SSブログ

彼岸花 [日記 (2021)]

P9286398.jpg P9286400.jpg
 近づくと逃げるので焦った、構図が×。

タグ:絵日記
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

映画 お嬢さん(2016韓国) [日記 (2021)]

お嬢さん 通常版 [DVD] 荊の城 上 (創元推理文庫)  英題、The Handmaiden、小間使い。原作はサラ・ウォーターズのサスペンス『荊の城』です。小説の舞台はヴィクトリア朝ですが、映画の舞台は日本統治下の朝鮮。詐欺師と掏摸の娘が上流階級の家の財産を掠め取る話です。プロットに富んだこの小説が、ハリウッドではなく韓国で、しかも時代を日本統治下に設定して製作されるあたりが面白いです(当blogの『荊の城』はここここ)。

 幼児を売買する泥棒一家のスッキ(キム・テリ)は、詐欺師・藤原伯爵(ハ・ジョンウ)によって小間使い・珠子として上月(チョ・ジヌン)の屋敷に送り込まれます。スッキは、上月の姪・秀子=お嬢様(キム・ミニ)の侍女としてお嬢さんと藤原の仲を取り持ち、結婚の後秀子を精神病院に入れて財産を横領しようという計画の共犯者。

 藤原が伯爵だというのは真っ赤な嘘で、済州島生まれの朝鮮人。上月も、密輸品を賄賂に朝鮮総督府に取り入り、日本に帰化して没落貴族の娘と結婚した朝鮮人。朝鮮に豪邸を建て、日本人を集めて稀覯本(実はポルノ)を秀子に朗読させ競売に掛ける怪しい男。しかも売るのは偽物で、それを製作しているのが藤原とふたりは裏で繋がっています。藤原が目を付けたのが、上月の姪の秀子の財産。日本人の秀子は叔父の上月と暮らしていますが、上月もまた秀子の財産目当てで彼女との結婚を目論でいるという色と欲の世界。

お嬢さん.jpg
 財産横領計画の片棒を担ぐスッキは、秀子が藤原を愛するように二人の仲を取り持ちます。ところが、スッキは次第に秀子を愛するようになります。原作の『荊の城』がソッチ系。秀子もソッチ系で二人の仲は急速に接近するわけです。
 スッキの巧みな誘導で秀子は藤原と結婚します。スッキは秀子より金を選んだわけです。秀子が精神を病み、予定通り精神病院へと...、ドンデン返しでエエッ!となります。
 ここまでがスッキの語る第1部。第2部で秀子が第1部の裏側を語って見せ、結末の第3部へと続きます。(サスペンスなのでネタバレ無し)

 面白いのですが、疑問は、設定がなぜ日本統治下の朝鮮なのか?。悪役の藤原と上月はなぜ日本人を騙る「朝鮮人」なのか?、ということです。韓国の反日感情を考えれば、悪役は日本人の方がすっきりするのですが。この映画は、朝鮮と日本の女性が悪役の男を出し抜く一種のジェンダー映画です。敵役の男は、普通の悪人では足らず最も忌むべき存在である必要がある、そこで日本人を「騙る朝鮮男性」が選ばれたわけなのでしょう。何しろ、韓国では日韓併合は絶対悪ですから、悪の手先の同胞ほど「汚い」存在はないのでしょう。そんな男にもっとも相応しい時代として日本統治下が選ばれます。オープニングで日本兵がソウルの街を行軍するシーンがあり、これも観客を日韓併合の時代へと誘う目的でしょう。

 舞台を1930年代に設定することで、確かに原作のヴィクトリア朝のゴシック調の雰囲気が出ました。日本人にとっては、江戸川乱歩、谷崎潤一郎の昭和の世界です?。主な舞台となる日本庭園を持つ和洋折衷の洋館と調度が素晴らしい。こんな建物が韓国にあるのだろうかと検索すると、韓国ではなく六華苑(三重県桑名市)と「名張藤堂家邸跡」(名張市)で撮影されたようです。

