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映画 ヒトラーのための虐殺会議(2022独) [日記 (2024)]

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ヴァンゼー会議
 原題”Die Wannseekonferenz”。ユダヤ人絶滅のためにナチスが開いた「ヴァンゼー会議(wiki)」を描いた映画です。1942年1月20日、ベルリンのバンゼー湖に建つ豪邸にナチス高官15名が集まり、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議が開かれます。議長は「金髪の野獣」として名高い親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒ。事務局が親衛隊中佐アイヒマン。「ヴァンゼー会議」には議事録が残っており、映画の冒頭に議事録に基づいて作られたというキャプションが入ります。

 会議の前年1941年には、6月に独ソ戦(バルバロッサ作戦)が始まり、開戦当初はドイツ軍はソ連赤軍を圧倒し10月にはクレムリンに迫ります。ソ連はゾルゲの諜報活動によって極東軍を東部戦線に投入してドイツ軍の進撃を食い止めます。11月に日米交渉は破綻、12月には真珠湾によって太平洋戦争が没発しアメリカは同時に第二次世界大戦に参戦します。
 こうした状況下でナチスのユダヤ人の国外移住計画は潰れ、ポーランドなど東部占領地域へ移送し「処理」する計画へと変更されます。この移送・処理を巡って「ユダヤ人問題の最終的解決」が話し合われたわけです。

スクリーンショット 2024-11-12 18.17.10.png 1.jpg ハイドリヒ

ユダヤ人問題の最終的解決
 会議は、議長にハイドリヒ(国家保安本部部長、ベーメン・メーレン保護領副総督)、事務局に親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン(ゲシュタポ、ユダヤ人担当課長)。親衛隊中将ハインリヒ・ミューラー(ゲシュタポ局長)、同オットー・ホーフマン(親衛隊中将)などナチス高官と、国務長官クリツィンガーなど首相官房、内務省、外務省の政府高官が参加します。親衛隊主導で国家プロジェクト「ユダヤ人問題の最終的解決」を政府に承認徹底させようという会議です。会議の席順を見ても明らかで、ハイドリヒの両脇に親衛隊中将、進行はゲシュタポのアイヒマン。右側に占領地域の将軍、親衛隊高官が並び、左には党、政府の高官が並びます。

 会議までにすべての解決方法はハイドリヒとアイヒマンによって既に計画されています。欧州全域のユダヤ人1,100万人を輸送し抹殺するわけですから、その労力は多大です、おまけに戦時下です。熟練工は対象者から外すべきだ、東部ではこれ以上ユダヤ人を受け入れられない、等などそれぞれの組織の利害が衝突します。また1,100万人の資産の取り合いが始まります。四カ年計画庁は従来通りウチものだと主張し、東部占領地域省はウチのユダヤ人資産はウチのものだと。「獲物の配分は仕留めてからだ」と横槍が入ります。

 論議に親衛隊中将ホーフマンが割って入ります、

欧州新秩序の礎となるのがこの最終解決なのだ。低劣な人種をすべて排除することが目標。ドイツ人が定住して東部をゲルマン化するために、民族のごった煮は解消しなくてはならない。ドイツ人以外の民族は奴隷になる、欧州の新秩序は何億もの民族改造が必要であり、ユダヤ人の最終解決は1,100万人、その程度だ。

これがナチスの論理です。

 国務長官クリツィンガーが疑問を呈します。ウクライナの特別処理は33,800人に36時間かかった。1時間に9387人だから、昼夜別なく老人、女も子供も処理して、1,100万人だと11,720時間488日かかる、と。

 が年上だから牧師の子供だから、倫理を考えてしまう。

ホーフマンは、人道主義などと寝惚けたことを!ユダヤ人は罰せられるだけのたことをした。我々の正当防衛だ、やらねばやられる、と。クリツィンガー続けます、

ドイツ人を心配しているのです、若者が心配です。キエフでは33,000の死体の山を築いたんですよ。そんな経験をしたら人は残酷になる。サディズム精神疾患 アルコール依存症を心配する。

アイヒマンがより効率的で負担の軽い方法を述べます。

ユダヤ人は鉄道でアウシュビッツに到着します。労働不可能な者を選別し所持品を没収、消毒と偽ってガス室に誘導しガスを注入します。正しく行えば10〜15分で完了します。高性能な焼却炉も計画中です。
死体を焼却炉に運ぶのはユダヤ人です、彼等も最後には特別処理します。

鉄道からガス室へ直行、宿舎は不要になる、と誰かが言い、それにエレガント!と賞賛の声があがります。

工程が分業化され対象者と実行者の接触が避けられ、心理的負担は僅かです。快適で効率的、匿名での処理が可能となります。

 映画ラストで600万のユダヤ人が虐殺されたというキャプションが入ります。ユダヤ人虐殺がビジネスライクに会議で話し合われる様子は見ていて背筋が寒くなりますが、現在でもこうやって「戦争」が論議され、多くの人が殺されるのでしょう。

 能吏アイヒマンが印象的です。アイヒマンは逃亡の末捕まり1961年にイスラエルで裁判にかけられます。彼は、ホロコーストの罪を認めず、命令に従っただけだと無罪を主張します。平凡で小心な兵士がホロコーストの片棒を担ぎ、命令を実行しただけだと主張するこの裁判から、ハンナ・アーレントは、悪人だけが悪を為すのではなく、平凡な人間も悪に手を染め得る、と結論付けます。有名な「凡庸な悪」です。アイヒマンは1962年処刑されます。

