SSブログ

カズオ・イシグロ脚本 映画 生きる LIVING(2022英) [日記 (2024)]

生きる LIVING [DVD]
生きる 4Kリマスター Blu-ray [Blu-ray]
オリジナルとリメイク
 黒澤明の『生きる』のリメイクで、脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。海外でも有名な1952年の映画を、2022年に舞台をイギリスに置き換えどんな映画にリメイクしたのか興味のあるところです。リメイクはオリジナルを超えられるのか?。


 オリジナルもリメイクも大筋は同じです。ガンで余命半年を宣告された市役所の市民課長が、児童公園を作ることに生き甲斐を見出す話です。児童公園は市民からの陳情で、役所はロクに検討もせず窓口をたらい回しして責任を回避します。リメイクもオリジナルも市民課には未決書類が山積みになっています。この責任回避のお役所仕事にドップリ浸かった主人公に一石を投じるのが、余命半年の宣告と役所の仕事に限界を感じ転職の道を模索する市民課の女性事務員マーガレット、黒沢版では小田切とよ。「生きる」ことに前向きなマーガレット=〝とよ”の存在は、映画の重要なkeyです(小道具のおもちゃのウサギも)。

 主人公は早くに妻を亡くし、再婚もせず一人息子を育て上げその息子も結婚。息子には息子の世界があり、主人公は疎外を感じ余命半年も告げられませんな。オレの人生は何だったんだろうと主人公は半年の余命を模索します。
 謹厳実直を絵に書いた様な主人公は、貯金を半分下ろし役所を無断欠勤し、残りの人生を楽しもうと飲み屋で出会った小説家と巷を徘徊。クラブで飲んでダンスに興じストリップを観たり新しい帽子を買ったりしますが、これが全く楽しくないわけです。設定もストーリーの運びも小道具も、オリジナルとリメイクは全く同じ。ラストでお巡りさんも登場し、児童公園で子供達が楽しそうに遊ぶシーンのENDまで同じで、歌うのが「ゴンドラの歌」とスコットランド民謡(The Rowan Tree)の違いだけです。オリジナルのエピソードはすべて取り入れられ、デッドコピーかと思うほどです。

リメイク
Living_main_243.jpeg スクリーンショット 2024-05-07 19.13.51.png
 黒澤版にあってイシグロ版に無いものがあります。それは黒澤明のどの映画にもあるユーモアです。ここまで忠実にリメイクしながらユーモアだけがありません。何故か?、それは『生きるliving』が大英帝国の「紳士」への挽歌だからだと思います。その象徴が黒いフェルトの帽子。冒頭の通勤列車で、市民課の面々はウィリアムを含め全員がこの帽子を被っています。市民課の新人ピーターに、紳士ジェントルマンになるのが夢だったと語らせていますから、ダークスーツに黒い帽子がジェントルマンである証だったことになります。
 ラストの列車内で、市民課の面々はウィリアムの遺志を継ごう、もう仕事の先延ばしはしないと誓い合いますが、役所に戻れば誓った端から仕事のたらい回しの責任回避が始まります。

 ウィリアムは「残りの人生を楽しむ」途中で帽子を失くし中折れ帽子に変わります。癌を宣告され「生きる」意志を持つようになって帽子が変わるわけです。黒沢版にも帽子のエピソードはありますが、リメイクではこの帽子に特別な意味を託しています。カズオ・イシグロには旧世代(ヴィクトリア朝的なもの)への挽歌『日の名残り』、剥落したロマノフ朝の伯爵夫人を描いた『上海の伯爵夫人』(脚本)があります。帽子に託されたのは、お役所仕事に勤しむ紳士への批判であるとともに、ウィリアムの如く紳士が紳士であった大英帝国旧世代に向けたレクイエムとも考えられます。カズオ・イシグロが描いて見せたのはヒューマンドラマではなく、黒澤明を借りた大英帝国だと思われます。
 改めてオリジナルを観たのですが、70年後のいま観てもドラマとして面白いです。志村喬、藤原釜足、千秋実、左卜全、宮口精二、木村功などお馴染みのメンバーが繰り広げるドラマには思わず見入ってしまいます。カズオ・イシグロをしてもオリジナルを超えることが出来なかったようです、もっとも黒澤とイシグロでは方向は違いますが。

監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、

【当blogのカズオ・イシグロ】
映画
 上海の伯爵夫人(脚本)
 日の名残り(原作)
 生きる LIVING (脚本)・・・このページ
小説

タグ:映画
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:映画