- 日記(2012)
作中、「英国公使館焼き討ち事件」が出てきますから時は1863年冬、明治維新まで後5年。品川の遊郭を舞台に、主人公は遊びの代金が払えず妓楼・相模屋に住み込んだ居残り佐平次(フランキー堺)。遊女おそめ(左幸子)、こはる(南田洋子)等遊女と客、遊郭に働く人々の人間模様を描き、一方相模屋に居続ける高杉晋作等の長州浪人を配し、幕末の不穏な世相の中で生きる庶民を正面に据えた「傑作」です(だそうです)。
高杉晋作の石原裕次郎の他に、志道聞多(=井上馨 二谷英明)、久坂玄瑞(小林旭)も登場しますが、何とも薄っぺら。フランキー堺、金子信雄、小沢昭一、殿山泰司などに食われっぱなしです。石原裕次郎以下は、フランキー堺他の引き立て役ですね。これは何も役者の話だけではなく、女郎や遊郭の若衆の目から見れば「尊皇攘夷」も何ほどのもだという、価値観の逆転がひそんでいます。
「太陽の季節」がヒットしたのは1956年です。その1年後に「太陽の季節」を換骨奪胎、舞台を幕末に置き換え太陽族とは似ても似つかない落語の主人公達が縦横無尽に駆け回る幕末版「太陽の季節」が、「幕末太陽傳」なのでしょう。そこには、監督川島雄三の時代と映画に対する皮肉、健全な常識が感じられます。
そうですが、「駆け抜け」たのは幕末の志士ではなく、間違いなく「居残り佐平次」です。ラストシーンで、確かに佐平次が駆け抜けます。ストーリーはオリジナルだが、落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。
このラストシーンには「幻のラストシーン」なるものがあり、
この(幻の)ラストシーンは、脚本段階では、佐平次は海沿いの道ではなく、杢兵衛に背中を向けて走り始めると墓場のセットが組まれているスタジオを突き抜け、更にスタジオの扉を開けて現代(昭和32年)の街並みをどこまでも走り去っていくものであった。佐平次が走り去っていく街並みはいつかタイトルバックに登場した北品川の風景になり、その至るところに映画の登場人物たちが現代の格好をして佇み、ただ佐平次だけがちょんまげ姿で走り去っていくというものだったという。
見たかったですねぇ。で、お薦めかと云うと、機会があれば是非!。
監督:川島雄三
出演:フランキー堺 左幸子 南田洋子 金子信雄 小沢昭一 石原裕次郎 二谷英明 小林旭