マイケルは法学部の学生として傍聴した裁判の法廷で、ナチの戦争犯罪の被告ハンナに再会します(ハンナは気付いていませんが)。ハンナは、当時彼女自身が書いたとされる文書を証拠に、300人の囚人(ユダヤ人)を見殺しにしたナチの主犯として無期懲役の判決を受けます。実はハンナは文盲で、報告書を書くことはできなかったわけです。文盲であることを主張すれば刑期は4年で済むのですが、ハンナは文盲を隠して無期の判決に甘んじます。この時マイケルはハンナが本を朗読させた理由が分かり、ハンナが『文盲』だと気付くのですが、彼は行動を起こしません。弁護側の証人として立てばハンナを救う事が出来た筈なのですが、彼は悩むだけで何もしません。ハンナの意思を尊重することがハンナへの愛なのでしょうか。その後、ハンナに面会しようと刑務所まで行きますが、結局途中で引き返しますね。大学の寮に帰ったその夜、それまで自制していた同級生を抱きます(どうもこの同級生とその後結婚して離婚しているようです)。ハンナ(あるいは幻想?)との決別です。
ハンナは、何故文盲であることを隠したのか?無期懲役と引き替えにするほどの秘密であったのか?
それを知ってマイケルは、何故彼女を弁護しなかったのか?法律を学マイケルは、目の前の冤罪?を看過したことになる。
これが第2章の投げかけた謎です。
第3章です。マイケルは1958年当時ハンナに読んで聞かせた本をテープに吹き込み、刑務所の彼女の元に送ります。これがきっかけでハンナは字を憶え、マイケルに手紙を書きます。出所の知らせを受けたマイケルは、ハンナに会いに行き、職場と住まいを用意し彼女を迎えることを伝えます。マイケルがハンナを迎えに行った日、彼女は自殺して果てます。
マイケルは何故テープを送り続けたのか?
マイケルは何故ハンナに手紙を書かなかったのか?
ハンナは何故自殺したのか?
マイケルは過去の甘い思い出と真実を明らかに出来なかった自責のない交ぜになった動機で朗読のテープを送り、同じ理由で返事を書かなかったのでしょう。ハンナの出所を知らせてきた刑務官の電話も、最後は刑務所を訪問しますが、最初は素気なく切っています。男の身勝手さと揺れる思いが透けて見えるようです。
ハンナは何故自殺したのでしょう。マイケルが朗読を吹き込みハンナにテープを送り続け、ハンナはそのテープを聞いているかぎり、ふたりは1958年のハンナであり15歳のマイケルです。出所し、マイケルの庇護のもとでの新たな生活は、ハンナとマイケルの新たな関係が生まれるということです。ハンナは新たな関係を拒絶し、過去に生きる決意をしたのでしょうか?
この映画は、時代に翻弄されたハンナという女性がつかんだ一生に一度の愛を描き、たった一瞬輝いた生を永遠に閉じこめた女性を描いています。この手の映画では、男は常に従属物に過ぎません。
監督は『
めぐりあう時間たち』のスティーブン・ダルドリー。静かな時間の流れのなかで人間を見つめる確かな構成は両方に共通しています。音楽もピアノの旋律の控えめなリフレインで『めぐりあう時間たち』に似ています。
ケイト・ウィンスレットは『タイタニック』で有名になた女優ですね。昔ヴィデオで見たことはあるのですが、カワイイだけの女優から見事に脱皮しているようです。『めぐりあう時間たち』ではニコール・キッドマンが、『愛を読むひと』ではケイト・ウィンスレットがアカデミー賞・主演女優賞を獲っていますが、女優の持ち味を引き出す監督の力なんでしょうか。
監督:スティーブン・ダルドリー
キャスト:
ケイト・ウィンスレット
レイフ・ファインズ
ダフィット・クロス
ブルーノ・ガンツ