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映画 天国でまた会おう(2017仏) [日記 (2024)]

天国でまた会おう[Blu-ray]
同名小説を原作とした映画です。第一次世界大戦後の1919年、パリを舞台に戦争で傷ついた男と戦争で成り上がった男たちの物語です。戦死者の墓地建設で一儲けを企むプラデルと追悼記念碑の詐欺でこれも一儲けを企むエドゥアールに、戦争で顔の半分を無くしたエドゥアールを養うアルベールエドゥアールの富豪の父親、姉マドレーヌ、プラデルの犯罪を暴くメルランが絡み、映画は原作を忠実に描きます。

 砲撃で口と頬と顎を失ったエドゥアールは様々な仮面を作り被ります、映像になるとインパクトがあります。エドゥアールは、仮面によって本来の自分を隠し様々な姿に変身、飾りの付いた幻想的な仮面、能面の様な仮面、紙幣で飾り立てた仮面で登場します。仮面劇の役者であり(喋れないため)パントマイムを演じます。仮面の匿名性は、第一次世界大戦で傷ついた兵士、死んだ兵士の象徴でもあるわけです。
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 第一次世界大戦では1600万人が戦士し、2000万人が負傷したと言います。兵士たちを弔う墓地、祖国の英雄を称える記念碑の建造の機運が生じ、プラデルとエドゥアールはこれに乗るわけです。プラデルは、いい加減な身元確認、いい加減な棺桶を作って利ザヤを稼ぎます。エドゥアールとアルベールは記念碑のパンフレットを作り、予約を募って手付金詐欺をはたらきます。自分たちを戦争に駆り出し、殺し負傷させた国に対する仕返しです。プラデルは戦争の英雄となり余剰物資で焼け太り、エドゥアールは負傷してみにくい姿となり、アルベールは職を失います。やっていることは同じで「復讐するは我にあり」です。

 映画は原作以上に明快です。プラデルは悪事が露見し(アルベールが戦場生き埋めとなった様に)墓地の工事現場で生き埋めとなり、エドゥアールは父親と和解しますが、「天国でまた会おう」とばかり自殺します。小説を読んでも映画を観ても???。フランスにはこの映画(小説も)が成立する背景があるのでしょうが、日本人には正直ピンと来ません。

監督:アルベール・デュポンテル
原作:ピエール・ルメートル
出演;アルベール・デュポンテル、ナウエル・ペレス・ビスカヤール

タグ:映画
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ピエール・ルメートル 天国でまた会おう(2015早川書房) [日記 (2024)]

天国でまた会おう 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
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  第一次世界大戦終結間近の1918年11月、西部戦線で戦う若いフランス兵アルべール、エドゥアールとプラデル中尉、3人の話です。

プラデル:没落貴族の末裔。戦争で英雄となり余剰軍需物資で富を築く。エドゥアールの姉と結婚しペリクール家に取り入る。社会的勝者となるためには悪事も働く。
アルべール:元銀行員。プラデルの引き起こした無益な戦闘で生き埋めとなり、死の寸前にエドゥアールに助けられる。
エドゥアール・ペリクール:父親は富裕階級、特異な絵の才能がある。アルべールを助けた際に被弾し口と頬と顎を失う。復員を拒否しアルベールの助けで戦死者ウジェーヌとスリ替わる。

 簡単に言うと、戦争を踏み台に成り上がったプラデルと戦争に痛めつけられたアルベール、エドゥアールの物語です。わりと古典的な設定ですが、本書を決定づけるのがエドゥアールの口と頬と顎を失った顔。どんな顔かというと、

エドゥアールのほうは平然として、鼻孔から煙草をもう一服しただけだった。 そしてもう片方の鼻孔を手でふさぎ、同じ道筋を通って煙が出てくるようにした。喉からなんてとんでもない。だってエドゥアール、とアルベールは言ったものだ。正直、クレーターが噴火しているみたいで、ぞっとしないからな。

  後にこの醜い顔を隠すため、エドゥアールは能面の様なシンプルなものからラメの入った幻想的なものまで様々な仮面を作りこれを被ります。この物語では仮面=ペルソナがひとつのカギです。仮面は醜い傷を隠すと共に、本来の自分を隠し情況に応じて変身し匿名性を獲得します。復員を拒み死んだ兵士の名前を騙りますから二重の意味でAnonymous。したがって第一次世界大戦で傷ついた兵士、死んだ兵士の象徴でもあるわけです。エドゥアールは戦場の病院で国が提供する「補綴(ほてつ)器具」=仮面を断っていますから、いま仮面を被るということは、引き込もりの生活を捨て社会へ出て行こう、仮面の匿名性の下で自分を戦争に引き摺り出しこんな顔にした奴と対峙しようというわけでしょう。

