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朝鮮日報が面白い [日記 (2021)]

 当然、日本語版です。「ここからさきは有料」という日本の新聞社と違って無料というのが嬉しい(但し記事は1週間で消えます)。嫌韓は高齢者に多いそうですが、文在寅政権の対日政策を見ていると百田センセイ(1956年生まれ)のような嫌韓が出て来るのも当然かと思います。韓国は本当に反日一辺倒なのかと興味があったので、発行部数韓国最大の「朝鮮日報」をのぞいてみました。朝鮮日報は保守派の新聞ですから、その辺りは割り引く必要があるのかも知れませんが、特にコラム(寄稿)がけっこう面白いです。寄稿を自社の論調の補完としているのではないかと思います。

コラム・「国民情緒」という名の打ち出の小づち(朱京哲ソウル大学教授)
 現在の韓国社会息苦しさを「魔女狩り」に例えます。

発端は隣人間の告発だ。犠牲者を起訴し、拷問し、有罪判決を下して処刑したのは権力機関だが、そういうことをさせる動力は民衆層から出てきた。「魔女狩りは隣人が隣人を殺した行為」

だと著者は言います。「国立墓地から親日派の墓を掘り返せ」とか「旭日旗問題」等などは、隣人による魔女狩りの感があります。

現在の韓国社会を巡って、魔女狩りが繰り広げられている場所だと言うなら、もちろんそれは誇張だ。ただし、場合によってはその方向へ突っ走る危険性が濃厚だという点は、ぜひ指摘したい。
・・・「国民感情」や「民衆感情」という名の打ち出の小づちのような基準に一度引っ掛かってしまうと、おしまいだ。

現在の韓国社会では魔女狩りが行われている、と言っているに他なりません。産経新聞かと見間違うコラムですw。もうひとつ、

コラム・法治の上に正義が君臨するときに起こること(シン・ドンウク・テレビ朝鮮ニュース9アンカー)
現在のところ韓国国民の大多数が「正義」を「法」の上位概念として捉えている・・・国政をリードする人々がこうした考えをひそかに、そして絶えず注入しているからだと筆者は判断する。

有名な「国民情緒法」です。

現在のところ韓国国民の大多数が「正義」を「法」の上位概念として捉えているようで嘆かわしい。・・・(文在寅政権は)キャンドル革命がつくり出した政府という表現に、その考え方が端的に盛り込まれている。

文在寅政権は選挙で選ばれた政権ですが、朴槿恵政権を倒したのは国民の大多数が信じる「正義」です。慰安婦、徴用工判決もこの「正義」に忖度した判決だと思います。こういうのもあります。

コラム・韓国裁判所の反日冒険、その次に来るもの(1/23無署名)
 これが決定打かも知れません。日本を叩けば大衆に支持され、判事は英雄扱いされ、対馬から盗んできた仏像も倭寇の略奪品だから韓国のものとなる。ベトナムで同様な判決がでれば、韓国政府は受け入れるつもりなのか?、朝鮮戦争で米軍による200件の民間人殺傷事件を国民が裁判に持ち込み今回同様の判決が出ればどう対処するのか?と問い、

「強行規範が全ての法の上位にある」という法の論理は、日本だけに適用され得ない。韓国社会の特定勢力が、米国を避けるように放っておきはしないだろう。米国は国家免除を徹底して保障する国だ。こんな米国を、韓国の法廷に立たせ、韓国国内にある米国政府の財産を差し押さえてみよ。くみしやすい日本を相手に行くところまで行く韓国の裁判所の冒険主義は、完全に異なる段階に入っている。

朝鮮戦争で米軍による殺傷事件があったそうですから、アメリカを訴える裁判が起きても不思議はありません。まさに韓国は「パンドラの箱」を開けたわけで、これは面白いw。

 いずれのコラムも「正義」が法を超えるという話です。韓国にもこういう少数意見があるんですね。ハンギョレ新聞には絶対載らないコラムです。中央日報も面白いです。

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映画 熱いトタン屋根の猫(1958米) [日記 (2021)]

熱いトタン屋根の猫 [DVD]  原題、Cat on a Hot Tin Roof。テネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化です。『欲望という名の電車』では、タイトルの謂れは「欲望」という名の電車に乗って「墓場」という駅で乗り換えて「極楽」という駅で降りるというセリフです。この映画でも、マギー(エリザベス・テイラー)は、夫から愛されない不満を「熱いトタン屋根の猫の気分」だと言います。夫のブリック(ポール・ニューマン)は、「屋根から下りろ、猫ならケガをしないジャンプをしろ」と返し「どこへ?何に向かって?」と問うマギーに「男を作れ」と言います。
 ブリックはマギーのキスを逃れ、マギーの口をつけたグラスでは酒を飲みません。嫌われても、マギーは未だブリックを愛しているようで、この奇妙な夫婦関係がどうなるのか?、ブリックは何故これほどにマギーを嫌っているのか?、という興味で観客を引っ張っていきます。

