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三浦しをん 舟を編む(2011光文社) [日記 (2022)]

舟を編む (光文社文庫)
 20万語の中型国語辞書『大渡海』を編纂する話です。基本は、辞書編集部で『大渡海』の編纂に取り組む青年・馬締光也(まじめ=真面目)のビルドゥングスロマン。タイトルの『舟を編む』は、本書にある「辞書は、言葉の海を渡る船だ」という文言から採られています。日本初の近代辞書、大槻文彦の『言海』の「言葉の海」が由来となっているのでしょう。辞書を作るという小説も珍しい。
 
 出版社と言えば、ファッション雑誌の編集部、文芸誌の編集部が華だと思いますが、「辞書編集部」というのはまことに地味。従って『大渡海』の編纂する馬締(まじめ)も、名前の如く融通のきかない堅物。この馬締が、下宿の主人の孫娘で板前の香具矢に恋をします。辞書の編纂と馬締の恋が絡みます。辞書の編纂は、辞書に載せる語彙を集め、その語彙の的確な意味(語釈)を編集することで三省堂の『新明解国語辞典』はこの語釈のユニークさで評判になりました。編集者・馬締も語釈に悩むわけです。日曜日も、
 
 「『あがる』と『のぼる』のちがいを、もっと端的に表現できないものだろうか。」
 
と考えているその時、香具矢が現れます。
 
 板前姿もさまになっているけれど、ジーンズにセーターというラフな服装もいい。馬締は心拍数がが上がり、「これがまさに、緊張するの意の『あがる』だな」と思った。
 
香具矢は日曜日なのに自室で燻っている馬締を後楽園に誘います。
 
 激しくなった鼓動に跳ね飛ばされ、魂が体から出てしまうかと思った。「これがまさに、『天にものぼる気持ち』というものだな」と馬締は感得した。その瞬間、馬締のなかで 「あがる」と「のぼる」のちがいが明瞭になった。
 
 松田龍平、宮崎あおいで映画になりました。映画では、馬締と香具矢にスポットが当たり、馬締の当て馬的存在の西岡は浮わついたお調子者として描かれますが、小説では、西岡が重要なパートを担います。
 辞書に魅入られた馬締、『大渡海』のため馬締をスカウトした荒木、編集主幹の松本先生、この3人は『舟を編む』世界での正統派。辞書編集部に属しながら、語彙の採集、語釈に情熱の持てない西岡はアウトサイダー。むしろ実社会においては、辞書に入れ込む馬締、荒木、松本先生こそがアウトサイダーで西岡こそが普通の人(インサイダー?)。
  
 西岡にもプライドはある。 なにに対してもさして入れこめず、無難に仕事をこなすもはかばかしい評価は得られず、常に他人と能力を比べてはあせっている。
 
 普通の人・西岡は、特殊社会・辞書編集部に自らの存在価値を見出だします。辞書の出版は、語彙採集と語釈だけで完成するわけではなく、種々雑多な実務の集積で成り立っています。西岡は、馬締の不得意とする外部との折衝(それは西岡の調子よい性格のもう一方の面ですが)に自分の存在価値を見出だします。

 西岡は宣伝部に異動し、アウトサイダーの役目はファッション誌の編集部から辞書編集部に異動してきた岸辺みどりに引き継がれます。構想から13年『大渡海』が完成し、出版記念パーティーに出席した西岡は、辞書の編集者に自分の名前を発見します。『舟を編む』は、馬締の物語であるとともに、西岡、岸辺の物語でもあるわけです。西岡もまた「言葉の海」に乗り出す「船」に乗り組む一人だったわけです。

タグ:読書
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