 二転三転のどんでん返しがあって面白いですが、放送禁止用語と際どい映像が頻出しますからR18+の映画ですw。『あるメイドの密かな欲望』もそうですが、小間使いは侮れません?。日韓併合時を舞台とした韓国映画では『暗殺(2015)』『密偵(2016)』もオススメ。

監督:パク・チャヌク
出演:キム・ミニ、キム・テリ、ハ・ジョンウ、チョ・ジヌン

タグ:映画
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

デスクトップPCが壊れた! [日記 (2021)]

2.jpg 1.jpg
 デスクトップ(dell 3040)が逝ってしまいました。普通に使っていれば壊れないんですが、あれこれ繫いで遊んで間にマザーが壊れました。普段使う分にはnoteで十分なのですが、動画を扱うとシンドイ(ファンが唸りをあげる)。仕方なくオークションで同じ3040を落札、今度はSSF(スモールフォームファクタ)でミニタワーと比べると大分省スペース。

 windowsのインストールに1日、アプリのインストールに半日。2~3年に1回こんなことやっているんですがもうやりたくないです。データは外は付けHDDとクラウドにあるのでマァ何とかなります。メモリ8G積んでいるのでSSDでなくHDDでもそこそこ速いです。もっともCPUが第6世代ですからWin11はアウト。2025年までコイツを使うことになります。
 ひとつ落とし穴がありました。ミニタワーでは2.5インチSSD+3.5インチHDDを積んでいたのですが2台積めない!。SATAの増設ボードを付ければ2台可能ですが、当面USBの外付けです。

 動画の視聴、編集に使うわけですが、使い勝手をノートと同じにしたいので、あれこれ入れてます。目的にもよるんでしょうが、皆さんどんなアプリを使っているんでしょう?。

画像関係:Handbreak(MP4変換、圧縮)、Movie Maker(動画編集)、DVD Flick(DVD変換)、Photoshop(静止画用)、Jtrim、縮小専用、VLC media player、ImagBurn
あれこれ:GoogleChrome、Evernote、Office2003(fileコンバーター)、Canonユーティリティーなど
オタク用:SDRSharp、NanoVNA、WSJT-X

 古いものばかりです。Googleでexcel、wordが読めるので18年前のOfficeOfficeは要らないのですが、昔から使い慣れた2003が便利。最新版は操作に戸惑います。AdobeCS2のPhotoshopも高機能なFreeソフトが出回っているので要らないのですが、同じ理由。新しいものを受け入れられない頭の方が問題なんですw。CPRM再生にPowerDVDを使っていましたが、CDに焼いたものをfreeソフトでゴニュゴニュやってmp4変換すると普通に観れますw。従ってこれは脚下。
 当分、変な機械つながずにおとなしくします。 

タグ:絵日記
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

村井章介 中世倭人伝 (3)~異国の中の中世~ (1993岩波新書) [日記 (2021)]

中世倭人伝 (岩波新書) IMG_20210923_0001.jpg 三浦(サンポ)
三浦
 15世紀になって、李朝は、倭寇に貿易を認め(興利倭人)日本の諸勢力の使者という名義での来朝を許可し(使送客人)、国内居住を認める(恒居倭)などの倭寇懐柔策をとります。1407年頃、この倭人の貿易船・興利倭船のために慶尚道の富山浦(釜山)、金海の乃而浦を開港します。1426年には対馬の者早田左衛門太郎の要請に応じて蔚山の塩浦が追加され、富山浦・乃而浦・塩浦の三つを「三浦(サンポ)」と総称するようになります。三浦には「倭館」よぶ接待所兼商館が設置されます。金海≒任那の日本府と云う辺りが面白い。

たてまえ上は三浦はたんなる入港場にすぎず、倭人の滞在は、ソウル往来のさいの行き帰りや、浦所倭館での取り引き期間のみ許されるにすぎなかった。だが倭人たちは、取り引きの不調、風待ち、船の修理などさまざまな理由をつけて滞在をひきのばし、ついには三浦に家を建てて住みつく者があらわれた。しかし朝鮮は、倭寇懐柔という原則から、あくまで居住を阻止するという態度はとらなかった。ほどなく三浦は事実上の倭人居留地へと姿を変えていく

 三浦に許可されたの居住人数は1436年には266人、それが1466年にはなし崩し的に1650人、1494年には3105人まで膨れ上がります。

 三浦は、李朝の役人の警察権が及ばず遠隔のため対馬の宗氏も取り締まりも緩く無法地帯だったようです。倭人の活動は貿易にとどまらず、漁業をやり田畑を買って農業にまで手を出すというやりたい放題。李朝は課税を考えたようですが、すでに宗氏の役人が住民から手数料を取っているため諦めざるを得ない、と打つ手無し。で、三浦の倭人はというと、

港に住みつく倭人には、商人も遊女もおり、使送船や興利船が入港すると、むらがって客引きをし、男女の嬌声がひびく。他の港からも酒を売りにくる者がいる……。まるで瀬戸内の港町を思わせる光景だ。

 元々は倭寇をなだめるために認めた三浦が、倭人の居留地・自由都市となってしまったわけで、李朝としてはまさに踏んだり蹴ったりです。
 この章のタイトルは「三浦ー異国の中の中世」、まさに朝鮮半島に中世日本が出現した感があります。

続きを読む


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

映画 マグダラのマリア(2018英米) [日記 (2021)]

マグダラのマリア [DVD] 1.jpg


 マグダラのマリアは、映画『ダ・ヴィンチ・コード』で一挙にポピュラーになりました →私もそのクチ。マグダラのマリアは、聖書ではイエスの磔刑と復活に立ち会った女性ですが、一方で「罪深い女」=娼婦とされ、イエスの妻でイエスの子を生んだという伝承もあります。「ベタニアのマリア」などイエスの周りにはけっこう女性がいたようで、『(マグダラの)マリアによる福音書』があるように彼女はその最右翼です。そういう「下心」で観たんですがゲスのカングリで、何ということもない宗教映画でした。

 マグダラのマリア(ルーニー・マーラ)は父親によって望まぬ結婚を強いられこれを拒否。彼女には悪霊が憑いているということになって「癒やしの手」イエス(ホアキン・フェニックス)が招かれます。イエスもその初期には「悪魔祓い」エクソシストだったわけです。この時イエスは33歳、『パッション』『サン・オブ・ゴット』など映画ではイケメンが起用されるのですがで、40歳を超えたホアキン・フェニックスが演じるにはけっこう無理があります(『ジョーカー』を連想してしまうw)。で、マリアはイエスの信者となり家出して伝道に付き従います。イエスがどいう存在だったかいうと、当時のパレスチナはローマの属国でローマ人とユダヤ教に支配される地であり、民衆は救世主を待ち望んでいた。そこにローマやユダヤ教からの開放と神の国を説くナザレのイエスが現れます。映画ではこの辺りが説明不足。

 イエスがマリアにどんな癒しを施したのかは?ですが、娘は父親の言うままに結婚しなければならない時代に、イエスは自己主張したマリアを人間として認めたわけです。マリアはコロリと参ってしまったわけです、これはジェンダー映画?。後に聖母マリアが「アンタ、イエスに惚れてるね」とマグダラのマリアに言いますから、マリアに宗教以前の感情があったことになります。

 この時代、宗教的信頼を勝ち得るのは教義ではなく、足萎えを歩かせたり目くらの目を開かせる「医療行為」と悪霊の憑いたマリアを癒すなどの祈祷。イエスは死人を甦らせる奇蹟を見せ名声が高まります。マリアが何をしていたかというと、イエスの足に香油を塗る忠実な僕、ローマ兵に虐待された村人の最期を看取るなどのマリアの信仰が描かれます。イエスとマリアの眼差しに男女の情愛がうかがわれますが、イエスも教主ですから迂闊なことは出来ない、映画の方も描けない。マーティン・スコセッシは、『最後の誘惑』でマリアとの結婚をイエスの「夢」として描きました。

「オイ、イエスよ、どうすんだ?」と言っている(言っているのは極少数)間に、あれあれよという間に「過ぎ越しの祭り」での狼藉、最後の晩餐 、ゲッセマネ祈り、十字架を背負った市中引き回し、ゴルゴダの丘の磔刑となります(駆け足です)。マリアはイエスの復活を見届けるわけですが、イエスを埋葬した洞窟を開けてみると遺骸が消えていた、復活したイエスに会ったというだけの話。復活を見届けたのはマリアだけですから、イエスに会いたいという思いが生んだ幻覚かも知れません。
 というドラマの無い映画ですが、「目は口ほどにもの言う」二人の眼差しから 、マリアとイエスの秘めたるラブストーリーだと思って観れば、そう見えなくもないです。

 ラストの、マリアがイエスの復活をペトロ達に伝えるシーンです。
「イエスは復活した」と言うマリアに、
「それは夢だ」とペトロ(キウェテル・イジョフォー)は言います。また、
「我々は炎と血の中(最後の審判)で神の国は生まれると信じていたが、神の国は生まれずイエスは死んでしまった」と。
マリアは「神の国はここにある、神の国は私たちの中にある」とイエスの言葉を伝えます。
ペトロは反論します、「神の国はここにあると言うが、世界は変わっていないし圧政は続いている。貧しき者も苦しむ者も救われていない」と。
問題はここからで、
「イエスは我々12使徒ではなく何故アンタを選んで言葉を託したんだ?、オレは認めない。アンタは我々を引き裂き、イエスの心を弱くした

 ペトロたち十二使徒は教団創設からの同志ですが、マリアは遅れて加わった信者。イエスが、復活という奇跡を見せ大事な言葉を伝える相手は十二使徒のはず。ところがイエスはマリアを選ぶわけです。「イエスの心を弱くした」とは、「イエスはアンタに惚れていたんだ!だからアンタを選んだ」ということでしょう。イエスのラブストーリーを描くとすれば、こういう描きか方しかできない、そう云うことなんでしょう。

 イエスの映画としては『最後の誘惑』『パッション』の方が面白いです(パゾリーニの『奇跡の丘』はイマイチ)。「マグダラのマリア」フリークだとしてもあまりオススメできません。マリアについては、岡田温司『マグダラのマリア ~エロスとアガペーの聖女』がオススメ。

監督:ガース・デイヴィス
出演:ルーニー・マーラ、ホアキン・フェニックス、キウェテル・イジョフォー

タグ:映画
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

中秋の名月 [日記 (2021)]

2.jpg

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

万葉集の花・秋 (1) [日記 (2021)]

彼岸花2.jpg 彼岸花.jpg
彼岸花(壱師、いちし)
路の辺の壱師いちしの花のいちしろく 人皆知りぬわが恋妻こいづまは(柿本人麻呂)
 →ばたに咲く壱師(いちし)の花のように、はっきりとみんなに知れ渡ってしまったことだ。私が心より愛する妻への気持ちのことではあるが…。
彼岸花はポピュラーな花だと思うのですが、これ一首だそうです。 
ヘクソカズラ.jpg 2.jpg
クソカズラ(ヘクソカズラ)
ぞう莢(イバラ、サイカチ?)に 延(は)ひおほとれる 屎葛(くそかずら) 絶ゆることなく 宮仕へせむ(高宮王)
 →イバラにまといついたクソカズラのように、しがみつくように宮仕えをしよう。宮仕えというのは昔も今も変わりなかったようで、笑うしかないです。クソカズラが万葉集にあるとは、でも雅な万葉人も酷い名を付けたものです。
紫蘇(ツチハリ)
我がやどに 生(お)ふるつちはり 心ゆも 思はぬ人の 衣(きぬ)に摺(す)らゆな(作者不詳)
 →私の家の庭に生えたつちはり(我が娘よ?)よ、心から思ってもいない人の衣に摺り染められたりしては駄目だよ
年頃の娘を心配する父親の心境と解釈するとピッタリ、知らんけど。画像は庭のシソで、素麺や冷奴の薬味としてひと夏重宝しましました。どうもツチハリとは違うみたいですが、シソ科はシソ科。
DSC_0157.jpg DSC_0146.jpg
リンドウ(思いくさ)
道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ(作者不詳)
 →道端のススキの陰で咲いている思い草のように、今さら何を思いわずらって、うちしおれたりしようか
「思いくさ」はナンバンキセルで竜胆ではないようですが、まぁいいか?。画像は、大阪府の岩湧山(897m)の山頂近くで撮影、唯一の写真です。
DSC_0151.jpg 1.jpg
ススキ(尾花、をばな)
萩の花 尾花(をばな)葛花(くずはな) なでしこの花、 みなへし また藤袴(ふじはかま) 朝顔の花(山上憶良)
 →ススキを詠んだ歌は沢山ありますが、秋の七草をそのまんま詠んだこれが決定版?。こんな歌あったんですね。ススキの画像はリンドウと同じ岩湧山で撮ったも。岩湧山山頂には人の背丈を超えるススキ(茅)の群生があり、毎年山焼きが行われます。 
ハギ
かくのみに ありけるものを萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも(大伴旅人)
 →運命はこのようなものです、萩の花は咲いているだろうかとあなたは問うてきたものでしたね
萩の歌も沢山ります。この歌の君というのは、女性なのか男性なのか?。

nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

映画 ナチス第三の男 (2017仏英ベルギー) [日記 (2021)]

ナチス 第三の男 [DVD]  原題”The Man with the Iron Heart”=鉄の心臓を持つ男。ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督でナチス親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺(エンスラポイド作戦)を描いたものです。ヒトラー暗殺はことごと失敗しますが、唯一成功したのがハイリドリヒ暗殺だそうです。

 ハイドリヒは、ナチスの治安、諜報組織の長ハイリヒ・ヒムラーの片腕、「金髪の野獣」「プラハの屠殺人」「ヒトラーの絞首人」と呼ばれたそうです。「長いナイフの夜」、「水晶の夜」などに関わり「ユダヤ人問題の最終的解決」ホロコーストのを立案者です。この映画はローラン・ビネの小説『HHhH プラハ、1942年』を原作としているようで、HHhHとは”Himmlers Hirn heißt Heydrich”の略=「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という意味だそうですから、ホロコーストはハイドリヒの頭脳から生まれたことになります。

 映画は、ハイドリヒが親衛隊No.2に上り詰めチェコの副総督になるまでを描く前半と、イギリスで訓練を受けたチェコの兵士がハイドリヒを暗殺する後半の、2部構成です。

 ハイドリヒ(ジェイソン・クラーク)は元々は海軍将校。妻リナ(ロザムンド・パイク)と婚約中に提督の友人の娘と不始末を仕出かし、軍事裁判にかけられ海軍を不名誉除隊で追い出されます。ここで偉いのが婚約者のリナ。普通なら婚約破棄となるのでしょうが、ハイドリヒの才能を見抜いていた彼女は結婚します。ナチ党員であるリナは、ハイドリヒにナチズムを吹き込み親衛隊のヒムラーに渡りをつけ、彼の尻を叩いて親衛隊に押し込みます。親衛隊情報部(SD)の新設を目論むヒムラーの目がねにかない親衛隊に採用され、共産主義者や反ナチ分子の摘発、反党分子の粛清に辣腕を振るい、わずか半年間で少尉から少佐まで上り詰めます。パーティーの席で、ヒムラーがリナに「ハイドリヒはアンタが造った作品だ」みたいなことを言ってますから、映画の第一部主人公はハイドリヒでなくリナだったわけです?。

 1933年ヒトラーは権力を掌握し1939年ポーランドに侵攻、親衛隊中将に昇進したハイドリヒはアインザッツグルッペン(特別行動隊)を組織しポーランドの支配層、知識人、ユダヤ人虐殺します。
 面白いエピソードが描かれます。(『愛の嵐』で有名な)親衛隊の帽子を被った胸も露わな娼婦とナチス将校の映像の後、ハイドリヒが国防軍の大将に未成年の娼婦買春の事実を突きつけ、引き換えに国防軍の持つ反体制派の情報を得るエピソードです。これ、親衛隊が諜報目的で運用していたという有名な娼館「サロン・キティ」ですね。ドイツの高官や軍人、外国の外交官を酒と女性でもてなし、盗聴器を仕掛け娼婦から情報収集していたといいますから、ハニートラップ。この「サロン・キティ」の発案者がハイドリヒ。既存の売春宿を乗っ取り親衛隊諜報部に組み込んだのです。ドイツの制式な軍隊は国防軍であり、親衛隊はあくまでもナチスの私兵。ハイドリヒは、親衛隊と国防軍の権力闘争をこういうかたちで処理していったという一幕です。

