三六式無線機

日露戦争の日本海海戦を描いた吉村 昭「海の史劇」を読みはじめた。バルチック艦隊を最初に発見した仮装巡洋艦『信濃丸』の「敵ノ艦隊、二〇三地点ニ見ユ」という電文や、東郷司令官が旗艦『三笠』から大本営に宛てた有名な電文「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」などの電文は、いずれも無線通信で送られている。
マルコーニが無線通信に成功したのが1895年(明治28年)、1905年(明治38年)には早くも日本海軍で実用化されている。驚くべき早さである。
明治38年にどんな無線機があったのか興味が出て、少し調べてみた。