 原作がテネシー・ウィリアムズですから舞台は南部。一代で財を築きビッグダディと呼ばれる父親(バール・アイヴス)の誕生日に、家族が集まります。単なる誕生祝いではなく、目当ては末期癌で余命いくばくもない父親の遺産相続。長男グーパーは、弟ブリックをアル中で施設に入れ財産の独り占めを目論み、ブリックの妻マギーはこれを阻止しようと夫の尻を叩き、肝心のブリックは財産に興味を示さず酒に溺れる始末。

 ブリックがマギーを嫌い酒に逃げる理由が明らかにされます。ブリックが入院中に、マギーがブリックの友人を誘惑して自殺に追い込んだためです。映画ではボカされていますが、ブリックと友人はどうやら同性愛の関係。マギーは、ブリックを同性愛の友人から夫を取り戻すために会いに行った、断じて関係は持っていないと言い張ります。当時もマギーは「熱いトタン屋根の猫」だったわけです。ブリックは、妻の不貞と同性愛の罪悪感から逃げるために酒に走ったわけです。
 『欲望という名の電車』でも、ブランチの夫は同性愛が原因で自殺し、彼女自身は「熱いトタン屋根の猫」となっています。同性愛の夫を持った妻、自殺による贖罪は、テネシー・ウィリアムズにとって重要なテーマのようです(『電車』と『猫』でピューリツァー賞を受賞していますから面白い)。

 マギーとブリックが行きつく所まで行くのかというと、実はそうはならない。ブリックが不用意に父親に末期癌を告げてしまい、今度は死期を悟った父親が前面に顕れます。父親は「ビッグ・ダディ」と呼ばれるように、一代で農園を築き、綿花栽培だけではなく綿織物にまで進出する気概、女性への欲望を顕にしますからアメリカの強い父親の象徴です。余命幾ばくもないことを知った父親はブリックを立ち直らせようとします。古いトランクを示し、祖父の遺品は古いトランクとその中に入っていた米西戦争の軍服だけだったこと、祖父と父親は家が無く貨車で暮らしていたこと、オレはそこから這い上がって30エーカーの土地と1000万ドルの財産を作った、その「帝国」をお前に譲るとブリックを鼓舞します。祖父は貧しかったが父親に愛情を持って接した思い出が語られます。ブリックは、財産が欲しいと思ったことは一度もない、欲しかったのは父親の愛情だ、アンタは妻も家族も愛してなかったと詰ります。まるで、強い父性を求めて同性愛に走ったというブリックの言い訳のようにも聞こえます。
 父親は、父親の愛情を受けて育ったにも関わらず家族を愛さなかったことを悟り、息子は同性愛と酒に走ったことを後悔し、ブリックと父親は和解します。

 マギーは、もうひとつ誕生日プレゼントがあると、自身が妊ったことを父親に告げます。ブリックがマギーを嫌っていますからそれはあり得ない、事実嘘です。ブリックは、妊娠は嘘だと言う兄嫁からマギーを護り、ふたりの仲は修復されます。映画としては上手いオチですが、原作はどうだったのか気になります。

 『欲望という名の電車』では、資本主義が伝統的な南部を壊す現実が描かれ、『熱いトタン屋根の猫』では、南部の伝統的な家父長制とそれに抗う息子が描かれます。『電車』と『猫』のどちらが好きかと言えば、マーロン・ブランドの『電車』に一票。

監督:リチャード・ブルックス
原作:テネシー・ウィリアムズ
出演:エリザベス・テイラー、ポール・ニューマン、バール・アイヴス

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百田尚樹 今こそ韓国に謝ろう(2017飛鳥新社) [日記 (2021)]

 『 今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 【文庫版】 日本国紀』が面白かったので引き続き百田センセイ。2017版と2019年の増補版があるようで、読んだのは前者。
 百田氏はまえがきで、韓国が日本に「謝罪せよ!」「賠償せよ!」という論調を見て、この国を「品性下劣な国であり、あさましい民族であるかと呆れて」しまうわけです。で日韓関係史を勉強して

日本が朝鮮および朝鮮人に対して行なった悪行を知り、愕然としたからです。その非道の数々は、私の想像を絶するようなものばかりでした。・・・私は今こそ、声を大にして言いたいと思います。「日本は韓国に謝らなければならない!」

 保守派の百田氏が謝るわけはないので、(タイトルからしてそうですが)これは逆説、イヤミ、ギャグです。
 第1章「踏みにじられた朝鮮半島」からギャグ爆発。日本は、1905年当時朝鮮全土で40数校しかなかった小学校を併合によって4300校まで増やし子供たちから自由を奪い勉学を強制します、人権蹂躙ではないか!。これによって朝鮮の文盲率は10%から90%まで改善されますが、学校教育の普及は、質の高い労働力を得るための日帝の策略であったというわけで、百田氏は「謝り」ます。

