SSブログ

映画 LAMB/ラム(2021アイスランド、スウェーデン、ポーランド) [日記 (2023)]

LAMB/ラム [DVD]1.jpg
 『ロブスター』→『ザリガニ(の鳴くところ)』→『LAMB/ラム』と動物シリーズですw。『ロブスター』も相当ヘンな映画でしたが、『ラム』はもっとヘン。

アダ
 アイスランドの片田舎で羊を育てるマリア(ノウミ・ラパス)、イングヴァル夫婦の話です。羊の出産シーズンとなり、次々に子羊(lamb)が生まれます。夫婦はその中の一匹をアダと名付け我が子同様に育て始めます。この子羊が問題のLambなのですが、なかなか正体を現しません。普通の子羊を毛布でくるみ、ベビーベッドで育ています。子供のいない夫婦が子供代わりにペットを育てているようなもので、アダを見つめるマリアとイングヴァルの表情は、子供への慈しみに満ちています。癒やされているわけです。

 アダの居る部屋の窓の下に、一匹の羊が度々現れ鳴きます。子供を奪われた母羊です。この母羊がアダを連れ出しアダが行方不明となります。やっと見付けたアダをイングヴァルが自分の上着でくるむ時、アダの姿が明らかになります。アダの下半身は人間の赤ん坊!。
 荒涼としたアイスランドの原野で、夫婦ふたりで羊を相手に暮らす生活では、こうした怪異が起こるのでしょうか?。アダを奪われると考えたマリアは、母羊を撃ち殺します。

ペートゥル
 イングヴァルの弟ぺートゥルが夫婦と同居することになります。

あれは一体何なんだ? (ぺートゥル)
幸せってやつだ (イングヴァル)
あれは子供じゃない、羊だ (ぺートゥル)

 ぺートゥルという第三の視点が導入され、アダは夫婦の妄想の産物ではないことが明らかになります。後に明かされますが、アダはマリアとイングヴァルの亡くなった娘の名前です。妄想の産物ではありませんが、アダは子羊であり、イングヴァル夫婦が娘の代替としていることに変わりありません。
2.jpg
獣人
 ぺートゥルはマリアにセクハラしてに追い出されます。イングヴァルはアダを連れてぺートゥルが乗り捨てたトラクターを取りに行き「事件」が起きます。「ぺートゥルが乗り捨てたトラクター」というところがキモ。アダが生まれたことが第一の事件とすれば、第二の事件ということになります。頭は山羊、身体は人間という牡山羊が現れイングヴァルを(マリアが母羊を撃ち殺した銃で)撃ち殺し、アダを連れ去ります。雄山羊はアダの父親であり、アダの母親の仇をとったと想像されます。話としてはこれだけです。

 以下、勝手な解釈です。ぺートゥルという第三者が現れたことによってマリア、イングヴァル、アバの三人の「幸せ」は危機に瀕し、マリアはぺートゥルを追い出すことによって「幸せ」を護ろうとします。ところが、ぺートゥルが去ったことでアバという虚構=幻想は護られますが、新たな幻想=アバの父親という幻想を呼び寄せてしまいます。牡山羊はアバを連れ去りますから、ぺートゥルはマリアの幻想を破壊したことにもなります。映画の構造は、
アバという幻想→→→子羊という現実→→→イングヴァルの死という幻想or新たな現実
        ↑         ↑
   ぺートゥル登場    ぺートゥル退場

 頭は羊、身体は人間という獣人は、イングヴァルが生み出した「幻想」です。勝手に解釈すれば、幻想が人間という存在を存在たらしめている、第三者という現実は幻想を破壊する、という映画です(アバが生まれたのはクリスマス、羊はイエス、山羊は悪魔の象徴ですから、キリスト教の神話世界かも知れませんが)。

