっとも親しい盟友とくに江青と康生ら――を中心とする対立グループを育てあげつつ、政治局常務委員会と党中央書記処内にいる自分の敵を攻撃させた。前例のない工作であった。これまで毛沢東がこんな党中央の高官に対する全面攻撃を仕掛けたことはなかった。

 いよいよ「文化大革命」が始まります。なぜ学生等若者が毛の権力闘争に乗り煽動され、「文化大革命」の熱狂を生み出したのか?。フランス五月革命、コロンビア大学闘争、全共闘運動は1968年5月。いずれも時代の閉塞感を打ち破ろうとする若者の意思表示だったわけです。文化大革命は、大躍進の失敗に対する怒りが、共産党中央の右派打倒という形で現れたものと考えられますが、面白いのは、矛先が大躍進の提唱者・毛沢東に向かわず、大躍進に批判的な党中央の実権派に向かったことです。時の指導者に対する憤懣を毛は権力闘争に巧みに利用したことになります。

1966年7月29日の人民大会堂で行われた会議でのエピソード、

毛沢東はステージをあとにして意気揚々と一一八号室へひきあげた。周恩来が忠犬よろしくそのあとを追った。毛沢東は劉少奇や鄧小平に一瞥もくれず、その存在すら目に入らなかったごとくで、両首脳はただ茫然としてステージにとり残されたのだった。聴衆は毛沢東のメッセージを見落としようがなかった。主席は劉少奇、鄧小平から距離をおいたのであった。

周恩来が忠犬よろしくそのあとを追った、周恩来の姿を如実に捉えた描写かも知れません。

 三日後の八月一日、毛沢東は清華大学付属中学の若い生徒に手紙を書きおくる。若者の一グループが「紅衛兵」と名のる造反グループを結成していたのである。毛沢東はこの組織をほめたたえ、「造反は正しい(造反有理)」と述べた。毛の言葉は学生の刊行物に転載され、たちまち全土いたるところで若者たちのスローガンとなっていっ た。紅衛兵グループは全国の大学、高校、中学に続出しはじめる。

毛は学生たちを煽動します、「司令部を砲撃せよ!」と。この後は、知っての通り階級闘争に名を借りた魔女狩りの嵐が中国全土に吹き荒れます。(この項終わり)

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大島真寿美 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び(文藝春秋2019) [日記 (2020)]

【第161回 直木賞受賞作】 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び近松半二
「なんや、ついに書いてんのやな」
ふふ、と男が、硯(すずり)を見ながらかすかに笑う。
「まあな。いっぺん、きちっと書いて持って来てみ、って、そういわれたからには、そろそろ書かなあかんやろ、と、わしもいよいよ思ったというわけや」
・・・「ところがや。なんでか、書ける、って気しかせえへんのやな。だったら書かな、あかんやろ」
そう言って、男は視で墨をする。この男、半二という。

 第161回 直木賞受賞作です。舞台が道頓堀ですから、会話はすべて大阪弁。近松門左衛門と親しかった父親から門左衛門の硯を譲り受け、半人前が二人で一人前や、と自らを近松半二と名乗る人形浄瑠璃作者の物語です。半二に敬意を表し、二には及ばない「三」の字を付けた歌舞伎芝居の作者・正三(しょうざ)。半二と正三がそれぞれ浄瑠璃と歌舞伎の狂言作者としての腕を競い、歌舞伎が浄瑠璃を凌駕してゆ道頓堀の盛衰が描かれます。

 半二は、儒者・穂積以貫の次男で、浄瑠璃好きが高じて母親から家を叩き出され、竹本座で狂言作者の修行を積みます。ストーリーは、半二が『妹背山婦女庭訓』によって歌舞伎に押されていた浄瑠璃に隆盛を吹き込み、結局は歌舞伎に呑み込まれる物語です。ハイライトは、この『妹背山婦女庭訓』。この狂言は「大化の改新」がベースとなっていますが、四段目で三輪山麓の酒屋の娘お三輪が登場し狂言を引っ掻き回すそうです。このお三輪のモデルが、半二の兄の元許嫁・お末。お末は、長男に名家の娘を嫁に迎えたい母親によって穂積家を追い出され、恋仲だったお末と長男は仲を裂かれます。奈良に帰り造り酒屋に嫁いだお末が、後日半二を訪ね浄瑠璃見物をし、一時は駆け落ち、心中まで思い詰めたことを語ります、

それにしても、こんなふつうのおなごでも、いちどは駆け落ちやら心中やらを企てたりしたこともあったんやな、と思うと、半二は舞台の上の人形よりもお末という人間がなにやら薄気味悪くなってくる。他家に嫁いで、はや子もいるそうなのに未だに成し遂げられなかった心中にこだわりを見せるのも、半二には解せない。そんな厄介なものを後生大事に抱えて生きていけるものなのか。そのくせ、舞台のうえの心中に滑稽さが滲めば、はははは、とこだわりなく声をあげて笑っているのだから、屈託があるのやら、ないのやら、半二にはそれすらわからない。

あんたには一生わからへんかもしれへんな、・・・あのな、阿呆ぼん、教えたろか。いったんおなごがその気になったら、誰でも色男になってしまうんやで。ま、からくりみたいなもんやな。お末が含み笑いをしながら、半二に顔を近づけ、ささやく。

お末とお佐久
 お末がお三輪のモデルだとは一言ありませんが、お末の「からくりみたいなもんやな」の一言が半二の人生を決定づけていったわけでしょう。
 もう一人お佐久。道頓堀を追い出された半二は、京都四条の煮売り屋の二階で狂言作りに没頭します。この煮売り屋を手伝う後の半二の女房となるのがお佐久。15の歳で叔父の煮売り屋に女中に出され、店が繁盛し出すとお佐久無しでは回らなくなり、里に戻る話も嫁に行く話もうやむやとなり25の歳になるまで店を切り盛りしたきたらしい。

もうこうなったら、このまんま、当分ここで気楽に暮らさしてもろて、あと何年かして、泰助のところにお嫁さんでもきたら、そのときは出ていこか、思てます。探せば、うちひとりくらい、つこうてくれるところ、ありますやろ。ないならないで、いざとなったら里の山科へ戻って、近所の尼寺へでも入りますわ。

「尼さんになるんか」
「へえ。そうして死ぬまでお経唱えて暮らしますわ」

どこまで本気か、どこからでまかせかわからぬ調子で、火鉢に手をかざし、ふふふと笑うお佐久。痩せてはいるけれど、ぎすぎすしたところがなく、どこかしらふっくらした印象を抱せる。

 お末とお佐久、造り酒屋と煮売り屋をきびきびと切り盛りする様子も瓜二つ。半二はお佐久相手に狂言の想を練り道頓堀に帰り咲きます。『渦』の主人公は半二であり、正三が絡み父親・以貫、人形遣い文三郎など多彩な人物が登場しますが、この二人は影の主役です。

虚実皮膜
 もう一人、半二を「あほボン」と呼ぶ乳母のお熊。半二の母親・お絹の臨終の枕元で、お佐久が半二に渡した香をきこめた手拭いを嗅がせ、お絹に半二が器量よしで気立てのいい嫁を貰い竹本座に立作者になった「物語」を語ります。以貫は、

ええ物語やったで。お熊の拵えた物語は。でまかせにしては、ようでけてた。それに、お熊のやつ、存外、役者でな。あんまりうまいことしゃべりよるんで、わしまで、うっかり信じてしまいそうになったわ。

 戯作者・半二の物語を語るお熊もまた戯作者。この世は芝居、狂言や、というわけです。

芸といふものは実と虚うそとの皮膜の間にあるものなり、虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有たもの也(穂積以貫『難波土産』)

という近松の芸論〈虚実皮膜論〉を地でいってます。

 『妹背山婦女庭訓』ヒロインお三輪が突如ストーリーに乱入します。

いややわあ、半二はん!。 そうでっせ。私でっせ。
ここにいるのは、三輪です、三輪。私です。
四段目に入ると、可愛い娘はんらが、身を乗りだして、私を見つめてくれはる。がわかるんです。まるで、我が事のように、お三輪の定めを見つめてくれはる。
その娘はんらが一心にみつめてくれはりますのや。
目ぇきらきらさして、痛いくらいに強う、みつめてくれはる。
お三輪を。お三輪、 いうおなごを。

そうや。
お三輪は自分らと そうかわらへん町娘や。そのお三輪が、舞台で自分らにはでけへんことしてんのや。

お三輪を「痛いくらいに強う、みつめてくれはる」のは、 竹本座で半二と一緒に浄瑠璃を見たお末でありお佐久に他なりません。

おそらく客は、このよく知っているような気がしてならない、三輪の里の田舎娘、杉酒屋のお三輪に乗り移って、王朝時代ものの世界、蘇我入鹿の住む御殿へと誘われていくのである。お三輪には、悠々と時を超える力があったし、世界を切り裂く力があった。お三輪は客を乗せて運べる乗り物となれる人物なのだった。おい、お三輪、お前はたいしたやっちゃなあ。半二はお三輪に話しかける。

ところがです、お末はあっけなく死に、お佐久はヒット作の出ない半二を煮売りの商いで支えます。半二は今わの際に、

まあまあやな。わしの一生、まあまあやったけども、まあまあ、いうんは、あんがい、ええもんなんやで
半二の顔に笑みが広がる。
な、そやろ。ああ、そやけど、わし、もうちょとだけ、書いときたいんやけどなあ。あかんかなぁ。

 全編大阪弁の「語り」はなかなか新鮮です。

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金完燮 親日派のための弁明 ② (草思社2002) [日記 (2020)]

親日派のための弁明続きです。
日本の統治
 日韓併合の後、朝鮮は近代化の道を歩み出します。日本の投資は、多い年には国家予算の20%にあたる2000万円に達し、経済成長率は1911年~1938年年平均3.8%、工業生産比率は18%から41%になるそうです。農業生産の増加、教育の普及など朝鮮の近代化は、呉善花『韓国併合への道』、李栄薫『反日種族主義』などにも詳しく述べられていますから、間違いのない事実なのでしょう。

 この日帝支配35年の間に、朝鮮民族は日本は国土の40%を収奪され、従軍慰安婦、徴用工と塗炭の苦しみに陥り、一方で、満州では抗日ゲリラを組織し中国共産党と共に日本軍と戦い、大韓民国臨時政府を作って独立運動を繰り広げます。さらに日本の敗戦によって独立を果たし、朝鮮戦争、軍事政権、漢江の奇跡をへて今日の繁栄を築いた、ということになっています(韓国の高校歴史教科書)。

 日本が朝鮮の農業生産性向上のために投資した灌漑事業や農村開発事業、興南(咸鏡南道)の窒素肥料工場、水豊(平安北道)の水力発電所、鎮南浦(平安南道)の工業団地などの重化学産業の建設などは、何処へいったんでしょう。

私たちが韓国社会への日本の寄与を高く評価すべきなのは、かれらが朝鮮半島に社会間接資本を建設して工場を建てて人びとを開化させたからではない。もし私たち自身が立憲君主国家をつくり、長い歳月をかけて自力で近代化をこころみたとしても、当時の朝鮮の文化、社会制度、理念といった精神的な装置は堅牢で、私たち自身の手では壊せなかった。500年という長きにわたってつくられ、改められ、ととのえられた精巧な体制だったから、すこしくらいの変化と衝撃ではびくともしない。日本という異民族の統治を受けたがゆえに、かくも短期間に前近代的な要素を徹底して破壊し、そのうえに新しい社会を移植できたのだ。

 韓国近代化のために、壬午軍乱、甲申政変、東学農民戦争、甲午改革、乙未事変と、5回の試みがあったわけですが、いずれも失敗しています。近代化のためには500年の儒教社会の破壊こそが必要であり、この破壊は外部勢力なくしてはなし得なかったのです。

 本書でも述べられていますが、台湾もまた日本の多額の投資によって近代化を果たした国です。国民党はこの日本の遺産をそっくり乗っかって今日の繁栄を築いたことになりますが、今日の台湾に韓国なような反日感情はありません。

 著者は、アメリカ自治連邦のプエルトリコを例に引き、民族の独立とは全てが善かと問います。19世紀末までスペイン領だったプエルトリコは、1898年にアメリカに占領され以来、貧しい農業国は先進工業国に変貌し、現在では一人あたりの国民所得が7000ドルを越す中南米でもっとも豊かな国となります。アメリカの統治を受けていなかったら、プエルトリコはラテンアメリカの最貧国であったことは確実。プエルトリコにも独立を訴える民族解放軍があるそうですが、独立すれば国民は現在の生活レベルを維持できるかどうか。

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金完燮 親日派のための弁明 ① (草思社2002) [日記 (2020)]

親日派のための弁明  本書は、一言でいうと「日韓併合肯定論」です。韓国でこれを声高に述べると、生きていけません。著者も脅迫を受け、閔妃の子孫!から名誉毀損で訴えられ(そんなの可能なんですねぇ)、本書は韓国では「青少年有害図書」に指定され「19歳未満購読不可」と表示されたうえビニールで厳重に包装されているそうです。ビニ本ですw。そういう意味で、この記事は閲覧「注意」です。それでもいいという方は「続きを読む」からどうぞ。

 献辞がすごいです、
 金玉均(一八五一~一八九四)
 伊藤博文(一八四一~一九〇九)
 朝鮮の文明開化のために殉じた
 二人の霊前に本書を捧げる

 甲申事変を起こした金玉均はいいとしても、半日のシンボル安重根に暗殺された初代朝鮮統監の伊藤博文はまずいでしょうね。「青少年有害図書」になる筈です。

 三部構成で、「第1部 夜明けのアジア」では「日韓併合」の歴史的必然性と、併合が韓国の近代化と今日の繁栄をもたらしたことが検証され(これがメイン)、「第2部 相生(そうじょう)歴史」で、李氏朝鮮の前近代性と改革の挫折、日本帝国による朝鮮近代化が語られます。「第3部カミカゼの後裔たち」はappendixみたいなもので、「竹島」、「対韓請求権」、日本の政治家の「妄言」が放言が納められています。第1部には「大東亜共栄圏」礼賛まであり、これ本当に韓国の本?。よく出版できたものとおもいます。

日韓併合

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閑話休題 『毛沢東の私生活』 (文春文庫1996) [日記 (2020)]

毛沢東の私生活 上 (文春文庫)  続きです。
 『毛沢東の私生活』は無類の面白さです。21年間も毛沢東の主治医として側に使え、毛の私生活から国家首席としての政治活動まで見てきたわけですから、「暴露本」としては一級品。著者によると、本書の底本に当たるmemoが40冊ほどあったらしいのですが、文革が起こり見つかるとヤバイというので焼却したといいます。アメリカに渡って、出版社の勧めで記憶を辿りながら本書を執筆したようですが、よくここまで憶えていたものだと感心します。おまけに臨場感たっぷり。「本当?」という部分が少なからずあります。

 毛の政治秘書・林克、看護師・ 呉旭君による『「毛沢東の私生活」の真相』という本によると、著者・李志綏は、

保健医師に過ぎず、毛沢東と話をする機会はほとんどなかった。李は毛沢東の前に出ると緊張して話もできなかった。

ということのようです。本書では、毛は著者に政治上の意見を求め、機密文書を見せ、情報収集の視察まで指示しています。他人を容易に信用しない毛が(と著者も書いています)、一介の医師をこれほど重用するとはちょっと考え難いです。毛の健康問題や、好色さ、日常については、たぶん真実でしょうが、反右派闘争、大躍進、廬山会議等などの詳細な描写・分析は、後から資料を参照した辻褄合わせ?。

 会議の議事録を読んで、毛主席は会議の調子が面白くなかった。「ちょっとたずねたいことがあるんだが」。ある晩、報告書を読んだあとで毛は皮肉たっぷりに言った。「だれが歴史をつくるんだ---労働者、農民、勤労人民か---それともだれかほかの者か」。毛は依然、科学者や知識人ではなくて労働者と農民だけが歴史をつくるのだと確信していた。

これはどうも怪しい。「七千日大会」の話、
毛沢東は毎日の議事録で読まされるものが気に入らなかった。「連中は一日じゅう不満たたら、夜ともなれば芝居を見にいく。一日三食たっぷり食べる---そして屁をこく。それが中にとってマルクス・レーニン主義の意味なんだ」。ある日、毛は私にそう言った。

この辺りの臨場感はあながち創作とも言えなさそう。また京劇の好きな著者は、毛に進言して中南海で『紅梅閣』を上演したときの話、

 この京劇の見せ場は宋王朝の宰相賈似道が、・・・西湖に浮かべた船の上から歌と踊りを見まもっている場面だ。賈宰相の若い愛妾たちが数多く集まっていた。一同の面前で寵愛がひとしお深い美女李慧娘がさっそうとした若い学生を目にとめ、思わず嘆声をもらした。「なんと美しい方なんでしょう!」と彼女は賈宰相にも聞こえるほどの声で言った。賈宰相はこの愛妾の背信に激怒し、処刑してしまう。
 まさにこの美しい愛妾が若い男に嘆声をあげるところで、毛の態度が急にかわった。たまにこの場面はあまりにも毛の急所をついたものなので、毛の漁色ぶりや若い女たちのことをなまなましく連想させた。それは毛がひとりの女に対し愛している若者との結婚を許さず、またその女が毛をブルジョア的な女たらしと非難したのを思い出させたのだった。

 毛は、西湖(毛の別荘があった)で賈似道の愛妾が若い男に色目を使い賈似道が愛妾を処刑したことに自分を重ね、オレと一緒じゃないか!。『紅梅閣』の上演を毛に勧めたのは著者ですから、顔色の変わった毛に怯えたんでしょう。こういう生々しエピソードはたぶん真実なのだと思います。

 本書には、ゴーストライターがいると思います。ゴーストライターは、医師にインタビューして主治医しか知り得ないエピソードを集め、間を毛沢東の事績でつないだ。あるいは、毛沢東の事績の間に医師の語るエピソードを挟んだ。そんな気がします。

テレビのインタビューで毛についてもう一冊伝記を書くと発表したあと、2週間後に息子の家のバスルームで心臓発作が原因で死体が発見された。(wikipedia)

だそうですから、(アメリカ当局は否定しているらしいですが)中共公安の放った刺客に殺されたのかも知れません。中国共産党には、粛清や地下工作に携わった厚生や青幇の伝統もあるわけですから。うがって考えれば、本書自体が反共の謀略本とも言えます。共産党の指導者が、漁女家で権力闘争に明け暮れていたのですから。著者が20年にわたって毛沢東に仕えた主治医とあれば、だれだって真実だと思います。

 例えばこの辺り。廬山会議で彭徳懐を失脚させ、抵抗勢力を封じ込めたものの飢饉は続き、毛沢東は鬱々としています。

毛はもはや会議や人民大衆のなかに出ていくことを口にしなくなったし、もう世間の注目を集めることも求めなかったが、しかし中国の人民大衆はいまだに自分を崇拝しているのだと感じていたことは疑いないと思う。毛沢東の人生は他者からの崇拝によってなりたっていた。敬愛され、歓呼の声に迎えられるのを切望してやまなかった。
党内での不面目が高まっていくにつれて、党内で認められたいという思いもつのっていった。毛沢東思想を学べという林彪国防相のキャンペーンが、この渇望をいやすひとつの途であった。女たちがもうひとつの手段となった。女たちは毛を敬愛し、崇拝した。すっかり面子をうしなってしまったために、ますます多くの女を必要とし、女たちにますます多くを求めた。

 毛は、中南海のスタッフや看護師を手当たり次第に誘惑します。彼女たちが嫌がらなかったというと、大半は毛と関係を結ぶことを光栄に思っていたと言うんです。なかには人妻も。彼女たちの夫も、主席に妻を差し出すことに異議を挟まなったようです。もっとも、文句を言えば殺されるわけですから泣き寝入り。中国は儒教の国だったはずですが…。中南海には毛沢東の子供がごろごろいたのかというと、ひとりもいません。著者によると、当時の毛は身体的欠陥で生殖機能を失っていたとか。妻である江青は、当初は嫉妬したようですが、毛は、江青と離婚しないことを条件に浮気を認めさせます。あとは徒党を組んで権力基盤を固め、夫の死を待つばかりw。毛沢東が死ねば則天武后も夢ではない。

 毛の漁女は政治にも影響を及ぼします。最後の愛人・張玉鳳。晩年の毛沢東は認知症ではありませんがロレツが廻らなくなったようで、毛の言葉を理解できるのは張玉鳳ただ一人。毛の取次は、党の最高幹部といえどでも彼女を通さねばならず、張玉鳳は毛の権威をかさに着てやりたい放題。この辺りは「毛沢東の私生活」でしか書けませんからリアリティたっぷり。江青といい張玉鳳といい、「牝鶏晨す」るとろくなことはありません。w

 ゴシップいっぱいで面白いです。中国現代史の入門書としては最適の一冊かも知れません。続いて下巻...

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