 以下、禿山に植林して自然を「破壊」し、鉄道を引き、橋を架けて朝鮮の景観を壊し、化学肥料を持ち込んで農業生産高を上げて人口を倍増し、24歳だった平均寿命を42歳まで引き上げた、等など日韓併合の罪を列挙します。おまけに、日本はダムを作り工場を作り18%だった工業生産高を43%まで高め、牧歌的な農業国を破壊したことを百センセイは「謝り」ます。呉善花、李栄薫、金完燮の著作を読むとこれらは正論ですが、ここまで書くとイヤミです。『日本国紀』で日本民族の美質を高らかに謳ったわけですから(出版は本書の方が先)、日本は、朝鮮を植民地化せず同化しようとしたとどうして胸を張って言えないのか?と思いますが、そんな生易しいことで氏の鬱憤は晴れないのでしょう。

 第3章「『七奪』の勘違い」あたりまではいいのですが、第4章「ウリジナルの不思議」からは百田センセイの素顔が顕になってきます。「ウリジナル」とは、ハングルの「ウリ(自分)」とオリジナルの合成語、日本文化の韓国起源説の話です(最近では、キムチの起源で中国とやりあっています)。剣道、茶道、ソメイヨシノなどは朝鮮起源であるとする奇説です(ちなみに孔子やイエスも韓国人)。笑って済ませばいい話ですが、この奇説を大学のセンセイが唱えるわけですから面白い。
 百田氏は現代韓国の剽窃文化を憂え、セウォル号沈没事件や百貨店の崩落事故を例に、韓国のアンモラルを非難します。そして、日本は日韓併合の35年で木を植え学校や工場は作ったがモラルを教えなかった、「育て方が悪かった」のだとします。これは、「日本人に文化を教えてやった」という韓国の上から目線と同じものです。

 国民の70%以上が日本製品の不買運動に参加し、慰安婦問題、いわゆる徴用工訴訟、教科書、靖国参拝問題と、事あるごとに日本は非難の的です。著者は、併合35年の間に韓国民族が日本人であることを(ローレンツのいう)「刷り込」まれ、未だこの刷り込みから脱却できていないのだと考えます。韓国人は自らを日本人と考え自国政府を非難しているのだと言うのですが、ちょっと無理があります。むしろ、夷狄で劣った日本に35年も支配されたという屈辱を晴らしたい、消し去りたいという意識の裏返しでしょう。その恨を歴史教科書で「刷り込」んで出来上がったのが今の反日だと考えた方がよさそうです。
 日本人もGHQのWIGPによって戦争犯罪と贖罪を刷り込まれ、自衛権まで放棄した憲法第九条を平和憲法として有難がっているわけですから、同じことです。

 本書に新しい知見は無く、既知の資料を使った「嫌韓本」に終わっているのは残念です。

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パオロ・ジョルダーノ コロナの時代の僕ら(2020早川書房) [日記 (2021)]

コロナの時代の僕ら  人口6000万人のイタリアで600万部も売れたというベストセラーです。27本の短いエッセイ+「あとがき」で116頁のコンパクトな本で、文章は平易で2~3時間で読めます。日本で感染が確認されて1年が経ち、毎日のようにコロナの報道を見ていますから、書かれている内容に新味はありません。ありませんが、本書が2020年2月末~3月20日(あとがきの日付)に書かれたことに驚きます。その時、感染者数8.5万人、死者数3000人、それが現在(1/19)は感染者数9600万人、死者数200万人となります。ほぼ1年前に医療崩壊の危機が警告され、自国の防疫を喧伝して政権の安定化を図る政治、フェイクニュースを拡散させて自滅した政治家などが予見されています、直接の記載はありませんが。

想像力
自分の損得勘定だけにもとづいた選択はベストな選択とは言えない。真のベストな選択とは、僕の損得とみんなの損得を同時に計算に入れたものだ…。
つまり、代念だが、バーティーは次回にお預けだ。(隔離生活のジレンマ)

何だ「密」を避ける話か、と思うのですが、密を避けるとは感染するリスクを避けるためではなく、当然他人に感染させるリスクを避ける意味もあるわけです。このみんなの損得を計算に入れるというのが、コロナ時代を生きる上で重要なポイントで、本書に一貫して流れる思想です。先進国の人間だけがワクチンを接種しても、地球規模でコロナ禍を抑えることはできないわけです。

アクションを起こす僕らが大勢ならば、各自のふるまいは、理解の難しい抽象的な結果を地球規模でいくつも生む。感染症流行時に助け合いの精神がない者には、何よりもまず想像力が欠けているのだ。(運命論への反論)

 感染症(COVID-19)では、自分さえ良ければという利己主義は通用しないということです。「自分ファースト」では、地球的規模でウィルスを押さえ込むことは出来ないのです。

つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? 僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。(パラドックス)

 生態系の破壊によって、ウィルスは人間の群れる地域に「引っ越し」したのだ、といいます。「宇宙船地球号」に乗っているのは人類だけではなく、全生態系です。新型コロナウィルスを風邪だというフェイクニュースを流し、「アメリカファースト」の政策を奉じWHO、パリ協定から離脱したトランプは想像力が無かったことになります。

