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Xperiaで絵日記 カニ [日記(2015)]

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 家人の親戚から海産物が届きました。カニ、エビ、イカなどなど。これはワタリガニかな?。 正月に食べろということなのでしょうが、待てませんねぇ。

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Xperiaで絵日記 大阪府立大型児童館 ビッグバン [日記(2015)]

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 泉北高速鉄道、泉ヶ丘には、松本零士が企画に参加した「大阪府立大型児童館 ビッグバン」があり、こんな列車も走っています。子供に引っ張られて行ってきました。
 「児童」と名が付きますから、大人が行って楽しめる施設ではありませんね。子供でも小学校低学年迄でしょう。何故か昭和をイメージした町並みが再現してあり、ちょっと懐かしい。コマ回しやフラフープが出来ます。子供の目当ては4階から8階をぶち抜いたジャングルジムで、何回もチャレンジしていました。
 府立のためか、中身はイマイチで経営努力が見られません。これで大人千円、小学生600円は高いですね。
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備忘録 wordで年賀状 excel住所録編 [日記(2015)]

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 夏目金之助さんから →森林太郎さんへの年賀状

 連名の宛名書きが要るということで、にわかに勉強しました。来年の今頃困らないように、備忘録としてblogに載せておきます。但し、office2003です。
 
実験用住所録.jpg
 住所録からの作り直しです。《姓、名、敬称、郵便番号、住所1、住所2、差出人連名、連名、連名敬称》 の簡単なリストです。 住所1、住所2に分けることで町名と番地を書き分けて体裁よくしました。この各セルをワードの年賀状に「差し込む」わけです(差し込み印刷の意味がやっと分かりました)。差し込み方は、
 
1)こちらでやったように、フォーマットらしいものをまず作成。ツールバーの【《》ABC】のボタンで、差し込む項目が表示される。《会社名》《役職》などの不要なものは消す。
2)ツール →はがきと差し込み印刷 →差し込み印刷で右側の窓が出る。→【レターの作成】を選択
差し込み印刷.jpg レターの作成.jpg
3)《名》の下でEnter →【差し込みフィールドの挿入】を選択 →【連名】を選択。【《》ABC】のボタンででプレヴューすると連名が間延びしているので、スペースキーで調整。
連名.jpg エリス.jpg
4)同様に、「様」と「差出人連名」も差し込む。excelの住所録に 「連名」「連名敬称」と「差出人連名」があれば表示され、無ければ表示されない、という原始的な方法です。もうチョット気の利いた方法がある筈ですが、年に1回の年賀状ですからこれで十分。
 
【余談】
 漱石と鴎外は正岡子規の句会で会っています。エリスは森鴎外と結婚していませんから、この連名はあり得ません。住所録の長谷川辰之助は二葉亭四迷。二葉亭の葬儀に漱石と鴎外が連れ立って行ったと高橋源一郎の『日本文学盛衰記』に書いてあったので、年賀状を出しているかもしれません。樋口一葉は、夏目家の長男・大助と縁談があったとかいう話ですが、交流は無かったでしょうね。もっとも、明治時代に年賀状の習慣があったかどうかは?。
 
【毎年の失敗】
 年賀状印刷.jpg 印刷時のはがきの”向き”

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映画 コンスタンティン(2005米) [日記(2015)]

コンスタンティン [Blu-ray]
 エクソシストのコンスタンティン(キアヌ・リーブス)が悪魔と天使の戦いに巻き込まれて...と言う映画です。コンスタンティンは、幼い頃から人間には見えないものが見えるという霊感の持ち主で、これを苦に自殺を図ったことがあります。キリスト教では、自殺を図ると死後地獄に落ちるそうで、地獄から逃れるためにエクソシストとして善行を積んでいるという設定です。15歳から毎日タバコを30本吸っていたために肺癌で余命1年。死ねば地獄!を何とか避けたい、そのために人間世界に迷い込んで来た悪魔をせっせと地獄に追い返します。
 『コンスタンティン』の世界は、天国と地獄の間に挟まれた、善と悪の均衡のとれた世界です。天国の天使と地獄の悪魔は決して人間世界に介入できず、半分が天使で半分が人間、or半分が悪魔で半分が人間のハーフ・ブリードが、人間世界で善悪の均衡をとっています。悪魔は人間世界に介入できないと言っても、エクソシストがいるわけですから掟破りの悪魔がいるわけで、最初から映画の設定が崩れています。「例外のない規則は無い」ということなんでしょう(笑。

