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中秋の名月 [日記 (2021)]

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万葉集の花・秋 [日記 (2021)]

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彼岸花(壱師、いちし)
路の辺の壱師いちしの花のいちしろく 人皆知りぬわが恋妻こいづまは(柿本人麻呂)
 →ばたに咲く壱師(いちし)の花のように、はっきりとみんなに知れ渡ってしまったことだ。私が心より愛する妻への気持ちのことではあるが…。
彼岸花はポピュラーな花だと思うのですが、これ一首だそうです。 
ヘクソカズラ.jpg 2.jpg
クソカズラ(ヘクソカズラ)
ぞう莢(イバラ、サイカチ?)に 延(は)ひおほとれる 屎葛(くそかずら) 絶ゆることなく 宮仕へせむ(高宮王)
 →イバラにまといついたクソカズラのように、しがみつくように宮仕えをしよう。宮仕えというのは昔も今も変わりなかったようで、笑うしかないです。クソカズラが万葉集にあるとは、でも雅な万葉人も酷い名を付けたものです。
紫蘇(ツチハリ)
我がやどに 生(お)ふるつちはり 心ゆも 思はぬ人の 衣(きぬ)に摺(す)らゆな(作者不詳)
 →私の家の庭に生えたつちはり(我が娘よ?)よ、心から思ってもいない人の衣に摺り染められたりしては駄目だよ
年頃の娘を心配する父親の心境と解釈するとピッタリ、知らんけど。画像は庭のシソで、素麺や冷奴の薬味としてひと夏重宝しましました。どうもツチハリとは違うみたいですが、シソ科はシソ科。
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リンドウ(思いくさ)
道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ(作者不詳)
 →道端のススキの陰で咲いている思い草のように、今さら何を思いわずらって、うちしおれたりしようか
「思いくさ」はナンバンキセルで竜胆ではないようですが、まぁいいか?。画像は、大阪府の岩湧山(897m)の山頂近くで撮影、唯一の写真です。
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ススキ(尾花、をばな)
萩の花 尾花(をばな)葛花(くずはな) なでしこの花、 みなへし また藤袴(ふじはかま) 朝顔の花(山上憶良)
 →ススキを詠んだ歌は沢山ありますが、秋の七草をそのまんま詠んだこれが決定版?。こんな歌あったんですね。ススキの画像はリンドウと同じ岩湧山で撮ったも。岩湧山山頂には人の背丈を超えるススキ(茅)の群生があり、毎年山焼きが行われます。
ハギ
かくのみに ありけるものを萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも(大伴旅人)
 →運命はこのようなものです、萩の花は咲いているだろうかとあなたは問うてきたものでしたね
萩の歌も沢山ります。この歌の君というのは、女性なのか男性なのか?。

 もっとありそうなので、順次追加。

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映画 ナチス第三の男 (2017仏英ベルギー) [日記 (2021)]

ナチス 第三の男 [DVD]  原題”The Man with the Iron Heart”=鉄の心臓を持つ男。ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督でナチス親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺(エンスラポイド作戦)を描いたものです。ヒトラー暗殺はことごと失敗しますが、唯一成功したのがハイリドリヒ暗殺だそうです。

 ハイドリヒは、ナチスの治安、諜報組織の長ハイリヒ・ヒムラーの片腕、「金髪の野獣」「プラハの屠殺人」「ヒトラーの絞首人」と呼ばれたそうです。「長いナイフの夜」、「水晶の夜」などに関わり「ユダヤ人問題の最終的解決」ホロコーストのを立案者です。この映画はローラン・ビネの小説『HHhH プラハ、1942年』を原作としているようで、HHhHとは”Himmlers Hirn heißt Heydrich”の略=「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という意味だそうですから、ホロコーストはハイドリヒの頭脳から生まれたことになります。

 映画は、ハイドリヒが親衛隊No.2に上り詰めチェコの副総督になるまでを描く前半と、イギリスで訓練を受けたチェコの兵士がハイドリヒを暗殺する後半の、2部構成です。

 ハイドリヒ(ジェイソン・クラーク)は元々は海軍将校。妻リナ(ロザムンド・パイク)と婚約中に提督の友人の娘と不始末を仕出かし、軍事裁判にかけられ海軍を不名誉除隊で追い出されます。ここで偉いのが婚約者のリナ。普通なら婚約破棄となるのでしょうが、ハイドリヒの才能を見抜いていた彼女は結婚します。ナチ党員であるリナは、ハイドリヒにナチズムを吹き込み親衛隊のヒムラーに渡りをつけ、彼の尻を叩いて親衛隊に押し込みます。親衛隊情報部(SD)の新設を目論むヒムラーの目がねにかない親衛隊に採用され、共産主義者や反ナチ分子の摘発、反党分子の粛清に辣腕を振るい、わずか半年間で少尉から少佐まで上り詰めます。パーティーの席で、ヒムラーがリナに「ハイドリヒはアンタが造った作品だ」みたいなことを言ってますから、映画の第一部主人公はハイドリヒでなくリナだったわけです?。