監督:マッティ・ゲショネック
出演:フィリップ・ホフマイヤー

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曳地 トシ はじめての手づくりオーガニック・ガーデン(2016PHP研究所) [日記 (2024)]

無農薬で安心・ラクラク はじめての手づくりオーガニック・ガーデン PHPビジュアル実用BOOKS
 オーガニック・ガーデン2冊目。同じ著者の『オーガニック・ガーデンのすすめ』と同じ内容で、文字よりも写真が多く、イメージ優先で実践的方法はあまり載っていません。これも、フワッとしたエコロジーとSDGsの本です。本書でもオーガニック・ガーデンの基本は多様性、生態系の循環、地域特性です。

固定種
 地域特性とは「固定種」の話です。植物の種や苗には、固定種とF1種があるそうです。普通ホームセンターで買うものはF1種で、京野菜の様にその地域で代々受け継がれてきたものが固定種です。オーガニック・ガーデンでは固定種を推奨しています。本書では詳しく触れられていないのでこちらを参照しました。
  • 固定種 →自家採取によって「代々植物の持つ性質や形といった形質が受け継がれた」種。
  • F1種 →「異なる優良な形質を持った親をかけ合わせて作る」種。
 固定種は代々その土地で生きていくために必要な遺伝情報を保有する特徴があるため、自家採種を続けていくうちに、その土地の気候や風土に適応していく。また、農薬や化学肥料などがない時代から栽培されてきた固定種は、環境を生かして生育する力があるため、有機農業にも適した種と言える。smartagri

だそうです。一方、収量や品質が安定しないそうです。また

 固定種は親と同じ形質を持った子(種)ができるという特徴があることから、自家採種した種を翌年撒いて、同じ品種の作物を作ることができる。これは農家にとって種を購入するためのコストが削減できるだけでなく、自ら作った作物から採った種で新たな作物を作るという、循環型農業を目指す者にとっても重要なメリットである。(smartagri)

 固定種も「循環」のひとつというわけです。F1種も種が採れますから、これを育てていけば固定種になるのかどうか?。

循環
 土を作る虫の代表はミミズ。微生物やミミズが土中の、ミミズは我が家の庭でも土を掘るとよ見かけます。コガネムシの幼虫もいます、見つけると大事に埋め戻しますw。
 ミミズを養殖するわけにもいかないので、生ゴミを土に変えるコンポストも試してみたいですが、匂いが気になるので、雑木林から落ち葉を貰ってきて庭にすき込むことから始めてみます。ウチの庭は少し掘ると粘土、野菜を育てるより土壌改良が先決です。
 雑草も土を耕すそうです。抜かないで5cmにカットして雑草の芝生にすると良いそうです。これは実践しています。

 てんとう虫がアブラムシを、ハチが毛虫やイモムシ駆除するのも「循環」です。ハチを飼うわけにはいかないので、ハチのアパートを作ればいいそうです。細い竹を束ねて庭の隅っこに吊るすとハチが巣を作るわけです。
縦樋雨樽キット - 耐紫外線性雨水収集システム |側溝用レインバレルダイバーターキット |縦樋ダイバーター |洗車、灌漑、屋外清掃用の雨水貯留システム - 雨水貯留システム - 雨水収集システム - 雨水収集システム、縦樋分岐器、雨水バレル分岐器キット
 雨水を貯めることが記載されています、これも循環のひとつ。前々からやってみたかったのですが、樋をカットする勇気がありませんw。「雨水貯留タンク部品」というの売っていますからやってみてもいいです。
 オーガニックガーデンとは、多様性、生態系の循環、地域特性を上手に利用する園芸ということの様です。

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曳地トシ オーガニック・ガーデンのすすめ(2009創森社) [日記 (2024)]

オーガニック・ガーデンのすすめ
 チョット息抜きにガーデニングの本。
 土を育てる』を読んで、雑草は土を育てるから草むしりはしなくてイイんだ、とこの夏は草むしりをサボりました。伸び過ぎると見苦しいのでテキトーに電動バリカン?でカットしました。本書でも同じ趣旨で、雑草は抜かずに5cm程度に刈るのがいいそうです。

にたった1本の木があれば、アブラムシやイモムシがきて、さらにそれを食べようとテントウムシやカマキリもやってきて、小さな生態系が動き出す。 生系とは、多様ないのちの有機的なつながり――その視点から見ると、アブラムシは「害虫」ではなく、大量に発生することで、いろいろな生きものたちの餌となり、崩れた生態系のバランスを取り戻そうとが んばってくれる存在になる。雑草たちも、「やっかいもの」ではなく、土の中のバランスを取り戻すために、どんなに条件の悪いところへも生え、土を豊かにしてくれる。

 別にオーガニック・ガーデンを目差しているわけではありませんが、楽して庭いじりを楽しもうというわけです。
 アブラムシで言えば、ヨモギはアブラムシの好物らしく、アブラムシが増えるとそれを食べるテントウムシが増え、他の植物のアブラムシも駆除してくれる。「天敵を増やしたり温存する作物・植物」をバンカープランツと言うそうです。庭のヨモギは抜かないでおこう!w。
 トマトとバジルを一緒に植えるとトマトの糖度が上がるそうで、これをコンパニオンプランツ(共栄作物)と言うそうです。来年はやって見よう!。

