ご先祖 [日記 (2022)]
実家の納戸の整理をしています。金目のものは間違っても出てきませんが、面白い物がいろいろ出てきます。「50年ものの梅干し」もそのひとつ。
書き付け(古文書)が沢山出てきました。「くずし字」のため何が書いてあるかさっぱりですが、土地の利権に関すものの様です。明治のものが大半ですが、文久、安政のものもあります。
書き付け(古文書)が沢山出てきました。「くずし字」のため何が書いてあるかさっぱりですが、土地の利権に関すものの様です。明治のものが大半ですが、文久、安政のものもあります。
分かったのは、私のご先祖様は佐七、佐蔵と云うらしいこと。佐七 →佐蔵 → 祖父 →父という系列です。佐七、佐蔵さんに名字はありませんから、由緒正しい平民(百姓)のようですw。昔の人は百姓とはいえ達筆ですねぇ。
木の箱に入った古い陶器(茶碗、皿)類も沢山出てきました。宴会、法事用か、20~30個で一揃いですから恐れ入ります。食器ですから値打ちはなさそう。箱に上書きがあり、確認できる一番古いものは嘉永七年(1853)。ペリーが黒船で浦賀に来た翌年です。黒船で日本中がひっくり帰っている年の正月に、我がご先祖は伊勢の田舎で茶碗の箱に「嘉永七年」と上書きしていたようですw。嘉永七年は、日米和親条約が結ばれ、伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震(嘉永七年に安政に改元)と天変地異の年です。
木の箱に入った古い陶器(茶碗、皿)類も沢山出てきました。宴会、法事用か、20~30個で一揃いですから恐れ入ります。食器ですから値打ちはなさそう。箱に上書きがあり、確認できる一番古いものは嘉永七年(1853)。ペリーが黒船で浦賀に来た翌年です。黒船で日本中がひっくり帰っている年の正月に、我がご先祖は伊勢の田舎で茶碗の箱に「嘉永七年」と上書きしていたようですw。嘉永七年は、日米和親条約が結ばれ、伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震(嘉永七年に安政に改元)と天変地異の年です。
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