 1933年ヒトラーは権力を掌握し1939年ポーランドに侵攻、親衛隊中将に昇進したハイドリヒはアインザッツグルッペン(特別行動隊)を組織しポーランドの支配層、知識人、ユダヤ人虐殺します。
 面白いエピソードが描かれます。(『愛の嵐』で有名な)親衛隊の帽子を被った胸も露わな娼婦とナチス将校の映像の後、ハイドリヒが国防軍の大将に未成年の娼婦買春の事実を突きつけ、引き換えに国防軍の持つ反体制派の情報を得るエピソードです。これ、親衛隊が諜報目的で運用していたという有名な娼館「サロン・キティ」ですね。ドイツの高官や軍人、外国の外交官を酒と女性でもてなし、盗聴器を仕掛け娼婦から情報収集していたといいますから、ハニートラップ。この「サロン・キティ」の発案者がハイドリヒ。既存の売春宿を乗っ取り親衛隊諜報部に組み込んだのです。ドイツの制式な軍隊は国防軍であり、親衛隊はあくまでもナチスの私兵。ハイドリヒは、親衛隊と国防軍の権力闘争をこういうかたちで処理していったという一幕です。

 ホロコーストを指揮したナチスの将校は、家に帰るとワーグナーのオペラに涙を流したというエピソードがあります。ハイドリヒの父はオペラも作曲した高名な音楽家で、彼もピアノとバイオリンの名手だったそうです。ハイドリヒが息子にピアノを弾かせ自らはバイオリンで合奏するシーンがあります。子煩悩で音楽を愛する父親とホロコーストの指揮官がひとりの人格に同居するという、人間の不思議を垣間見るシーンです。

 これが前半で、後半はこのハイドリヒが暗殺されるエンスラポイド作戦の話となります。ジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイクを投入したハイドリヒの物語に比べ、後半はよくあるレジスタンのアクション映画(こちらの方が長い)。イギリスで訓練されたチェコ兵士のパラシュート降下、彼らを匿うレジスタンスとのラブストーリー、暗殺、裏切り、拷問、追い詰められたレジスタンスたちの服毒自殺、教会での銃撃戦、と盛り沢山です。ハイドリヒを殺されたナチスの報復は凄まじいもので、犯人を匿った疑惑で、リディツェ村の200人の男は銃殺され、女子供は収容所に送られリディツェ村は地図から消えます。銃殺シーンや男たちを納屋に押し込め手榴弾を投げ込んで殺すシーンも、力は入っていますが、何処かで観たシーンです。ハイドリヒという怪物を際立たせるという意味では効果はありますが。

 『鉄の心臓を持つ男』とタイトルを付けたくらいですから、もっとハイドリヒに迫ってほしかった。エンスラポイド作戦を縮小して、彼が如何に怪物となったかを描いたほうがタイトルに相応しく映画としての纏まりも出たはずです。ヴァンゼー会議を主催して「ユダヤ人問題の最終的決定」を下したハイドリヒは、命令されるまま600万人のユダヤ人を絶滅収容所に移送した親衛隊中佐アイヒマンの「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)とはわけが違います。ナチスを描いた映画は多いですが、いずれもナチスの残虐性を描くかナチスと戦ったパルチザン側に立った映画です。ナチス賛美の映画は成立しないにしても、「凡庸な悪」ではなく「真の悪」を描いた映画が現れてもいい頃です。
 レジスタンス映画では『影の軍隊』がピカイチ、オススメです。

監督:セドリック・ヒメネス
出演:ジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイク、ジャック・オコンネル

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映画 決算!忠臣蔵(2019日) [日記 (2021)]

決算! 忠臣蔵 [DVD]  久々に日本映画、amazonプライムビデオにあったので観ました。忠臣蔵を塩の流通にからめ、赤穂浪士を倒産したサラリーマンとして描いた堺屋太一『峠の群像』がありましが、この映画も似ています。東大教授の著書『「忠臣蔵」の決算書』が原作だそうです。そう言えば大石内蔵助は綿密な出納帳をつけていたと聞いたことがあります。『武士の家計簿』の流れです。
 赤穂の侍の話ですから全編ほぼ関西弁、吉本のお笑い芸人が多数出演という辺りが面白いです。