 面白くも何ともない映画ですが、頭の体操にはなりますw。北欧の映画はなかなか意味深です。ちなみにアイスランドの人口は35万、羊は人口の2倍以上いるそうです。

監督:ヴァルディマル・ヨハンソン
出演:ノウミ・ラパス、 ヒルミル・スナイル・グドゥナソン、 ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン

タグ:映画
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

澤田瞳子 火定(2017PHP) [日記 (2023)]

火定 (PHP文芸文庫)  歴史小説と云うと戦国、江戸、幕末が主流ですが、奈良時代を舞台にした小説は珍しいので読んでみました。8世紀の天然痘のパンデミックを描いた時代小説です。2017年のリリースですから、今回のコロナ禍の前に書かれていたことになります。

「ちょっと、施薬院ってのはここかい」という女の澄んだ声が、背後から聞こえた。
振り返れば、黒髪を高々と結い上げた女が、門の脇ではあはあと息を切らせてい
る。 少々濃すぎる化粧や、大きくくつろげられた襟元が、 およそ彼女が堅気の女でないことを物語っていた。

 上代倭言葉を期待したわけではありませんが、平城京の「施薬院」に江戸の町娘が登場した感がありますw。

 施薬院とは、教科書で習ったアレで、聖武天皇の后、藤原不比等の娘、光明皇后によって悲田院と共に設けられた庶民救済の施設です。

 天然痘が流行すると、施薬院には多くの病人が運び込まれ、医師、看護師が奮闘する様が描かれます。735~737年の「天平の疫病大流行」では、当時の人口の25~35%、100万~150万人が死亡したそうです。
 『火定』の背景となる「天平の疫病大流行」は、736年に遣新羅使が朝鮮半島からのもたらしたもので、国家間の人的交流がウィルスを運び感染症が蔓延することは、奈良時代も変わりありません。人々は疫病の流行を「新羅の疫神」のせいと考え、新羅人の居る寺院や施薬院が暴徒の襲撃を受け、打ち壊し、放火、略奪に拡大します。中世ヨーロッパのペスト大流行ではユダヤ人が虐殺され、今回のコロナ禍でもアジア系への差別がありました。社会不安が増大すると人は易々と扇動に乗ります。
 施薬院に隣接する悲田院で孤児の間に天然痘が発生し、僧侶が子供達と共に蔵に閉じ籠る挿話があります。コロナ禍を経験した今では当たり前の挿話ですが、クラスターの発生と隔離です。

 ストーリーは、施薬院の下級職員と冤罪で官を追われた元医師がパンデミックに挑む話です。最後は天然痘の治療法を見付けて奈良の都を救うご都合主義ですが、ミステリー要素もあってそこそこ読ませます。

 タイトルの「火定(かじょう)」とは「仏道の修行者が火中に自ら身を投じて入定すること。(広辞苑)」で、

世の僧侶たちは時に御仏の世に少しでも近付かんとして、ある者は水中に我が身を投じ、ある者は燃え盛る焰に自ら身を投じるという。 もしかしたら京を荒れ野に変えるが如き病に焼かれ、人としての心を失った者に翻弄される自分たちもまた、この世の業火によって生きながら火定入滅を遂げようとしているのではないか。(p285)

タグ:読書
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

映画 ザリガニの鳴くところ(2022米) [日記 (2023)]

ザリガニの鳴くところ ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]
ザリガニの鳴くところ









湿地の住人
 原題:Where the Crawdads Sing、”ロブスター”に続いて今度はザリガニw。原作は、2019年に全米で500万部(最終的には1,500万部)売れたというベストセラー小説です。自然豊かなノースカロライナの湿地を舞台に、1952年の6歳の少女カイアの物語と17年後の1969年の殺人事件が交差します。