 双子の妹イザベルの自殺に疑問を持つアンジェラ(レイチェル・ワイズ)は、コンスタンティンに謎の解明を依頼し、コンスタンティンはイザベルを探しにノコノコ地獄まで出かけます。自殺したなら地獄にいるわけです。異次元旅行ですね。出来れば天国の映像が見たかったのですが、いちおう“ホラー”ですから地獄です。日本にも「地獄草紙」などがありますから、人間は天国を想像するより地獄を想像する方が得意のようです。『コンスタンティン』の地獄は火炎地獄ですが、あまり恐ろしくはありません。

 信仰深いイザベルが何故自殺したのか?。この謎にハーフ・ブリードの悪魔と天使が絡んできます。悪魔の方は中途半端ですが、ティルダ・スウィントン演じる天使のガブリエルは素晴らしい。『オルランド』で両性具有?を演じたくらいですから、天使にはピッタリ。このガブリエルの登場で『コンスタンティン』はホラー+ファンタジーとなります。もうひとり、白の盛装をまとったサタン(ルシファー)もいいです。 演じるのは、『ファーゴ』でスティーヴ・ブシェミと悪役コンビを組み最後はミンチになるという、ピーター・ストーメア。ティルダ・スウィントンとピーター・ストーメアに比べると、キアヌ・リーブスもレイチェル・ワイズも影が薄いです(と思うのは私だけかも)。

 ガブリエルは、サタンの息子マモンが父親から逃れて自分の王国を作りたがっていることに乗じ、マモンを人間世界に引き入れようとします。サタンに息子がいるなどと、初めて聞きました。悪魔は人間世界入れないため、マモンは霊感の強い人間に乗り移り「ロンギヌスの槍」のイエスの血を使って侵入します(「ロンギヌスの槍」は、都合よく冒頭に登場しています)。イザベルは、マモンに憑かれたために自殺したのです。イザベルに自殺されたので、今度は双子の姉アンジェラに乗り移ります。
 ガブリエルは、一度人間世界を悪魔に売り渡し、神に救済させて信仰心を失った人間に神の偉大さを教えようと目論みます。ガブリエルの独断専行で、きっと神は知らないのでしょうね。ガブリエルは神を試そうとしたことになります。これはもう「大審問官」に匹敵する大役です。
 一方サタンは、息子の叛乱を許すものかと人間世界に現れます。サタンVS.ハーフ・ブリードですから結果は見えています。ガブリエルは、哀れにも翼を焼かれ堕天使、あるいは人間に堕ちてしまいます。

 コンスタンティンとアンジェラは、天使とサタン(サタンも元は天使)の戦いに巻き込まれたに過ぎず、この映画の真の主役は、人間世界を戦場に戦うガブリエルとサタンです。そのあたりを押さえると、もう少し面白い映画になったのですが...惜しい(と思うのは私だけかも)。
 エンドロールの後に、コンスタンティンの弟子?のエクソシスト(シャイア・ラブーフ)が、翼の生えたハーフ・ブリード(従って天使)となって復活するシーンが挟まれます。続編アリということなんでしょうが →立ち消え?。

監督:フランシス・ローレンス
出演:キアヌ・リーブス レイチェル・ワイズ ティルダ・スウィントン ピーター・ストーメア

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映画 彼岸花(1958日) [日記(2015)]