喪った日常
 私たちは、喪われた「日常」が戻ってくることを切実に願っています。

日常が不意に、僕たちの所有する財産のうちでもっとも神聖なものと化したわけだが、れまで僕らはそこまで日常を大切にしてこなかったし、冷静に考えてみれば、そのなんたるかもよく知らない。とにかくみんなが取り返したいと思っているものであることは確かだ。(日々を数える)

 「日常」を返せ!とウィルス(Cov-2)に言いたいわけですが、ウィルスは言うでしょうね、オレはオレの日常を生きているんだ、そもそもアンタはその日常を大切にしていたのか?アンタの日常とは何だ?と。そう言えば、わたしの大切な「日常」とは何だったのか...。

 コロナ後の日常はコロナ前の日常とは違ってくると思います。テレワークが進むとか云う現象面ではなく、広汎な分野でパラダイムシフトが起きるのではないか。価値観が一朝一夕に変わるはずはありませんが、価値や「カッコよさ」の多様化が起こると思います。外出もままならず「ステイホーム」を余儀なくされていますが、この不自由さに何を見つけるかです。人間はホモルーデンス(遊ぶ人)なんですから。

忘れたくない物事のリスト
 著者は「あとがき」で強いメッセージを発します。ウィルスの伝染経路とともに「世界でも、イタリアでも、状況をここまで悪化させた原因の経路」も探さなくてはいけない。と説きます。「だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている」。パンデミックが終息して日常が戻ってきたら、そのリストを点検し何かできることはないか考えてみる、と書きます。

僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を…
僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝搬されていたことを…
僕は忘れたくない・・・云々
家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。・・・今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさか事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。

 書かれていることは当たり前のことばかりです。当たり前のことを改めて僕らに突きつけたのがコロナ禍である、という本書は一読の価値があります。

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映画 ジャック・サマースビー(1993米) [日記 (2021)]

ジャック・サマースビー [DVD]  原題”Sommersby”、主人公の名前。 ひとりの男が南北戦争後の混乱に乗じて別の人物と入れ替わる、別の人物に「なりすます」話です。男の名はジャック・サマースビー。この「なりすまし」のネタを知らない方が面白いのですが、それでは感想が書けないのでネタバレです。リチャード・ギア、ジョディ・フォスターの名前に惹かれて、予備知識無しに観たので面白かったですが、「なりすまし」を知っていても十分楽しめます(映画の方も前半でネタバレしています)。

帰還兵
 南北戦争が終わり、ひとりの男が南軍の帰還兵として故郷の村にたどり着きます。男は、南部の農園主・ジャック・サマースビー(リチャード・ギア)、よく無事に帰ってきたと村人の歓迎を受けます。家には妻ローレル(ジョディ・フォスター)と幼い息子、6年ぶりの帰郷ですから普通であれば抱き合って再会を喜ぶ筈ですがそうならなず、ローレルの表情も何故か固い?。赤ん坊の頃別れた息子は、母親に促されてジャックと抱擁をかわしますが、飼い犬は吠えます。いざ休む時になると、ローレルは「寝室はアッチ」。つまり、この夫婦はジャックが戦争に行く前から寝室を別にしていたようですが、夫を騙る男に身を任せることはできないとも取れます。ジャックは偽物なのか?、ローレルはジャックが偽物であることを見抜いているのか?、この男を夫として受け入れるのか?。ジャックはローレルの疑いを知りつつサマースビーとして振舞います。この辺りのふたりの、特にローレルの心理の「揺れ、綾」が見どころです。

 ローレルがジャックのヒゲを剃るシーンです。彼女は昔を思い出し、長旅から帰るとあなた別人のようだった、わたしの目には危険で、風変わりな男と映ったと言います。ヒゲを剃ったジャックを見て「どこの誰かしら?」と言い、ジャックは「もう一度 お互いに慣れる必要がある」と返し、ローレルは「そうだ」と答えます。ローレルは「アンタはジャックではないが夫として受け入れる」、ジャックは「一から関係を築こう」と言っているわけです。この後ふたりは、オフィシャルでもプライベートでも夫婦を演じることになります。

法廷
 この暗黙の了解に危機が訪れます。ジャックが殺人犯として捕らえられるのです。ジャックは、サマースビーがイカサマ博打を見破られて殺人を犯した容疑で裁かれます。ジャックがサマースビーであれば殺人罪で死刑。ジャックはサマースビーでないことを証明するか、ローレルがジャックを夫でないことを証言すれば、無罪。ジャックとローレルの愛が試されることになります。ジャックは、ローレルとの愛を優先し自らがサマースビーであると主張し、ジャックを助けたいローレルは彼は夫では無いと証言します。

 思わぬ証人が登場し、ジャックはクラーク郡の教師でありサマースビーではないと証言します。さらに、新校舎の建設を持ちかけその資金1200ドルを持ち逃げした。女をはらませて捨てて南軍に入り、戦況が不利となると脱走して北軍に捕まった云々と。ジャックは自らを弁護し、傍聴席の人々に自分がサマースビーであることを認めさせ、さらにローレルを証言台に立たせます。ローレルの口から、何故ジャックがサマースビーでないことを黙っていたのかが語られます。自分には夫が、息子には父親必要だった、何よりもジャックを愛してしまった、と。ジャックは、我々は夫婦なのかと問い、ローレルはイエスと答えます。ローレルが夫婦であることを認めればジャックはサマースビーであるという論理です。判決は有罪、ジャックはサマースビーの名とローレルとの愛を護ったことになりますが、同時に殺人の罪で死刑への道を歩むことになります。果たしてジャックは絞首刑となるのか?。

 「なりすまし」とラブストーリーが適度にミックスされ、サスペンス感もあって、オススメです。

監督:ジョン・アミエル
出演:リチャード・ギア、ジョディ・フォスター、ビル・プルマン

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マルグリット・デュラス 愛人/ラマン(1992河出文庫) [日記 (2021)]

愛人 ラマン (河出文庫)
 ジャン=ジャック・アノーの映画『愛人/ラマン』の原作です。映画は、男物の帽子を被る挑戦的でコケテッシュなジェーン・マーチの魅力に尽きます。ジェーン・マーチと過激な?性愛描写から、『愛人/ラマン』は少女の恋愛譚だと思っていましたが、本書を読むとそう単純な話ではなさそうです。

思えばわたしの人生はとても早く、手の打ちようがなくなってしまった。18歳のとき、もう手の打ちようがなかった。・・・18歳でわたしは年老いた。
仏領インドシナ
 本書は作者デュラスの自伝的小説です。デュラスは、1914年に仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)に生まれ1931年に(大学入学のため)フランスに帰国しますから、「18歳で年老いた」とはベトナムでの18年間が彼女の人生を決定づけたということになります。デュラスは、ベトナムで教師の両親の元に3人兄妹の末娘(兄2人)として生まれます。フランス人の若い夫婦が本国から遠く離れた植民地に行ったのですから、日本人が満州で「一旗揚げる」ということか思います。父親は彼女が幼い頃に亡くなり、母親が教師をしながら3人を育てたようです。

 フランス人小学校の校長である母親は教育熱心で、マルグリットに数学の大学教授資格試験で好成績を取ることを期待し、彼女はそう言い聞かされて育ちます。母親は子供に階級的上昇の夢を託しますが、長男は麻薬に溺れ、次男はサイゴンでやっとのことで会計士になり、娘に最後の望みを託したようです。
 母親は、一家の経済状況の好転のため、プランテーションを目論んで払い下げの土地に投資します。その土地は満潮時には海水に浸かる不毛の土地で、植民地で「一旗揚げる」夢はことごと失敗したようです。少女と華僑の青年のラブストーリーは一向に現れず、植民地で失敗した貧しい白人家庭の描写が延々と続きます。次男はサイゴンで死に、母国に戻って長男はパリで賭博にうつつを抜かし、母親は狂死したことが告白されますから、『愛人/ラマン』は、こうした家族から生まれた物語ということでしょう。

 宗主国のフランス人ですから、広い屋敷に住み、車を持ち、現地人の召使いを使う支配階級です。デュラス家も召使いを使い車もあったようですが、小学校教師の母親の給料で一家を支えるのは並大抵のことではなく、貧しい生活だったようです。
 少女は、母のお下がりの薄い絹の服に革ベルトを締め、金ラメのハイヒールを履き男物のパナマ帽子を被り自己を主張します。

あの日の服装で、異様さ、途方もなさをなしているのは靴ではない。あの日のありようはというと、娘は縁の平らな男物の帽子、幅ひろの黒いリボンのついた慣色のソフトをかぶっている。あの映像の決定的な多義性、それはこの帽子にある。

 ジャン=ジャック・アノーを小説の映像化に走らせたのは、この帽子です。
ラマン1.jpg ラマン3.jpg

植民地と宗主国

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映画 上海特急(1932米) [日記 (2021)]

上海特急《IVC BEST SELECTION》 [DVD] 1.jpg
 北京から上海に向かう〈上海特急〉に乗り合わせた、英国軍医と娼婦のラブストーリーです。1930年の、外人部隊兵士(クラーク・ゲーブル)とクラブ歌手(マレーネ・ディートリヒ)の『モロッコ』がヒットしていますから、舞台を中国大陸に移した同じ様な映画です。

 時代は1931年の中国。劇中に「内乱」というセリフがあるように、当時の中国は中華民国が左派と右派に分かれ、これに共産勢力が加わって覇権を競う混乱の時代。また、イギリスはアヘン戦争で香港を割譲し、米仏独など西欧列強は上海の租界を拠点に中国全土に勢力を広げ日本は満州に進出します。巨大中国は帝国主義に蚕食され身内では争っているという時代です。