 「ザリガニの鳴くところ」とは湿地帯のこと。湿地は、人が住むには不適切な土地で、街からはじき出された人(プアホワイト)が住む土地です。カイアは街の住人から「湿地の娘」と呼ばれ蔑まれています。父親のDVによって一家は離散、家族に捨てられた少女は、学校にも通えず字が読めない少女として登場します。湿地でムール貝を獲りトウモロコシやロウソクと交換して独りで生きます。湿地は、鳥や魚が棲む生命に溢れた「豊穣」の地でもあったわけです。
 街の人間がすべてカイアを差別したわけではなく、雑貨店の黒人夫婦はムール貝を買い取り、カイアのために靴や服を与え、カイアの豊富な湿地の知識を尊敬する少年テイトは、彼女に字を教えます。6歳の少女が湿地で独りで生きる姿は、なかなか泣かせます。

殺人事件
 1969年、街の住人チェイス(ハリス・ディキンソン)が湿地の物見櫓からが転落し死体となって発見されます。カイアはチェイスと付き合っていたため疑われ、第一級殺人罪で起訴されます。雑貨店の黒人夫婦やテイトがカイアを応援した様に、引退した弁護士(デヴィッド・ストラザーン)がカイアを弁護し、殺人事件は事故とされカイアは無罪となります。ラストで明かされますが、チェイスを殺したのはカイア。チェイスは結婚をエサに「湿地の娘」を弄び暴力を振るったことが明かされていますから、カイア以外にはあり得ません。この映画は、原作を読むと更に明瞭ですが、ミステリと言うより湿地で生きる少女のビルドゥングス・ロマンであり、成長したカイアのジェンダーの物語です。カイアは湿地の生態系を観察し写生し本として出版し、「湿地の娘」が湿地を梃子に差別を跳ね返します。それが1,500万部売れた理由です。

 原作『ザリガニの鳴くところ』の魅力のひとつは、「湿地」の住人カイアが、人間の行動や男女の関係を鳥や昆虫の生態に重ねて理解することです。カイアとテイトの関係は、テイトがカイアに珍しい鳥の羽を贈りカイアがそれに応えるという「動物の求愛行動」のアナロジーです。チェイスとの関係も、雌のホタルが光の明滅信号によって雄を呼び寄せる求愛行動のアナロジーとして描かれます。動物学者ディーリア・オーウェンズならではのミステリーです。どちらかと言うと、映画より原作がお薦めです。

 余談ですが、ワシントン州の海辺の小さな町を舞台に繰り広げられる人種差別と殺人のミステリ『殺人容疑』(映画化され『ヒマラヤ杉に降る雪』)とよく似ています。

監督:オリヴィア・ニューマン
出演:デイジー・エドガー=ジョーンズ、テイラー・ジョン・スミス、ハリス・ディキンソン、デヴィッド・ストラザーン

タグ:映画
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

映画 ロブスター(2015ギリシャ、仏、愛蘭ほか) [日記 (2023)]

  • ロブスター スペシャル・プライス [Blu-ray]
     原題は”The Lobster”そのママ。何とも即物的なタイトルです。監督は『聖なる鹿殺し』のヨルゴス・ランティモス。

  •  男女は結婚して子供を作らなければならないと云う掟(法律)のある世界の話です。で、独身の男女は施設に入れられパートナーを探すわけです。施設では衣食住が保証され、プール、テニスコート付き、メイドが食事の世話をしてくれるホテル。出会いを演出するダンスパーティーまで用意されています。シングルの間は個室、カップルが見つかると二人部屋が与えらます。自慰が禁止され、見つかると右手をトースターで焼かれますw。

     施設の入所期限は45日で、期限が過ぎると動物に変えられると云うファンタスティックな設定。施設の方も、何時までも居座られてはたまらないので動物に変えて追い出してしまうわけです。生まれ変わる動物は自由に選べるそうで、世界は犬で溢れているという魔法の世界です。主人公デヴィッド(コリン・ファレル)が選んだのが「ロブスター」。ロブスターは百歳まで生きられ、死ぬまで生殖能力があるからだそうです。
     施設の外の森には結婚を嫌う独身者が棲み、この独身者を「狩る」と1人に付き滞在日数が1日加算される仕組み。なかなか面白い設定です。
     45日の間にカップルにならないと動物に変えられますから、必死にパートナーを探します。ブロンドの長い髪の女性は、美しいタテガミの馬に変えられ、デヴィッドに秋波を送っていた女性は、45日が迫って自殺します。