「彼岸花」 小津安二郎生誕110年・ニューデジタルリマスター [Blu-ray]
 『東京物語』 『浮草』 『彼岸花 』 『秋日和』 『秋刀魚の味』、これを小津ワールドというのでしょうね。別に事件も起きず、涙や嘆きのドラマも無く、日本が経済成長の道を歩み始める前の、従って古きよき時代の家族の風景が淡々と描かれます。 小津の作った世界が、TVの普及とともに 「ホームドラマ」へと移っていったのでしょう。

 『秋刀魚の味(1962)』は、婚期を逸しつつある娘の結婚にまつわる父親の物語でしたが、『彼岸花 』も娘の結婚に惑う父親の物語です。前者の父親は笠智衆、後者は佐分利信ですから、父親の性格はかなり異なります。
 平山(佐分利信)の会社に「お嬢さんを下さいと」佐田啓二が現れたことで、ドラマが始まります。平山は婚期を迎えた節子(有馬稲子)に恋人でも出来ればいいと、妻の清子(田中絹代)に日頃言っていますが、イザ恋人が現るとなると話は別。娘が親の許しも得ず結婚相手を見つけたことに腹を立て、頭ごなしに反対します。相手がどうのという問題ではなく娘の独断が許せないわけです。子離れできない父親です。

 平山親子に対して2組の親子が配されます。
 ひと組は平山の中学時代の友人、笠智衆とその娘。娘は、バンドマンの恋人との結婚を反対され家出してしまいます。平山は、娘を心配する笠智衆 のために娘の勤めるバーに行き、娘と恋人の仲むつまじい姿に接します。
 もう一組は、京都の旅館の女将、浪花千栄子と娘の山本富士子。この女将は、娘の幸子に縁談を持ってきては自分で壊し、娘はサラリと受け流すという、親ひとり子ひとりの情愛です。浪花千栄子と山本富士子の、いかにも関西人といった溌剌とした演技は見事です。佐分利信が見せる貫禄と、有馬稲子の清楚とした落着きと比べ好対象です。浪花千栄子は『祇園囃子』でブルーリボン賞に輝きますが、この女優の演じる京都の女将は見事です。

 幸子が、平山と節子の膠着した親子関係に風穴を空けます。幸子は、恋人との結婚を反対され平山に取りなしを頼みに上京してきます。平山は母親の理不尽な反対と幸子の嘆きを聞き、幸子の味方になってしまいます。平山は節子の結婚を軽率だと反対したように、女将に味方し幸子の短慮をたしなめる筈です。ところが、他人の娘となると冷静な判断が下せるわけで、幸子の言い分を認め味方となります。
 この幸子の結婚話は、幸子が節子のために仕掛けた罠だったのです。平山が幸子の結婚を認めるなら、節子の結婚もまた認めなければならないわけです。勝ち誇ったように幸子は節子に電話をします、「お父さんが結婚を許した!」と。

 ここまで、佐分利信の家父長的言動にうんざりしてきた観客の心にも、幸子は一気に風穴を空けるというわけです。
 幸子と節子に破れた平山は、しぶしぶ娘の結婚を認めますが、それでも一言「結婚式にオレは出ない」と。

 上手いです。佐分利信の「父親」には、日本の男が培ってきた責任感と空威張りと痩せ我慢が凝縮しています。小津が描いたのは、そうした伝統的な「父性」が若い世代にいともた易く突き崩される悲しみ、寂しさ、「我儘頑固親父」への挽歌だったのかも知れません。
 とすれば、この映画は「ホームドラマ」ではないことになります。

監督:小津安二郎
出演者:佐分利信 有馬稲子 田中絹代 山本富士子 浪花千栄子 笠智衆 久我美子

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備忘録 word で年賀状 [日記(2015)]