 舞台となるのは第一次大戦の終わったパリ。国は戦死した兵士を葬る共同墓地を計画、市町村は戦没者追悼記念碑を計画します。プラデルは墓地を整備し遺体を掘り起こし埋葬する事業を請け負い、不正をはたらいて一儲けを目論むわけです。アルべールとエドゥアールの計画は、戦没者追悼記念の機運に乗じ記念碑を販売しようというもの。パンフレットを作り予約を取って実物は納品せずズラかろうという詐欺です。自分たちを戦場に駆り出した国や市町村にひと泡吹かせようというわけです。ここに来て小説の全貌が明らかになります。
 エドゥアールは生きる目的を見い出し、アルベールは引きづられるように計画にのめり込みます。プラデルの企みは破綻するのか?、エドゥアールの詐欺は成功するのか?、と言う興味で引っ張ってゆきます。読者としては、悪役プラデルに比べ人のいいアルベールと顔を半分失ったエドゥアールを応援したくなりますが、どちらも死者を喰い物にしようと言う悪人のクライムノベルです。

 ちょっと分からないのがエドゥアールと父親の葛藤。父親は銀行や企業を経営する富豪。風刺画を描いて問題を起こし退学を繰り返している息子に愛想をつかし、二人は険悪な関係となります。そのためエドゥアールは復員することを拒み死んだ兵士とすり替わります(これも匿名Anonymous)。ところが、父親は体調を崩し(都合よく)死んだ息子を悼むようになり戦没者追悼の記念碑に大金を投じます。エドゥアールは架空の彫刻家を騙り父親の記念碑を請け負い、騙されたと知った父親はプラデル(娘婿)を使ってその正体を暴こうとします。エドゥアール→父親→姉マドレーヌ→プラデルの連環なんでしょう。
 父親は彫刻家の絵にエドゥアールの特徴を見出し彫刻家に会いに出かけます。父と子は和解するのか? →和解はなく「天国でまた会おう」となります。

 でこれが面白いかというと?。第一次世界大戦でフランスは多大の犠牲を払っています。アルべール、エドゥアール、プラデルの存在も、共同墓地や記念モニュメントとそれに関わる不正など、この小説が成立する背景があるのでしょうが、日本人には正直ピンと来ません。

 『その女アレックス』の様な緊迫感を期待すると裏切られます。本書は2013年のゴンクール賞受賞作でミステリーではありません。映画化されているようなので観てみます。

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カズオ・イシグロ脚本 映画 生きる LIVING(2022英) [日記 (2024)]

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オリジナルとリメイク
 黒澤明の『生きる』のリメイクで、脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。海外でも有名な1952年の映画を、2022年に舞台をイギリスに置き換えどんな映画にリメイクしたのか興味のあるところです。リメイクはオリジナルを超えられるのか?。


 オリジナルもリメイクも大筋は同じです。ガンで余命半年を宣告された市役所の市民課長が、児童公園を作ることに生き甲斐を見出す話です。児童公園は市民からの陳情で、役所はロクに検討もせず窓口をたらい回しして責任を回避します。リメイクもオリジナルも市民課には未決書類が山積みになっています。この責任回避のお役所仕事にドップリ浸かった主人公に一石を投じるのが、余命半年の宣告と役所の仕事に限界を感じ転職の道を模索する市民課の女性事務員マーガレット、黒沢版では小田切とよ。「生きる」ことに前向きなマーガレット=〝とよ”の存在は、映画の重要なkeyです(小道具のおもちゃのウサギも)。

 主人公は早くに妻を亡くし、再婚もせず一人息子を育て上げその息子も結婚。息子には息子の世界があり、主人公は疎外を感じ余命半年も告げられませんな。オレの人生は何だったんだろうと主人公は半年の余命を模索します。
 謹厳実直を絵に書いた様な主人公は、貯金を半分下ろし役所を無断欠勤し、残りの人生を楽しもうと飲み屋で出会った小説家と巷を徘徊。クラブで飲んでダンスに興じストリップを観たり新しい帽子を買ったりしますが、これが全く楽しくないわけです。設定もストーリーの運びも小道具も、オリジナルとリメイクは全く同じ。ラストでお巡りさんも登場し、児童公園で子供達が楽しそうに遊ぶシーンのENDまで同じで、歌うのが「ゴンドラの歌」とスコットランド民謡(The Rowan Tree)の違いだけです。オリジナルのエピソードはすべて取り入れられ、デッドコピーかと思うほどです。