     面白いのはカップルである要件。足の悪い青年(ベン・ウィショー、007のQだ!)は、鼻血の出る持病の女性を見付け、顔面を机に打ちつけ鼻血を流して彼女とカップルとなります。つまり、男女は愛ではなく欠落を共有する(同じマイナスカードを持つ)ことによってカップル(結婚)となると云うわけです。これをヒントに、デヴィッドは施設で一番(独身者)狩りが上手く、冷酷だと言われる女性に「冷酷カード」を使って近づきます。まんまと成功するのですが、彼女がデヴィッドの愛犬(45日過ぎて犬となった彼の兄)を蹴り殺し、デヴィッドは女性を銃で撃って施設から逃亡します。ここまでは、なかなか良くできています。

     デヴィッドが逃げ込んだのは、独身者が棲む森のコミュニティー。そこは独り者の天国かと思ったところ、リーダー(レア・セドゥ)が仕切り、「施設」とは反対に恋愛禁止、セックス禁止、破ると罰せられます。
     デヴィッドは、近視の女性レイチェル・ワイズと恋に堕ちます。ここでも互いに近視という「マイナスカード」によってふたりはカップルとなります。レイチェル・ワイズ、レア・セドゥが登場する後半が映画のメインだと思いますが、前半の設定の鮮やかさに比べ、やや鈍重。この作品にリアルを求めても仕方が無いのですが、レア・セドゥは、レイチェル・ワイズが恋愛禁止のルールを破ったため視力を奪います。デヴィッドは、レイチェル・ワイズとカップルを続けるために盲目という「マイナスカード」を切ります。
     顔面を机に打ちつけて鼻血を流したベン・ウィショーの様に、自らの眼を潰します。正確には潰そうと席を立ち、デヴィッドが戻るのを待つレイチェル・ワイズの「68秒のカット」で幕。デヴィッドはレイチェル・ワイズのために(谷崎潤一郎『春琴抄』の様に)自分の眼を潰したのか?、それとも逃げたのか?。

     頭の体操のような、なかなか面白い映画です。

    監督:ヨルゴス・ランティモス
    出演:コリン・ファレル、レイチェル・ワイズ、レア・セドゥ

タグ:映画
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

沢木耕太郎 天路の旅人 (2023日) [日記 (2023)]

天路の旅人
秘境西域八年の潜行〈上〉 (中公文庫)
1.jpg

 西川一三
 1943年、蒙古大使館調査部員(諜報員)として満州・内蒙古から寧夏、甘粛、青海を経てチベット、インドに潜入した大東亜省調査員、西川一三の8年間を描いたノンフィクションです。西川の著書『秘境西域八年の潜行』(1972)と西川への1年に及ぶインタビューが元となっています。

 西川は旧制中学を卒業して満鉄に入社、天津、包頭などに赴任したのち満鉄を退社し、「蒙古善隣協会」付属の諜報員養成機関「興亜義塾」に入ります。『吉田松陰全集』だけを携えて入塾したと云いますから、西川の「八年の潜行」はナショナリズムと西域へのロマンティシズムが原点と考えられます。1944年22歳の時に興亜義塾を退学し(のち復学、卒業)、「張家口大使館(公館)」の調査部員(スパイ)となり「間諜」の道を歩みだします。

 著者は、『秘境西域八年の潜行』を読み西川にインタビューしますが、

なぜか旅の全体が把握しにくい。それは、一本一本の木々は枝や葉に至るまで丹念に描かれているのに、その木々が構成している森の全体が見えにくいというのに似ていた。(p22)