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nenngajou.jpg なおき、めぐみ年賀状.jpg
 鬱陶しい年賀状の季節です。文面が決まれば、エクセルの住所録から喪中を抜いて、住所変更を確認してPCで印刷すればいいだけですから、そんなに手間はかかりませんが...。
 年に1回の行事なので(おまけに老化現象で)、宛名の印刷方法を忘れてしまいます。来年の今頃、年賀状印刷で悩まなくていいように、備忘録としてblogに書いておきます。「word_年賀状」で検索かければ一発で出て来るように。
 昔は「筆なんとか」で作成したものですが、最近はwordとexcelだけです。officeは仕事で使い倒しましたが、「差し込み印刷」などやったことがないので、身体が憶えていません。未だにword2003を使いまわしています。そろそろ2016を買わないとと思うのですが、文書作成と年賀状はこれで十分です(セキュリテーに問題あるかもしれませんが)。
 住所録はexcelです。 フォーマットは「筆なんとか」からcsvに落したものだと思います。microsoftからテンプレートもDLできます。
 文面の方は、wordの「図形」とJTrim or Photoshopを使って切ったり貼ったりです。「差し込み印刷」です。
 
1)ツール 差し込み印刷 はがき印刷 宛名印刷を選択

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江藤淳 漱石とその時代 (第1部) [日記(2015)]

漱石とその時代 第1部 (新潮選書)
 晩年まで書き継がれ未完に終わった江藤淳の漱石の評伝です。第1部は慶応3年の誕生から明治33年の五高教授在任までを(漱石33歳)、漱石の書簡、『硝子戸の中』などの随筆、小説を読み込んで、書名通り「漱石とその時代」を描いています。

【出自】・・・慶応三年~消えた西郷星
 父夏目小兵衛直克50歳、母千枝41歳の時の5男3女の末っ子であり、決して歓迎されて生まれたわけではないということ。そのためか、里子に出され1歳で塩原昌之助に養子となります。9歳で昌之助の離婚にともない夏目家に引き取られ、21歳で復籍するという複雑な家庭環境で育ったことが、漱石という人間に陰影を刻みこんだというのです。48歳(大正4年)の漱石が、『硝子戸の中』『道草』でこの頃の記憶をたどっでいるということは、やはり心に深く刻み込まれたのでしょう。
 夏目家は江戸時代から名主をつとめる裕福な家であり、大学南校や大学予備門に通う兄たちを思えば、何故オレだけが、という思いがあったことでしょう。
 育て父母は金之助を病的に溺愛し、実家に戻ってからは、実の父親から疎んぜられ母親とはわずか5年で死別します。夏目家の4男(兄のひとりは幼い頃病死)でありながら、21歳まで塩原金之助を名乗らされ、復縁にあたっては310円で売り買いされるように夏目金之助となります。漱石の小説に金銭がついてまわるのは、この辺りの事情によるということです。

 夏目家に戻った金之助が不幸だっということはなく、府立1中から大学予備門を経て、アルバイトをしながらですが帝国大学まで進学するのですから、恵まれた環境だっと言えます。当時の大学予備門(後の第一高等学校)、帝国大学で学ぶということは、全国に大学と大学予備門は1校しかないわけで、「超」が何個か付くほどのエリートです。家を出て下宿をしながら級友と富士山に登り江ノ島にハイキングに行ったり、ボートを漕ぎ教師をからかって面白がるなど、けっこう青春を謳歌しています。

【英文学】・・・職業と「アッコンプリッシメント」
 一時建築家を目指した金之助が、帝国大学文科大学英文科に進んだのかは明確には書かれていません。元々漢籍で育ち寄席を愛し一時は二松学舎で本格的に漢学を学ぼうとした金之助が、何故英文科を選択したのかです(子規は国文科)。高等学校(予備門)本科に進学する時にすでに英文科を目指しています。いったんは建築学科志望でフランス語を選択します。ところが、腹膜炎で試験が受けられなかったため落第し、同じクラスの哲学学科志望の級友に翻意を薦められ、志望をあっさり建築から文学へと変えています(『処女作追懐談』)。衣食のために建築家になるより、英文学で「国家有用の人」になろうと決心したわけです。
 この翻意については、資料が無いのか著者の分析も鈍りがちです。19歳の金之助の中で何かが起こった筈です。