リメイク
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 黒澤版にあってイシグロ版に無いものがあります。それは黒澤明のどの映画にもあるユーモアです。ここまで忠実にリメイクしながらユーモアだけがありません。何故か?、それは『生きるliving』が大英帝国の「紳士」への挽歌だからだと思います。その象徴が黒いフェルトの帽子。冒頭の通勤列車で、市民課の面々はウィリアムを含め全員がこの帽子を被っています。市民課の新人ピーターに、紳士ジェントルマンになるのが夢だったと語らせていますから、ダークスーツに黒い帽子がジェントルマンである証だったことになります。
 ラストの列車内で、市民課の面々はウィリアムの遺志を継ごう、もう仕事の先延ばしはしないと誓い合いますが、役所に戻れば誓った端から仕事のたらい回しの責任回避が始まります。

 ウィリアムは「残りの人生を楽しむ」途中で帽子を失くし中折れ帽子に変わります。癌を宣告され「生きる」意志を持つようになって帽子が変わるわけです。黒沢版にも帽子のエピソードはありますが、リメイクではこの帽子に特別な意味を託しています。カズオ・イシグロには旧世代(ヴィクトリア朝的なもの)への挽歌『日の名残り』、剥落したロマノフ朝の伯爵夫人を描いた『上海の伯爵夫人』(脚本)があります。帽子に託されたのは、お役所仕事に勤しむ紳士への批判であるとともに、ウィリアムの如く紳士が紳士であった大英帝国旧世代に向けたレクイエムとも考えられます。カズオ・イシグロが描いて見せたのはヒューマンドラマではなく、黒澤明を借りた大英帝国だと思われます。
 改めてオリジナルを観たのですが、70年後のいま観てもドラマとして面白いです。志村喬、藤原釜足、千秋実、左卜全、宮口精二、木村功などお馴染みのメンバーが繰り広げるドラマには思わず見入ってしまいます。カズオ・イシグロをしてもオリジナルを超えることが出来なかったようです、もっとも黒澤とイシグロでは方向は違いますが。

監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、

【当blogのカズオ・イシグロ】
映画
 上海の伯爵夫人(脚本)
 日の名残り(原作)
 生きる LIVING (脚本)・・・このページ
小説

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ピエール・ルメートル その女アレックス(2014文春文庫) [日記 (2024)]

その女アレックス (文春文庫)
 パリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェン警部が活躍する「警察もの」です。この手のミステリーは数多くありますが、個人的には、ハミ出し刑事と助手のシリア移民、二重人格の女性秘書の登場するコペンハーゲン警察の「特捜部Q」シリーズが好みです。犯罪捜査もさることながら、3人のコンビネーションが魅力のひとつです。
 本書でも、妻が誘拐され惨殺された過去を持つカミーユ、同じ女性と4回の結婚離婚を繰り返す上司のル・グエン、大金持ちで着道楽のルイ、病的なしみったれアルマン等ひと癖ある四人組が登場します。主人公カミーユは身長145cm、取り調べでは誰もがエッあんたが?と訝かられる始末。母親は著名な画家でニコチン中毒、カミーユに十分な食事を摂らせなかったため身長が伸びなかったのだと説明されています。

 若い女性が路上で誘拐され、四人組が捜査を担当します。誘拐されたのはアレックス、警察の捜査と誘拐されたアレックスが交互に描かれます。警察の捜査に比べてアレックスの奮闘は読み応え十分。アレックスは何故誘拐されたのか?、誘拐犯は「淫売がくたばるところを見てやる」と言うだけで理由は言いません。木の檻にアレックスを閉じ込め天井から吊るしてスマホで写真を撮るだけです。檻近くに水とペットフードを入れた籠を吊るし、ペットフードはアレックスの食糧かというとそうではなく、実はネズミのエサ。ペットフードを食べ尽くした後のネズミのエサはアレックス。誘拐犯は警察に追いつめられて早々と自殺しますから、誘拐犯を追う警察のサスペンスはネズミの餌食になるアレックスのサスペンスへと変わるわけです。

 アレックスの脱出劇は凄まじいです。彼女は自分の血をロープーに塗り、ネズミに齧らせて脱出を図ります。カミーユが監禁場所に踏み込んだ時には、アレックスは脱出を図った後。カミーユ逹刑事は脇役に過ぎません。本書は警察ものと言うよりアレックスの物語です。捜査の進展と共に硫酸を使った殺人事件が浮上し、『その女アレックス』の過去が明らかになります(ミステリーなのでこれ以上はかけません)。
 本書は、仏、英や日本で数々の賞を獲得したベストセラーだそうで、確かに面白いです →オススメ。

《カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ》
 悲しみのイレーヌ(2006)
 その女アレックス(2011)・・・本書
 わが母なるロージー(2011)
 傷だらけのカミーユ(2012)

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高村薫 土の記 (下)(2016新潮社) [日記 (2024)]

土の記(下)
その夜も、ふと昭代が煮つけたヘラブナの甘露煮の味が舌に甦ってきた瞬間、台所に昭代が立っているような気がして、思わず振り返っていたものだった。幻に見たのは、ヘラブナを並べた大きなアルミ鍋に一升瓶の醬油を注ぐ昭代の、なんとも楽しげななエプロンの背中だ。

甘露煮は寒鮒が一番という昭代に背中を押されて始めたヘラブナ釣り、昭代の死後も伊佐夫はヘラブナを釣り甘露煮を作ります。なぜ妻昭代は不倫走ったのか、自殺したのかという思いが伊佐夫の日常に影を落とし、昭代が現れます。

 郵便局の外交員が訪れ、学資保険が満期になっていることを告げられます。カレンダーには満期日に丸印が付けてあり、

彩子・学資保険満期という書き込が自分の字だということは分かったが、その先はやはり曇りガラスだった。・・・鍬をふるう伊佐夫の口から吐きだされる息はときどき声になり、それはこう聞こえた。たいへんだ、たいへんだ、 ボケが来た、ボケが来た。 伊佐夫は鍬の先でカサコソ、 カサコソ崩される土の上に独り言を吐き続け、用水路の生きものたちがそれを聞く。たいへんだ、たいへんだ、ボケが来た――。

 独居老人の伊佐夫は、日々、稲や茶葉の成長に心を砕き、昭代の幻影を見、飼い犬やザリガニ、田んぼに迷い込んだナマズに花子と名前を付け会話する生活。そんな伊佐夫に認知症が現れたのです。茶葉を蒸す伊佐夫にまたも幻視が現れます。

早く茶葉を入れて! かき混ぜて! 三十五秒よ! 快活な声を響かせる昭代の、割烹着とスカートが伊佐夫の眼前を行き来する。不思議なことに、まだ四十前後の若い昭代だ。その張りのある裸のふくらはぎに一寸眼を奪われ、スカートの坐り皺の下の尻のかたちに見入りながら、伊佐夫はいまもまた、ふいに鈍い孤独感に胸を締めつけられ、君はなぜ男をつくっ たのだという繰り言が口をついて出る。

昭代も、その母も祖母も曾祖母もみな婿養子を迎え、娘しか産めない鬱屈が彼女たちを男へと走らせたのだと伊佐夫は考えるわけです。

男子を産める精子を求めて女性たちが出奔するのは、生物としての正しい自然というものではないか。子孫を残すためなら、無謀な三段重ねも辞さない(交尾する)カエルたちのように。

伊佐夫は、この鬱屈は婿養子の自分達にも確実に伝播していたと思い、彼等のある者は宗教に逃げ、ある者は会社勤めに逃げるしかなかったのだと考えます。昭代が死んで、伊佐夫は稲作と畑仕事に逃げ込んでいるのでしょう。これが『土の記』の「土」なのでしょうか。

 更に認知症が進みます。

とまれ、いま電話をかけてきたのが娘の陽子だという感覚がないことに密かに困惑し、陽子でなければ誰なのだと自問してみるが、それはさらに分からない。娘の顔や声を思い出せないというのとは違う、遠ざかってゆく物体のかたちが次第に判別できなくなるのに似た、これはある種の不在の感覚なのだろうか。それとも見当識の乱調だろうかと自分で自分を誘ってみるが、それも結局、田んぼの水から顔をだしているアメリカザリガニと眼が合ったとたん、忘れてしまう程度の物思いではあった。

俗事は忘れるが日々の農作業と過去だけは忘れません。歳をとるということはこいう事なのでしょう。ここまで延々と高村薫が描いてきたのはこの 老い です、でどう結末をつけたのか?。

(2011年8月30日)総雨量が千八百ミリに達した三日から四日朝にかけて、県内の山間部各地で地形が変わってしまうほどの大規模な深層崩壊とそれに伴う土石流が多数発生し、集落や道路や橋が 押し流されて、県内の死者・行方不明者は二十六名を数えた。そこには、大宇陀漆河原の二名も含まれる。

 高村薫には、限界集落で暮らす老人を描いたユーモア小説『四人組がいた。』があり、『土の記』はちょうどその裏番?に当たる小説です。

【メモ 当blogの高村薫】

タグ:読書
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Macに乗り換えて1年 [日記 (2024)]

IMG_20231211_101310.jpg システムボード.jpg
              画像は使いまわしw
iMac
 乗り換えたわけではないのですが、ジャンクのiMacを入手して1年余り使ってきました。これと言ってWindowsに不満は無いのですが、一度Macを使ってみたかっただけです。そう云えばLinuxも使ってみましたが長続きしませんでした、さてMacは?。グラフィックもDTMもやらないので、ごく普通のMac体験記です。

 手に入れたのはiMac late2012で但し液晶割れ。スペックは最新のPCに比べて見劣りしますが、HDDをSSDに入れ替えると十分使えます。iMacの良さはディスプレイ、スピーカー一体型(カメラとマイクもある)ということです。PrimeVideoで映画が、NHK+、radikoを使えばTVやラジオとなります。録画も出来るのでレコーダーも不要、追いかけ再生、見逃し、聴き逃しと便利で、iMacは殆ど家電です。あの筐体でそれなりの音が出るから不思議。キーボード&マウスは、純正は高価なのでWindowsで使ったものを流用、keyの割り当てが異なるので、紙に書いて貼り付けていますw。

OSアップデート
スクリーンショット 2023-12-09 14.09.18.png スクリーンショット 2023-12-09 8.51.56.png
Opencore Legacy Patcher       sonomaもダウンロードできる!
 入手したiMacのOSはSierraでしたが、Catalinaにアップデートしました。インターネットから直接インストール、アクティベーションも不要と便利に出来ています。Opencore Legacy Patcherを使って外付けHDDにVenturaをインストールしデュアルブートの実験をしましたが、USB3.0でも遅いです。スピード優先で現在はCatalinaを使っています(内蔵SSDなら使えそう)。CatalinaだとNumbersなどはインストール出来ませんが、LibreOfficeなどを入れればExcel、Wordが使えます。特殊なアプリを入れなければ今のところCatalinaで十分です。但し、iPhoneの「連携カメラ」などは使えません。
アプリケーション
 Windowsで使っていたアプリはMac版もあり大抵使えます。Macに乗り換えても、Chrome、Gmailなど結局はWindowsで使い慣れたアプリケーションを使うことになります。インストールしたのは、Google Chrome 、Google 日本語、UpNote、VLC、LibreOfficeなど。+プリインストールのアプリで十分です。
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SSDに入れ替え
 検索するとiMacのSSD換装は沢山ヒットします。iMacは液晶と本体が両面テープで貼り合わせてあるだけですから、ピザカッターようなもので外せます。外せば換装は簡単です。OSインストールもnetで出来ますからWindowsより楽です。メモリは、システムボード上にあるので、増設は分解しないとできません。8Gでもレインボーカーソルはめったに出ません。換装後、液晶はセロハンテープで留めていますが問題ありませんw。
裏側.jpg IMG_20231117_082744.jpeg

タイムマシン
 これには感心しました。一度もお世話になったことはことは無いのですが、Macが不調になった時にバックアップしてあれば安心です。外付けHDDを繋いでおくだけでバックアップしてくれるので手軽です。これだけでもMac乗り換えの価値はあります。

iPhoneと連携
 製造がAppleですから相性はいいようです。Catalinaでは、Airplay、自動ロック解除、連携カメラ、ウィジット仮想ディスプレイ、ユニバーサルコントロールは使えません。Airdropが使えれば十分ですが。

 結論から言うと、SSD換装言う条件は付きますが、iMac late2012でも十分実用になります。換装もそれほどハードルは高くありません。投資ですが、本体が3,000円程(送料別)、SSDに5,000円でした。1万円でMacが体験できました。
 WindowsかMacかという記事を見かけますが、Windowsで出来ることはMacでも出来ます。ワンボードマイコンを繋ぐなどの場合はWindowsの方が情報量は多いですが、Macでも可能です。WindowsかMacかという話は、工学系か芸術系?かという「業界」の選択の話だと思いますw。
 というわけで、iPhone+iMacでWindowsPCはホコリを被ってますw。

タグ:パソコン MAC
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