 江戸時代に蕎麦は何時でも何処でも16文だったそうです。蕎麦一杯を480円、1文を30円に換算して忠臣蔵の収支決算が描かれます。浅野家が取り潰され、藩士に退職金を払って残った金が790両、9491万円。ここから旅費交通費、武具購入費用、江戸滞在費など仇討ちの費用が支出されます。ストーリーの進行とともに、

2人分の旅費と江戸滞在費233万円
浅野内匠頭供養・仏事費1518万円
    :
残金5429万円

という字幕が頻繁に出ます。四十七士が、浪費だ、いや必要経費だと侃々諤々でやりあうわけですが、関西弁ですからトゲがありません。マァ掛け合い漫才。

 当然主人公は大石内蔵助(堤真一)。これに対するのが勘定方・矢頭長助(岡村隆史)で、お笑い芸人ですが達者なものです(そう言えば『岸和田少年愚連隊』もあった)。この1500石(年収6900万)の大石と20石(同185万)の矢頭は、映画のボケとツッコミです。ふたりの立ち位置が、年収と役方(藩経営の実務担当)vs.番方(政務軍次担当)と職種の差で描かれます。浪費だ!と言うのが岡村サンで、いや必要経費だと言うのが堤サンです。
そろばんで戦ができるか!
銭の勘定できん侍はなにをさしてもデクノボウ
という遣り取りになります。

 討ち入りは戦争ですから、戦争には兵站が付きもの。忠臣蔵を兵站で描けばこの映画となります。討ち入り費用は9500万円、四十七士という人数も、費用的に赤穂や京都から江戸に連れて行ける人数。おまけに江戸滞在費も必要です。討ち入りは何時にするか、これも経費と相談。一旦は内匠頭の命日3月14日に決まるのですが、47人の生活費がそこまでもたない!、で吉良屋敷の茶会の日を聞き出してきた大高源五の情報によって12月14日に決まり事なきを得ます。万事がその調子、いや以外と大事。
 従ってクライマックスの「討ち入り」は、ありません。
 いや面白いです、久々に笑いました。

監督:中村義洋
出演:堤真一、岡村隆史、濱田岳

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村井章介 中世倭人伝 (2) (1993岩波新書) [日記 (2021)]

中世倭人伝 (岩波新書)境界2.jpg
続きです。
倭服、倭語
 14世紀の倭寇の主力は、日本人と朝鮮人の連合した集団あるいは朝鮮人のみの集団だったという説(田中健夫)が展開されます。論拠は、
 高麗朝の末期、倭寇の被害がはなはだしかったが、彼らのうち倭人は1~2割に過ぎず、朝鮮の民が倭服を着て徒党を組んで悪事を働いている(朝鮮王朝実録)
 屠殺や獣革の加工に携わる禾尺(かしやく)や仮面芝居の芸人の賤民の集団がなど倭寇となって略奪をはたらいている」(高麗史節要、1380年代)
という記述です。

 1379年には騎馬七百・歩兵二千という大規模な倭寇が慶尚南道の晋州を襲っていますが、これだけの人馬を九州や対馬から半島に運んだとは考えられず、この倭寇軍団は日本人と朝鮮人の連合した集団だった、あるいは朝鮮人のみの集団だったと考えた方が理屈に合ってます。半島の食い詰め者や半島の身分制度の最下層に属する禾尺(白丁)が倭寇に加担する、あるいは倭寇の名を騙って(倭服を着て)略奪をはたらくということは、十分考えられます。また倭寇に王直徐海の名がありますから中国人の関与は明らかです。

 では、倭寇は倭人+半島人または半島人よる犯罪集団なのかというと、そんなに単純な話ではない著者は云うのです。そもそも人々はなぜ倭服を着、倭賊と称したのか。

済州流移の人民、多く晋州・泗川の地面に寓し、戸籍に載らず、海中に出没し、学びて倭人の言語・衣服を為し、採海の人民を侵掠す。(成宗3閏8戊寅)
此の徒(済州島の鮑採り)は、詐りて倭服・倭語を為し、矯かに発して作耗す(賊を働く)、其れ漸く長ずべからざるなり、と。〔成宗6閏4辛卯)

倭寇だけではなく、済州の海民たちも倭服を纏い倭語も話していたというのです。彼らは、「倭人との間になんらかの一体感を共有していた」と考られると著者は想像します。
済州島の海民だけではなく、

加延助機(海賊)は、博多等の島に散処し、常に妻子を船中に載せ、作賊を以て事と為す。面黒く髪黄いろく、言語・服飾は諸倭と異なる。射を能くし、又善く剣を用う。水底に潜入して船を鑿つは、尤も其の長ずる所なり。 (中宗58丁未)

博多にも一般的な倭人とは異なる倭語、倭服の人々がいたようです。「倭と異なる」というのが肝で、済州島、九州北部の倭寇は、日本語から派生した、朝鮮誤の影響を受けた倭語を話していたのかも知れません。朝鮮語(特に済州語)と日本語は言語系統で隣接関係にありますから。

博多、済州島や対馬あたりの海域で海賊行為を行なっていた人々にとって、倭服は共通のいでたち、倭語は共通の言語だったのではないか。その服を着、そのことばを話すことによって、かれらは帰属する国家や民族集団からドロップ・アウトし、いわば自由の民に転生できたのではないか。

 まとめると、
1)朝鮮半島の食い詰め者や賤民が、倭服を纏い倭寇を騙って略奪を働くことがあった
2)済州島の海民の中には倭服を纏い倭語を話す海賊がいた、彼らは無戸籍者だった
3)博多辺りにも海賊を生業とする人々がおり、彼らの言語・服装は日本人とは異なっていた
4)倭寇にとって、倭服を着、倭語を話すことで国家や民族集団から離脱し自由民となることができた

著者は、倭寇の本質は、国籍や民族を超えたレベルでの人間集団だと言います。東シナ海共和国みたいなものです。東シナ海にも「パイレーツ・オブ・カビリアン」がいたのです。

 15世紀に入り、明と李朝、室町幕府の冊封体制が整うと倭寇も鎮静化に向かいます。李朝の太祖・李成桂は倭寇に懐柔策をとります。金銭と引き換えに投降させる(降倭)、投降した者には朝鮮の官職を与え(受職倭人)、(興利倭人)、貿易を許し(興利倭人)日本の諸勢力の使者という名義での来朝を許可し(使送客人)、国内居住を認める(恒居倭)などの倭寇対策をとります。

野人と倭人
 
朝鮮半島の北辺には女真族(満州族)がいます。半島の南には倭人と朝鮮人のマージナルがあり、北には女真族と朝鮮人のマージナルがあったという話です。

 朝鮮人の眼に倭人とつねに対をなすものと映っていたのが、野人―朝鮮半島極北部から中国東北地方にかけて住んでいた女真族である。朝鮮は朱子学を純粋に信奉したが、それに応じて華夷意識も中国以上に強烈なものがあり、野人も倭人も人間以下の禽獣としかみなさなかった。「野人は犬羊と異なることなく」(成宗52乙丑)、「島夷は……人類に歯うるに足らず」(成宗07戊辰)というわけだ

 華夷意識から、女真族は犬羊、倭人は人間ではないというわけです。犬羊と人間以下とどちらが上で下なのか?ですが、李朝初期には倭人は野人の下だったようですw。
 余談ですが、その犬羊が明を滅ぼして李朝に臣従を求めてきたことから「丙子の乱(1636)」が起こり、李朝を破った清は見せしめに京城に「大清皇帝功徳碑」を建てます。「犬羊」の女真族=清の属国となったわけですから屈辱です。1910年には「人間以下」の倭によって(日韓)併合され、さらなる屈辱を味わうことになります。
 話は「丙子の乱」「日韓併合」ではなく<境界>です。南に倭人を中核とするマージナル=境界があったように、北にも女真族と朝鮮族の境界があります。後に倭人のために開かれた開港場「三浦(さんぽ)」が生まれますが、三浦に対応する野人の居留地が、世宗朝に咸鏡道豆満江畔に設置された五つの城邑(慶源・会寧・鍾城・穏城・慶興)「五鎮」です。朝鮮は、北と南に<境界>を抱えていたことになります(現在の中国・朝鮮族の謂れです)。

 国境線という概念が生まれるまで、民族と民族の接する地域では、ふたつの民族が共存、混在する地域があったはずです。島国日本には、南には本書で述べる倭寇という名の海の境界があり、北には樺太や北方四島、北海道を舞台にヤクート、アイヌ、倭人が混在する境界があったと思われます。その境界が現代に顔をのぞかせると「尖閣諸島」「北方四島」の問題となるわけです。