 テントウムシがアブラムシを駆除する様に、ハチはイモムシ、ケムシなどの害虫を駆除してくれますから、これを積極的に利用するそうです。その為にハチの巣を庭に作ります。簡単で、細い竹を束ねて吊るすだけでいいそうです。コレはやってみよう、それとこれからはアシナガバチの巣は駆除しないでおこう!。シジュウカラなどの野鳥も同様ですが、狭い庭に巣箱を吊るしても鳥は来ないだろう…これは断念。
 害虫も昆虫も自然の循環の一部ということで、これもオーガニック・ガーデンへの第一歩だそうです。著者はムシ嫌いだったそうですが、オーガニック・ガーデンを目指すようになって虫が好きになったそうです。虫、鳥、バンカープランツもコンパニオンプランツも多様性ということで、循環と共にオーガニック・ガーデンの重要な要素だというのが本書の主張です。

 と、出来る出来ない、スルしないは別にして、エコロジーとSDGsが詰まった読むガーデニングです。バンカープランツ、コンパニオンプランツはもう少し研究してみます。

こちらに一覧表がありました。
野菜の名前 相性のいい科の例
アオイ科 オクラ、モロヘイヤ マメ科
アブラナ科 カブ、カリフラワー、キャベツ、タアサイ、コマツナ、チンゲンサイ、ハクサイ、ブロッコリー、ミズナ、ダイコン、ラディッシュ キク科、シソ科、セリ科
イネ科 トウモロコシ ウリ科、マメ科
ウリ科 カボチャ、キュウリ、ズッキーニ、ゴーヤー、スイカ、メロン、マクワウリ イネ科、キク科、マメ科、ヒガンバナ科
キク科 ゴボウ、シュンギク、レタス アブラナ科、ウリ科、バラ科
キジカクシ科 アスパラガス ヒガンバナ科
サトイモ科 サトイモ ショウガ科
シソ科 シソ、バジル、タイム アブラナ科、ナス科
ショウガ科 ショウガ サトイモ科
セリ科 セロリ、ニンジン、パクチー、ミツバ アブラナ科、マメ科、バラ科
ナス科 トマト、ナス、ピーマン、パプリカ、シシトウ、トウガラシ、ジャガイモ、食用ホオズキ マメ科、シソ科、ヒガンバナ科
バラ科 イチゴ キク科、セリ科
ヒガンバナ科 ネギ、タマネギ、ニラ、ニンニク、ワケギ ウリ科、ナス科
ヒユ科 ホウレンソウ アブラナ科、ヒガンバナ科
ヒルガオ科 サツマイモ、クウシンサイ シソ科
マメ科 インゲン、エダマメ、エンドウ、ソラマメ、ラッカセイ イネ科、セリ科、ナス科

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映画 (何度観ても分からない)TENET/テネット(2020米英) [日記 (2024)]

TENET テネット [ ジョン・デイビッド・ワシントン ]
 一度観ただけでは何のことか全く分からない映画です。悔しいので3度観ても未だ分かりませんw。簡単に言うとタイムトラベル(正確には時間の逆行)+アクションですが、ストーリーの進行にこの時間の逆行が重層的に組み込まれ、現在の時間軸に過去の時間軸が割って入るので何が何だか解らなくなります。難解な映画ですから、この時間の逆行を分析した解説サイトが幾つかあります。映画の中で女性研究員が言います「頭で考えないで 感じて」と。

現在 vs. 未来
 背景は、最後まで観ると分かるのですが、未来は環境破壊による人類滅亡の危機にあります。危機を回避するために世界そのものを過去に逆行させようと云う「未来」の組織と、逆行は大規模な人類の破滅を引き起こすためこれを阻止しようとする「現在」の闘いです。具体的には、CIA工作員の”男”(ジョン・デヴィッド・ワシントン)と男に協力するニール(ロバート・パティンソン)VS. 未来に雇われ地球逆行計画を企むロシアの武器商人セイター(ケネス・ブラナー)の戦いとなります。

プルトニウム241
 ストーリーのカギはプルトニウム241。実は、プルトニウムは核兵器の原料では無く世界そのものを逆行させる9個のアルゴリズム(手順)のひとつ。未来の科学者が作り、その危険性から過去(映画の現在)に隠したという代物。このプルトニウム争奪戦です。
 冒頭、キエフのオペラ劇場をテロリストが襲います。”男”はキエフ特殊部隊に紛れ込みプルトニウム強奪を狙いますが、プキエフ特殊部隊が介入し失敗します。男は何者かに捕まりCIAに助け出され、地球を破滅から救う作戦の最前線に立つことになります。このオペラ劇場のシーンで、映画のテーマである「時間の逆行」が披露されます。
 助け出された男は、研究所のような所で発射された弾が拳銃に戻るという時間の逆行現象を体験します。女性の研究員バーバラは、銃弾は未来から送られたものであり、時間の逆行には未来の人間が関わっていることを男に告げます、

弾丸は普通 時間を前に進む でも逆にも進む
エントロピーが減少すると”逆再生”に見える 頭で考えないで 感じて

と。頭で考えると収集がつきません、頭で考えないで感じることにします。

 謎の男ニールが男に協力します。男は、時間を逆行する弾からインドの武器商人プリヤを割りだし、ロシアの大富豪で武器商人のセイター行き着きます。セイターに近づくため、彼の妻キャットに近付きます。ここで、名無しの”男”、ニール、プリヤ、セイター、キャットと映画の主要人物が出揃います。

順行 と 逆行
 映画では、弾丸、人や車が逆再生で動く時は逆行現象が起きています。逆行は、未来から送られてきた「回転ドア」を使うことで現在の人間にも可能となります。逆行すると外気は肺を通らないため酸素吸入が必要となり、過去の自分と接触すると「対消滅」します。逆行して過去を変えれば現在はどうなる?、これは「祖父殺しのパラドクス」の一言で片付けられます。クリストファー・ノーランもそこまでは責任が持てないということでしょう。逆行のメカニズムも同様です。この映画を観るコツは「頭で考えない」「ツッコマない」ことです。楽しみ方は、至るところに張り巡らされた伏線と伏線の回収です。あぁアレはそう言うことだったのか!、と。

