Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑤ (青空文庫) [日記 (2024)]
『夜明け前 第2部下』です。青空文庫のテキストファイルをepub→mobiに変換してKindleに入れて読んでいます。二つほど困ったことが。一つ単語を指定しようとすると文節の指定になってしまうことです。ハイライトには困りませんが辞書が引けません。mobi変換が上手く行かなかったのか(第2部上は単語指定が出来る)、第五世代Kindleのためか分かりません。
もう一つが作成されたmobiファイルはKindleクラウドに登録出来ないこと。したがって、複数の端末で共用出来ません。読書そのものには何んの支障も無いので放ってありますが。
山林事件
本陣、問屋、庄屋の三役が無くなり、戸長で学事掛りを兼任することになった半蔵の体験する明治です。維新となって参勤交代も無くなり物資の輸送は民間業者に移り、宿場は寂れます。廃藩置県により、木曽谷の行政は尾張藩から筑摩県(飛騨、信濃)の管理に変わります。これが問題を引き起こします。
宿場全盛の時代を過ぎた今日となっては、茶屋、旅籠屋をはじめ、小商人、近在の炭薪等を賄うものまでが必至の困窮に陥るから、この上は山林の利をもって渡世を営む助けとしたいものであると、その請書を出す時には御停止木(伐採禁止、入会権の消滅)のことに触れ置いてあった。
耕地面積の少ない木曽谷は山林によって暮らしを支えている部分があります。尾張藩はヒノキなど有用な木を「木曽五木」として保護し、村人に「木曽五木」以外の炭焼き等で使う雑木の伐採を許可してきました。いわゆる入会権です。廃藩置県によって尾張藩の管理する山林が国有林となり、この入会権が無くなります。これが「山林事件」で、村民は入会権復活の請願運動を行い、半蔵はこれにかかわることになります。
明治もまだその早いころで、あらゆるものに復古の機運が動いていたからであった。当時、深い草叢の中にあるものまでが時節の到来を感じ、よりよい世の中を約束するような新しい政治を待ち受けた。従来の陋習を破って天地の公道に基づくべしと仰せ出された御誓文の深さは、どれほどの希望を多くの民に抱かせたことか。
「御誓文」とは五箇条の御誓文を指します。話が違うじゃないか、というわけです。この嘆願書ために半蔵は戸長を免職となります。
御一新という社会の変革は、また半蔵の「私」にも食い込んで来ます。婚礼を前に娘の粂が自殺未遂を起こします。粂は、半蔵に似て書物を好む娘で、幼い頃の許嫁が維新の騒動で破談となって以来内向的となります。新しい縁談も決まり挙式間近となって土蔵で自刃、発見が早かったため命は取り留めます。自殺未遂の原因に付いては触れられず自省があるのみ。
山林事件の当時、彼は木曾山を失おうとする地方人民のために日夜の奔走を続けていて、その方に心を奪われ、ほとんど家をも妻子をも顧みるいとまがなかった。彼は義理堅い継母からも、すすり泣く妻からも、傷ついた娘からも、自分で自分のしたことのつらい復讐を受けねばならなかった。
山林事件の当時、彼は木曾山を失おうとする地方人民のために日夜の奔走を続けていて、その方に心を奪われ、ほとんど家をも妻子をも顧みるいとまがなかった。彼は義理堅い継母からも、すすり泣く妻からも、傷ついた娘からも、自分で自分のしたことのつらい復讐を受けねばならなかった。
明治4年の津田梅子たちの留学に触れられていることから、維新によって女性たちもまた変わりつつあることを書きたかったのかも知れません。
廃仏毀釈
私達にとって「神仏分離令」「廃仏毀釈」は教科書の話ですが、明治初年の木曽谷では、ことに平田国学の門人である半蔵にとっては、身近な問題です。徳川幕府の戸籍簿「宗門人別帳」離脱の運動が起こり、神葬仏葬は遺族の自由に任されます。
半蔵は、菩提寺任せにしてあった先祖の位牌を持ち帰り、墓地の掃除も寺任せにしないで家の者の手でし、家にある神仏混淆の仏像などは焼き捨てます。
半蔵もこんな風雨をしのいで一生の旅の峠にさしかかった。人が四十三歳にもなれば、この世に経験することの多くがあこがれることと失望することとで満たされているのを知らないものもまれである。
半蔵もこんな風雨をしのいで一生の旅の峠にさしかかった。人が四十三歳にもなれば、この世に経験することの多くがあこがれることと失望することとで満たされているのを知らないものもまれである。
粂のショックを癒すためか、明治七年に半蔵は東京へ出かけます。同門の先輩暮田正香が賀茂神社の宮司になったように、自分も国学で身を立てたいという下心があります。この時点で家族をほっぽり出して上京するのですからかなり無責任。
見るもの聞くものの感じが深い…行き過ぎる人の中には洋服姿のものを見かけるが、多くはまだ身についていない。中には洋服の上に羽織を着るものがあり、切り下げ髪に洋服で下駄をはくものもある。長髪に月代をのばして仕合い道具を携えるもの、和服に白い兵児帯を巻きつけて靴をはくもの、散髪で書生羽織を着るもの、思い思いだ。
見るもの聞くものの感じが深い…行き過ぎる人の中には洋服姿のものを見かけるが、多くはまだ身についていない。中には洋服の上に羽織を着るものがあり、切り下げ髪に洋服で下駄をはくものもある。長髪に月代をのばして仕合い道具を携えるもの、和服に白い兵児帯を巻きつけて靴をはくもの、散髪で書生羽織を着るもの、思い思いだ。
教部省御雇い
上京後の半蔵は、尾張藩の旧知の縁故で「教部省御雇い」となります。教部省は国学者・平田鉄胤が判事を、半蔵と馴染みの平田国学の同門が勤めた神祇局の後身で、半蔵は国学の知識が買われたわけです。教部省とは、「神道や仏教の教義や社寺、陵墓に関する事務を管理する官庁」です。おまけに
信仰を異にし意見を異にし気質を異にする神官僧侶を合同し、これを教導職に補任して、広く国民の教化を行なおうと企てたことは、言わば教部省第一の使命ではあったが、この企ての失敗に終わるべきことは教部省内の役人たちですら次第にそれを感づいていた。
半蔵の仕事は、大教院から来る書類を整理し、教書に目を通し、地方の教会や講社から来るさまざまな質疑に答えるものです。例えば、
文明開化の新服をまといたいが、仏事のほかは洋服を着用しても苦しくないか。神社仏寺とも古来所伝の什物、衆庶寄付の諸器物、並びに祠堂金等はこれまで自儘に処分し来たったが、これも一々教部省へ具状すべき筋のものであるか。・・・寺住職の家族はその寺院に居住のまま商業を営んでも苦しくないか。もし鬘を着けるなら、寺住職者の伊勢参宮も許されるかの類だ。
国学の教導とかけ離れた仕事に倦み、本居宣長を揶揄した同僚を殴って辞職、教部省御雇いは半年で終わります。教部省も明治10年には廃止となります。
彼は自分で自分に尋ねて見た。
「これでも復古と言えるのか。」
その彼の眼前にひらけつつあったものは、帰り来る古代でもなくて、実に思いがけない近つ代(近代)であった。
その彼の眼前にひらけつつあったものは、帰り来る古代でもなくて、実に思いがけない近つ代(近代)であった。
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