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映画 あるメイドの密かな欲望(2015仏ベルギー) [日記 (2021)]

あるメイドの密かな欲望 [レンタル落ち]  原題:Journal d'une femme de chambre=小間使いの日記。フランスの小説家オクターヴ・ミルボーの『小間使いの日記』(1900)を原作とした映画です。ジャン・ルノワール監督やジャンヌ・モロー主演で過去3度映画化された有名な小説らしいです。田舎出の若い女性が小間使として上流家庭に入り、その実態を暴き、下層階級の小間使いも自ら堕ちる様を描いています。さしずめ「家政婦は見た!」+αの様な映画です。エミール・ゾラなどのフランス自然主義だと思えば、起承転結のないこの映画もなんとなく納得します。『あるメイドの密かな欲望』というタイトルはなかなか扇情的w。

 起承転結が無いので感想の書きようがありません。冒頭、主人公セレスティーヌ(レア・セドゥ)が派手な服装で小間使紹介所みたいなところに現れます。紹介所で住み込み先を紹介して貰うわけですが、セレスティーヌは遠くへ行くのは嫌だ、好色な主人いるところは嫌だと文句タラタラで、アンタ性格悪いよとたしなめられています。この物怖じしないところがセレスティーヌの魅力。

 パリから離れた田舎町のランレール家に住み込み先が決まります。マダムは人使いが荒くムッシュウは好色で小間使いを何人も孕ませ、ランレール家では小間使いは長くは続かないと近所では有名。さっそく主人はセクハラを仕掛け、ルイ王朝の絵皿や銀食を偏愛する俗物マダムは小言ばかり。ランレール家の使用人は庭師のジョゼフと料理女、セレスティーヌの3人。このジョゼフがクセ者で、ドレフェス事件の新聞やパンフレットを後生大事に仕舞い込むゴリゴリの反ユダヤ主義者。ドレフェス事件など日本の観客には無縁ですが、フランスでは19世紀末の時代背景として重要なんでしょう。料理女は主人に妊娠させられ、近所の森で起こった少女惨殺事件はジョゼフの仕業らしい。ジョゼフはセレスティーヌに結婚を持ちかけます。故郷のシェルブールで居酒屋兼娼館をやろう、オマエのような美人が「商売」をすれば繁盛すると。ジョゼフは妻に稼がせようという魂胆です。
 これにはウラがあり、セレスティーヌは以前小間使いとして働いていた家で、結婚をエサに病人の青年に誘惑され腹上死させるいう過去があります。本人曰く、その後しばらく「路上の女」をしていたらしい。またパリで娼館の女主人から声をかけられ、「そんな女ではない」と言うセレスティーヌに女主人はいいます、「見れば分かる」と。セレスティーヌがそうなのか、19世紀末とい時代がそうなのか、フローベールが『ボヴァリー夫人』で描いたように?人は性と分かちがたく結び付いているようです。

 で、セレスティーヌは、ジョゼフの申し出をあっさり受け、馬車でシェルブールに向かうシーンでFin。エッこれで終わりというあっけなさ。起承転結どころか、好色な主人と人使い荒いマダム、主人に妊娠させられる料理女と妻を娼婦にしようという男と腹上死する病人が登場するだけで、ストーリーらしいストーリーもありません。小間使いの日常と生きざまをブッチャケて見せるところが「自然主義」なのかどうか。
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 特筆すべきは映像の美しさとレア・セドゥの魅力。印象派かフェルメールの絵画を思わせるような光に満ちた映像が各所に挿入され、視覚的には飽きません。レア・セドゥのファン以外にはあまりオススメできませんが。
監督:ブノワ・ジャコー
出演:レア・セドゥ

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映画 家に帰ろう(201スペイン・アルゼンチン) [日記 (2021)]

家へ帰ろう [DVD]
 原題”El último traje”=最後のスーツ。出だしが秀逸。アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)は、家族が集まった機会に一緒に写真を撮ろうと孫達を呼びます。ところが、そんな恥ずかしいことは嫌だ!と拒否し、iPhone買ってくれれば写真に入るという女の子が現れます。それはいくらするのだ、1000ドルよ、400ではどうだ、イヤ、500、600と競り上がり800ドルで手打ちとなります。1000ドル出すつもりだった、お前は200ドル損をしたと言うアブラハムに孫は、iPhoneは実は600ドル、200ドル儲けた!。孫にしてやられた爺さんのエピソードで、観客はたちまち映画の世界に...上手い!、おまけに伏線にもなってます。

