SSブログ

高村薫 照柿 講談社文庫 [日記(2006)]

照柿(上)

照柿(上)

  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/08/12
  • メディア: 文庫


高村薫 照柿 講談社文庫

 カミュは「異邦人」で主人公の殺人の動機にまぶしい太陽を挙げる。「照柿」では、柿の放つ臙脂色と、夏の暑さが殺人の重要なモチーフとなっている。

「どこかに残っていた意識のなかで、、おれは不快なのだと、しきりに自分に言い聞かせたのだった。理由も対象もこれと絞ることの出来ない猛烈な不快の炉に、どっとオイルバーナーの火が入るのを感じ、炉がどかんと震えるのを感じた。・・・格別な理由も無く訪れた一夜の不眠と、それに続くさまざまな心身の変調がここに辿りついたのだ・・・」と殺人がおきる。

 合田雄一郎シリーズ第2弾。又も捜査1課7係面々の会話が楽しめると思ったが、今度は少し勝手が違う。ホステス殺しを追って物語りは展開するのだが、この第1の殺人事件は狂言回しで、本題は合田と幼なじみ野田達夫の「葡萄の眼」を持った人妻を巡る確執であり、第二の殺人である。なんと、合田雄一郎が恋をするのである、しかも行きずりの女佐野美保子への横恋慕。骨が疼く煩悶のなかで、合田は思う

「結局あるのは欲望だけなのだと呟く自分の声を聞いた。佐野美保子もまた、自分にとって特別の女ではなかったのだろうが、欲望だけはある。その理由が分からず、これは野田達夫への嫉妬か、それともほかの何かへの代償なのかとひそかに自分に問うてみた後、案の定、自己嫌悪の津波がやってきた。」

 本書でも高村薫の凝り性は遺憾なく発揮される。もう一人の主人公野田の職場、ベアリング工場の熱処理工程が克明に描写される。事務系サラリーマンでは無く、熱気のこもった工場でベアリングを焼く炉に燃える火を見つめる工員を、合田の恋敵として登場させる。炉の温度を監視するガラス窓から覗く炎のいろは「照柿」の色である。第二の殺人が行われる部屋も絨毯、壁が赤で統一され、凶器の一つはエミール・ガレの緋色のガラス・スタンドである。もう一つ「青」がある。野田と合田が惚れる女性美保子が着ているのは青いワンピースであり青いリボンのついた麦藁帽子、野田の父親が描いた「三角が三つ重なった群青」の抽象画、10歳の合田が野田と絶交する原因となったカラスは青い色で塗られている。24年後その絶交状が発見されるのは、美術全集のピカソの『朝の曲』(青い絵)のページの狭間である。殺人に象徴される不条理へ導く色調が赤=「照柿」なら、青のメタファーは、その対極にあるものかどうか。
 「神の火」「マークスの山」と高村薫の物語の「落としどころ」に不満があったが、「照柿」は裏切られることは無かった。変わり果てた美保子との対面を合田雄一郎は、義兄(離婚した妻の兄)加納祐介への私信に記す。

「美保子の姿は、それを見て恐怖を感じる醜悪な人間の鏡だった。つい二カ月前に一目惚れしながら、容姿ひとつ失われただけで逃げ出す人間の鏡だった。これはおそらく、美保子が罰を受けたのではなく、美保子の姿を眺める人間が罰を受けたということなのだと思う。美保子の姿は小生の脳裏に居続けているし、悔やみ、恐怖し、また悔やむ日々がこの先ずっと続くのだろう。」

 この物語りの主題は加納祐介の返信にあるのだろうか。加納は、雄一郎と美保子の対面がわずか3分であった事実を指摘し、ダンテの『神』を例にこう記す。

「いずれにしても、人生のほんの短い時間だったことは一考に値すると思う。・・・君が暗い森で目覚めたときに出会ったのが佐野美保子だった。・・・恐れおののきつつ彷徨してきた君がいま、浄化の意志の始まりとしての痛恨や恐怖の段階まで来たのだとしたら、そこまで導いてくれたのが、佐野美保子であり、野田達夫だったのだ。」

この義兄(離婚した妻の兄)加納祐介と合田雄一郎の不思議な関係が、シリーズの魅力のひとつでもあるのだが。

 いずれにしろ、ここにあるのはミステリーでも刑事物でもなく、刑事を主人公とした「小説」である(高村薫は文学と云われるのをきっと嫌うだろ)。面白かった。次は『レディージョーカー』だ。
文句なしの →☆☆☆☆☆


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0