 これら西欧列強の人々が、北京駅で上海行特急に乗り込みます。牧師、寄宿学校を経営する婦人、アメリカ人賭博師、フランスの退役将校、中国人と白人の混血であるビジネスマンのチャン、ドイツ人の商人、イギリスの軍医、中国人の若い娼婦フェイ、そして豪華な衣装に身を包んだ<上海リリー>の9人。
 見送りに来たイギリス軍人は軍医に告げます

  アンタはラッキーだ
  この列車には<上海リリー>が乗っている
  男に体を売って中国を渡り歩いている女だ

 車内で軍医ハーヴェイ(クライヴ・ブルック)はかつての恋人マデリン(マレーネ・ディートリヒ)と出会います。あなたは変わったと言うハーヴェイに、マデリンは名前を変えたことを告げます、

  一人の男のためだけに”上海リリー”には変えない
  悪名高き中国の白い花
  噂には聞いたでしょう

<上海リリー>とはマデリンだったわけです。ハーヴェイは裏蓋にマデリンの写真を貼った彼女から贈られた時計を持っています。5年振りの再会。マデリンは別れて5年と4週間だと言い、ハーヴェイはマデリンを忘れたことは無いと言います。別れた恋人同士は、5年間お互いを想っていた、未だに愛していることを告白します。ハーヴェイとの恋に破れた(と思った)マデリンは高級娼婦となり、娼婦となったが今もハーヴェイ愛しているというわけです。娼婦の恋です。

 という舞台設定で事件が起きます。列車が中国の「反政府勢力」に乗っ取られます。この乗っ取りを指揮したのは乗客のひとりであるビジネスマンのチャン。チャンは、政府に囚われた同志を救うため、列車の乗客を人質に取ったのです。この反政府勢力は、毛沢東の共産勢力、蒋介石の国民政府ではなく、汪兆銘の武漢国民政府と思われます。チャンは、上海総督の手術のために上海に向かうハーヴェイを捕虜交換のために拘束します。
 チャンの胡散臭いところは、上海リリーに「オレのアジトで一緒に暮らそう」と言い寄るところ。反政府勢力の指導者とはいえ、この時代の中国の軍閥、馬賊と変わりませんw。リリーに拒絶されると、乗客のひとり若い娼婦フェイ(アンナ・メイ・ウォン)をどうも暴力でモノにした模様(1932年の映画ですからその辺りの描写はありません)。

 列車乗っ取りの危機の中で、ハーヴェイとリリーの恋は再び燃えあがります。ハーヴェイはチャンを殴り倒してリリーを救出しチャン監禁に監禁されます。今度はリリーがハーヴェイ救出に向かい、チャンは「無事帰して欲しかったらオレの女になれ!」と迫り、リリーはハーヴェイを救うためにチャンの要求を飲みます。娼婦がかつての恋人のために我が身を犠牲にするという「聖女伝説」。この展開を知らないハーヴェイはリリーの変心を疑い、5年の歳月を経て燃え上がったふたりの恋はどうなるのか?…プロットは単純ですが、そこはマレーネ・ディートリヒ、見せてくれます

 フェイは暴力で犯したチャンを刺し殺し、リリーは自由の身となり、ハーヴェイはリリーの献身に気づくわけです。汽車は9人の乗客を乗せて再び発車し上海駅に到着。短い旅で運命を共にした乗客はそれぞれの日常へと帰ってゆきます。
 リリーはチャンに奪われた時計を新たにハーヴェイにプレゼントしてハッピーエンド。シンプルと言えばシンプルですが、退廃的美貌と言われるディートリヒの聖女伝説、大人の恋の物語です。全編これマレーネ・ディートリヒに特化した、他はどうでもいいという映画ですw。1932年の映画ですからマァこんなものかも知れませんが、国際色豊かな上海特急はなかなか味があります。

監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
出演:マレーネ・ディートリヒ、クライヴ・ブルック

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百田尚樹 有本香「日本国紀」の副読本(2018産経セレクト) [日記 (2021)]

「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史 (産経セレクト S 13)  「副読本」というので『日本国紀』の補完資料か何かだと思ったのですが、『日本国紀』の執筆、出版の楽屋裏を語った百田センセイと編集者(有本香)の対談です。

 『日本国紀』は、ケント・ギルバートとの対談がきっかけで生まれたそうです。同氏によると、アメリカの歴史教育は、それを学んだ子供たち誰もがアメリカを好きになり、アメリカに生まれたことを誇りに思う、喜びに思う、そうした歴史教育だそうです。片や日本の歴史教科書を読んでも、「日本に生まれてよかった!」とはとなりません。それなら日本に生まれてよかった!という日本の歴史をオレが書こうということで生まれたのが『日本国紀』だそうです。

 確かに「日本に生まれてよかった!」という教育は受けていません、どちらかと言うと「愛国」が日陰者とされる環境で育って来ました。もっとも、好太王碑や白村江の戦い、任那の日本府、山田長政の日本人町で、鎖国以前の日本はそこそこヤッていたんだと感じ、日清、日露戦争で日本人のアイデンティティを取り戻した思った途端、大東亜戦争の記述で日本人であるコンプレックスを植え付けられましたw。

 『日本国紀』によると、このコンプレックスはWGIPによって「刷り込まれた」ものだそうです。本書では山川の『日本史』が引用され、その偏向が批判されています。受験の定番、山川の教科書で日本史を学び、大学で(GHQに阿った)宮沢俊義のテキストを使ったのですから、WGIPの影響下で育ったようです。憲法第九条は絶対であり、改憲は反動という環境です。

 現在の歴史教科書は年表過ぎず、著者は、日本史を読んだ人がこの国はすばらしい、日本人であることに誇りを持てるような視点で、「物語」としての日本史を書こうとしたのです。物語りには「視点」が必要であると言います。物語=フィクションではありませんから、その手法は歴史の何を捨て(矮小化し)、何を取り上げるか(膨らませる)かです。

 例えば「日韓併合」をどう捉えるか。朝鮮総督府の創氏改名を皇民化政策、土地調査事業を収奪とすれば、日本は朝鮮にナント酷いことをしたんだろうといことになり、前者は戸籍と人口の、後者は国土の確定であるとすれば、戸籍と土地所有のあいまいであった朝鮮を近代化する施策となります。どちらを大きく書くかで歴史の方向は180度変わってきます。この辺りが通史の難しいところです。言ってみれば、歴史教科書は時の政府が国民に向けたプロパガンダと言えますが、日本人ですから「日本に生まれてよかった!」と思いたいですね。

 本書には隠しテーマがあり、「平和ボケ」「経済」「日韓問題」だそうです。「経済」では、荻原重秀を取り上げ「ケインズより200年早く原題のマクロ経済政策を取り入れた」と高く評価しています。「日韓問題」は言わずもがなで、これが『今こそ韓国に謝ろう』につながったそうです。
 『日本国紀』は批判も多い著作ですが、面白いです。

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映画 天使の入江(1963仏) [日記 (2021)]

天使の入江 ジャック・ドゥミ DVD HDマスター  原題”La Baie des Anges”、ギャンブルにのめり込む男女を描いたラブストーリー。ラブストーリーには違いないのですが、ギャンブルにうつつを抜かす女と、性悪女を愛した男の物語です。

 銀行員のジャン(クロード・マン)は同僚に連れられて初めてカジノに足を踏み入れ、ルーレットで1時間で50万フランの金を手にします。これを元手に大儲けして銀行員の生活から脱出しようと、ジャンは休暇を取りギャンブルのためニースに向かいます。これを聞いた父親は、借金の尻拭いはしない、ギャンブラーになるのなら出ていけ!、と。ジャンは、ギャンブルに溺れるようには見えず、何処から見ても堅実な好青年という設定です。

 ニースのカジノで出会うのがジャッキー(ジャンヌ・モロー)。くわえタバコで賭けに興じる姿はどう見ても一攫千金を夢見て賭博に溺れる女。ジャッキーは、最後に残ったチップをジャンと同じ数字に賭け、見事に当たりジャンに声をかけます。ジャンは勝っているところで切り上げる節度があり、ふたりはそれぞれ100万近い金を手にします。このギャンブルというのがルーレット。駆け引きも個人の技量も要らず、目が出るか出ないかは運次第という神の領域。ジャッキーに言わせると、「数字や偶然の神秘がある。もし数字が神の思し召しだ
 ジャッキーは、カジノで有り金を失い、友達に借金してパリに帰ろうと駅に来たが、又もカジノに戻り、敗けが込んでスッカラカンになったところにジャンが現れ一発逆転、これだからギャンブルは止められない。ギャンブルのため離婚され息子の親権もと取り上げられた、と悪びれる様子もなく話します。ジャンは、ギャンブル中毒の年増に捕まったというところでしょう。

 ジャッキーは、勝ちそうな予感がするとカジノへ向かい、今度は一銭残らず巻き上げられ、ジャンは寝る場所もないジャッキーを自分のホテルへ連れ帰り…となります。ギャンブルを介して一組のカップルが出来上がったわけです。

 翌日、ジャッキーはパリへの電車賃を友人から借金して、この金でルーレット。ジャンと二人で数百万フランの大儲け、さらにモンテカルロに行って大勝負となります。モンテカルロでは大負けに負けてまたも一文無し。何故そこまでギャンブルに拘るのかと問われたジャッキーは、「金が欲しいわけではない。ギャンブルの魅力は贅沢と貧乏の両方が味わえる」と。要は中毒だと思うのですが、ジャンヌ・モローの口から出ると何やらソレらしいw。