 ホロコーストを指揮したナチスの将校は、家に帰るとワーグナーのオペラに涙を流したというエピソードがあります。ハイドリヒの父はオペラも作曲した高名な音楽家で、彼もピアノとバイオリンの名手だったそうです。ハイドリヒが息子にピアノを弾かせ自らはバイオリンで合奏するシーンがあります。子煩悩で音楽を愛する父親とホロコーストの指揮官がひとりの人格に同居するという、人間の不思議を垣間見るシーンです。

 これが前半で、後半はこのハイドリヒが暗殺されるエンスラポイド作戦の話となります。ジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイクを投入したハイドリヒの物語に比べ、後半はよくあるレジスタンのアクション映画(こちらの方が長い)。イギリスで訓練されたチェコ兵士のパラシュート降下、彼らを匿うレジスタンスとのラブストーリー、暗殺、裏切り、拷問、追い詰められたレジスタンスたちの服毒自殺、教会での銃撃戦、と盛り沢山です。ハイドリヒを殺されたナチスの報復は凄まじいもので、犯人を匿った疑惑で、リディツェ村の200人の男は銃殺され、女子供は収容所に送られリディツェ村は地図から消えます。銃殺シーンや男たちを納屋に押し込め手榴弾を投げ込んで殺すシーンも、力は入っていますが、何処かで観たシーンです。ハイドリヒという怪物を際立たせるという意味では効果はありますが。

 『鉄の心臓を持つ男』とタイトルを付けたくらいですから、もっとハイドリヒに迫ってほしかった。エンスラポイド作戦を縮小して、彼が如何に怪物となったかを描いたほうがタイトルに相応しく映画としての纏まりも出たはずです。ヴァンゼー会議を主催して「ユダヤ人問題の最終的決定」を下したハイドリヒは、命令されるまま600万人のユダヤ人を絶滅収容所に移送した親衛隊中佐アイヒマンの「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)とはわけが違います。ナチスを描いた映画は多いですが、いずれもナチスの残虐性を描くかナチスと戦ったパルチザン側に立った映画です。ナチス賛美の映画は成立しないにしても、「凡庸な悪」ではなく「真の悪」を描いた映画が現れてもいい頃です。
 レジスタンス映画では『影の軍隊』がピカイチ、オススメです。

監督:セドリック・ヒメネス
出演:ジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイク、ジャック・オコンネル

タグ:映画
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

映画 決算!忠臣蔵(2019日) [日記 (2021)]

決算! 忠臣蔵 [DVD]  久々に日本映画、amazonプライムビデオにあったので観ました。忠臣蔵を塩の流通にからめ、赤穂浪士を倒産したサラリーマンとして描いた堺屋太一『峠の群像』がありましが、この映画も似ています。東大教授の著書『「忠臣蔵」の決算書』が原作だそうです。そう言えば大石内蔵助は綿密な出納帳をつけていたと聞いたことがあります。『武士の家計簿』の流れです。
 赤穂の侍の話ですから全編ほぼ関西弁、吉本のお笑い芸人が多数出演という辺りが面白いです。

 江戸時代に蕎麦は何時でも何処でも16文だったそうです。蕎麦一杯を480円、1文を30円に換算して忠臣蔵の収支決算が描かれます。浅野家が取り潰され、藩士に退職金を払って残った金が790両、9491万円。ここから旅費交通費、武具購入費用、江戸滞在費など仇討ちの費用が支出されます。ストーリーの進行とともに、

