- 日記(2011)
第2編『場違いな会合』では、フョードルと長男ドミトリーの財産をめぐる争いを調停するため、三男アリョーシャが修道僧として属する教会で会合が開かれます。アリョーシャの精神的拠り所であるゾシマ長老が登場して物語は一気に宗教色を帯びて来ます。
第1編で照会されたフョードルと三兄弟が肉体を持って登場し、芝居の科白を喋るかの様にそれぞれ勝手に論議し、グルーシェニカ、カチェリーナのふたりの女性の存在が明らかにされます。次男イワンは長男ドミトリーの婚約カチェリーナに想いを寄せ、ドーミトリーは町の商人の囲い者アグラフェーナを父親フョードルと争うという複雑な関係が暴露されます。
この小説の主人公とも言うべき三男アリョーシャは修道僧。一方父親と長兄は金銭的に訴訟一歩手前で町の娼婦まがいの女性を争い、兄ふたりはひとりの女性をめぐって奇妙な三角関係。アリョーシャの住む宗教世界とドロドロの愛憎劇が進行する現実世界、これは面白そうです。
それにしても、作家と同じ名を持つ父親フョードルの放つ光芒には圧倒されます。持参金目当てに結婚した先妻には駆け落ちされ、後妻は狂死。居そうろうから小地主にまで成り上がり、息子と女性を争う好色漢。道化の裏にしたたかに計算された欲望を隠し持つフョードルは第1部では一番存在感のある登場人物でしょう。
第3編『女好きな男ども』では前編で存在が明らかとなったふたりの女性グルーシェニカとカチェリーナが肉声を持って登場します。カチェリーナは婚約者ドーミトリーを愛してはいず次男のイワンを想っていることが明かされ、善良を装ってカチェリーナに近づいたグルーシェニカの目的は・・・。
おまけに、フョードルと乞食女の私生児と噂されるカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフまで登場します。作家はこの『家庭愛憎劇』を何処へ導こうというもでしょう。
文学、それもロシア文学など読むのはン十年ぶりです。読みやすいと評判になった亀山郁夫の新訳で読んでみました。
読めるかな、と心配しましたが十分読めます。亀山訳が優れているのか、こちらが歳をとったのか知れませんが、以外と面白いです。面白いですが、朗々と芝居のセリフを喋り舞台で見栄を切る大時代的な展開と、そこここで展開される宗教論議には手こずります。
読めるかな、と心配しましたが十分読めます。亀山訳が優れているのか、こちらが歳をとったのか知れませんが、以外と面白いです。面白いですが、朗々と芝居のセリフを喋り舞台で見栄を切る大時代的な展開と、そこここで展開される宗教論議には手こずります。