 ブエノスアイレスに住む88歳の仕立屋アブラハムは、子供達から財産分与と老人ホームへの入所を迫られます。老い先短いことを悟ったアブラハムは、最後に仕立てたスーツをポーランドの友人届けることを決心します。基本、アブラハム老人がアルゼンチンからポーランドを目指すロードムービーで、何故ポーランドなのか?、これが映画のテーマです。

 アブラハムは一番早い飛行機でマドリッドを目指します。マドリッドからポーランドまで鉄道でフランス→ドイツ→ワルシャワと移動しようというわけです。88歳の爺さんのひとり旅ですから周りが放っておかず手を差しのべ、ロードムービーに人情が加わります。

マリア(アンヘラ・モリーナ)
 アブラハムが泊まったホテルの老女主人。老人同士で意気投合し、夜のマドリッドをほっつき歩き老春を楽しみます。ホテルに泥棒が入りアブラハムは有り金を盗まれます。これではポーランドへ行けない。ちょっとご都合主義ですが、マドリッドに娘のひとりが住んでいるのです。ところが、喧嘩別れしたので助力を頼めないというのです。喧嘩の原因は冒頭のエピソードと同じ。財産を分与するからひとつだけ頼みがある。一人づつ短い言葉で俺を愛する言葉を言え。で娘は言います、そんな恥ずかしいことは出来ない! →勘当だ出て行け!と喧嘩別れになったようです。孫といい娘といい、これはアブラハムの遺伝でしょうね。そんなつまらない事で娘を勘当し、異国で無一文となっても娘に頼らない痩せ我慢は。アブラハムはマリアに諭され娘と和解、お金を借り列車に乗ります。

イングリッド(ユリア・ベアホルト)
 パリで列車を乗り換えます。アブラハムは、「ドイツを通らずにポーランドに行きたい」「そんなことは無理!」と案内係とモメ、これを聞いていたイングリッドが手を差しのべます。アブラハムとイングリッドの共通語がイーディッシュ語(ユダヤ語)。アルゼンチン在住のユダヤ人がポーランドの旧友を訪ねる、しかもドイツの地には足を踏み入れたくない。これで映画の展開が読めます。イングリッドがドイツ人の人類学者だと名のると、アブラハムの顔がこわばります。ナチスのユダヤ人迫害とアブラハムと件の友人との関係が、回想として挟まれますから分かりやすいです。
 「ドイツの地を踏みたくない」というアブラハムの要望に、イングリッドは奇策を用いますが、観てのお楽しみ。

ゴーシャ(オルガ・ボウォンジ)
 アブラハムは列車の中で人事不省に陥り、看護師のゴーシャに助けられワルシャワで入院します。ゴーシャは、アブラハムの最終目的地、ワルシャワから100余kmにあるウッチ迄車で送ります。アブラハムは旧友に会えたのか?
 ナチスのユダヤ人迫害とユダヤ人をナチスから護ったポーランド人の友情の物語、それに老いを重ね、ロードムービーに仕立てた映画です。何のヒネリもない直球のストーリーがやや物足りないです。アブラハムは、娘や孫に愛情を強要します。これは、ポーランドからアルゼンチンに渡り、仕立ての腕一本で妻子を養い一家を支えたアブラハムの誇りなのでしょう(誰も褒めてくれない不満もあります)。ポーランドを発つ時に、助けてくれた友人から託された服の型紙で、それが彼の唯一の財産だったと思われますが、服を仕立て友人に届けることが、今こうして生きているという人生の確認だったわけです。父親やお爺ちゃんの人生を知らない娘と孫は、「そんな恥ずかしいことは出来ないと」言うわけですが、逆説的にそれはアブラハムの人生の証明でもあるわけです。
 マリアは奥さんの代わりとして、イングリッドは娘として、ゴーシャは孫としてアブラハムの旅を助けたと考えると、辻褄が合ってきます。原題は「最後のスーツ」、邦題の『家に帰ろう』の方がぴったりきます。

監督:パブロ・ソラルス
出演:ミゲル・アンヘル・ソラ、アンヘラ・モリーナ

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中川健一 全国2954峠を歩く(2018内外出版社) [日記 (2021)]

全国2954峠を歩く
 健康のためにウォーキングというか、散歩をしています。黙々と歩くのもつまらないので、音楽を聴くかラジオを聴きながらと云うことになります。土曜日の散歩は、必ずNHK R1の「石丸謙二郎の山カフェ」を聴きながらです。この番組に峠研究家・中川健一さんがご出演され、峠に関する蘊蓄を語っておられました、面白かったです。著書があるというので早速借りてきたのが本書。目次は、



