冒頭で、トラクターが農民の家を破壊するシーンがありますが、これも資本と機械化という搾取被搾取を象徴しているのでしょう。不景気と自然災害で、小作農のジョード一家はオクラホマを去ることになります。ボロ車に家財道具一式を積み込み、各地でキャンプをしながらルート66を西に向かう難民となります。途中で祖父母が死に路傍に埋められます。元説教師ケーシーの弔いの言葉は彼らのおかれた運命を象徴しています。
生ける者は皆 聖なり死んだもののために 祈ろうとは思わない導きが必要なのは 生きている人間だ
生ける者は皆 聖なり死んだもののために 祈ろうとは思わない導きが必要なのは 生きている人間だ
お前とはもう会えないのかい?
一人の魂は 大きな魂の一部なんだその魂は万人のものだ だからおれは暗闇の中にもいるってことさ母さんが目を向ければね飢えた人が騒ぐときもそこにいる警官が おれの仲間を殴っているときも仲間が怒りで叫ぶときも腹をすかせた子供が食事を見て喜ぶときも人が自分で育てた作物を食い 自分で立てた家に住むときもおれはそこにいる
原作を読んで深く感銘したフォンダは、どうしてもトム・ジョード役をやりたいと熱望した(wikipedeia)