スタルスク12
 プルトニウムを手に入れたセイターは、ロシアの廃都市「スタルスク12」から9個のアルゴリズムを未来に送ろうとします。これを阻止しようと、男とニール、ニールの軍団は阻止作戦を敢行します。作戦は逆行を使った「時間挟撃作戦」。軍団を2分し、10分間逆行した部隊が過去を変えて順行する部隊を支援し、時間による挟み撃ちにする作戦です。男は戦闘に勝利し、セイターの目論見は潰え地球は破滅から救われます。

 ここから映画全編に張り巡らされた伏線が「時間の逆行」によって回収(種明かし)されます。男はニールに問います「オマエは誰に雇われているんだ?」、ニールは応えます「アンタだ!」と。アルゴリズム奪還は未来の”男”が地球を破滅から救うために立てた作戦で、ニールも彼の軍団もそために送り込まれた工作員だったことが明かされます。一連の作戦の黒幕は”男”だったというオチです。かなり端折ってますが、そう言う映画です。

 それにしても、クリストファー・ノーランは何故こんな難解な映画を作ったのか?。たぶん時間が流れることで生じる原因と結果=因果律が「不快」だったのでしょう。時間の巻き戻し(逆行)ができればで因果律は生まれません。ノーランは逆行という空想で因果律=運命と言われるものを壊したかったのでしょう。

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ケネス・ブラナー

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Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑦ (青空文庫) [日記 (2024)]

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 半蔵は飛騨・水無神社の宮司を4年勤めて馬籠に帰ります。明治7年の上京から数えて6年ぶりの帰郷です。半蔵を迎えるのは、継母おまん、妻お民と4人の息子をはじめ、旧本陣時代からの番頭・清助、従兄の栄吉などです。半蔵の「国学」を支えたのはこうした人々だったわけです。

 半蔵は、国学者として新政府の日本古来の精神に帰ろうという「復古」を広め教化しようと宮司になります。新政府の教部省にその努力が無い以上、身をもって「復古」の伝道者になろうと水無神社の宮司となりますが、挫折します。土地に根付いた仏教の伝統に破れたのです。

帝の誓われた五つのお言葉と、官武一途はもとより庶民に至るまでおのおのその志を遂げよと宣せられたその庶民との間には、いつのまにか天の磐戸にたとえたいものができた。
・・・復古の道は絶えて、平田一門はすでに破滅した。

明治10年に教部省は廃止され、政教分離・信教の自由となり、新政府の背信によって多くの神官と共に半蔵も辞職します。国家に裏切られたのは半蔵に留まりません。佐賀の乱(江藤新平)、萩の乱(前原一誠)、そして西南戦争(西郷隆盛)と士族の反乱が続きます。

これまで国家のために功労も少なくなかった主要な人物の多くでさえ西南戦争を一期とする長い大争いの舞台の上で、あるいは傷つき、あるいは病み、あるいは自刃し、あるいは無慙な非命の最期を遂げた。

 天皇の東山道巡幸があり、木曾路の御通過の際に馬籠駅で昼食となります。行在所となるべき家は旧本陣青山方と指定されます。巡幸に先立って、臣民はだれでも詩歌の類を献上することが許され、半蔵も一編の長歌を献じます。半蔵には「献扇事件」の前科があり、山林事件の嘆願を控えていることから周囲に緊張が走りますが、この時は無事に過ぎます。

狂 死
 明治14年、半蔵も51歳となり、この頃から家産が傾き始めます。16代続いた旧家も明治維新によって人者の流れが変わり、本陣、庄屋、問屋の制度が廃止となり収入の道が閉ざされます。おまけに、半蔵は山林事件で戸長を馘になり、教部省を辞職し、宮司も辞めますから、6年以上国学に奔走するだけで働いていません。
青山の借財は三千六百円にのぼり、弁済のために本陣を貸し不動産を処分することになります。

馬籠旧本陣をこんな状態に導いたものは年来国事その他公共の事業にのみ奔走して家を顧みない半蔵であるとの非難さえ、家の内にも外にも起こって来た。

長男・宗太と半蔵の間で誓約書が交わされます。半蔵は隠宅で暮らし、宗太の采配に口出ししなことが記され、「小遣い月1円」「飲酒は五勺」とあるのは哀れを誘います。

 やがて半蔵に狂気が訪れます。幻聴、幻視が現れ被害妄想に襲われるようになり、奇矯な行動に出ます。

半蔵は以前の敬義学校へ児童を教えに通った時と同じような袴を着け、村夫子らしい草履ばきで、それに青い蕗の葉を頭にかぶっている
「お師匠さま、どちらへ。」
「おれはこれから行って寺を焼き捨てる。あんな寺なぞは無用の物だ。」

寺とは、半蔵の先祖が村民のために建立した万福寺です。半蔵は言葉通り火を付けますが消し止められ大事には至りません。何をするか分からない、と家族と馬籠の住民は座敷牢を作り半蔵を閉じ込めます。暴れるだろうというので半蔵を縛ります。人望もあり馬籠の指導者でもあった半蔵は、彼を敬う人たちよって縛られて座敷牢に押し込められます。この長編で感動的な情景です。未だと言うか既にと言うか56歳の半蔵は何故狂ったのか?。