2人分の旅費と江戸滞在費233万円
浅野内匠頭供養・仏事費1518万円
    :
残金5429万円

という字幕が頻繁に出ます。四十七士が、浪費だ、いや必要経費だと侃々諤々でやりあうわけですが、関西弁ですからトゲがありません。マァ掛け合い漫才。

 当然主人公は大石内蔵助(堤真一)。これに対するのが勘定方・矢頭長助(岡村隆史)で、お笑い芸人ですが達者なものです(そう言えば『岸和田少年愚連隊』もあった)。この1500石(年収6900万)の大石と20石(同185万)の矢頭は、映画のボケとツッコミです。ふたりの立ち位置が、年収と役方(藩経営の実務担当)vs.番方(政務軍次担当)と職種の差で描かれます。浪費だ!と言うのが岡村サンで、いや必要経費だと言うのが堤サンです。
そろばんで戦ができるか!
銭の勘定できん侍はなにをさしてもデクノボウ
という遣り取りになります。

 討ち入りは戦争ですから、戦争には兵站が付きもの。忠臣蔵を兵站で描けばこの映画となります。討ち入り費用は9500万円、四十七士という人数も、費用的に赤穂や京都から江戸に連れて行ける人数。おまけに江戸滞在費も必要です。討ち入りは何時にするか、これも経費と相談。一旦は内匠頭の命日3月14日に決まるのですが、47人の生活費がそこまでもたない!、で吉良屋敷の茶会の日を聞き出してきた大高源五の情報によって12月14日に決まり事なきを得ます。万事がその調子、いや以外と大事。
 従ってクライマックスの「討ち入り」は、ありません。
 いや面白いです、久々に笑いました。

監督:中村義洋
出演:堤真一、岡村隆史、濱田岳

タグ:映画
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

村井章介 中世倭人伝 (2) (1993岩波新書) [日記 (2021)]

中世倭人伝 (岩波新書)境界2.jpg
続きです。
倭服、倭語
 14世紀の倭寇の主力は、日本人と朝鮮人の連合した集団あるいは朝鮮人のみの集団だったという説(田中健夫)が展開されます。論拠は、
 高麗朝の末期、倭寇の被害がはなはだしかったが、彼らのうち倭人は1~2割に過ぎず、朝鮮の民が倭服を着て徒党を組んで悪事を働いている(朝鮮王朝実録)
 屠殺や獣革の加工に携わる禾尺(かしやく)や仮面芝居の芸人の賤民の集団がなど倭寇となって略奪をはたらいている」(高麗史節要、1380年代)
という記述です。

 1379年には騎馬七百・歩兵二千という大規模な倭寇が慶尚南道の晋州を襲っていますが、これだけの人馬を九州や対馬から半島に運んだとは考えられず、この倭寇軍団は日本人と朝鮮人の連合した集団だった、あるいは朝鮮人のみの集団だったと考えた方が理屈に合ってます。半島の食い詰め者や半島の身分制度の最下層に属する禾尺(白丁)が倭寇に加担する、あるいは倭寇の名を騙って(倭服を着て)略奪をはたらくということは、十分考えられます。また倭寇に王直徐海の名がありますから中国人の関与は明らかです。

 では、倭寇は倭人+半島人または半島人よる犯罪集団なのかというと、そんなに単純な話ではない著者は云うのです。そもそも人々はなぜ倭服を着、倭賊と称したのか。

済州流移の人民、多く晋州・泗川の地面に寓し、戸籍に載らず、海中に出没し、学びて倭人の言語・衣服を為し、採海の人民を侵掠す。(成宗3閏8戊寅)
此の徒(済州島の鮑採り)は、詐りて倭服・倭語を為し、矯かに発して作耗す(賊を働く)、其れ漸く長ずべからざるなり、と。〔成宗6閏4辛卯)

倭寇だけではなく、済州の海民たちも倭服を纏い倭語も話していたというのです。彼らは、「倭人との間になんらかの一体感を共有していた」と考られると著者は想像します。
済州島の海民だけではなく、

加延助機(海賊)は、博多等の島に散処し、常に妻子を船中に載せ、作賊を以て事と為す。面黒く髪黄いろく、言語・服飾は諸倭と異なる。射を能くし、又善く剣を用う。水底に潜入して船を鑿つは、尤も其の長ずる所なり。 (中宗58丁未)