 愛している、もうパリに帰ろう、と告白するジャンに、ジャッキーは、私はギャンブルを止められない、この関係は長くは続かないと別れを切り出します。翌朝、ジャッキーは時計を売ってまたもカジノへ行き、すっからかんになったジャッキーは、中年の紳士に媚を売りギャンブルを続けようとします。この姿を見たジャンは「尻軽女、まるで娼婦だ」と言い放ちます。会ったばかりのジャンの部屋に泊まり、今また見知らぬ男に媚を売ってギャンブルを続けるですから、ギャンブルに溺れる尻軽女。ジャッキーに愛想をつかしたジャンは、パリに帰るためにカジノを出ますが、ジャッキーはジャンを追います。二人が抱き合ったロングショットでFin。この時ジャッキーは一文無しですから、勝っていれば追わなかった筈w。これがラブストーリーのFinかというと、ジャンとジャッキーの険しい人生の始まりのようなFinです。
 「天使の入江」とは、ニースの街の前に広がる海のこと。この入江でジャンはジャッキーという「天使」に出会うわけですから、皮肉なタイトルです。
フランス映画らしい、オシャレで辛口のラブストーリー。

監督:ジャック・ドゥミ
出演:ジャンヌ・モロー、クロード・マン

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百田尚樹 日本国紀(2) ~WGIP~ (2018幻冬舎) [日記 (2021)]

日本国紀  続きです。面白いのがWGIP。”War Guilt Information Program”の略で、GHQ(連合国軍最高司令部)による「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」(江藤淳)だそうです。保守陣営と産経新聞などのローカル?な用語のようで、初めて眼にしました。

 "War Guilt"は「戦争犯罪」ですから、日本人に太平洋戦争の責任を自覚させようという宣伝工作ということになります。GHQは、プレスコードや公共放送(ラジオ『真相はかうだ』)を使ってこの工作を進めたと言います。憲法第9条で自衛権を放棄させ、極東軍事裁判(東京裁判)で平和に対する罪で「戦争犯罪」を裁いたGHQですから(原告は連合国)、日本を軍事的に二度と立ち上がれなくするためにこうした占領政策があっても不思議ではありません。ちなみに、太平洋戦争は連合国の名称で、「大東亜戦争」は日本帝国のつけた名称だそうです(大東亜の理想が消された)。

 WGIPの一貫として言論統制、公職追放が行われ、軍部に加担したとみなされる教職者は追われ、戦前に自由主義、社会主義思想で大学を追われた大内兵衛、滝川幸辰などが返り咲きます。追放を免れるために、占領政策に阿る学者が次々と現れ、本書では憲法学者の宮沢俊義、国際法学者の横田喜三郎がやり玉に挙げられています。宮沢は「八月革命説」で新憲法の正当性を論じ、横田は東京裁判の正当性を主張し法学界の重鎮へと上り詰めます(横田は天皇を否定する本まで出版したらしい)。学生時代、宮沢と横田の教科書で憲法と国際法を学びましたが、WGPIの影響下で「平和憲法」を学んでいたことになりますw。

 敗戦を境に昨日までは軍国主義、今日からは民主主義という全国民のあからさまな転向や、教え子を戦場に送るなという日教組はWGIPの成果です。

 江藤淳は、

WGIP日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。

と分析します(wikipedia)。
 WGIPは、その後の日本の思想を牛耳ることになり、ここから所謂「自虐史観」が誕生したと言います。確かに、宮沢の著書で学べば憲法改正は「反動」であり、大東亜戦争(太平洋戦)という東アジアへの侵略を企てた東条英機は「平和に対する罪」で死刑になったことに何の疑問も抱きません。著者によると

GHQが日本人に施した洗脳は、戦時中の中国・延安で、中国共産党が日本人捕虜に行なった洗脳の手法を取り入れたものだった。洗脳の際、彼らがまず最初に行なうのが、「自己批判」であり、それにより「罪悪感を植え付ける」のだが、GHQもまさに同じ手法を取り入れた。

GHQの占領政策に深く関わったE.H.ノーマンが共産主義者であったことから

戦後の日本は、共産主義者たちの一種の「実験場」にされたようにも見える。中国共産党が延安で成功させた日本人捕虜への洗脳を、日本国民全体に施し、さらに日本国憲法によって再軍備を禁じ、公職追放によって地位を得た共産主義者とそのシンパがGHQ路線を堅持していったのだ。
その結果、日本人に過剰に自己を否定させ、いわゆる自虐史観が蔓延し、「愛国心」まで捨てさせた。そして、後の「河野談話」「村山談話」のような、中国、韓国の反日プロパガンダに容易に乗せられてしまう結果を招いた。共産主義者に影響されたGHQの占領政策は、その後の壮大な「歴史戦」の端緒となった。
ちなみに戦後、GHQに最も忠実な報道機関となった一つが朝日新聞である。

 こうなるともう「陰謀論」ですが、確かに、「従軍慰安婦・(いわゆる)徴用工」「靖国神社参拝」「教科書問題」はWGIPが過剰に作用した自虐史観です。冷静に考えれば、一国の宰相が戦没者を祀った神社に詣でることができない状態は異常ですが、異常と考えられないほどWGIPが効いていたことになります。この辺りになると右派・百田尚樹の面目如実です。もっとも、自虐史観に毒されているのかも知れませんが。「副読本」まであるので、読んでみようw。→読みました

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