 見舞いに来た国学同門の景蔵は言います。景蔵は何度も登場しています。中津川の本陣で、人馬郵伝を掌握し、東山道中十七駅の元締だった人物です。維新では同郷の香蔵と共に京都で国事に奔走し、多くの政変に出会い、桂小五郎などを匿い中津川会議(wiki間秀矩の項)を自宅に開かせたと言います。維新後は故郷に逼塞し、新政府の召喚にも応じず、当時を語ることはなかったと描きます(モデルは市岡殷政、本書では香蔵)。

彼に言わせると、古代復帰の夢想を抱いて明治維新の成就を期した国学者仲間の動き──平田鉄胤翁をはじめ、篤胤没後の門人と言わるる多くの同門の人たちがなしたこと考えたことも、結局大きな失敗に終わったのであった。半蔵のような純情の人が狂いもするはずではなかろうかと。

半蔵は、間秀矩や市岡殷政のように京都で国事に奔走したわけではありませんが、革命を夢見て革命に裏切られた末の発狂です。

さあ、攻めるなら攻めて来い。矢でも鉄砲でも持って来い。
 …もはや半蔵は敵と敵でないものとの区別をすら見定めかぬるかのよう。そして、この世の戦いに力は尽き矢は折れてもなおも屈せずに最後の抵抗を試みようとするかのように、自分で自分の屎をつかんでいて、それを格子の内から投げてよこした。

感 想
 明治維新は、雄藩が海外の脅威に対処出来ない幕府を倒すことで成就します。それを支えたのが政治経済の成熟と教育の普及、富裕な商人層の台頭です。そうした富裕層や地方の読書階級が支えた「国学」は、尊皇攘夷思想に影響を与え、維新の原動力になったといいます。

 明治維新は高杉晋作や西郷隆盛だけではありません。『夜明け前』は、もう一人の「主役」木曽の宿駅馬籠本陣の青山半蔵を主人公にした明治維新です。
 革命を夢見て革命に裏切られた末の反乱、西南戦争、秋月の乱など不平氏族の乱があります。糞尿を投げつけた「敵」とは、不平氏族の乱同様、革命を成し遂げたのち裏切った新政府だったわけです。
 廃藩置県と廃仏毀釈はセットで描かれます。前者は旧武士階級、幕府の否定で、後者は幕府に保護され権力の住民統制機関でもあった寺院、仏教の否定です。国学者である半蔵にとって、放火による寺院の抹消は、新政府が徹底しなかった究極の廃仏毀釈だったわけです。

  1ヶ月にわたって読みダラダラと書いてきました。英雄の活躍する明治維新も面白いですが、『夜明け前』の明治維新も面白かったです。この項お終い。
ここまでの夜明け前      

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第5世代 Kindle Paperwhiteで読書 [日記 (2024)]

【新品】Kindle (16GB) 6インチディスプレイ 電子書籍リーダー ブラック 広告なし
  先日来Kindleで島崎藤村の『夜明け前』を読んで来ました。Amazonに揃っていなかったので、青空文庫をmobiファイルに変換して読んだのですが、なかなか快適。12世代が発売されたと言うのに、わたしのKindleは2012年リリースの第五世代。今どき使っている人はいないと思いますが、12年前のKindleが未だ立派に使えているのにあらためて驚きます。


  第五世代Kindle 6インチ、758x1024ピクセル、212ppi、16階調グレースケール、221g、内蔵ストレージ:2GB、3g
眼に優しい E‐inkで紙に近い、バッテリーの保ちがイイ
フォント 変更可能(老眼対策)
ブックマーク いわゆる栞です
ハイライト、メモ 書き抜きが出来てクラウドに保存出来る。パソコンからコピペが可能
検索 読んでいる本で語彙検索が出来る
辞書 国語、英和辞書が使え、wikiが参照できる
クラウド クラウドに保管できて本棚不要、個人作成のmobiファイルは不可、制限あるが貸し借りも出来る
複数端末 Kindleと同じ環境でスマホ、PCで利用可能
コンテンツ Amazon、青空文庫等
青空文庫はPCでmobiファイルに変換
10 デメリット 遅い

 第五世代Kindleが未だ使えるのは、本を読むと言うことに特化した端末だからでしょう。動きは遅いですが、読書に支障はありません。何よりもフォントが変更出来るのは老眼には有り難いです。これだけでもKindleを使う価値はあります。辞書がひけるのも便利です。外出時に読みたい本をクラウドから取り出せるのは、本棚を持って歩いているようなものです。
 何度も挫折した『カラマーゾフ』も『源氏物語』もこのKindleで読みました。
 12年前の製品ですから当然デメリットもあります。読む分には困りませんがとにかく遅い!。メモリ2Gのためか本体に2〜3冊入れるとページめくりももたつきます。クラウドに入れて必要に応じて端末に落とせばいいわけです。

 最新版Kindleはストレージこそ16Gと強化されていますが大きく変わっていないと思われます?。第五世代Kindleが如何に基本を押さえていたかです。
 ファームウェアは更新していますが、Wikipediaにアクセス出来ず、SSNとのシェア、web体験版も使えません。読む分には支障はありませんが、12年間使ったのでそろそろ買い替え時期です。

12年前に何を使っていたか
 で、12年前は他にどんなものを使っていたかというと。
   2012年頃   2024年現在   備考
Kindle 第5世代Paperwhite 第5世代Paperwhite 読書
デスクトップ 自作(アスロンⅡ)
  ーーー
Optiplex3040(i3-6000)
iMac2012late(SSD)
iMacが常用となりWindowsは出番なし
ノート dynabook SS1600 DynabookR731 (SSD) スマホで用が足りるのでこれも出番無し
スマホ Xperia Arc iPhoneXR 最近は大抵コレ
タブレット Lenovo Ideapad FireHD8 Amaプラ専用

 12年経ってPC、スマホは入れ替えましたがKindleはそのまま。入れ替えたといえど、iMacが2012lateなら、iPhoneはXR(2018)、Windowsはi3-6000(2015)といずれも骨董品w。多少手は加えていますが、いずれも現役。もっともiMac2012lateはCatalinaが限界で、NumbersやKindleがインストール出来ません。Libre Officeがあるので困りませんし、iMacで読書はしませんからKindleも不要…負け惜しみ。逆にWindowsは11まで無理矢理アップデートできましたw。

 Sonyのbookリーダーもあったわけですが、何故AmazonとAppleが生き残っているのか?。Xperiaという名機もあるのにiPhoneのシェアは70%だそうです(私のiPhoneは戴き物)。

 余談ですが、上の表はUpnote(blog内リンク)で作成したもの。行と列の増減可、テキストとして修正可能でそのままblogにup出来て便利です。グダグダ書くより表のほうが分かりいいですね。

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Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑥ (青空文庫) [日記 (2024)]

夜明け前 全巻合本版
screenshot_2024_11_04T08_04_31+0900.png
 中津川や伊那谷の同門の中には京都上って勤王活動をする者、東征軍が東山道を進軍した際には武器を取って従う者、道案内する者があります。半蔵は馬籠宿の駅長として東征軍を迎えただけで、彼ら同門に対して負目を感じています。維新の後、神仏分離令によって「宗門人別帳」離脱の運動が起こり、神葬が自由になった際も菩提寺から先祖の位牌を持ち帰っただけです。半蔵は平田国学の徒として遅れを取り戻そうと上京したわけです。教部省お雇いとなりますが、お役所仕事に満足できず辞職します。

 そんな折り飛騨山中にある水無神社(wiki)の宮司にならないかという話が持ち上がります。在野にあって国学の復古精神を布教できると心は動きますが、辺鄙な神社の宮司になれば、世の中から置いていかれるのではないかという悩みもあります。不思議なことは、あの篤実な半蔵が馬籠の家族を考慮しないことです。馬籠には老いた母と妻と4人の子供があり、自殺未遂を起こした娘までいるにも拘わらずです(これについて藤村は殆ど触れていません)。

 半蔵の悩みは家族ではなく国の行く末です。横浜開港当時、日本の金が流出し代わりに粗悪な洋銀が流入した通貨不安を思い出し、急激な西洋文明の襲来によって日本古来の伝統と文化が衰退するのではないかと。この思いを歌に託し扇子に記し、天皇の行列に扇子を投げ入れるという「献扇事件」を起こします。

彼は御通輦(天皇の行幸)を待ち受けた。・・・やむにやまれない熱い情が一時に胸にさし迫った。彼は近づいて来る第一の御馬車を御先乗と心得、前後を顧みるいとまもなく群集の中から進み出て、そのお馬車の中に扇子を投進した。

 不敬罪で逮捕されて裁判所に送られ5日後に釈放されます。年が明け明治8年に判決が出ます。「懲役五十日のところ、罰金三円七十五銭」、長年の馬籠宿駅長としての勤めにより情状酌量となります。

 半蔵は水無神社の宮司になるため一旦馬籠に帰ります。旧知の平兵衛が旅費と馬籠の便りを持って半蔵を迎えに来ます。献扇事件は馬籠にも伝わっており、半兵衛は言います、

半蔵さまが気が違ったという評判よなし。(半蔵の妻)お民さまなぞはそれを聞いた時は泣き出さっせる。皆のものが言うには、本陣の旦那はあんまり学問に凝らっせるで、まんざら世間の評判もうそではなからず、なんて──村じゃ、そのうわささ。

 国学に入れ込んだため気が触れたというのですが、当たっていなくもない。半蔵の滞在はわずか3日、家族を置いてにはまた馬籠を立って飛騨へ向かう慌ただしさ。半蔵は、継母の助言もあって家督を長男宗太に譲り、水無神社宮司として赴任します。

 『夜明け前』は藤村の父・島崎正樹(wiki)をモデルとした小説です。藤村は四男・和助として登場します。

伏見屋の前あたりまで帰って行くと、自分を呼ぶその教え子らの声を聞いた。
「お父さん。」
 と呼びながら、氷すべりの仲間から離れて半蔵の方へ走って来るのは、腕白ざかりな年ごろになった三男の森夫であった。そこには四男の和助までが、近所の年長の子供らの仲間にはいりながら、ほっペたを紅くし、軽袗の裾のぬれるのも忘れて、雪の中を歩き回るほど大きくなっていた。

 執筆当時59歳の藤村は、44歳の父・正樹(半蔵)のこの行動をどう見ていたのか?。ほっペたを紅くした4歳の和助(藤村自身)を描きながら何を思っていたのか?。

ここまでの夜明け前      

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絵日記 電子レンジ と WiFi [日記 (2024)]

AAZV NTT フレッツ光 ONU ルーター対応 光ケーブル シャッタ式 SCコネクタ 対応メーカー:NTT Docomo ソフトバンク au NURO光など (3m)
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 前々から気になっていたのですが、電子レンジを使うとWiFiが切れます。電子レンジとルーター(PR-500KI)の距離が40~50cmと近いのが原因で、電子レンジの出す電波がWiFiと干渉することで起きる現象らしいです。何時もはレンジが切れるとネットに繋がりますが、先日は切れたままで再起動が必要でした。一度ルーターが壊れたことがあり、対策しました。と言っても単に距離を離しただけです。
 延長するために光ケーブルの安いのを買ったのですが、これがルーターに合いません。NTT フレッツ光 ONU ルーター対応フレッツ光用の「シャッタ式 SCコネクタ」というのを買い直しました。ルーターをリビングに引き込み、レンジと約4m離して無事解決。これでPCを使っていてWiFiが落ちること無くなりました。

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映画 ノック 終末の訪問者(2023米) [日記 (2024)]

ノック 終末の訪問者 [DVD]
 久々に映画。原題”Knock at the Cabin”、M・ナイト・シャマランの最新作です。

あらすじ
 山奥の山荘で休暇を楽しむ3人家族の元に凶器を手にした見知らぬ4人が押し入り、家族3人のうち誰かを生贄にしないと世界は滅びる、さぁ誰を差し出す?、というトンデモナイ要求を突きつけます。
 3人家族はエリックとアンドリューのゲイのカップルと8歳のアジア系の養女ウェン。4人は自称、シカゴの小学校教師レナード(デイヴ・バウティスタ)、マサチューセッツのガス会社の社員レドモンド、ワシントンD.C.の女性コックのエイドリアン、カリフォルニアの看護師サブリナ、職業も出身地もバラバラ。4人は同じ終末のヴィジョンを見て集まり3人のもとに来たのです。

 レナードは言います「我々は終末を防ぐために来た、終末を防ぐために家族の誰かを生贄に差し出せ、世界を救えるのキミたち3人しかいない、我々は選べないキミらで選べ」と。バカげた要求を当然二人は拒否します。
 この4人はカルトの信者か?。教師がTVを付けると、そこに映し出されたのは世界各地で起こる地震と津波、火災、パンデミックの映像。この滅びつつある世界を救えるのは3人だというわけです。

 3人の前で、「人類の一部は今裁かれる」と教師はレドモンド、エイドリアン、サブリナを次々と殺し、その度に災厄はエスカレートします。最後はレナードが生贄を促すかの様に自殺し、押し入った4人は消えます。
 エリックはレナードの予言を信用する様になり、娘のウェンを終末の世界から救うために私を生贄にしろとアンドリューに迫り、自らが生贄となって世界は救われる…ナンダそれは!?。

 シャラマンだからきっと奇抜なオチを付けるんだろう、その一点で観客を引っ張ります。ところがオチはありません(そのため、この映画の評判はよくありません)。

感想
 エリックは、4人の「終末の訪問者」は『黙示録』の支配、戦争、飢饉、疫病を司る四騎士だと言います。この4つの蔓延は人類に破滅をもたらすと4人は警告しに来たのだと。確かに、権威主義世界では支配と被支配があり、ウクライナやパレスチナでは戦争があり、気候変動で飢えが発生し、新型コロナウィルスのパンデミックは先頃体験したばかりです。

 映画ではエリックを生贄に捧げることで世界は救われます。生贄とは何か?。歴史的には生きた動物や若い娘が生贄となります。動物は食料であり財産であり、若い娘は愛情や性の対象です。いずれも欲望の一部を犠牲にする(差し出す)ことで不条理を回避し、精神の安定を得ようとする行為です。生贄を供物、御供(ごくう)と置き換えれば、これはたぶん宗教発生の淵源です。では、直面する危機を回避するために何をなすべきか?、現実的な「生贄」とは何か?、答えはありません。

 映画は、少女がバッタを獲って瓶に入れ、バッタに名前をつけるシーンから始まります。そこへレナードが現れこの昆虫採集に付き合います。バッタにとってみれば迷惑な話であり厄災であり、人間は「終末の訪問者」にほかなりません。この導入シーンが映画の要約です。
 ゲイのカップルと8歳のアジア系の養女という普通の概念からは外れている家族、職業も出身地もバラバラで繋がりが無い4人、且つ世界の終末と生贄、という極端に現実を切り離し抽象化された設定で、世界が直面する不条理と現実が問われます。
 シャラマンらしいオチに期待した観客は裏切られますが、シャラマンのメッセージだと考えるとこの結末もアリかと。個人的には面白かったです。

 ちなみにデイヴ・バウティスタは『ブレードランナー2049』に登場する逃亡レプリカントを演じた元プロレスラーで、ルパート・グリントは『ハリポタ』のロンだそうです。

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジ、クリステン・ツイ、ルパート・グリント

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Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑤ (青空文庫) [日記 (2024)]

screenshot_2024_11_04T08_04_31+0900.png  『夜明け前 第2部下』です。青空文庫のテキストファイルをepub→mobiに変換してKindleに入れて読んでいます。二つほど困ったことが。一つ単語を指定しようとすると文節の指定になってしまうことです。ハイライトには困りませんが辞書が引けません。mobi変換が上手く行かなかったのか(第2部上は単語指定が出来る)、第五世代Kindleのためか分かりません。
 もう一つが作成されたmobiファイルはKindleクラウドに登録出来ないこと。したがって、複数の端末で共用出来ません。読書そのものには何んの支障も無いので放ってありますが。

山林事件
 本陣、問屋、庄屋の三役が無くなり、戸長で学事掛りを兼任することになった半蔵の体験する明治です。維新となって参勤交代も無くなり物資の輸送は民間業者に移り、宿場は寂れます。廃藩置県により、木曽谷の行政は尾張藩から筑摩県(飛騨、信濃)の管理に変わります。これが問題を引き起こします。

宿場全盛の時代を過ぎた今日となっては、茶屋、旅籠屋をはじめ、小商人、近在の炭薪等を賄うものまでが必至の困窮に陥るから、この上は山林の利をもって渡世を営む助けとしたいものであると、その請書を出す時には御停止木(伐採禁止、入会権の消滅)のことに触れ置いてあった。

 耕地面積の少ない木曽谷は山林によって暮らしを支えている部分があります。尾張藩はヒノキなど有用な木を「木曽五木」として保護し、村人に「木曽五木」以外の炭焼き等で使う雑木の伐採を許可してきました。いわゆる入会権です。廃藩置県によって尾張藩の管理する山林が国有林となり、この入会権が無くなります。これが「山林事件」で、村民は入会権復活の請願運動を行い、半蔵はこれにかかわることになります。

明治もまだその早いころで、あらゆるものに復古の機運が動いていたからであった。当時、深い草叢の中にあるものまでが時節の到来を感じ、よりよい世の中を約束するような新しい政治を待ち受けた。従来の陋習を破って天地の公道に基づくべしと仰せ出された御誓文の深さは、どれほどの希望を多くの民に抱かせたことか。

「御誓文」とは五箇条の御誓文を指します。話が違うじゃないか、というわけです。この嘆願書ために半蔵は戸長を免職となります。

 御一新という社会の変革は、また半蔵の「私」にも食い込んで来ます。婚礼を前に娘の粂が自殺未遂を起こします。粂は、半蔵に似て書物を好む娘で、幼い頃の許嫁が維新の騒動で破談となって以来内向的となります。新しい縁談も決まり挙式間近となって土蔵で自刃、発見が早かったため命は取り留めます。自殺未遂の原因に付いては触れられず自省があるのみ。

山林事件の当時、彼は木曾山を失おうとする地方人民のために日夜の奔走を続けていて、その方に心を奪われ、ほとんど家をも妻子をも顧みるいとまがなかった。彼は義理堅い継母からも、すすり泣く妻からも、傷ついた娘からも、自分で自分のしたことのつらい復讐を受けねばならなかった。

明治4年の津田梅子たちの留学に触れられていることから、維新によって女性たちもまた変わりつつあることを書きたかったのかも知れません。

廃仏毀釈
 私達にとって「神仏分離令」「廃仏毀釈」は教科書の話ですが、明治初年の木曽谷では、ことに平田国学の門人である半蔵にとっては、身近な問題です。徳川幕府の戸籍簿「宗門人別帳」離脱の運動が起こり、神葬仏葬は遺族の自由に任されます。
 半蔵は、菩提寺任せにしてあった先祖の位牌を持ち帰り、墓地の掃除も寺任せにしないで家の者の手でし、家にある神仏混淆の仏像などは焼き捨てます。

半蔵もこんな風雨をしのいで一生の旅の峠にさしかかった。人が四十三歳にもなれば、この世に経験することの多くがあこがれることと失望することとで満たされているのを知らないものもまれである。

 粂のショックを癒すためか、明治七年に半蔵は東京へ出かけます。同門の先輩暮田正香が賀茂神社の宮司になったように、自分も国学で身を立てたいという下心があります。この時点で家族をほっぽり出して上京するのですからかなり無責任。

見るもの聞くものの感じが深い…行き過ぎる人の中には洋服姿のものを見かけるが、多くはまだ身についていない。中には洋服の上に羽織を着るものがあり、切り下げ髪に洋服で下駄をはくものもある。長髪に月代をのばして仕合い道具を携えるもの、和服に白い兵児帯を巻きつけて靴をはくもの、散髪で書生羽織を着るもの、思い思いだ。

教部省御雇い
 上京後の半蔵は、尾張藩の旧知の縁故で「教部省御雇い」となります。教部省は国学者・平田鉄胤が判事を、半蔵と馴染みの平田国学の同門が勤めた神祇局の後身で、半蔵は国学の知識が買われたわけです。教部省とは、「神道や仏教の教義や社寺、陵墓に関する事務を管理する官庁」です。おまけに

信仰を異にし意見を異にし気質を異にする神官僧侶を合同し、これを教導職に補任して、広く国民の教化を行なおうと企てたことは、言わば教部省第一の使命ではあったが、この企ての失敗に終わるべきことは教部省内の役人たちですら次第にそれを感づいていた。

半蔵の仕事は、大教院から来る書類を整理し、教書に目を通し、地方の教会や講社から来るさまざまな質疑に答えるものです。例えば、

文明開化の新服をまといたいが、仏事のほかは洋服を着用しても苦しくないか。神社仏寺とも古来所伝の什物、衆庶寄付の諸器物、並びに祠堂金等はこれまで自儘に処分し来たったが、これも一々教部省へ具状すべき筋のものであるか。・・・寺住職の家族はその寺院に居住のまま商業を営んでも苦しくないか。もし鬘を着けるなら、寺住職者の伊勢参宮も許されるかの類だ。

国学の教導とかけ離れた仕事に倦み、本居宣長を揶揄した同僚を殴って辞職、教部省御雇いは半年で終わります。教部省も明治10年には廃止となります。

彼は自分で自分に尋ねて見た。
「これでも復古と言えるのか。」
 その彼の眼前にひらけつつあったものは、帰り来る古代でもなくて、実に思いがけない近つ代(近代)であった。

 近代との出会いとは、半蔵にとって本陣、問屋、庄屋の三役の廃止であり、山林事件と戸長の免職であり、それに娘の自殺未遂が加わったことになります。

ここまでの夜明け前     

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