博多にも一般的な倭人とは異なる倭語、倭服の人々がいたようです。「倭と異なる」というのが肝で、済州島、九州北部の倭寇は、日本語から派生した、朝鮮誤の影響を受けた倭語を話していたのかも知れません。朝鮮語(特に済州語)と日本語は言語系統で隣接関係にありますから。

博多、済州島や対馬あたりの海域で海賊行為を行なっていた人々にとって、倭服は共通のいでたち、倭語は共通の言語だったのではないか。その服を着、そのことばを話すことによって、かれらは帰属する国家や民族集団からドロップ・アウトし、いわば自由の民に転生できたのではないか。

 まとめると、
1)朝鮮半島の食い詰め者や賤民が、倭服を纏い倭寇を騙って略奪を働くことがあった
2)済州島の海民の中には倭服を纏い倭語を話す海賊がいた、彼らは無戸籍者だった
3)博多辺りにも海賊を生業とする人々がおり、彼らの言語・服装は日本人とは異なっていた
4)倭寇にとって、倭服を着、倭語を話すことで国家や民族集団から離脱し自由民となることができた

著者は、倭寇の本質は、国籍や民族を超えたレベルでの人間集団だと言います。東シナ海共和国みたいなものです。東シナ海にも「パイレーツ・オブ・カビリアン」がいたのです。

 15世紀に入り、明と李朝、室町幕府の冊封体制が整うと倭寇も鎮静化に向かいます。李朝の太祖・李成桂は倭寇に懐柔策をとります。金銭と引き換えに投降させる(降倭)、投降した者には朝鮮の官職を与え(受職倭人)、(興利倭人)、貿易を許し(興利倭人)日本の諸勢力の使者という名義での来朝を許可し(使送客人)、国内居住を認める(恒居倭)などの倭寇対策をとります。

野人と倭人
 
朝鮮半島の北辺には女真族(満州族)がいます。半島の南には倭人と朝鮮人のマージナルがあり、北には女真族と朝鮮人のマージナルがあったという話です。

 朝鮮人の眼に倭人とつねに対をなすものと映っていたのが、野人―朝鮮半島極北部から中国東北地方にかけて住んでいた女真族である。朝鮮は朱子学を純粋に信奉したが、それに応じて華夷意識も中国以上に強烈なものがあり、野人も倭人も人間以下の禽獣としかみなさなかった。「野人は犬羊と異なることなく」(成宗52乙丑)、「島夷は……人類に歯うるに足らず」(成宗07戊辰)というわけだ

 華夷意識から、女真族は犬羊、倭人は人間ではないというわけです。犬羊と人間以下とどちらが上で下なのか?ですが、李朝初期には倭人は野人の下だったようですw。
 余談ですが、その犬羊が明を滅ぼして李朝に臣従を求めてきたことから「丙子の乱(1636)」が起こり、李朝を破った清は見せしめに京城に「大清皇帝功徳碑」を建てます。「犬羊」の女真族=清の属国となったわけですから屈辱です。1910年には「人間以下」の倭によって(日韓)併合され、さらなる屈辱を味わうことになります。
 話は「丙子の乱」「日韓併合」ではなく<境界>です。南に倭人を中核とするマージナル=境界があったように、北にも女真族と朝鮮族の境界があります。後に倭人のために開かれた開港場「三浦(さんぽ)」が生まれますが、三浦に対応する野人の居留地が、世宗朝に咸鏡道豆満江畔に設置された五つの城邑(慶源・会寧・鍾城・穏城・慶興)「五鎮」です。朝鮮は、北と南に<境界>を抱えていたことになります(現在の中国・朝鮮族の謂れです)。

 国境線という概念が生まれるまで、民族と民族の接する地域では、ふたつの民族が共存、混在する地域があったはずです。島国日本には、南には本書で述べる倭寇という名の海の境界があり、北には樺太や北方四島、北海道を舞台にヤクート、アイヌ、倭人が混在する境界があったと思われます。その境界が現代に顔をのぞかせると「尖閣諸島」「北方四島」の問題となるわけです。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ: