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山本淳子 枕草子のたくらみ ④ 清少納言を取り巻く男たち (2017朝日新聞) [日記 (2022)]

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)
 続きです。清少納言はけっこうモテたらしい。道長からも歌を贈られ(道長は清少納言のお気に入りと定子にからかわれている)、長徳事件で道長に寝返った藤原斉信も、引き籠もった清少納言の住まいを熱心に探すほど彼女に執心していた様で、彼女には藤原実方という恋人もいたらしい。枕草子には清少納言と関係深い男性、橘則光、藤原行成が登場します。

橘則光
 清少納言が10代の頃、最初に結婚した男性です。一子をもうけますが後に離婚(破綻)。清少納言は定子の後宮に出仕して間まもなく、蔵人(天皇の秘書官)として後宮に出入りする則光と再会します。

気まずい関係であったに違いないという気がするが、そうではなかった。二人は互いに「妹、兄」と呼び合い、さばさばした「きょうだい分」という新しい関係をスタートさせたのだ。二人のことは天皇をはじめ皆が承知で、則光は同僚や上司からまでも「兄」というあだ名で呼ばれた という。(第80段)

清少納言はこの頃の二人の在り方を、こう記しています、

かう語らい、かたみのうしろ見などする
(こうして親しく付き合い、お互いの助けとなり合った)
「語らひ」は男女の深い間柄を言う言葉なので、ここから清少納言と則光の仲は内裏で再燃したのだと推測する向きもある。

 二人の離婚にどういう経緯があったのか、性格の不一致?、則光の浮気(平安時代にあっては当たり前)などと想像してしまいますが、離婚しても互いに「妹、兄」と呼び合うという関係は不思議です。当時は、正妻という地位はあるものの一夫多妻ですから、婚姻による男女の結びつきは現代より緩い関係だったのではないかと想像します。何しろ、男が3夜連続して女の元に通えば結婚成立?ですから、通わなくなったら離婚というか破綻。離婚という概念も曖昧だったのでしょう(女性の財産は保証されていた様ですから、離婚しても困らない?)。正妻であれば北の対から実家に戻れば離婚。従って、清少納言と則光も、再会して気持ちが通じ合えば撚りが戻ってもそう不思議ではないのでしょう。則光も清少納言への手紙で、

便なき事など侍りとも、なほ契りきこえし方は忘れ給はで、よそにてはさぞと見給へとなひ思ふ
(不都合な事などがありましても、やっぱり昔のよしみは忘れないで下さい。よそでは今まで通り私を『元夫で今は兄貴の則光だ』と見てほしいと思います。)

「契った仲ではないか」と未練を残し、清少納言の方は、

 崩れ寄る  妹背の山のなかなれば  さらに吉野の 川とだに見じ
(私たち、山崩れでくっついてしまった妹背山の中のような仲だもの、川は堰かれて流れないわよね。私たちもそう。あの『古今集』の歌のような男女の仲ではもうないのよ。だから私は、もう決して「彼」とは見ないわ。よそだって、どこだって。)

甘えるな!というわけですw。清少納言は、何故こんな元夫婦の痴話喧嘩のような話を書いたのでしょうね。

藤原行成
 蔵人頭(天皇の秘書室長)若手官僚で、清少納言より6歳年下。天皇の使いとして定子の元を訪れ清少納言と親しくなります。

行成は)派手に見せたり言葉を飾ったりして風流面をすることはなく、ただありきたりの人のようにしているので、皆はそうとしか思っていない。でも私は彼がもっと深みのある人だと知っているので、「凡庸ではありません」など中宮様にも申している・・・彼は、いつも「『女は己を喜ぶ者のために化粧をする。士は己を理解してくれる者のために命を捧げる』と言うよね」と「史記』の好きな私に合わせて一節を引いて言って下さったりしていて、私が理解者だということをよくご存じだ。第130段

漢学を通じて清少納言は行成とウマが合う様で、時に深夜まで語り明かす関係となります。

つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、「今日は、残り多かる心地なむする。 夜をとほして、昔物語も聞こえ明かさむとせしを、鶏の声にもよほされてなむ」と、いみじう言多く書き給へる、いとめでたし。

翌朝、清少納言に行成から手紙が来ます。手紙が 役所の用紙だという辺りは行成と云う人物が想像されます。「名残惜しい」「昔話でもしたかったのに鶏の声にせきたてられて」と書くあたりは、後朝(きぬぎぬ)の別れ、男女の仲だったのかどう。彼女の返信は、

夜をこめて 鳥の空音 にはかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ

関所には番人がおりますのよ、そう簡単には会えません(男女の仲にはなれません)と。行成が返します、

逢坂は 人越えやすさ 関なれば  鳥鳴かぬにも あけて待つとか

逢坂の関は今はありませんから通行自由、別に鶏など鳴かずとも開いています。清少納言さんあなたも私を通してくれるのでしょう、と。これはもう恋の贈答歌です。著者は、

清少納言は行成とのエピソードを記すことで、職の御曹司転居後の定子に、中関白家文化とは別の、実のある力強い味方がいたことを示している。 彼を登場させたことには、明らかに政治的意図があると言ってよい。

「御曹司転居」とは、定子の兄弟が上皇を襲った長徳事件で彼女が内裏を去ったことを指します。著者によると、清少納言は、内裏を去っても定子には天皇の庇護があると言いたかったと云うのですが、私はモテたんだと云う自慢話に聞こえます。


タグ:読書
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