と書きます。「木を見て森を見ず」の「森」とは何か?。西川は「張家口大使館」調査員の辞令と6,000円の調査費を貰った「密偵」です。当然、探るべき事項が指示された筈です。ところが、本書には一切触れられていません。西川の著書『潜行』に記されていれば本書でも触れている筈です。スパイの仕事は、仮想敵国の政治、経済、軍事、外交を調査することです。

日本の軍部は、内蒙古を満州国の安定のための緩衝地帯と見なしていたが、もし内蒙古に親日的な独立国家ができれば、 青海省から新疆省に住む蒙古人やウイグル人らと手を結ぶことにより、漢族が主体の中華民国を包囲できるようになる。そこで、日本軍は、蒙古人で、チンギス・ハーンの血筋を引くという 徳王を首班とする自治政府の樹立に手を貸すことになった。(p53)

これは西川ではなく沢木の記述です。西川は東亜省の調査員として、この作戦の尖兵として諜報活動をしていたことになります。

ロブサン・サンボー
 西川はラマ僧を装い巡礼僧ロブサン・サンボーとして西域を巡り諜報活動をします。西寧の寺院では「中国各地の情報が労せず入ってくる」と書いていますが、その情報とは何であったのかは明らかにされません。また西川は張口に帰る商人に「報告書」を託していますがその中身は明らかにされません。『潜行』にはラマ僧や巡礼者、蒙古人やチベット人の風俗、砂漠やオアシスの自然、都市の様子については「一本一本の木々は枝や葉に至るまで丹念に描かれている」のですが、密偵の仕事については記されていないようです。密偵としての仁義を守ったのかどうか。

西川一三という、この希有な人物のことを書いてみたい。しかし、そうは思うものの、『秘境西域八年の潜行』という確固たる著作がある中で、どのように書けばいいかわからない。(p29)

 西川の旅を2度辿る長時間のインタビューでも、『潜行』以上のものは引き出せなかったようです。著者がノンフィクション執筆の突破口が見つけられなかったのは、巡礼者ロブサン・サンボーは見えても、西川一三が見つけられなかったからだと思われます。この著者のもどかしさはまた『天路の旅人』の読者のものでもあります。著者は『天路の旅人』で西川の『潜行』を再現しますが、そこに沢木耕太郎が全く登場しません。沢木は何のために本書を執筆したのか?。全17章のうち、沢木が登場するのは、序章「雪の中から」、 第1章「現れたもの」、終章「雪の中へ」だけです。本編はすべて『潜行』の忠実な再現あるいはダイジェストだと思われます。
 その「再現」が面白くないかと云うと、これが面白い。西川(ロブサン・サンボー)は単独である時は隊商に加わり西域のオアシスからオアシス、寺院から寺院を巡り、チベットからインドまで足を伸ばしヒマラヤの峠を7度超えます。パスポート、ビザ不要のラマ僧として托鉢し喜捨を受けて露命を繋ぎ、時には密輸をして路銀を得、インドでは無賃乗車を繰り返します。波乱万丈の冒険譚はまさに「小説より奇成り」です。

 沢木は「あとがき」でこう記します、

私は、この『天路の旅人』が、『秘境西域八年の潜行』という深い森を歩くための磁石のような、あるいは広大な海を航海するための海図のようなものになってくれれば、と願いつつ書き進めていたような気もする。(p565)

本書は『秘境西域八年の潜行』の海図だったわけです。

タグ:読書
nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:

Evernote の 整理 [日記 (2023)]

evernote.jpg 神経細胞.jpg
 テキストデータの整理にEvernoteを使っています。今は亡きWindowsMobile、WillcomのW-zero3から使っていますから10年以上です。今もスマホとPCで一番使うアプリです。Evernoteは「第二の脳」と謳っていますが、ノートにしておけば衰えた 脳細胞(メモリ)の一部となります。イメージでは、細胞がノートで軸索が検索みたいなものです ↑。
 不要なものは消しているのですが、ノートが増えると必要な情報にたどり着くのが大変なので、整理しました。

スタックとタグ
 〈myノートブック〉にノートを作り、終わればノートブックに移動させます。検索を使えば必要情報にたどり着けますが、スタックとタグを全面見直ししました。Evernoteの階層は、

スタック →ノートブック →ノート となり、例えば

myノートブック →最初はココ
レシピ ├肉 (牛、豚、鶏)
    ├魚
        ├ご飯・パスタ
   ├スイーツ

「レシピ」がスタックで、「肉」がノートブック、「牛」がタグです。タグは多く設けると収拾がつかなくなるのでメインのノートブックに限った方が良さそうです。ノートブックをスマホのホーム画面に表示すると便利です。感想文でblogにupしたものは、Evernoteには書名、タイトルのみ残しリンクを埋め込んで消しています。blogをEvernoteに取り込むわけです。映画INDEXを作ってみましたが、すこぶる便利。

Free版
 Evernoteには申し訳ないのですが、ずっとFree版。

端末2台までデータを同期 →Personalは無制限
60MBの月間アップロード容量   →〃10G
25MBのノート上限サイズ    →〃200M

の制約はあります。Personalにすれば同期できる端末が増え画像やファイルが保存できますが、テキスト主体なのでFree版で困ることはありません。

共有 
 端末が増えると困るのが、1アカウント2台の台数制限。Personalにすればいいわけですが、共有を使えば解決します。

デスクトップ→Windows、iMac
Windowsノート、
スマホ

と端末4台を使っています。2アカウントで共有設定すれば、4台どの端末からでも読み書き出来ます。よく知られたTipsです。アプリは軽い方がいいのでEvernote Legacy、軽快です。

タグ:スマホ
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

ドライブ0パーティション3にWindowsをインストールすることができません [日記 (2023)]

IMG_20230604_093244.jpeg DSC_0915.jpg
GPTフォーマット
 故あってノートPCのSSDをHDDにダウングレードし、Windows10をクリーンインストールしました。PCは、先日キーボードを交換した

dynabook R731/E
i3-2350M、2.3GHz、4G →2コア4スレッド
2011年発売 →当然windows11非対応

 骨董品ですがSSDに入れ換えて普通に使えてます。最近はMacばかりでwindowsPCは埃を被っているのですが、ノートはこれしか持って無いのでSSDを取っ払った脱け殻にHDDを入れて再活用。OSを(isoから)インストールしました。ところが、

ドライブ0パーティション3にWindowsをインストールすることができません!

と蹴られます(は付いてませんがw)。Windows10 isoは去年Dynabook B65にクリンインストールした時のもの、なぜ?。調べると、HDDがMBRフォーマットだったようで、GPTにする必要があるそうです。GPTはHDD大容量化で出てきた新しいフォーマットなんんですね。チャットGPT(Generative Pre-trained Transformer)なら知っているのですが、コッチはGUID Partition Tableだそうです。GPTフォーマットすると2T以上のHDDが使えるそうです。

 Windows10のインストール途中でも、ターミナルからで出来るようなので、やってみました。
《次回のためのMEMO》
shift+F10でターミナルを起動
diskpartと入力
↓list diskと入力 この場合は0
↓select disk 0と入力
↓cleanと入力
↓convert gptと入力・・・GPT形式に変換
↓exitで抜ける

無事Windows10がインストール出来ました。HDDを使うので軽くするためWindowsクリーンインストールし、アプリは最小限にし、何とか使えそうです。スマホがあるので出番は殆んど無さそうですが。このノートPCはジャンク出身で、SSD換装、液晶修理、キーボード交換と色々やりましたが、なかなかコストパフォーマンスのあるジャンクでした。


タグ:パソコン
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

映画 海賊とよばれた男(2016日) [日記 (2023)]

海賊とよばれた男 [Blu-ray]海賊とよばれた男(下) (講談社文庫)
 原作は百田尚樹の同名小説。百田センセイは、『永遠の0』『海賊とよばれた男』『錨を上げよ』『夏の騎士』を読みましたが、ツボを心得た小説で何れも面白いです。それが映画となると面白いかどうか、映画『永遠の0』も観ましたが小説の方が面白い。


 民族資本の石油元売り会社、出光興産と創業者・出光佐三の一代記です。
 石油は一種の戦略物資で、その販売は、戦前は国家によって統制され、敗戦後は外国資本(メジャー)よって支配されます。ストーリーは、この統制と支配に立ち向かい奮闘する出光佐三(映画では国岡鐵造)の物語です。国家統制には海上で漁船に石油を販売する奇策を編みだし、メジャーの圧力には自社のタンカーでイランから直接原油を輸入(日章丸事件1953年)することではね除けます。中東からタンカーで原油を運ぶことは、今では当たり前のことですが、当時は国際問題に発展しかねない「事件」だった様です。
 国家の観点に立つ企業経営者が『日本国紀』の右派・百田尚樹の琴線に触れたわけです。原作ではこの日章丸事件事件の下りが一番白い。

 で、映画としてはどうかと言うと、面白くありません。統制経済に抗い、戦地から復員する千人の社員の雇用を護り、石油メジャーと戦いと、あれもこれも盛り込む必要があり視点がボケます。有名人の一代記を映画にするとこうなる、という見本のようなもです。

 監督の山崎貴には『ALWAYS三丁目の夕日』『DESTINY 鎌倉ものがたり』があり、そちらの方が面白いです。山崎貴はCG出身の監督らしく、CGが多用されよく昭和の雰囲気を出していますこの点は◯。

監督:山崎貴
原作:百田尚樹
出演: 岡田准一、 吉岡秀隆、染谷将太、鈴木亮平

タグ:映画
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

アナベル アジサイ [日記 (2023)]

8.jpg DSC_0298.jpg
アナベル               ヤマアジサイ(ガクアジサイ)
DSC_0301.jpg DSC_0299.jpg
 梅雨に入ってアジサイが咲きだしました。アジサイは土のpHによって色が変わるらしいですが、庭に一株だけ白いアジサイがあります。調べてみるとアナベル、西洋アジサイという品種だそうで、土のpHに左右されず花の色は何処でも白。原産は北米だそうです、アジサイは日本原産でなかった?。確かシーボルト珍しいとヨーロッパに持ち帰えり、日本の奥さんの名前お滝さんにちなんで「オタクサ」と名付けたはず。
 アナベルと言うと個人的にはホラー映画『アナベル 死霊館の人形』なんですがw。 

タグ:絵日記
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

川本三郎 老いの荷風(2017白水社) [日記 (2023)]

老いの荷風
玉の井.jpeg 玉の井「ぬけられます」
独居高齢者
 川本三郎『荷風と東京』の続編です。「あとがき」によると、『荷風と東京』を出版したのは著者50代のはじめ、それから20年以上たち70代になって、改めて見えてくる荷風の風景です。著者は、35歳で亡くなった芥川龍之介や45歳で自刃した三島由紀夫は、老いを経験していないから興味が薄れてきたと書きます。
 
その点、七十九歳で逝去した荷風は、充分に老いを生きた。・・・七十歳を過ぎてからも筆硯に親しんだし、若い頃と同じようによく町を歩いた。その荷風の老いに興味を持つようになった。しかも、現在、日本で六百万人を超えるという独居高齢者の一人としては、荷風の一人暮しは次第に他人事に思われなくなってきた
 
70歳を過ぎた著者は、「一人暮らしは他人ごとではない」と「一旦は」自身を荷風に重ねるわけです。
 
老いの荷風
 老年となった荷風に、戦争が追い打ちをかけます。小説発表の場が失われ、行きつけのレストラン、料理屋が閉店し、一人暮らしの荷風は人の施しによって食料の欠乏を補う有り様。追い討ちをかけるように、1945年(昭和20)3/10の大空襲で「偏奇館」は焼け落ちます。何よりもこたえたのは、空襲による延焼を防ぐために行われた建物の取り壊しだったようです。荷風が愛して止まなかった江戸・東京の風景、風俗が失われてゆくことです。取り壊しが決まった浅草オペラ館の3/31の最終日、最後の幕が下り観客が帰ったあと、
 
「一人悄然として楽屋を出るに風冷なる空に半輪の月泛びて路暗地下鉄に乗りて帰らんとて既に店を閉めたる仲店を歩み行く中涙おのづから湧出で襟巻を潤し首は又おのづから六区の方に向けらるるなり。(断腸亭日乗)
 
 六区という精神の王国を失い、偏奇館を焼け出された荷風はツテを頼って明石から岡山へ疎開。それでも、荷風は発表する当てもなく、『踊子』『来訪者』『問はずかたり』と時局に合わない小説を執筆します。この辺りは偏屈老人の面目躍如、戯作者、荷風は老いてなどいないわけです。 
 
「やつぱりこゝに老い朽ちてしまふにしくはないといふやうな止み難い隠棲の気味になつてゐる」「果敢(はかな)い淋 しい心持は平和の声をきいてから却て深く僕の身を絶望の底に沈めて行くやうに思はれる・・・」と気持ちが沈んでゆく。(『問はずかたり』)
『問はずがたり』はあくまでもフィクションではあるが、そこには戦争末期から、終戦直後の、老いゆく荷風の憂いが色濃くあらわれている。(p25)
 
 荷風は薩長の作った日本近代を嫌い、下町の風景を愛し、そこで出会う私娼、女給、ダンサーなどに親しみます。
 
 発表の当てもなく1941年(昭和16)荷風62歳で執筆された『浮沈』のヒロインは、その下町に居る時に「沈」み、山の手で「浮」く人生を送るそうです。荷風は山の手生まれ山の手育ちで住まいの偏奇館は麻布。愛した下町には一生住みません(一時浅草に住んだが)。荷風の小説は(実生活も)、山の手から下町に下り、また山の手に帰るという小説です。荷風の愛した下町は現実の玉の井ではなく、お雪のいる妄想の「墨東」だと言えます。
 著者は、「老いゆく荷風の憂い」と書きながら、老いてもなお変わらない荷風の矜恃?を書いていることになります。
 
ふらんす物語 と 濹東綺譚
 荷風はボードレールに憧れてフランスに行ったわけですが、荷風を虜にしたのは娼婦の住むパリやリヨンの裏通りだったようです。モンマルトルを懐かしんで私娼の町、玉の井に通いつめ『墨東綺譚』が生まれます。『ふらんす物語』所収「放蕩」(後「雲」に改題)には、主人公がにわか雨に会い女を傘に入れるシーンがあるそうで、これは『墨東綺譚』で大江の傘にお雪が飛び込んで来るシーンと同じです。「放蕩」の主人公はその後女の家に行き、女は主人公のほつれたボタンを繕いますが、『墨東綺譚』ではお雪が大江の濡れた服を拭う記述と対応しているとのことです。
 
荷風の陋巷趣味は一貫している。きらびやかな表通りよりも、夜の女がいるような裏通りのなか『放蕩』と同じように陋巷に人の世の悲しみを見る。明治四十二年に権力によって発禁処分になった『放蕩』と同じように陋巷への想いのあふれた 『墨東綺譚』を日中戦争のはじまる昭和十二年に発表する。この意味は大きい。 荷風は少しも変わっていない(p93) 
 
 荷風は老いてもその趣味に耽溺し、「荷風は少しも変わっていない」わけです。著者は、『ふらんす物語』→『墨東綺譚』→『浮沈』とたどることで、「老いない荷風」を書いたわけです。
 荷風に興味が無ければ、面白くも何ともない本です。高齢化社会ですから、こういった本が出版されるのでしょうか

タグ:読書
nice!(6)  コメント(2) 
共通テーマ: