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髙村薫 李歐 講談社文庫 [日記(2006)]

李歐

李歐

  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/02
  • メディア: 文庫


 1992年発表の『わが手に拳銃を』を下敷きに1999年文庫化を機にremakeされたもの.普通めずらしいこのremake・改稿・書き直しは,完全主義者・高村薫にとっては普通のことらしい.『神の火』『地を這う虫』『マークスの山』が全面改稿され,最近も「照柿」が改稿・出版された.

 下敷きが『わが手に拳銃を』だから,テーマ(というか小道具)の一つは「拳銃」である.拳銃というより,拳銃を削り出す旋盤,フライス盤など,機械・メカニカルなものに対する偏愛である.拳銃に対する憧れは男なら誰でも一度は経験することだが,かくも執拗に語られる拳銃と鋼の手触りや鋼を削る旋盤の機能美は,何処かでこの物語に深く根ざしているものと思われる.当然の如く,主人公吉田一彰が始めて李歐と出会う件もブローニングが仲立ちとなる.李歐だけではなく,川島,やくざの原口,笹倉など主要人物とはすべて拳銃が仲立ちとなっている(但し主人公が拳銃で人を撃つ場面は無い).
この偏愛は、主人公吉田一彰が、やくざの原口からS&W(拳銃)を渡された場面でこう語られる.

「一彰は手を伸ばし、まずはその銃身やシリンダーの、艶やかに磨かれた曲面を指先で撫でた.そして,指の腹に伝わる鏡面仕上げの鋼の手触りが,自然に身体じゅうの神経を呼び覚ますに任せ,その刺激がさざ波のように脳天に伝わるに任せた.」

原口に渡された拳銃を修復し試射する場面では,

「作業場でいじってきた小さな部品のひとつひとつが物理的な機構として働き,秒速数百メートルで弾をはじき出す力になる.そうした希有な至福の感覚を身体で覚えた.自分の削りだした機械の部品が,たとえば自動車のシャフトのジョイントの一部になっても,その部品が実際に動き,働くさまをこの目で見ることもなければ,触ることもない下請け工場の機械工にとって,拳銃は,直に部品のひとつひとつが噛み合いが手指に感じられるという意味では,頭も身体も狂い出しそうな興奮を味わうことの出来る代物ではあった.」

拳銃とは男と男が共有する美意識の記号であり,男と男を結ぶ記号である.

 もう一つのテーマ(というか変奏)が「桜」である.主人公吉田一彰が幼い頃見た守山工場の庭に咲く桜であり,アイルランド人神父がコウモリの幻聴を聞く桜であり,咲子と結ばれる花見の宴の桜であり,李歐が見た桜であり,満州の櫻花屯に李歐が植えた5千本の桜である.日本人が持つ桜に対する儚さ・郷愁を変奏に加えることにより物語にロマン性を高め,櫻花屯のラストシーンを盛り上げている.

 拳銃と桜は変奏であり,あくまで主旋律は主人公・吉田一彰と若きテロリスト「李歐」の男同士の友情あるいは恋物語である.この感情は私にとってはメタファ以外に理解しがたいものだが,『黄金を抱いて跳べ』にも同様の傾向が見られる.高倉健・鶴田浩二の東映映画を持ち出すまでもなく,拳銃(あるいは刀剣)と桜と男(義兄弟)は任侠の必須科目である.そう考えると,物語のラストが中国大陸それも満州の原野櫻花屯で終わっていることは象徴的である.CIA,北京,公安と道具立てはインターナショナルに揃っているが,描かれるのは古くからあるテーマである.

『マークスの山』以降の読者だが期待を裏切らず →☆☆☆☆★


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