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李 栄薫 反日種族主義との闘争 ② (文藝春秋2020) [日記 (2020)]

反日種族主義との闘争 続きです。
朝鮮民事令、朝鮮刑事令
 本書は『反日種族主義』に対する批判を、李栄薫はじめ「落星台経済研究所」グループが実証的に論破してゆく構成をとっています。「16.韓国史において近代はどのように出発したか(李栄薫)」は唯一の例外で、いきなり、

ある社会や国家が近代化するにおいて最も明白な指標は、〝法のもとでの平等〟であると考えます。民法の表現を借りれば、〝私権の主体〟としての〝個人〟の成立とも言えます。

 著者は、検事が集まった研修会で、韓国の民法は何時成立したのかと問い、1958年という返答をえます。正解は1912年。その年、朝鮮総督府は朝鮮民事令を発布し、日本の民法を朝鮮でも施行し始めます。1958年にその民法を土台にして現行民法が制定され、二つの民法には大きな差がないそうです。

1912年の民法の施行と共に、朝鮮ではあらゆる種類の私有財産権が包括的に成立しました。それに従い、植民地朝鮮の経済は〝近代的経済成長〟の道に入って行きました。

 同年には刑法(朝鮮刑事令)も施行され、証拠主義、罪刑法定主義などの近代刑法の基本が導入されます。拷問による自白が証拠となり、裁判は役人の恣意性と賄賂によって左右されたという朝鮮に、朝鮮総督府は基本的人権を持ち込んだことになります。
 「植民地近代化論」は、農業生産高の向上、産業構造の変化、就学率・識字率などで語られますが、そうした近代化の基礎には、1912年に制定された制令(朝鮮民事令朝鮮刑事令)があり、朝鮮の近代化は1912年から始まったと著者h言います。イザベラ・バードが「吸血鬼」と呼んだ両班、常人の身分制がなくなり、奴婢や 白丁などの賤民が解放され、近代国家の基礎となる自由で平等な社会を目指して離陸します。

 問題は、こうした近代化過程が、中・高等学校の歴史と社会科の教科書に一行の記載もないことです。著者は、この「歴史認識の空白」、が歪んだ「反日」の元となっているといいます。

研究者や教育者は長い間、この国の近代文明の植民地的起源に対し、口をつぐんで来ました。それは禁忌の領域でした。その結果、実に大きな認識の空白が生まれ、ありとあらゆる形態の中世的幻想と狂信が、そこを埋めているのが実情です。

中世的幻想と狂信」とは、李朝末期は、「甲午農民戦争」「甲午改革」の朝鮮民族の輝かしい独立運動の時代であり、高宋や閔妃は抵日の王族であった。朝鮮の近代化、資本主義が始まろうとした萌芽を、日帝が潰した。という幻想です。

 韓国の「歴史教科書」を読みましたが、高宋や大院君は改革派とされ、李朝末期の混乱というものは一言も触れらていません。ましてや「朝鮮民事令」の記載はなく、日本植民地時代は「収奪」の時代だったということになっています。韓国の教育で、基本的人権の発展はどのように教えているのでしょうね。

日韓併合は悪
 所謂「徴用工訴訟」で、原告らが自ら進んで工員に応募して日本に行ったこと、支払われなかったという給与は日本側の資料でが支払われていたこと、が明らかになっています。原告は2002年に日本で賠償請求を起こし、大阪高裁はこれを棄却。2005年に韓国で起こされた訴訟も、地方法院と高等法院で敗訴。2018年、大法院は彼らの個人賠償請求権を認めます。徴用ではなかったこと、給与は支払われていることが明らかになっているにも関わらず

大法院は、労務動員が日本の不法な植民支配の結果であるため、その実態のいかんにかかわらず「反人道的不法行為」であり、慰謝料を請求できる、としました。つまり、大法院の判決の最終根拠は、植民支配の不法性です。

 判決の根拠は、韓国併合=悪という「国民情緒法」です。本書の第2章 戦時動員で、4人の被告の証言が虚偽であることが実証されます。李栄薫は、「嘘」がまかり通りこれに司法が加担する国の実態に、1904年に李承晩が漢城監獄で執筆した『独立精神』をぶつけます。

今日大韓と清国をここまで滅茶苦茶にしている一番大きな原因は一体何なのかと言えば、噓をつくこと、それがまず第一だと言うことができる。・・・上の者は下の者を騙し、子供は親を騙すが、他人を上手に騙す者を賢いとか聡明だと言い、騙せない者をできそこないだの間抜けなどと言う。
・・・噓で家庭を治め、噓で友人と付き合い、噓で国を治め、噓で世界と交渉するが、自分が話すときは肚を見せずに語り、他人の話はうわのそらで聞いているのだから、他人の公明正大な言葉も噓に聞こえ、私の真実な言葉もまた真っ直ぐには伝わらず、たった二人の間の私的なことも議論できないというのに、どうして国の重大な問題を語り、決定することができるだろうか。(1904李承晩『独立精神』)

 著者は「徴用工訴訟」を嘘の行進と激しく非難します。

 呉善花によると、朝鮮民族の「嘘」の根源は韓国の儒教文化の伝統にあるといいます(『韓国を蝕む儒教の怨念』)。儒教で道徳の第一は「孝」であり、この孝が親→親族→民族へと敷延され、朝鮮民族は血の繋がるひとつの「家族」という共同幻想となります。李朝が堕落していたから日韓併合を招いたという考えは成り立ち得ず、日韓併合は日帝の侵略であり悪となり、そこから「従軍慰安婦」「徴用工」が導き出されます。何よりも身内が優先されますから、身内(民族、国家)を護るためには嘘をつくことも孝として認められ、歴史の改竄・捏造も正義であるといいます。

韓国人の反日民族主義は、日本統治時代の実際的な歴史体験を通して形づくられたものではありません。どのようにして形づくられたのかというと、「日本統治は不正義=悪」という価値認識に合致するよう、史実を都合よく 改竄・捏造し、国民的規模の教化・訓育(教育)をもって、その歴史を真実と信じこませることで形づくられたのです。(呉善花 『韓国を蝕む儒教の怨念』第三章「虚言癖ー盗用癖」の民族病理)

 韓国人の李承晩、李栄薫氏、呉善花氏がそう仰るのですからそうなんでしょう。儒教文化では、道徳観・倫理観の高さこそ人間として最も誇るべき徳目とされます。道徳的倫理的であるためには噓をついても恥とはならない、噓よりもよりメンツ(ここでは朝鮮民族の優越性)の方が大事だ、ということになります。
 日本は、手ごわい国を相手にしていることになります。(この項終わり)

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李 栄薫 反日種族主義との闘争 ① (文藝春秋2020) [日記 (2020)]

反日種族主義との闘争 (文春e-book)  前著『反日種族主義』は日韓でベストセラーとなり、韓国では反論の本が6冊出たそうです。反論に答えるため、公開討論を持ちかけたところ誰も同意しなかったので本書が書かれたようです。もっとも、ノコノコ公開討論に出掛けて行ったら、手酷い返り討ちに会ったことでしょう。所謂「元徴用工訴訟」で、日本政府は仲裁のための第三者委員会を提案しましたが、韓国政府は「公開討論」を拒否 →同じですね。

 ・・・目次・・・
第1章 日本軍慰安婦
第2章 戦時動員(強制徴用)
第3章 独島(竹島)
第4章 土地・林野調査(収奪論)
第5章 植民地近代化

 「日本軍慰安婦」「戦時動員(強制徴用)」「独島(竹島)」「土地・林野調査(収奪論)」はだいたい想像がつきます。面白かったのは、第5編「植民地近代化」。

朝鮮近現代史
 6年振りに歴史教科書が改訂され、日本統治時代の近代と大韓民国成立後の現代史が全体の70%を占めるに至ったそうです。韓国の歴史教科書は「反日」教育のためにあるようなものですから、近現代が重要なのでしょう。その近現代に至った李氏朝鮮、儒教を国教とし中国の冊封体制下で500年続いた李朝を学ばないと、近現代の理解は偏ったものとなると思います。江戸時代をいい加減に飛ばして、幕末、明治維新以降を学ぶようなものです。歴史というのは因果関係による「流れ」なのですから。(高宋、大院君の)李朝末期がどういう時代であったかが分かれば、「帝国主義」と「日韓併合」に至る歴史が理解できる筈です。教科書には「ロウソク集会(革命)」が載っているらしいですが、こっち方が大事だと思います。

 所謂「歴史認識」とは、「日韓併合」をどう認識するかの話です。ストーリーは概ね2つに色分けされます。

ストーリー①
 1)李朝末期の勢道政治による混乱によって「甲午農民戦争」や「甲午改革」などが起き
 2)なお国家として自浄能力の無い李氏朝鮮は帝国主義に飲み込まれ「日韓併合」となる
 3)35年の日帝支配によって近代化が始まり
 4)1945年日本の敗戦によって「解放」され1948年大韓民国が樹立されたを果たし、朝鮮戦争によって南北に分断され
 5)「日韓請求権協定」による5億ドルを使って「漢江の奇跡」を生み出し今日に至る

ストーリー②
 1)「甲午農民戦争」「甲午改革」は朝鮮民族の輝かしい独立運動を経て
 2)朝鮮の近代化が始まろうとしたその時、日帝が「韓日合邦」をなし
 3)日帝の支配は国土の40%を搾取するなど民族を抑圧
 4)「韓日合邦」よって、民族の独立と近代化の芽は摘み取られるが
 5)日帝強占下において独立軍を組織し、上海に大韓民国臨時政府を樹立して独立運動は継続
 6)日帝の敗戦によって独立を果たし(1948)、韓国戦争の戦禍を克服して「漢江の奇跡」をなしとげた。

という2つのストーリーです。『反日種族主義』はストーリー①、歴史教科書はストーリー②です。

 19世紀末、日本も朝鮮も外圧よって開国を迫られます。日本は、明治維新によって帝国主義選択し、朝鮮は500年続いた李朝体制継続を選択します。その李朝が自らの力で自主独立の道を歩んだかというと、勢道政治と内政の失敗によって政治は混乱し、日韓併合に至ります。

 地政学上の制約、そこから発生する事大主義、儒教(性理学)など制約があったわけですが、為政者はズルズルと絶対王制にしがみつき、変革(近代化)を怠ったわけです。乙末改革や甲午改革など体制内で時代に目覚めた青年貴族による変革の芽はあったのすが、高宋、大院君、閔妃などはことごとくこの芽を摘みます。高宋は甲午農民戦争で清朝軍を頼んで日清戦争の、「露館播遷」によって日露戦争の原因を作り「日韓併合」を招きます。高宋の播遷は実に7度に及んだといいます。国と国民をうっちゃって外国公使館に逃げる国王を持った朝鮮民族の悲劇です。この李朝を相対化しないで、朝鮮近代史はありません。

高宋と閔妃
 『親日派のための弁明 2』の著者・金完燮によると、高宋の后・閔妃をヒロインとしたドラマ『明成皇后』が大ヒットしたそうです。ドラマで、閔妃は朝鮮独立のために日帝と戦う国母として描かれているそうです。無能の夫・高宋の尻を叩き、権謀術数の舅・大院君や日帝を相手に闘い、最期は暗殺されるというストーリーは面白くないわけ無い。「雌鶏が啼くと国が亡ぶ」と揶揄された閔妃の実像はきれいサッパリ拭い去られているでしょう(閔妃の生前に、高宋が皇帝であった事実はなく、明成「皇后」は誤り)。
 本書の「17.高宋の習慣性播遷と国家意識(金容三)」によると、高宋についても、閔妃と同様の評価があるようです。「高宗は日帝によって毒殺されるときまで、最後まで日帝に立ち向かい戦った抗日君主だった」と。
 高宋が日帝に毒殺されたかどうかはともかく、国と国民を捨てて7度も逃げ出し(逃げ出そうとし)、最後はロシアに亡命まで企てた高宋が「抗日君主」だというのです。

1909年10月30日付のイギリスの雑誌 『エコノミスト』誌は、「外国から現代的な行政システムの援助を受けたほうが、むしろ韓国の国民にとって利益となるだろう」と報じました「日本が韓国を完全に支配すれば、大韓帝国の皇帝は権力を乱用し国民を搾取することができなくなり、両班もこれ以上民を搾取できなくなっだろう。併合されれば韓国という国はなくなるが、その国民は日本の支配下で、よりましな暮らしができるようになる」からでした。

1910年6月3日、日本政府は韓国を併合する方針を決定します。8月22日、併合条約が締結され、8月29日、大韓帝国の皇帝は、日本の皇帝に大韓帝国の統治権を永久に譲渡することを民の前に宣布しました。そうなっても大韓帝国の臣民は、いかなる抵抗もしませんでした。

 高宋は国民にも見放された、という書き様です。角田房子、イザベラ・バード、呉善花、李栄薫、金完燮などの著作を読むと、おおよそこうした理解になります。混乱の時代ともいうべき李朝末期を韓国の人々は(というか韓国政府は)どう考えているのかと思い、高校「歴史教科書」も読んでみました。教科書によると、李朝末期は、朝鮮民衆と開化派よる改革の歴史であり、日韓併合に至る悲劇の歴史、という書き振りです。大院君は農民蜂起の原因となった三政を改革し、国家財政を拡充し、民生を安定させようとした名君であり、高宋は甲午改革を積極的に推し進めようと洪範十四条を頒布したこれも改革派の王となっています。
 日本にも「皇国史観」があったわけですから、韓国が自国の歴史をどう組み立てようと、自由と言えば自由ですが →面白いです。
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絵日記 カボチャ収穫! [日記 (2020)]

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 6/8に苗を3本植え →9/20収穫ですから3ヶ月かかりました。トマトは次々に生って収穫できますが、初挑戦のカボチャは意外と時間がかかるんですねぇ。今回分かったのは、土が大事だということ。庭に穴を掘って植えた2本は枯れて、花壇に植えた1本が生き残りました。粘土質の庭は、土壌改良用に牛糞も入れて耕したのですが、土壌が合わなかったんだと思います。しっかり耕して来年に備えます。右は実生3代目シソです。たくさん花がついているので、来年は4代目が生えるでしょう。2代目のバジルも花を付けています。
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タグ:絵日記
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映画 チョコレート(2001米) [日記 (2020)]

チョコレート [DVD]  原題”Monster's Ball”、怪物たちの舞踏会。舞台は(たぶん)南部。黒人嫌いの祖父、息子、孫の3世代のレイシズム(人種主義)に、息子と黒人女性のラブストーリーを対置し、中年男のレイシズム克服の物語です、たぶん。ここで言うレイシズムとは、人種主義、人種差別だけではなく、誰もが持っている個人の独断と偏見によって他人を裁く「狷介さ」のことです、たぶん。 この映画は人種差別をあからさまには描きませんが、今風に言えば「分断」を告発した映画です。  

看守ハンク
 州刑務所の看守ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)は、父親バック(ピーター・ボイル)、息子ソニー(ヒース・レジャー)と三代にわたり看守を職業とする家族。ハンクの母親は自殺、妻は家出、女性のいない男だけの3人暮らし。冒頭、バックが孫のソニーを訪ねてきた黒人を追い出せとハンクに命じ、ハンクが銃で脅すシーンがあります。バックのレイシズムが支配する家で、女たちの一人は自殺し、ひとりは家を出たものと思われます。人間を優等人種、劣等人種によって色分けするバックのレイシズムは、黒人差別にとどまらず、人間を優等と劣等の偏見で捉え、ハンクの家族を崩壊させたのでしょう。バックのレイシズムがハンクから母親と妻を奪い、ソニーから母親を奪ったわけです。

 黒人死刑囚を電気椅子で処刑し(この黒人死刑囚の妻が後に出会うレティシア)、その処刑でソニーがミスを犯します。ハンクは処刑という神聖な儀式を汚したとソニーを責め、母親に似て役立たずだと罵ります。これはバックの視線です。ソニーは、ハンクは自分を嫌っているが、自分を嫌う父親を俺は愛していたんだと言い、唐突に自殺します。ソニーは祖父から遺伝したハンクのレイシズム、自分から母親を奪ったレイシズムを拒否し、そのレイシズムの呪縛から逃れるように自殺したのです。ソニーの葬儀で、バックは「(ソニーは)弱いヤツだった」と呟きます。
 ここで描かれるのは、祖父、息子、孫の三代にわたるレイシズムの負の遺伝です。

死刑囚の妻レティシア
 レティシア(ハル・ベリー)は、夫を死刑囚として亡くし、レストランのウェイトレスをして幼い息子を育てています。息子は、父親のいない喪失感を埋めるかのようにチョコレートバーを貪る肥満児。遅刻ばかりしているレティシアはクビ寸前、家賃が滞って立ち退きを迫られているという絵に書いたような貧困と不幸を背負っています。

ハンクとレティシア
 レティシアのレストランにハンクが通い、黒人を処刑した看守と夫を死刑された妻が出会います。ハンクが決まって注文するのが、チョコレートアイスクリーム。レティシアの息子が食べるチョコレートバー同様、甘いチョコレートアイスクリームはハンクの心の空白を埋めるのでしょう。
 レティシアの息子が轢き逃げされ、通りかかったハンクが病院に運びます。息子は死に、この事件でふたりは急速に近づき、孤独な魂が引かれ合うように情事に身を任せることになります。あるいは、黒人のレティシアを愛することで、自分に流れるレイシズムの遺伝子を消したかったのかも知れません。
 ハンクは、レティシアが自らが処刑した死刑囚の妻だったことを知りますが、レティシアはハンクが夫の処刑人であることは知りません。彼女が知った時、二人の恋はどうなるのか?というのが後半のテーマ。

 レティシアがハンクの家を訪れ、ふたりの仲を知った父親はレティシア言います、「わしも若い頃は黒人の女を抱いていた、ハンクも同じだ、クロとヤッてこそ男だ」。レティシアは絶望して帰ります。事情を察したハンクに父親は、「わしらは家族だ、父親のことを忘れるな」と言います。ハンクの反撃が始まり、父親を老人ホームに入れます。施設でのハンクと父親の会話です、

ついに、わしを捨てるのか
廊下には電話もある
お別れか、逃げ場がない
俺もだ
こんな死にかたはイヤだ
同感だね、さよなら父さん

 ハンクは父親を捨てレティシアを選ぶことで、レイシズムを克服したわけです。ハンクと父親バックのこの短い会話は、映画のハイライトです、たぶん。

 ハンクは、レティシアを自宅に迎い入れます。レティシアは夫を処刑した元看守を愛してしまった事実を知りますが、この数奇な事実を受け入れます。ふたりは庭で並んでチョコレートアイスクリームを食べ、その庭には3基の墓が並んでいます。自殺した母親、たぶん家出した妻、そして息子ソニーの墓だと思われます。「俺たちはきっとうまくゆく」というハンクの呟きは、「怪物たちの舞踏会(Monster's Ball)」の終焉を意味しているのでしょう。

 この映画で、ハル・ベリーはオスカーの主演女優賞を獲得していますが、映画のテーマに合わせたハリウッドのリベラリズムでしょう。個人的にはビリー・ボブ・ソーントンに一票、南部レイシズムの権化を演じたピーター・ボイルにも一票。
 監督のマーク・フォースターには『主人公は僕だった(2006)』という佳品があります、こちらもオススメです。

監督:マーク・フォースター
出演:ビリー・ボブ・ソーントン、ハル・ベリー、ヒース・レジャー、ピーター・ボイル

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劉慈欣 三体Ⅱ 暗黒森林 下  (早川書房2019) [日記 (2020)]

三体Ⅱ 黒暗森林(下) 続きです。
呪文
 三体文明の探査船が飛来し、「宇宙防衛軍」がこれを向かい撃つスペースオペラとなります。三体文明は地球文明より遥かに進んだ文明ですから、数百隻の宇宙防衛軍は、たった一隻の探査船よって全滅、三体人の侵攻まで後二世紀半となります。

 『三体Ⅱ上』で、面壁者・羅輯は50光年彼方の地球外生命体に向けて「呪文」を発信しました。下巻では、呪文の謎と人類生き残りを賭けた三体文明との駆け引きが描かれます。
 呪文は、地球から50光年離れた、文明の存在する(しそうな)惑星系187J3X1の座標データでした。羅輯は、「私はここにいる!」というメッセージを宇宙に向けて発信したのです。地球ではなく何故187J3X1の位置情報だったのか?。羅輯は、メッセージを発した後人工冬眠に入り、100年後に目覚めた時、187J3X1は塵の星間雲を残して跡形もなく消えていることを知ります。187J3X1は何故消えたのか?。これが『三体Ⅱ』のキモです。

 187J3X1は何者かによって消し去られたのです。『スター・ウォーズ』でも、レーザー砲によって星1個を吹き飛ばしますから、まぁこれもアリです(笑。羅輯によると、銀河系には何万何十万という文明が存在するといいます。だから「宇宙社会学」が成り立つわけですが、では何故文明と文明は出会わなかったのかというと、文明は気配を殺してお互いに出会うことを避けているといいます(フェルミのパラドックス)。文明は、その星の環境下で発展しますから、それぞれ独自の発展過程を持つ文明は、コミュニケーションすることもお互いに理解することは不可能。人類と三体文明はコミュニケーションしているではないかというツッコミは無し。文明は、地球の科学技術が300年で飛躍的に発展したようにブレークスルーする可能性があり、何時自分たちの存在を脅かす脅威となるかも知れない。従って、もし宇宙に他の文明を見つけたら、たったひとつの賢明なやり方は(自分が滅ぼされる前に)すぐに相手を滅ぼすことである、と。これが187J3X1が消えた答えです。宇宙に潜む高度な文明によって、187J3X1星系は宇宙から消されたのです。
 地球という同じ環境で育った文明も、殺し合いばかりしてきたのですから…。
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 こういうエイリアンばかりではなく…  こういうエイリアンもいる

暗黒森林
 羅輯によると、以上の理論の元で宇宙は「暗黒の森」のごときものだと言います。

宇宙は暗黒の森だ。あらゆる文明は、猟銃を携えた狩人で、幽霊のようにひっそりと森の中に隠れている。そして、行く手をふさぐ木の枝をそっとかき分け、呼吸にさえ気を遣いながら、いっさい音をたてないように歩んでいる。そう、とにかく用心しなきゃならない。森のいたるところに、自分と同じく身を潜めた狩人がいるからね。もしほかの生命を発見したら、それがべつの狩人であろうと、天使であろうと悪魔であろうと・・・できることはひとつしかない。すなわち、銃のひきがねを引いて、相手を消滅させること。この森では、地獄とは他者のことだ。みずからの存在を曝す生命はたちまち一掃されるという、永遠につづく脅威。これが宇宙文明の全体像だ。フェルミのパラドックスの答えでもある。

 宇宙の暗い森では、全ての文明は森の中に生きている狩人のような存在である、位置が曝される瞬間に他の狩人に銃撃されて殺される、やられる前にやれ!です。これが『三体Ⅱ』が「暗黒森林」とされる所以であり、さらになぜ地球人は宇宙人に会えないのか?という「フェルミのパラドックス」の答えのひとつだと言います。随分ペシミスティックな話です。

 187J3X1星系が宇宙から消えたことによって、宇宙社会学の「暗黒の森」理論は見事に証明されたのです。葉文潔が地球外知的生命体探査の巨大電波望遠鏡で「来て! この世界の征服に手を貸してあげる」と宇宙に発信し、三体文明が信号をキャッチし地球侵略が始まるわけです。三体協会は地球の位置を三体文明に教えましたが、まだ「暗黒の森」に姿を曝したわけではありません。羅輯は、この「暗黒森林」理論を使い智子を使って三体人を脅迫します。つまり、地球の座標を宇宙に曝せば地球は異星文明によって滅ぼされ、三体文明の地球侵略は不可能となります。さらに三体星の座標を曝せば三体文明は滅びます。さぁどうする! →三体人は地球侵略を放棄し、人類は、取り合えずは生き残ります。『三体Ⅲ 』が発売されていないので、人類の行く末は?ですが。

 巻末に、中国の作家(陸秋楼)よる面白い解説があります。「暗黒森林」理論は羅輯よって唱えられますが、これは葉文潔の宇宙社会学の公理から導き出されたものです。「暗黒森林」理論は、葉文潔の体験した「文化大革命」の暗黒から産み出されたのではないか、というものです。

自分の身を潜めて、存在が曝される文明を攻撃すると、いうやり方は、じつは密告に酷似している・・・葉文潔が経験した文化大革命は、多分人類史上もっとも密告を奨励する時代のものだった。・・・いったん密告の標的になるとすべてが終わる。注目されると消滅される可能性が高い。自分の存在を消すことこそが安全な生き方。こういう時代こそ「黒暗森林」であり、こういう時代に生まれた人間こそ「黒暗森林」の狩人ではないかと思う。

 「黒暗森林の狩人」とはあまりにもネガティブです。『三体Ⅲ 死神永世』で「孤独な狩人」は如何なる結末を迎えるのか...「死神」ですから、きっと希望からは縁遠い世界でしょうね。2021年春まで待たないといけないらしい。

タグ:読書
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絵日記 9月の庭 [日記 (2020)]

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 百日紅(サルスベリ)は、挿し木して3年でやっと花が咲きました。
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収穫!                 シソ紫蘇

タグ:絵日記
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映画 ボヴァリー夫人とパン屋(2014仏) [日記 (2020)]

ボヴァリー夫人とパン屋 [DVD]  「ボヴァリー夫人」とは、言わずと知れたフローベールの不倫小説のヒロイン。話は、19世紀の「ボヴァリー夫人」ではなく、21世紀のボヴァリー夫人ジェマ・(ジェマ・アータートン)とパン屋マルタン(ファブリス・ルキーニ)の話。

 マルタンは出版社を退職して故郷のノルマンディーに帰り、父親の跡を継いでパン屋を営んでいます。愛読書が『ボヴァリー夫人』というちょっと変わった文学中年。そのマルタンの隣家に、英国人のボヴァリー夫妻が引っ越してきたことから話が始まります。
 マルタンは、「誰が引っ越してきたと思う、ボヴァリーだ、夫の名はシャルル(実はチャーリー)、ここは小説の舞台ノルマンディーだ!」と嬉しそうに家族に話します。マルタンの奥さんは、「なに若い女性に鼻の下伸ばしているの、たいして美人でもないし」と冷めた眼で夫を見ています。マルタンの下心は飼い犬が敏感に感じとり、何かに付けてジェマの飼い犬にチョッカイを出します。犬の登場する映画に駄作はありません(笑。

 店に来たジェマがパン香りを嗅ぐ姿を目にして、「10年振りに性欲を覚える」と言い彼女に熱をあげます。熱をあげると言っても、言い寄るわけではなく、小説のエマを隣のジェマに重ねて毎日遠くから眺めるだけ。これも一種のストーカーでしょうね。
 現実が小説に近づきます。ジェマは、司法試験のため(これも小説通り)村の古い館に滞在する青年エルヴェと知り合います。その様子を眺めるマルタンは、「私は何とも言えぬ喜びを感じた、裸で抱き合う二人が目に浮かぶ...」とジェマが「ボヴァリー夫人」のように不倫に走ることを期待している様です。
 ジェマがエルヴェの館を訪ね、この一部終止をマルタンは観察します。ジェマの館滞在が78分だったことで「ボヴァリー夫人」の不倫が始まった!と確信する始末。計っていたわけですから、マルタンは「病膏肓に入る」状態です。事実ジェマは不倫に走り、マルタンは小説のようにジェマが不倫と借金の果に自殺するのではないかと気をもみ、「ボヴァリー夫人」を真似てエルヴェの名で別れの手紙まで書きふたりの仲を裂きます。ルーアンの教会でジェマの幻影まで見たりと、相当重症です。
人生は芸術を模倣する、そのうち恋人を失い借金で首が回らなくなって自殺する」とジェマに忠告します。妄想もひとりで楽しんでいる間は罪がありませんが...。

 『ボヴァリー夫人』のパロディですからジェマが自殺しないと映画は終われません。自殺ではありませんがジェマは亡くなります。なんとマルタンの焼いたパンを喉に詰まらせて窒息死、というパロディらしい結末です。

 オチがあります。ジェマが亡くなり夫のチャーリーも去った隣に、新たな家族が引っ越しってきます。マルタンの息子によると、家族の名前はカレーニナ!。マルタンはさっそく隣家にアンナ・カレーニナを訪ねますが…。

 というパロディ映画が面白いかというと、これが面白い。マルタンの妄想が現実化してゆく可笑しさ、妄想するマルタンという人物の可笑しさです。フランスではヒットしたようです。『ボバリー夫人』のパロディ映画がヒットするとは、フランスという国は面白い国です。例えば漱石の『こころ』をバロディー映画にしても、日本人にウケるのかどうか。
 ジェマ・ボヴァリーはフランス人ではなくイギリス人、映画にはフランス女性とアメリカ男性のカップルも登場しますから、その辺りにも何かありそうです。

 ジェマ・アータートンとファブリス・ルキーニを見ているだけでも飽きません、たまにはこういう映画もいいです。

監督:アンヌ・フォンテーヌ
出演:ファブリス・ルキーニ、ジェマ・アータートン

タグ:映画
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絵日記 トリック写真 [日記 (2020)]

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 子供の発想、こういうPhotoも撮れるんですね。

タグ:絵日記
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映画 チューリップ・フィーバー(2017英米) [日記 (2020)]

チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛 [DVD]  邦題の「肖像に秘めた愛」とは余計です。もっとも『チューリップ・フィーバー』では何のことか分かりませんが、チューリップ・フィーバーこそが、この映画の時代17世紀のオランダ(ネーデルランド共和国)を最も端的に表す言葉です。17世紀のオランダ、アムステルダム。チューリップ・バブルに翻弄される男と女の物語です。
 17世紀のオランダは、スペインから独立を果たし、アジア、南北アメリカ、アフリカに植民地を築き、貿易によって一大強国となります。その中核である「オランダ東インド会社」は、ジャカルタのバタビアや平戸に商館を築き、香辛料貿易で栄え、貿易の富で商人が台頭し、レンブラントやフェルメール、デカルト(仏)や天文学者ホイヘンスが活躍した黄金時代です。このネーデルランド共和国の活況がチューリップの球根に大金を投じる投機を生み、チューリップ・バブルに人々はのめり込んだ、そんな時代の話です。

 修道院で暮らす孤児のソフィア(アリシア・ヴィキャンデル)は商人のコルネリス(クリストフ・ヴァルツ)の後添えとなります。修道院長(ジュディ・デンチ)はソフィアの犠牲のおかげで、孤児の何人かがニューアムステルダム(ニューヨーク)の親族がと暮らすことが出来ると言っていますから、結婚したというよりコルネリスが若いソフィアを「買った」という方が正確です。巨大な帆船が停泊する桟橋で、コルネリスがナツメグの品定めをし、会話にニューアムステルダムやパンダ諸島(インドネシア)といった地名が登場しますから、この時代のオランダの雰囲気が伝わってきます。

 コルネリスは跡継ぎが欲しいと子作りに励みますが、歳ですから思うようにはいきません。一方でメイドのマリアは魚売りの青年ウィレムとよろしくやっているという背景があり、コルネリスが夫婦の肖像画を遺そうと考えたことが事の発端。若い画家ヤン(デイン・デハーン)が呼ばれ肖像画の制作が始まります。画家が肖像画を描く映像は、フェルメールを連想させます。コルネリスがレンブラントの『夜警』に描かれた人物の服装で登場するシーンもあり、この映画は、光と影を巧みに取り入れたバロック絵画を意識して作られています。

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 で、当たり前にソフィアと画家のヤンは恋におちます。ここで登場するのがチューリップ・バブル。魚売りの青年ウィレムはマリアと結婚するするためにチューリップ投機で大金を得、財布を掏られて乱闘を起こしアフリカに去ります。やがてマリアの妊娠が分かり、マリアは私を追い出すなら不倫をバラすとソフィアを脅し、不倫をバラされては困るソフィアは、跡継ぎを欲しがる夫のために生まれてくる赤ん坊を自分が産んだことにするという奇計を立てます。一方で画家ヤンは、ソフィアを奪う略奪婚のためチューリップ投機に手を出し…とストーリーは展開します。とまぁチューリップ・バブルが人間に乗り移り、バブルが弾ける物語です。

 監督ジャスティン・チャドウィックは、英国教会をでっちあげたヘンリー8世を背景に華麗な『ブーリン家の姉妹』を描いたように、男女の悲喜劇、ドタバタ劇でチューリップ・バブルに浮かれる17世紀オランダを描きたかったようです。『エクス・マキナ』のアリシア・ヴィキャンデルをヒロインに、『イングロリア・バスターズ』『ジャンゴ繋がれざる者』のクリストフ・ヴァルツ、名優ジュディ・ディンチまで起用しものの興行的には失敗、批評家からも「本作は独創性のない会話とやり過ぎなプロットで未完成な、贅沢に作られた時代物」散々にこき下ろされているようです((wikipedia)が、この「贅沢に作られた時代物」というところが見どころ。レンブラント、フェルメールの光と影を意識した映像と17世紀の風俗は一見の価値ありです。変にヒネリが効いていないところも好感が持てます。個人的は(レンブラント、フェルメールがお好きなら)おすすめの映画です。

監督:ジャスティン・チャドウィッック
出演:アリシア・ヴィキャンデル、クリストフ・ヴァルツ、ジュディ・デンチ

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劉慈欣 三体Ⅱ 暗黒森林 上  (早川書房2019) [日記 (2020)]

三体Ⅱ 黒暗森林 上 三体Ⅰ
 続きです。やっと『三体Ⅱ 暗黒森林』を借りてきました。ベストセラーは待たされるというのが、図書館利用の不便なところです。2ヶ月空くと正直忘れてしまいます。
 読んでいる間に少しづつ思い出しました。文化大革命で中国の政治体制に絶望した物理学者は、異星人探査計画の巨大電波望遠鏡を使ってメッセージを発信し、それに答えたのが三つの太陽を持つ三体文明。文明崩壊の危機にある三体人は宇宙船を建造し、地球侵略計画を開始します。物理学者は「三体協会」を組織して三体人に協力し、これを知った人類は四百数十年後の侵略に備えて防衛体勢を準備する、そんな内容でした。
 『三体Ⅰ』でとりわけ面白かったのは、「文化大革命」の体験で物理学者は人間の本性は悪だと考え、異星人にSOSを発信すること(文革の描写はリアルです)。三体協会が提供するnet上のヴァーチャルな「三体ゲーム」。ゲームの仮想現実には、なんと始皇帝やアリストテレス、ニュートンやフォン・ノイマンが登場します。
 『三体Ⅱ』で、いよいよ三体人が攻めてくるのか?。

三体危機
 『三体Ⅱ』では、異星人の地球侵略(三体危機)に立ち向かう人類が描かれまます。人類滅亡の危機と言っても四百数十年後のこと、十数代後の人類のために現在を犠牲にできるか?という話です。地球温暖化問題で、国家のエゴが優先され足並みが揃わないみたいなものです。
 当然「戦う」ことが第一の選択肢ですが、隔絶した科学技術を持つ三体文明と戦って勝てる見込みは殆んどありません。続く選択肢は地球を捨てて逃亡。太陽系の外に人類が生存可能な惑星を見つけて移住する、閉鎖生態系を持った宇宙船で地球文明を存続させる、一時的に宇宙空間に避難して三体人と交渉する等の案が論議されます。ともかくも国連が機能し「惑星防衛理事会」が組織され、4人の「面壁者」に防衛計画が託されます。 

面壁者
 面壁者?、検索すると、「面壁」とは達磨大師が壁に向かって瞑想した故事に由来する座禅のことだそうです。何故SFに座禅が登場するのかというと、三体人が地球に放った情報収集機・智子(ちし)。智子は、分子レベルの機器で、あらゆる場所で情報を収集して三体人に通報するため地球の動きは筒抜け。おまけに情報を操作するため、科学技術の発展が阻止されます。人類の基礎科学は智子に封じられ、コンピュータや人工知能の行く手には壁が立ちはだかっているわけです。
 防衛計画は筒抜けとなって新たな武器や宇宙技術の開発はストップという縛りがストーリーに付加されます。つまり、機密保持のために、防衛計画は智子が侵入できない個人の頭の中で組み立てる「瞑想」に頼らざるを得ないということです。これが面壁者が登場する背景ですが、面壁者とは、壁の前の瞑想者であるとともに、智子が築いた「壁」に向かう面壁者でもあるわけです。
 三体人にも縛りがあります。三体人は、言葉や文字を額面通りに理解し、その裏にある真意を読むことができず、詐術、陰謀が理解できません。つまり創造力が欠如しているという縛りです。

 国連は、4人の面壁者を選定します。そのひとりが元天文学者で社会学者の羅輯(ラシュウ)。他の3人は政治的、学問的実績がありますが、羅輯は無名の大学教授で何故面壁者に選ばれたのかは?。羅輯が想像力によって理想の女性を組み立てるエピソードがありますから、想像力が智子探査をかい潜り三体人の侵略を阻止するという筋書きでしょう。「面壁計画」を探知した三体人は、面壁者に対し「破壁者」で対抗します。

 面壁者の侵略阻止計画は、1)200メガトンの原爆製造、2)小型戦闘機で三体人の宇宙船に神風特攻する「蚊群計画」、3)脳とコンピューターを繋いで人間の知能を最大限に引き出し侵略阻止を導きだす「搦め手作戦」(勝手に命名)。「蚊群計画」は破壁者フォン・ノイマンに見破られます。三体人は想像力欠如ではなかったのか?→フォン・ノイマンだから想像力はある。しかし、フォン・ノイマンはゲームの登場人物だった筈 →ツッコミなしです(笑。

 人類の未来を託された面壁者ですからあらゆる要求が通ります。羅輯が要求したのは、自分の想像した理想の女性を探せ!、彼女と暮らす環境を提供せよというもの。この理想の女性・荘顔登場しますからご都合主義もいいところ(笑。羅輯と荘顔は、ルーブルで『モナリザ』の微笑から表情言語のヒントをつかむあたりも伏線?。「眼は口ほどにもの言」いまから、眼や表情でコミュニケーションを図れば、智子はお手上げ。荘顔との生活にうつつを抜かし会議にも出てこない羅輯に痺れを切らした国連は、荘顔を「終末決戦」まで人工冬眠させ羅輯の尻を叩きます。何しろ終末決戦まで4世紀もあるわけですから、人工冬眠でも使わないとストーリーが進行しません。ということは、羅輯も冬眠することになるんでしょうね。というわけで、羅輯は荘顔に会うため終末決戦へ重い腰をあげます。

呪文
 羅輯が面壁者に選ばれた真相が明かされます。羅輯はかつて事故で死にかけたことがあります。この事故は三体協会が仕組んだ暗殺であり、羅輯は三体人の地球侵略の障害となる人物だったのです。

 羅輯は元天文学者で社会学者。かつて「宇宙社会学」を研究しようとしたことがあります。銀河に多くの文明が存在するなら、文明と文明の関わりを考察する「宇宙社会学」が成立するわけです。つまり、三体文明と地球文明の接触=戦争も宇宙社会学の範疇というわけです。
 宇宙社会学の公理なるものが紹介されます。1)生存は文明の第一欲求である。2)文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。→この辺りが下巻への伏線でしょう。
 羅輯は、地球の銀河系における位置と「呪文」を50光年彼方の地球外生命体に向けて発信します。呪文?...、果たして三体星人に次ぐ第三の異星人が登場するのか?。

 というのが『三体Ⅱ 暗黒森林 上 』で、『下』は未だ図書館から借り出せていません。借りられたとしても、『三体Ⅲ 死神永世』は未だ発売されていない!。

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