積読 中村真一郎 王朝文学論 (3) (1971新潮社) [日記 (2024)]
『源氏物語』が書かれたのは、10世紀末〜11世紀初めの摂関政治の時代、藤原道長、一条帝の時代です。藤原兼家の娘詮子が一条天皇を生んだため、兼家は摂政関白となって政権を握ります。嫡男・道隆は娘定子を一条帝の後宮に送り込み定子は皇后、道長も娘彰子も中宮となります。道隆、道長ともに摂政となりますから、藤原氏(北家)が帝を擁して政治の実権を握ったことになります。文化的には、遣唐使が廃止となり「かな文字」が隆盛した「国風文化」の時代です。
一条帝の皇后定子、中宮彰子のサロンから『枕草子』『源氏』などが生み出された後宮文化、サロン文化の時代です。
日本の物語の先祖ともいうべき『竹取物語』も、紫式部に構想上の刺激を与えただろう。『竹取物語』は童話ふうの語り口のなかで、ひとりの女性を理想的な姿にまで高めている。『源氏物語』のなかでは、男の主人公源氏が、かなりかぐや姫に似た位置を持っている。そのうえ、『竹取物語』にも『伊勢物語』にも『宇津保物語』にも欠けたものがある。紫式部はそれを『蜻蛉日記』のなかに発見したに相違ない。
(p242)
(p242)
著者は、『源氏』が、『竹取物語』(”かぐや姫”を巡る求婚譚、伝奇物語)、『伊勢物語』(在原業平の恋の歌物語)、『宇津保物語』(漂流譚+求婚譚+貴族の政争)の延長線上にあるとした上で、『源氏』にはそれまでの物語には無い新しさがあると言います。紫式部はそれを『蜻蛉日記』から得たと言うのです。
『蜻蛉日記』は、道長の父で、政権を握った兼家の妻であった女性によって書かれた回想録である・・・それは淫靡で浮華な男女関係の物語ではなく、夫婦生活の困難さを、専ら心理的内面的に追求した、執拗で迫真的な記録である。
紫式部は『蜻蛉日記』に親しむうち、この内面的方法を物語に適用すれば、物語そのものも迫真性と深刻さを持つことができると思いついたのだろう。(p242)
紫式部は伝奇や荒唐無稽な恋物語を排し、光源氏(第1世代)、源氏の子・夕霧と頭中将の子・柏木(第2世代)、源氏の孫・匂宮と柏木の子・薫の3世代にわたる物語を書き、源氏、柏木、女三の宮の三角関係などの葛藤を持ち込み、六条御息所の様な妄執の女性を登場させるなど、人の心理の多様性を描いて見せたというのです。
そうして、最後に彼女は彼女自身の広い、また、深い体験をこの物語に投入しようとした。特に宮廷の社交生活は、多くの型の人物たちの生態を観察し、珍しい事件の裏面を知るには、最適の環境である。当時、『源氏物語』は宮廷人たちには、ゴシップ集としても、面白がられたことだろう。読者は自分や自分の恋人や恋敵などの言ったりしたりしたことが、意外なところにはめこまれているのを発見して苦笑したことだろう。(p242)
『源氏』の新しい帖が発表されると女房たちは先を争って読み、一条帝もそれを読むために彰子の屋敷を訪れたと言います。今日我々が小説に期待するものと同じ様なものです。道長は才媛の紫式部を娘彰子のサロンに入れ、『源氏』執筆のために当時貴重品だった紙を供給したといいます。後一条、後朱雀天皇が生まれていますから、道長の目論見は見事成功したわけです。
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