【登世(とせ)】・・・ある厭世観、登勢という嫂
 嫂・登世については、一度書きました。『行人』の二郎と嫂・直の危ない関係が気になって、本書の「登世という嫂」だけを拾い読みしました。今回通読すると、「登世という嫂」の前に「ある厭世観」が置かれ、「登世という嫂」の冒頭の「嫂の登世に妊娠の兆候があらわれたのは、明治二十四年4月ごろのことである。」という意味深な書き出しを補完しています。
 明治23年7月(23歳)に、金之助と正岡子規は東京帝国大学に入学します。帰省中の子規に、金之助は「この頃は何となく浮世が嫌になり・・・」という手紙を書いています。この厭世観を江藤は、

「煩悩の焰(ほのお)さかんにして甘露の法雨待てども来たらず、慾海の波険にして何日(いつ)彼岸に達すべしとも思はれず」というような文面を見ると、憂鬱の霧のなかにかくされているのが性の衝動だったことはほとんど確実である」。・・・「生きて居ればこそ根もなき毀誉に心を労し、無実の褒貶に気を揉んで」・・・というところから推測すれば、この恋は現実の日常生活の秩序なかでは実現しがたい反道徳的な恋だったものと思われる。

 この恋の相手を、嫂・登世だと推測します。これだけでは唐突感を免れ得ませんが、『それから』、『行人』に見られる漱石の嫂に対する執着から、恋の相手を登世とする江藤の推測は十分根拠があると思われます。登世は明治21年に兄・和三郎の二度目の妻となっています。

登世に対する好意が和三郎の放蕩に対する義憤に刺激されて、金之助のなかでかなり急速に恋愛感情に移行して行ったとしても不自然ではない。・・・同居している嫂と未婚の弟という関係には微妙なものがひそんでいる。嫂は兄の妻であり、そのことによって禁忌の彼方にいるが、同時に若い女でもありすでに性生活をおこなっているいることによって、弟にとっては渇望されている性の象徴ともなるからである。

 この年(明治23年)の8月、金之助は東京で猖獗をきわめるコレラを避けるために箱根に湯治に出かけています。この湯治も、金之助が登世から遠ざかる必要を感じたからだというのが著者の推理です。では、明治23年の初夏から夏にかけて何があったのか?。江藤は「百合の花」を持ち出します。百合の花は、『それから』で、代助と三千代が逢う場面(三千代が「銀杏返」で登場するシーン)に象徴的な小道具として登場します。百合の花は『夢十夜』にも性的イメージをまとって登場するそうです。百合が夏の花であることから、

百合は女の象徴であり、それが喚起する濃密な情緒は、花が男女を結びつける性を象徴することを暗示している。・・・明治23年の夏、金之助は百合の花の「」甘たるい強い香」をその記憶に刻印されるような忘れがたい経験を味わった。その場に百合の花は実際にあったかも知れず、またなかったかもしれない。だがいずれにしろそれは深く性に結びついた体験であり、その相手はおそらく嫂の登世意外にはあり得なかったのである。

 また、明治36年、神経症に苦しむなかで作られた英詩にもこのイメージが濃厚に現れているといいます。
   Dawn of Ccreation(想像の夜明け)
天は彼女の最初の悲しみのなかでいった。「お別れする前にいま一度接吻を」
「ああいとしい者よ」と大地は答えた。
「千の接吻を、それがお前の悲しみを癒やすならば」
二人はひとときともに眠った。お互いの抱擁のなかに魂を結びあわせて
二人はひとつ、まだ天でも地でもなかった。
その時を見よ!雷鳴が轟いて二人を鞭うち、まどろみから喚びさました。
それは創造の夜明けであった。
それ以来二人は二度とまみえることがない。
・・・
ああ!天に再会するには大地はあまりに多く罪をにないすぎているのだ (江藤淳 訳)

 江藤は、「天」が女性で、「大地」が男性だという「あり得ない詩的倒錯」に注目します。「罪」によって雷鳴が轟きふたりを鞭打ち、登世は死んで天にあり、大地にいる金之助は多くの罪をになっているために二人は二度とまみえることがない、ということです。「ある厭世観」、「登勢という嫂」の文脈で読むと、そうなります。当然、金之助得意の漢詩にも登世のイメージが読み込まれていることになります。

タグ:夏目漱石
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フィルムカメラ(5) ペンEEDのモルト張替え、試写 [日記(2015)]

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EEDモルト補修                  レンズキャップ
 EEDのモルトを張り替えました。劣化した跡の3ヶ所を両面テープで張替え(画像の1mm、2mmとあるのは、フェルトの厚みです)。補修中にホコリが入らないように、ボール紙で簡易キャップを作りました(画像の白いモノ)。これでカメラを持ち出すわけのもいきませんから、適当なものを探したところヨドバシ.comにありました。富士フィルム大判レンズキャップ45mmがピッタリ、なんと162円です。これで安心して持ち出せます。FUJINONのロゴが入っていますが、162円には代えられません(笑。
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 で、持ち出してみました。試写といっても散歩の風景と駄犬を撮すだけです。現像するまで結果が分からないというのは、まだるっこい話です。EE-3と合わせて96枚撮影するには時間がかかりそうです。
・レンズが明るい(F1.7)ので何処でもシャッターが切れる。
・0.8mまで寄れる(EE-3は1.5m)、マクロはできない。
・距離合わせは、目測でダイヤルを合わせる。
・0.8m、1.2、3、∞でクリック。3m固定でだいたいOKらしい。
・ダイヤル合わせを忘れる。∞でポートレイトを撮るとどうなるのか?。
・レンズとファインダーが別なので、キャップをしたままシャッターを押してしまう(笑。
・首からぶらさげていますが、430gはけっこう重い。


 現在フィルムカメラを使うメリットは、自己満足意外何も無いです。

1)ジャンク落札 2)EE-3モルト張替え、EEDのバッテリ 3)EE-3で撮影 4)EED分解 5)EEDモルト張替え


藻谷 浩介、NHK広島取材班 里山資本主義 [日記(2015)]

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
 副題は、" 日本経済は「安心の原理」で動く .."。
 本書は、NHKの取材班が里山の元気な人、組織、企業を取材し、日本総研のエコノミストがそれに解説を加えるという二部構成をとっています。広島放送局ですから、取材地は主に中国地方です。
 「里山」とは地方の山(農)村のことで、晴耕雨読のノンビリした里山暮らしはTVの向こうに見る分には理想郷です。豊かな自然が残る一方、高齢化が進んだ過疎の村であり、集落そのものの消滅が危ぶまれる 限界集落もあります。

 まず、そんな里山にある岡山県真庭市の製材会社が紹介されます。輸入材に押され凋落の林業のなかにあって、この会社は製材の廃棄物である木クズで木質バイオマス発電を行い、年間4億円の利益を産み出していることが紹介されます。さらに木クズはペレットに加工販売され、真庭市では石油に変わるエネルギーとして利用されています。衰退産業といわれる林業も発想の転換でという話ですが、東日本大震災、原発の文脈で語られると説得力があります。
 真庭市で生産される木材が真庭市で消費されるわけですから、地産地消。重要な点は、お金が地域で循環し外へ出て行かないということです。自家発電による電力で工場動を動かし、市民はペレットのストーブを使うことで、電気と石油に払うお金が真庭市に留まり、新たな消費と雇用を生んでいます。そして、この財は里山に眠っている、これが「里山資本主義」の根幹です。
 さらに、この里山資本主義を国を挙げて取り組み、 原発を憲法で禁止したオーストリアの事例が紹介されます。

 里山資本主義はハードウェア、エネルギーの話に限った話ではありません。生産者と直結した周防大島の「島のジャム屋さん」、耕作放棄地を利用した島根の「日によって味の変わる牛乳」、「耕すシェフ」、八頭の「ホンモロコ共和国」、地域の老人の生き甲斐を創造し「無縁社会」克服を目指す福祉法人など、里山に眠る力を引き出す事例がいくつか紹介されます。