峠っておもしろい!
峠の楽しみ方ー奥深い峠の魅力
効率よくまわるために乗り物に工夫を重ねた
厳選峠!33の物語
絶対行きたい峠120
僕がまわった峠リスト2801

 著者の中川さんは、早期退職?して後峠三昧。日本の峠全3,773の峠のうち、驚くことに3,000を超える峠を踏破されたようです。山の頂ではなく何故峠かと思うのですが、著者によると「峠は歴史を感じさせるタイムカプセル」で、昔から人々が往還した歴史が詰まった道だと言います。寺や神社にお参りする信仰の峠、例えば若狭小浜から京都に鯖を運ぶ物流の峠、参勤交代の行列が通り、脱藩の勤王の志士が通った峠だったりします。峠には番屋や茶屋があり、道標や石地蔵、道祖神があったりします。そう考えると峠巡りというのもアリです。

 私の住んでいる近くには西国三十三所の4番札所の槇尾山・施福寺があり、何本もある参詣道には沢山の丁石が並び峠があります。「絶対行きたい峠120」には七越峠が取り上げられています。七越峠は和歌山県かつらぎ町と大阪府和泉市のを隔てる峠で、高野山や西国観音霊場に参詣する旅人のために、江戸時代から昭和初期まであったようです。西行の歌碑もあります。
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 七越峠茶所跡の碑           左奥、西行の歌碑
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 「天誅組」も通った 千早峠
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三十丁石(千本杉峠)
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 槇尾山登山道にある超ローカルな「番屋峠」「ボテ峠」、当然本書には載っていませんw。

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村井章介 中世倭人伝 (1) (1993岩波新書) [日記 (2021)]

中世倭人伝 (岩波新書)境界.jpg
マージナル(境界)
 李氏朝鮮の公式記録『朝鮮王朝実録』に登場する、「倭人」「倭賊」「倭奴」「倭」などと呼ばれる人々の話です。「倭」ですから日本、日本人のことです。「倭」とは「魏志倭人伝」だけの世界ではなく14世紀~16世紀の朝鮮半島南部、対馬・壱岐、済州島、西北九州、中国江南の沿海地方などをふくむ海域での日本のアイコンだった様です。教科書で習う「倭寇」です。

「倭志」「倭人」「倭語」「医服」などというばあいの「倭」は、けっして「日本」と等置できる語ではない。民族的には朝鮮人であっても、倭寇によって対馬などに連行され、ある期間をそこでくらし、通交者として朝鮮に渡った人は、倭人とよばれている。海賊の標識とされた
衣服・倭語は、この海域に生きる人々の共通のいでたち、共通の言語であって、「日本」の服装や言語とまったくおなじではなかった。こうした人間集団のなかに、民族的な意味での日本人、朝鮮人、中国人がみずからを投じた(あるいはむりやり引きこまれた)とき、かれらが身におびる特徴は、なかば日本、なかば朝鮮、なかば中国といったあいまいな(マージナルな)ものとなる。こうした境界性をおびた人間類型<マージナル・マン>とよぶ。

  「日朝関係史」「日中関係史」などは、ふたつの国家が結ぶ関係を軸として研究されます。つまり国家という<点>と<点>とをつなぐ<線>として認識されてきたわけです。本書はそうした「点と線」から踏み込んで、倭寇が跋扈した14世紀~16世紀の朝鮮半島~対馬・壱岐~、西北九州~中国江南の沿海地方の海域をいずれの国にも属さないマージナル<面><場>として捉えます。その場で、国境や民族を超えて存在した倭寇と言われる一群の人々の話です。倭寇とは倭人でもなく朝鮮人でも中国人でもない、国家、民族からはみ出た疎外されたマージナル・マンとして捉えます。

倭寇
 倭寇は、フンドシ一丁刀をかついで東シナ海を荒らし回り、明の滅亡を早めたともいわれる「海賊」アウトローです。倭寇は13世紀始めに文献に登場しますが、14~15世紀に倭寇の被害が拡大するのは、元(モンゴル帝国)滅亡(1368)、高麗滅亡(1393=李朝成立)など東アジアの政情不安が影響していると考えられます。日本も鎌倉幕府(1333滅亡)→南北朝→室町幕府(1338成立)という政治の混乱期で、海賊を取り締まる余裕などなかった時代です。その権力の空白に乗じるようにアウトロー達が徒党を組んだ、それが倭寇です。

 倭寇は、多数の船と騎兵を擁する「倭寇集団」を組み、それらが各地を寇掠してゆくという状況だったようです。その活動回数が最も多かった1377年は、咸鏡道と江原道をのぞく朝鮮半島の全地域が被害にあい、高麗の首都開京まで迫っています。『朝鮮王朝実録』には、1379年に騎馬七百・歩兵二千という大規模な倭寇が、慶尚南道の晋州を襲った記録が記されています。騎馬七百・歩兵二千はもはや賊を超えた軍団です。
 倭寇の略奪は米や財物だけではなく人にも及び、1429年に日本を訪れた朝鮮通信使は、船で瀬戸内海を通過したとき、港に寄るごとに、枷や鎖でつながれた半島から拐われ人々が奴婢として使役されている様子を報告しています。相当多数の朝鮮人が倭寇によって日本に連行され、奴隷として使役され遠い国に転売されていたと言います。
 倭の暴虐ここ極まるというものですが、実はそう単純な話ではなかったようです。(続きます

*** 『中世倭人伝』目次 ***
「魏志倭人伝」によるプロローグ 
Ⅰ 国境をまたぐ地域 1)倭寇と朝鮮 2)地域をつくるもの 3)境界と国家
Ⅱ「三浦」―異国のなかの中世 1)都市「三浦」の形成 2)周辺地域への影響 3)三浦の乱
Ⅲ 密貿易の構造 1)三浦の乱後の「日本国使臣」 2)倭物にむらがる人々 3)〈環シナ海地域〉の成熟
中華の崩壊によるエピローグ

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映画 さらば愛しきアウトロー(2018米) [日記 (2021)]

さらば愛しきアウトロー [レンタル落ち]  原題はThe Old Man & the Gun。実在の銀行強盗フォレスト・タッカーを描いたクライムムービーです。タッカーは、15歳の頃車の窃盗を皮切りに84歳で亡くなる2004年まで投獄と18回の脱獄を繰り返したという伝説の犯罪者。その間(映画によると)一発の銃弾も撃たず誰一人傷つけなかったという異色の犯罪者です。

 タッカーを演じるのは80歳のロバート・レッドフォード。ダニー・グローヴァー、ティカ・サンプター、トム・ウェイツ、シシー・スペイセクらベテランが脇を固める、老人映画です。
 タッカー(ロバート・レッドフォード)は銀行の窓口に鞄を置き、拳銃を見せながら

僕は銀行強盗だ、バッグに金を入れろ。バカなマネはするなよ
君を傷つけたくない君が好きだから

 とか何とか言って金を奪う銀行強盗。窓口の女の子や支店長は、「犯人は優しかった」「紳士だった」などと言う始末。鞄1個ですから大した金額ではありませんが、オクラホマ、ミズリー、アーカンソー、テキサスなど、2年間で93件荒稼ぎ。タッカーが奪い、ダニー・グローヴァー とトム・ウェイツが見張りをし逃亡を助けるという3人組の老銀行ギャングで、世間では「黄昏ギャング」と呼ばれています。

 1981年テキサス州州ダラス、この老人ギャングの犯行に、刑事ジョン(ケイシー・アフレック)がたまたまた出くわします。出くわしたことで、ジョンは黄昏ギャングの捜査担当となります。子連れで客として銀行に行ったのです。ジョンは、(ケイシー・アフレックの)何時ものやる気のない口調、覆面パトカーの無線を子供に使わせたり、奥さんとの会話から刑事を辞めたがっていることが伺われる、ユルイ刑事。捜査を進める間にタッカーに親近感を抱く始末。

 タッカーは、逃げる途中でジュエル(シシー・スペイセク)に出会います。タッカーは「僕の職業は銀行強盗だ」、ジュエルは「主人が亡くなったのでひとりで小さな牧場をやっている」とかでたちまち意気投合、老いらくの恋となります。

 刑事を辞めたいジョンが「黄昏ギャング」を捜査し、老ギャングの老いらくの恋が進行します。派手な銃撃戦もカーチェイスも情熱的な抱擁も無く(少しはある)、凝ったプロットも劇的な展開も、深刻な人間ドラマもありません。すべてがゆったりと流れ、歳をとるということはこう云うことなんだ、という映画です。で、退屈かというとそうでもなく、俳優の演技に支えられたこう云うドラマも有りです。

監督:デヴィッド・ロウリ
出演:ロバート・レッドフォード、ケイシー・アフレック、ダニー・グローヴァー、トム・ウェイツ、シシー・スペイセク

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