何故ヨーロッパ、アメリカではなく東欧とソ連なのか?。著者はハンガリーのペンフレンドとモスクワ放送を訪ねることを旅の目的としていますが、いずれも社会主義国ですから、この体制に強い関心を持っていることがうかがわれます。
この旅行記の特徴は、名所旧跡を見て回る観光旅行ではなく、異なる体制の国民、暮らしを体験することに主眼が置かれていることです。景勝地も博物館も出てきません。記述は、食べ物と出会った人々、街の様子に終始します。ワルシャワではサーカスを見物し、ブダペストでは日ソ合作映画しかも日本で見た映画を観るという、およそ海外旅行ではありえない「観光」です。食事、食べ物が詳しいです。訪れた国を生で理解したいという優君にとって、食事や料理はその国を理解するひとつの方法だったようです。この旅行記を書きながら、15歳の味覚が50歳の佐藤優氏の舌によみがえったかのようです。
食事とともに、切符を買い、ホテルを予約し、列車バスで移動する体験も著者の瑞々しい感性で捉えられます。プラハではホテルの予約に半日、列車の切符購入に丸一日かかるなど、市民と同じ目線でその国を体験します。
ブカレストでは散々な目に会います。指定券が無いためキエフへの列車に乗れず立ち往生。チャウシェスク体制はこんなものかというところを、観光局の職員が列車にのれなかった理由を書類にしてくれ、紅茶とクッキーをふるまってくれるなどの親切に助けられます。キエフへの列車では、乗り合わせたルーマニア人の爺さんに自家製のパンを振るまわれます。何処の国にも「悪い人もいればいい人もいる」という当たり前の出来事は、15歳の少年に何を刻んだのでしょう。
1975年当時の高校生の感覚には、懐かしさを覚えます。優君は、サーカスの熊に受験に追いたてられる自らを重ね、ホテルでは、9月の試験のために数学の問題集と格闘します。数学は暗記だ!という辺りでは、思わず笑ってしまいました。
下巻では新たな展開があるのかもしれませんが、『十五の夏』が面白いかと言えば、個人的にはそれほどでも。この本が1976年に出版され、中高校生が読めば面白いと思いますが、2018年にオッサンが40年前の旅行の回想を読んでも旅の感動はもうひとつ伝わって来ません。体験に基づいたジュブナイル小説なんでしょうか。
15歳でひとり旅をしていることを知った人々は、優君に「この旅行はあなたの人生に大きな影響を与える」と言います。佐藤優氏は、この旅行が自分の人生に与えた影響を噛み締めながら書き続けたのでしょう。