 真庭市を日本という国に置き換えれば、つまり日本が地産地消すれば、産油国に払う金が減り、お金は国内で循環して新たな消費と雇用を生み、貿易収支は改善されるということになります。真庭市の発電とペレットは、産業廃棄物の木くずが前提となっています。木を切って木くずを生産すれば採算に乗らないため、この真庭モデルを日本全国のどの町や村にも適用することはできませが、真庭市のように、先祖が築いてきた里山(に象徴される日本の自然)に目を向ければ、まだまだ活用できる資本が眠っているということです。
 マネーゲームはリーマンショックを引き起こし、東日本大震災は化石燃料に頼ってきた生活を一気に突き崩しました。そろそろ、経済成長を唯一の指標とする景気絶対論の「マネー資本主義」を止めて、「里山資本主義」でゆきませんか?というのが本書の主張です。

 田舎暮らしの薦めという話ではありません。

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。(p121)

 じゃあ都会に住んでいる我々はどうすればいいのか?。家庭菜園でも始めるか、キッチンでエコストーブを使うのか?。そうもゆきませんから、毎日の生活の意識のなかに、何らかのサブシステムを組み込むこと(それが何だと言われても困りますが)、できることはせいぜいその程度です。このサブシステム=保険=安全弁という考え方は気に入りました。
 「人生の楽園」というTV番組があります。 この番組を欠かさず見ている私には面白い一冊でした。本書に登場する「エコストーブ」は是非作ってみたい。

タグ:読書
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映画 秋日和(1960日) [日記(2015)]

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「秋日和」
 夫に先立たれた秋子(原節子)と一人娘、アヤ子(司葉子)の結婚の顛末を描いたドラマです。普通、アヤ子の恋と結婚がストーリーの軸となるわけですが、この映画では母親・秋子の結婚が主題となります。さすがは原節子です。

 間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)の仲良し三人組が登場します。この3人と秋子の亡くなった夫の4人は、秋子を争った仲で、秋子の夫が亡くなった後もこの母娘の世話を焼くという関係が続いています。親友の妻子という以上に、かつてのマドンナ・秋子に未だ未練を残していると言ったところです。
 
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 アヤ子がなかなか結婚しないのに気をもむ間宮は、自分の会社の青年を紹介しますがアヤ子は断ります。母を残して自分ひとり結婚することに躊躇しているわけです。では秋子を再婚させればアヤ子は安心して結婚できるだろうと考えた三人組は、妻を亡くした平山を再婚相手に、秋子の再婚を進め始めます。本末転倒ですが、そこは映画です。最初は渋っていた平山も、相手がかつてのマドンナ、未だ美しい秋子ですからすっかりその気になります。
 
 秋子に平山の再婚話を持って行った田口は結局言い出せず、アヤ子の縁談を進めたい間宮は再婚話をアヤ子に打ち明けてしまいます。秋子が再婚したがっていると勘違いしたアヤ子は、秋子に不信感をつのらせ、ふたりの関係はギクシャクし出します。母ひとり子ひとりですから、アヤ子は親離れができないのでしょう。 この(三人組も含めた)スレ違いが、映画の山場、見せ場です。 
 アヤ子は、秋子の再婚に納得し自分も結婚する気になりますが、肝心の秋子は夫との思い出を抱いて独り身を続けてゆく決意をします。アヤ子の結婚に父親代わりの三人組は一安心ですが、マドンナとの結婚の夢が敗れた平山ひとりが貧乏クジを引かされたことになります。
 善意によるスレ違いが問題を引き起こし、最後は丸く収まるという如何にも「松竹」という映画です。
 
 この映画は、若き日の司葉子や岡田茉莉子も活躍しますが、最初から最後まで原節子、佐分利信、中村伸郎、北竜二4人の映画です。マドンナの原節子も悪く無いですが、重厚な佐分利、剽軽な中村、篤実な北の三人組が光ります。

監督:小津安二郎
出演:原節子 佐分利信 中村伸郎 北竜二 司葉子 岡田茉莉子

タグ:BSシネマ
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